科学的手続きをふんだとしても社会科学は自然科学のようにはなりようがない。
社会は社会科学の成果を取り込んだり、反応したりするものだから。
また、科学的手続きを踏んで分析結果を出したとして、最後の結論への持っていき方は難しいところがある。記述するだけなら科学的手続きを踏めば十分だが、so what?となる。
実験社会科学のアプローチでエビデンスをもって政策提案する考え方が最近は出てきているけれど、その提案する方向が望ましいかどうかは科学的に決められるものではない。
価値判断・思想はやはり人文学によるものになり、科学的にどうこういえる話ではない。社会科学はどうしても人文学と重なるところが出てくるわけで(社会学は特にその部分が大きいように思う)、それも全部科学的手続きでどうにかしろというのはちょっと無理があると思うんだよね。
これ見て思ったけど、社会科が「科学主義」/「人文的」のどちらかであるべくきか、という対立があって 「人文的」の側がお気持ちだ云々判定を受けて批判されているのだというのなら...
むしろ、「理系」はそういう方向に続々進出してると思う。 社会物理とか数理社会学とか名前は色々あるけど 完全に数理モデルとして社会を記述することに務めるという方向性。 ただ...
ただ統計をとっただけで「成果」ってのもだいぶきつい気はするな 例えば統計の結果A群よりB群のが有意に年収が高い、という数理社会学?的な成果が出たとして そこにどういう意味付...
うん。そういう話。 人間社会は科学の対象としては本質的に難しい。 科学的に興味を引く結果を出すのは容易じゃないから 興味を引くネタを最初に用意して、そこから始めるというの...
科学的手続きこそが単なる知識を科学的事実にするんだと思うけどねえ。 そこを抜きにしたら知識はただの迷信とか常識とか言われるものになってしまうよ。
科学的手続きをふんだとしても社会科学は自然科学のようにはなりようがない。 社会は社会科学の成果を取り込んだり、反応したりするものだから。 また、科学的手続きを踏んで分析...
まあ要するに、それを待てないけど アカデミアから社会を変えたいという人間がやる分野ではある。 知の追求に耐えきれない人間は、教会に帰れ、とヴェーバーならいうだろうね。 し...