ならないんだなーこれが。むしろ、仕事が増加した時に破たんするので、コストは増大する。
そういうことは分からないだろうな。。こういう人は。。
あと、いわゆる「残業代稼ぎ」だが、端的に言えば給料が安いせいだ。
たいていのサラリーマンは、どれだけもらっても安いに決まってる。給料の補てんに決まってるでしょ。
特に年齢が高くなればなるほど、そう思う。
俺がなったことがないというよりむしろそうじゃないパターンによく遭遇するからよ
「あのとき酔ってたふりをした」とかね
>一切何も覚えてないとかも当たり前に起こる
うーん、一切何もってことはほとんどないだろ
どれだけ飲んだらそのレベルまでいくのか?
「多少は覚えてるし順を追えば思い出せるけど、その現象にかまけて忘れたことにしよう」
て人が多いんじゃないのかってことよ
詳しいなら書き方をもうちょっと厳密にしてほしい
のではないか、と思った。
アスリートでもない、むしろ運動不足気味な人が100kmとかいう距離を一人で走るのは確かにすごい。
だけど、最後の最後でしんどい顔を見てお涙頂戴を誘うのも、昔はよかったと思うけど、今じゃ「なんか違うんじゃないの」と感じてしまう。
100kmを一人で走るんじゃなくて、色々な分野から五輪の聖火リレーみたいにタスキをつなぐようなリレー形式にしたほうがいい。
司会業もそうだ。24時間ずっと起きっぱなしで無精ひげ生やして、眠くなっている人を「頑張っているね~」と励ましたりしている限り、長時間労働や苦労が美徳とされる世界は変わらない。
24時間起きる続けるんじゃなくて、8時間おきにローテーションさせるのがいいと思う。
朝の顔と呼ばれる人が6時から14時まで担当して、14時から22時は夕方の顔の人、22時から翌朝6時までは夜の顔っていう感じの人に司会を変えたい。
そしてフィナーレで「今年の24時間テレビはみんなで頑張りました!みんながいなければ、番組も成立しませんでした!」みたいなアナウンスをして、イエーイ!みたいな。
つまりは「一人で頑張る」というものじゃなくて「みんなで頑張る」という番組に転換しない限り、苦労が美徳とされる価値観は変わらないのだろうな、ということだ。
アルコール中毒で死んだ人の脳は委縮している。
記憶を飛ばすまで飲む、っていうのもそうそうないけど、事実、そうなってしまった時だと自分のした行為とかについての断片的な記憶はあって、その時何をしたかというのは全くもって覚えていないんだよな。
その中にはもちろん、覚えていない事柄もある。
だから、正確に言うと断片的には覚えているけどどういう意図でそれをしたのかとかは全くわからないというものだったりするんじゃないかな。
結局、迷って決められないから買ってない。
買ってないけど気になるんだよな。
気になる状態が嫌なのでCPU、マザー、グラボ、SSD、HDD、メモリ、電源、OSは買い替えようかと思ってる。
(持っているOSのメディアはWindows7なので今となってはWindows10にアップデートできない)
windows10もあと9年くらいはサポートされるみたいだし。
グラボは3万円くらいならどれでもいい気がしてきたので、店にいって箱を見て決めようと思う。
24時間TVみたいに丸一日だけ障害者について考えるっていうのも良いかもしれないけど、それより(見るかどうかはともかく)バリバラみたいに毎週だったり高い頻度でそういう人と出会ったり、知ったりする機会を増やしたほうが良いと思う。
ということで鈴木おさむの提案した「ここがヘンだよ障害者」の放送に若干期待してる。
余談だけどバラエティ番組好きな自分としては24時間TVは感動路線ばっか出すせいであまり興味持てないので27時間みたいにバラエティ色もっと強くして欲しい。
よく酔ってて覚えてない、寝ぼけてて覚えてないっていうのを耳にするけど
確かに記憶は薄れることはあるけど記憶を辿ればちゃんと思い出せる
それとも記憶の強さが一定の閾値以下になったことを覚えてないと表現してるだけなの?
だとしてもしっかり思い出せとしかいえない
去年話題になったこの記事(http://logmi.jp/34434 現時点で800近いブクマが付いてる)とか読んでみてもつまりどうして欲しいのかさっぱり分からない
そもそも「ポルノ」って言葉を悪しざまに使ってる時点でこの外人も特定の思想に偏ってる感じに思えるレベルで
一般人と同様に生きていくのが著しく困難という現実から逃げる為に
こうして不満や鬱屈をこっちに感動するな感謝するなととブチ撒けてストレス発散してる様にも取れてしまって
この人の言葉を借りるなら、これこそまさに障害者側による我々を利用したポルノではないのか?
事あって、久しぶりにバカと会話をした。
Aという人からBというバカとの間の仲介役として入ったのだけど、双方の間でのとある決まり事が問題となっていて(少なくとも俺にはそう見えた)、物事がなかなか進んでいなさそうだった。
(ちなみに、そいつのことをバカと言いたいが故にBと呼称したわけではない。)
「それだったらルールそのものを修正すればいいんじゃないか」と思って、ルールの変更や修正を相手に認識させるために「なんでそうしなきゃいけないと思う?」とBに促してみた。
「でも今のルールじゃうまく機能していないんだよね?」と改めて聞いてみると「ルール以外のことはやらない」と言い張るばかり。
流石にあきれて、「じゃあそのルールがなかったら、どういう風にすればいいと思う?」と聞いてみた。
が、相手は「そういう決まりになっているんだからルールを守るべきだ!」とずっと繰り返すばかり。
改善策を考えるどころか、現在の決まり事に固執されていて、「決まり事が守れないことが悪い」という考え以外に頭が回っていないようだった。
結局あきらめて結局向こうの言い分だけ聞いて、相談を持ち掛けてくれたAに「向こうはこう思っているらしいよ」ということだけ伝えて、今回の話は終わった。
決まり事を守るというのは確かに社会生活上大事なことだし、それを疑うことなく真面目にこなすことでその人はこれまで生きてきたし、そのおかげでバカなりにも生きてこれたんだと思う。
だけど今ある状況をよくするには、制度や既存の枠組みそのものが間違っていたりすることもある。
普段そんなに意識したことがないようなことだったけど、何か問題が発生した時に色々な側面から物事をとらえて、ある観点から見た事象に疑問を持てることができるかどうか、そしてそれをどう改善していけばよいか考えて、提案できることが、バカとそうでない人の差なのかなと思った。
端的にバカと言うよりは頭の固い人の話なのかもしれないけどね。