のではないか、と思った。
アスリートでもない、むしろ運動不足気味な人が100kmとかいう距離を一人で走るのは確かにすごい。
だけど、最後の最後でしんどい顔を見てお涙頂戴を誘うのも、昔はよかったと思うけど、今じゃ「なんか違うんじゃないの」と感じてしまう。
100kmを一人で走るんじゃなくて、色々な分野から五輪の聖火リレーみたいにタスキをつなぐようなリレー形式にしたほうがいい。
司会業もそうだ。24時間ずっと起きっぱなしで無精ひげ生やして、眠くなっている人を「頑張っているね~」と励ましたりしている限り、長時間労働や苦労が美徳とされる世界は変わらない。
24時間起きる続けるんじゃなくて、8時間おきにローテーションさせるのがいいと思う。
朝の顔と呼ばれる人が6時から14時まで担当して、14時から22時は夕方の顔の人、22時から翌朝6時までは夜の顔っていう感じの人に司会を変えたい。
そしてフィナーレで「今年の24時間テレビはみんなで頑張りました!みんながいなければ、番組も成立しませんでした!」みたいなアナウンスをして、イエーイ!みたいな。
つまりは「一人で頑張る」というものじゃなくて「みんなで頑張る」という番組に転換しない限り、苦労が美徳とされる価値観は変わらないのだろうな、ということだ。
極論ですが、それは共産主義と何が違うのですか?