またお前か。知らんけど。
子どもが生まれて3年経つが、いまだに自分の時間が全然ない。当然、趣味をする時間が足りない。「何のために生きてんのかな」と本気で考える。
気が付くと、「家に帰りたい。」と独り言を言うことが増えた。無意識に言っている。怖い。
どうやら、僕は無意識に子どもがいるこの生活を「家以外のどこか」だと思っているようだ。
20時頃は子どもを寝かしつける時間であるため、電気を付けて食事をとることはできない。
そのうえ辛いもの、油ものは出ない。子どもも妻も食べないため、コスパが悪いからだ。
友人とも疎遠になったのも辛い。幼稚園や将来にかかる費用を計算したら、月のお小遣いは1万円でももらいすぎているくらいだった。
何に使うのも自由だが1万円以上は一切出ない為、友人との飲み会は月に1回がいいところだ。
こちらを気遣ってくれて、1次会をサイゼリヤにしてくれるあたり本当にいい友人を持ったと思う。
休みの日も早いので、23時には帰らなくてはいけないのも寂しい。彼らはいつも通り朝方まで遊んでいるのに。
土、日、遅くとも7時には起きなくてはいけない。
日曜はEテレの教育番組が8時には終わってしまうので、本当は6時に起きなければいけないができていない。
休みとはいえ気持ちは平日と大して変わらない。洗濯、掃除、皿洗い、子どもの着替えを済ませて9時には児童館へ間に合うように出ていく。
「まだ遊びたい」と泣く息子を連れて帰ってきたら昼食だ。キムチか天ぷらが食べたいが日曜日はうどんだった。
この夏は猛暑で公園は行けなかった。仕方ないので午後は市民プールへ行くのが日課だった。
水泳ゾーンでひたすら泳いでストレス発散したいが、30cmの幼児プールで子どもを見張らなければならない。
一度帰宅して買い物に同行し、洗濯物を畳んだらもう夕飯だ。17時台だけはEテレのおかげで少し休憩できるため仮眠を取る。
皿洗いをしてお風呂に入れたら就寝。自分自身の体力が無いのか、子どもと一緒に朝まで寝てしまう。
趣味をする時間が全くないため、妻に相談したこともある。どうか趣味の時間をくれないか、と。
あなたは色んな人と関わりがあるのだろうけど、あの子にとってはまだ家族しか外との繋がりがない。
その相談は父親としてあるべき姿だと思っているの?」とぐうの音も出ない正論が飛んでくるだけだった。
「自分が死ぬまでにしたいこと」に家庭を持つことが入っているか?
「自分が幸せだと感じる瞬間」を想像したとき、そこに家族の姿があるか?
僕は趣味だけが生きがいだった。小、中、高とずっと帰宅部だった。全て趣味に時間を注いでいた。
そんな人間は、子どもを持つべきではなかったという事実に後悔しながら日々生活している。
息子はまだ小さいからか、こんな僕にも懐いてくれている。
「お父さん、次のお休みはいつ?」と毎日聞かれるけれど、僕に"お休み"できる日はあと数年は来ない。
この日記は、ただ単に「三度の飯より趣味が好き!」な人や「結婚したし、子ども作っとこうかなー」なんて安易な考えを持つ人がいたら
よーく考えた方がいいよ、僕はこんな生活をして後悔しているよって言いたかっただけだ。
ただ、愚痴をこぼしてしまったばっかりにネガティブな感情を持つ人が増えてしまい申し訳ない。
ここから下に書くことも最低な糞野郎の内容なので、親として怒りを感じる人は読まない方がいいと思う。
「自分の時間が無くなるなんて当たり前なのになぜ産んだの?」という多くの疑問をもらっているので答える。
仕事が趣味、みたいなバリバリこなす上司も、野球ばっか見ていたような同僚も「子どもはいいぞ!人生で一番大切な存在だ。」という人ばかりだった。
「子ども全般は嫌いだけど自分の子どもだけは可愛い!」みたいなこともよく聞いた。
妻、義両親、両親、みんな子どもを欲しがったし、
「僕が子どもが生まれたら趣味以外にも興味(生きがい)が持てるのかな?」と安易な判断で子作りに協力してしまった。
僕が世間知らずだったのかもしれないけど、自分の時間が無くなるよ、覚悟しているの?なんて話は全然聞いたことがなかった。
いくら子どもが生まれても、多少は趣味の時間が取れるだろうという甘い考えがあった。
妻も趣味を持っていたが、「趣味をすること=自分のためだけに時間をつかうことは親のすべきことではない」という考えなので交代で育児を休む気がない。
「今は手がかかるが、そのうち嫌でも子どもは離れていってしまう。それまで趣味は封印」とのこと。
増田たちも怒っているけど、本来なら月に1回、23時までの飲み会も許されない。
みんな凄いよ。僕はせめてこの飲み会が無いと、もうストレス発散できる場所が無い。
正直、何をされても可愛いと思えるほどではない。「寝顔が可愛くて見ていると疲れが吹っ飛ぶ」などという気持ちはない。
おもちゃを取ったり取られたりの仲裁もあるし、まだ滑り台などの階段を上らせるのも危険で、すぐ横で見ていなきゃいけないので疲れる。
ふとしたときに成長を実感することが増えたけど、成長する喜びよりも自分がしてきたことが報われた、という気持ちの方が強い。
(父(僕)がしたことが報われたのではなく、母(妻)が主にしていることが報われているのだけど。)
今日も女は人のせい
増田では、子どもは産んだ人が欲しいから産んだんだろというけど、
子どもはまだなのか聞く知人友人
そこへきて、少子化が問題となると、周囲の期待に答えねばということで
子どもを望むようになる。
結局は、忖度。
こういうこというと、「お前が産んだ子どもは可哀想だ」という言葉に類似することを言われるのだが
心から純粋に子どもが欲しいと思って子どもを産んだ人はどのくらいいるのだろうか。
それは愛する人に意識が向いていて、子どもが主体ではないと思うのだが?
世の中では、暗に子どもを産め、という圧力を女性にかけている。
だからこそ、
子どもはお前がほしくて産んだんだろ。だからどんな苦労をしても責任を持って立派な子に育てろという意見には賛同できない。世の中が圧力をかけたのであれば、世の中も子どもの育成に責任を持つべきだ。
国が出生率をあげたいのであれば、子ども育成に関して手厚い施策をして当然。
世の中が子どもを産めよと圧力をかけたのであれば、その世の中に属する全ての人が子育てしている人に暖かい手助けをすべきだと思う。
🤬😡😰😭我儘な鬼嫁!いいですねー。