2016-08-28

24時間テレビが是とされている限り、日本労働環境は変わらない

のではないか、と思った。

アスリートでもない、むしろ運動不足気味な人が100kmとかい距離を一人で走るのは確かにすごい。

だけど、最後最後しんどい顔を見てお涙頂戴を誘うのも、昔はよかったと思うけど、今じゃ「なんか違うんじゃないの」と感じてしまう。

100kmを一人で走るんじゃなくて、色々な分野から五輪聖火リレーみたいにタスキをつなぐようなリレー形式にしたほうがいい。

司会業もそうだ。24時間ずっと起きっぱなしで無精ひげ生やして、眠くなっている人を「頑張っているね~」と励ましたりしている限り、長時間労働や苦労が美徳とされる世界は変わらない。

24時間起きる続けるんじゃなくて、8時間おきにローテーションさせるのがいいと思う。

朝の顔と呼ばれる人が6時から14時まで担当して、14時から22時は夕方の顔の人、22時から翌朝6時までは夜の顔っていう感じの人に司会を変えたい。

そしてフィナーレで「今年の24時間テレビはみんなで頑張りました!みんながいなければ、番組も成立しませんでした!」みたいなアナウンスをして、イエーイ!みたいな。

まりは「一人で頑張る」というものじゃなくて「みんなで頑張る」という番組に転換しない限り、苦労が美徳とされる価値観は変わらないのだろうな、ということだ。

苦労は分散させて、みんなで乗り越える価値観が広まればいいな。

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