こうして声をかけてくれてありがとう。人の話を一方的に聞くのは好きだから、また別の機会、気が向いた時に何か書いて投稿してくれたら見にいきたいな。人から死生観を聞くと、救われるのとはまた違うけど、考えすぎてわからなくなった時に一つの指標になるから助かるよ。
学問は事実認識のみを追求し、市民はそれに応じて価値判断を行う。
それだけじゃ足りない、価値判断についても学者は提言すべきという考えもある。
傲慢なやつだな。おまえはそんな大した人間じゃねえんだからいちいち失望すんな。
人並みのことができない自分を受け入れろ。
生きてるだけで丸儲けぐらいの気持ちで気楽にだらだら生きてきゃいいじゃねえか。
親に申し訳ないつったっておまえがそんな風に生まれついたのは親の責任でもあるだろ。
親を責めろとまでいわんが親の期待に応えられない自分を責めることもない。
人間なにができなくても悪事に手を染めずにまじめに生きてりゃそれで十分なんだよ。
そういう揚げ足取りはやめな。
体調が悪いとかなら、モチベーションは下がると思う。それ(体調)は大丈夫ですか。
ささいなことだけど、たとえば、
よく悪夢を見るなら。
枕を変えてみるとか、入浴剤であったまるとか、毛布を一枚増やすとか
模様替えをしてBEDの位置を替えるとか、カーテンを遮光にするとか、いくらでも方法はあると思う。
原因を潰してゆかずに、しんどさや辛さに引きずられてしまって
一番気になっていたことから離れたりするのはもったいないし、つらいので
いいこととわるいことしたいこととしたくないことなど箇条書きにして再構築。
と何もしないでいいと言われたのに余計なことを書いてみました。
悩みのない人生なんて、きっとない。
もう要らんだろってくらい異世界系のくっそ長いタイトル作品多すぎだろ。
元のタイトルが短いってのも頭のおかしい編集のおかげで恥ずかしいタイトルに変えられたりで
それこそメインタイトルの付け足しに~~で囲んだサブタイトル程度で良いんだ。
それをダラダラと長い文章をタイトルにして、これならわかりやすいって思ってる編集がいると思うと
こいつは学校の授業で何を学んできたんだ?と呆れる。
そこまでタイトルに説明入れないと理解できないと思ってんのかよと。
なにこれ。これからもこんなクソ長いタイトルにしないと駄目になるの?
読者はそんなに頭弱くないでしょ。むしろ短くしたって読むだろうに。
ロードス島戦記とか、それだけでファンタジーものだって分かるだろ。
そんなのでいいんだよ。わかりやすいじゃん。
読んでくれてありがとう。休学からコロナとほぼ同時に復学したんだけど、実は今の方が調子はいいんだ。人と顔を合わせずに済むから。
それでもやっぱり誰かしらとの会話が気晴らしになっていた一面もあるのかもしれない。
人間なんてご飯食べてトイレ行って寝てたまに性欲解消してたら生きているって言えるんだよね。
自分でも自分の欠点をわかっているけれども改善できないからしんどいってことなんだろうけどさ、なんとかなるさの精神で行くしかないんじゃないかな。
自分の知っている人で、大学の学部に八年間在籍して卒業できず、それでも就職してなんだかんだ中間管理職している人もいるからさ、
そら卒業するに越したことはないんだろうけどそこまで考えすぎるのも良くないよ。
自他問わず期待をすべて捨て、最底辺のところから考えてみようぜ。生きてるだけで偉いし学生なだけでも偉いんだよ。上を見ればきりがないけど、下を見ながら一歩ずつ自己肯定感高めていこうぜ。
読んでくれてありがとう。
実は既にお世話になっているんだ、精神科。大学のカウンセリング経由で紹介してもらったから予約は困らなかった。先生もいい人だよ。
「はっきりと分類はできないが、他の人に比べて生きづらさを抱えているのは確かです」って言われたよ。典型例に当てはまらないらしい。(よくTwitterでみかけるグレーゾーンなのかな?その辺りの用語はわからない)
頑張れなくなってるのは、コロナでおちおち外出もできない、
人に会いたくても会えない、気晴らしもあまりできない
ないないないばっかりで、通常と違う日常が続いているせいもある。
気持ちが落ちているのは、「うっせわ」なんて酷い歌詞の曲を女子高生が歌ったりして
みんなのストレスが溜まっていると感じるくらい。
増田さんもストレスとの戦いを、なにかで癒しながら、少しでも進んでゆきましょう。
期待されるのは出来る人だからだよ。
ツイッタでちょっとバズってた話。
他人にいちいちありがとういってもらえないとしんどくなるような人のほうが自分で自分を生きづらくしてるんじゃないの。
ありがとうが重い人も軽い人もどっちもいていいと私は思うよ。
「コーヒー飲む?」って聞かれた時に「いや、いい」と答えるのと「今はいいや、ありがとう」と答えるのでは大きく違うのだけど、それに気付かずナチュラルに前者を使う人生だと地味にしんどいんだよね、周りが
ナチュラルに前者を使う人の中には、は?何が違うの?とりあえずありがとうって言っとけば良いわけ?聞かれたことを答えただけじゃん、自分から頼んだことでもないのに、親しい仲では別に必要なくない?じゃあ聞かなきゃいいだけ、って人もいて、自ら人生生き辛くしてるんだろうなあって勝手ながら思う
俺みたいなこと言っててワロタ
精神科行ってみたら?俺はエアプだけど、薬飲んだらすげえやる気出る人もいるらしいじゃん
知り合いは精神科行った結果「お前は何の病気でもない、甘えだ」って話になったけど、それはそれで方針を定めるきっかけになったらしい
留年するくらいなら絶対いけるって精神科 行く大義名分がある 親御さんに行ったら予約くらい取ってくれるんじゃね 予約取っちゃえば行けるタイプだろ多分
行ってみてくれや そんで報告を書いて欲しい
どうしたいの?どうしてほしいの?
中国人?かわいそう
科学的手続きをふんだとしても社会科学は自然科学のようにはなりようがない。
社会は社会科学の成果を取り込んだり、反応したりするものだから。
また、科学的手続きを踏んで分析結果を出したとして、最後の結論への持っていき方は難しいところがある。記述するだけなら科学的手続きを踏めば十分だが、so what?となる。
実験社会科学のアプローチでエビデンスをもって政策提案する考え方が最近は出てきているけれど、その提案する方向が望ましいかどうかは科学的に決められるものではない。
価値判断・思想はやはり人文学によるものになり、科学的にどうこういえる話ではない。社会科学はどうしても人文学と重なるところが出てくるわけで(社会学は特にその部分が大きいように思う)、それも全部科学的手続きでどうにかしろというのはちょっと無理があると思うんだよね。