おもしろい
単純に虫が巨大化した場合、単体の機能性として鳥類に勝てないってことか
それなら小さくなて数増やした方が圧倒的に有利だしな(捕食はされるけど)
キモいと思わないの?
遊びならまだいい。若い身体と遊びたいってのはすごく納得がいく。
コータロー(36)「甘えんぼは嫌いですか?」
平気でメッセしてくるの
こういう奴がわんさかいることに驚く。
ペアーズとかomiaiとか
こういうクソ野郎どもがはびこって
30後半としては決して高くない給料を振りかざして
若い女を釣ろうとしてる。
合コン行ってもそう。
恥ずかしくないのかな。
恥ずかしくないのかな?
経験よりも円熟味よりも
何よりも若さを重視してる。
言ってるようなもんだと思うけど。
30後半まで何してきたの?
好き放題やってきたんでしょ?
それで今更結婚しようとして
こっちのセリフだわ。
「男は35過ぎるまで結婚しなくていい」
なんて浅はかなんだろう。
同い年ぐらいの女と結婚してやれよ。
35過ぎた女共が途方にくれてるぞ。
数年前から凄く優秀な部下
おそらく自分の仕事を与えたら、最低でも半分の時間でその仕事をこなしてしまうだろう。
優秀な部下に大きく仕事を振りたいが、自分の無能さが目立ってしまうのが怖く他の部下と同じ仕事量しか振れない。
その優秀な部下もわかっているのか、振られた仕事量しかしないスタンスで通している。
牛乳って牛の母乳なわけで、牛の母乳を飲むってだいぶおかしい。牛じゃないのに。
よくウニを最初に食べたやつすごいと言うけど、いややっぱり牛乳だろ、発想が一歩先をいってる。
けど、牛の母乳を飲んでる男は変態じゃない。むしろなぜかヒトの母乳を飲んでる男の方が変態だとされがちだ。
というか牛に対するヒトの価値観みたいなものはおかしい。牛の舌まで食べるしどうかしてる。
牛からしたら相当やばいやつだろ、内臓を全部食い尽くし、舌を引っこ抜く、まぁそこまではいいとしても、え?母乳も??って話だろ。
だってヒトの母乳を搾り取ってくる生物がいたらやばいだろ。オークとか出てくるエロ漫画にしか思えないだろ。牛もヒトのことをエロ漫画だと思ってんだよ。
仕事が終わってもむかしやり終えられなかったことをプライベートでやらなきゃいけない。
仕事から疲れて帰って、体力が限界で休んでも罪悪感を感じたままで休まらない。
つらい
💐🌟🎂🍰✨🌺✌️😄🎉🎈🎁
どうしたらいいですかあ
シェア比でわりとあるのに無視する手合の問題点は、鉄オタが過剰に鉄道を推すためとか、逆にアンチ鉄オタが過剰に鉄道をdisるためとか
そういう党派性のために無理やりやってる感があると思う。
北海道新幹線のときの北関東からでもわざわざ羽田までいって飛行機にのるのが「普通」なんだ論とかまさにそれでしょ。
鉄オタは鉄オタで似たような論法使うし。
http://anond.hatelabo.jp/20170128155016
例えば東京大阪間を移動するとして、多くの人は「普通は新幹線だろ」と言う。
実際には羽田伊丹線は航空会社のドル箱になるぐらいたくさん飛んでるし、目的によっては関空や成田絡みの航空路を使う人もいる。
高速バスもあり、18切符期間には鈍行を乗り継ぐ人も多く、自分で車を運転して行く人もいないことはないだろう。
もはや「新幹線以外で東京大阪間を移動する」は「例外的」であっても、「あり得ない」わけではないのである。
それでも一部の人は、新幹線以外で移動する人なんて「いない」とみなしてしまっていいという思想を根底に交通を語る。
あるいは、飛行機を使っている人などを異常とみなす。
要するに、これほど「ある程度は一般的」な場合ですら、「例外的だから無いとみなしていい」とされることも多いってことだ。
なのにもかかわらず、なんで「女児に手を出す男性保育士」などという、飛行機で東京大阪間を移動する程度の例外に比べたらもっと少ないような例外に関しては
「無視」することが許されないのか。勿論どちらも完全無視は許されない話ではあるが、それでも多少の配慮で良しとするとか、そうなってもいいはずである。
「自然な感情」とやらが関わってるからという話も、飛行機を宗教的に嫌ってる人(http://anond.hatelabo.jp/20170127232138参照)からすれば羽田伊丹線を忌避するのも「自然な感情」だろう。
このあたりで「筋が通ってない」というところに、なんらかの違和感を感じる。
交通論、商業施設論、趣味嗜好etcでは、かなり多くの「例外とは言えそこまで少ないわけでもない例外な人達」が不適切な取扱を受けてきたのだ。
なぜ男性保育士の話「だけ」そうなるのかよくわからない。あんなの東京大阪間で例えれば新幹線で名古屋までいって近鉄に乗り換えて大阪へ行くとかそういうレベルの「例外」ではないのか。勿論全くいないわけではないだろうし、それに対する配慮が全く必要ないとも言うつもりはないが、「矛盾に対する違和感」があるのも事実だ。