2019年10月28日の日記

2019-10-28

今年の渋谷ハロウィン大分平和だったようだけど

それでもとにかく気に食わない勢はこじらせてんなあと思う

anond:20191028231931

私もいま博士3年で高専教員を目指して就活中なのでそのへん気になるなあ

元増田さんは高専出身なのかな?学生としてあの場を経験してから教員になるのと、いきなりああいう場にブチ込まれるのとでは、すごい感覚が違いそう。

退職エントリ待っとるやで~

ネット上の婚活話が辛い

30代男。Twitterでバズってる結婚できないと悩んだりネタにしてる女性らしきアカウントが、年収自分より高かったりするのを見て、なんだか情けなくて辛くなる。

自分は一応正社員だけど奨学金貯金の差で資産はまだ100万マイナス生活力がない。

定期的に将来的な孤独死のことを考えてるから日常生活が投げやりになる一方。

こういう冴えない自分が末代になる予感で辛くなってるおっさんが全国にたくさんいるんだろうな。

anond:20191028233446

銀行で口座に入金すればいいのになぜこういうことするんだろう。

窓口空いてるとき銀行行けない人もいるだろうけどさ。

anond:20191027123143

なんでそこで弱者の女に手出すかな?

恋愛至上主義のせいっていうなら、陽キャの男だって女と同じことしてんだから男にしてればいいのに

結局弱者に手出すんだよな

いつか元増田の身内や、大切な女の人ができたとき、その人が同じ目にあって自分のしたことの罪の重さを知ればいい

anond:20191028230549

???

自分は反対も賛成もしてないけど?

ただ定義が気になっただけの人もフェミなの?

なるほど

パイロットのVコーンペン

校閲というお仕事赤線を引きながら文を読むので大量に赤ペンを消費する。

この用途で最も使いやすいのはやはりパイロットのVコーンである

軽い軽いといわれるジェットストリームといえど、やはり水性には敵わない。直液式のため最初から最後までかすれずはっきりとした線が出る。

ただし液の出が良く乾きづらいので油断すると袖が赤くなる。素人にはお勧めできない。

たぶん誰もやってなさそうな異世界転生

前世パンティーだった俺が異世界に転生して世界最強

anond:20191027125615

え、1時間程度なら普通に何回かはいちゃう

しろはいてないも同然…

半日2回で流石に洗濯しよってなる

やばいのか、そうか

anond:20191028230328

他所にっていうのが他ジャンルオタク外ってことならまぁそうだね。基本的にずっとゲーム時間占有されてるしね。ネトゲアーケード界隈は身内(?)のゲーマー女へのセクハラヘイト発言はかなり日常茶飯事だー。日本に限らず海外でも同じ。

ガノタとか昔のアニメ一本で萌え方向行ってない人は普通に一般人してるイメージ

萌えが人を狂わせるのかもしれんね…。

anond:20191027125615

一枚はおらないと寒いくらいの気候半日シャツを着たけどまったく汗をかいた感じしなかったので翌日また着た

みたいな

サウザンプトンvsレスターのあれ

サカつくスコア(サカつくシステム上1回の試合につき9得点が上限のため)とか揶揄されてるけど、実際サカつくでそんな大差になることあるのか?

最近見かけた属性に基づくジェンダー議論について

男子理系大学院生です。

@misssfc2019_no7さん(ραοさん)と@54nano_fairyさん(なのさん)のTwitter上での会話を見て、漠然ジェンダー論に興味があったものの何も勉強してこなかったので少し勉強し、考えたことをまとめようと試みています。ややραοさんの発言を多く引用します。これは僕の感覚がなのさんに近く、ραοさんの発言の主張に納得しづらい部分があったため、それを解釈したいと考えたからです。

納得行くところまで整理出来ていないので、「その主張は◯◯の部分が誤りである」「せめて◯◯は読んでから出直せ」などの指摘をいただけると僕が嬉しいです。

あとアホほど長いので暇な人だけ読むと良いと思います

=====

1.最初議論

僕が認識している最初議論の始まりは、ραοさんの

男性フェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」と自分ジャッジできると思い上がってる時点で君はフェミニズムのことを何もわかってないのだねという感想しかないわ

というツイートに対して、なのさんが

これこそセクシズムなんじゃないですか?

と問うたところです。

このツイートから任意男性は、フェミニズムを理解しているならば(フェミニズム性を有しているならば)、あるフェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」ジャッジ出来ると考えない、とραοさんが考えていると僕は読み取りました。

これに対し、この主張には「男性が」ジャッジすることに非フェミニズム性がある、というような非対称性があるように見える、となのさんが疑義を唱えたように僕は読み取りました。

その後の議論でραοさんは

マイノリティの中でも"真のマイノリティかそうでないか"とジャッジ一方的にするというのももちろんおかしなことです。

と述べられています。これはフェミニズムの話に限った際、女性ジャッジすることにも非フェミニズム性があるという主張と同値かは僕の目には明らかではないです(おかしなこと、というのがどのようなおかしくなさに違反しているのか自明でなくないですか?)。僕は議論の流れから、ραοさんは男性ジャッジする際の非フェミニズム性とはやや異なる「おかしなこと」と考えているのではないかとお見受けしました。

これは、なのさんの

マイノリティの中でも一方的ジャッジをはおかしなことである」というのならば、なぜ最初発言でわざわざ「男性が」「性的マジョリティが」と強調したのでしょうか?

という質問に対するραοさんの

マイノリティの中での話とはまた違う構造があるからですよ。これを同じと言ってはいけないと思いますマイノリティ同士のコミュニケーションにおいて生じる問題と、マジョリティマイノリティに対し行う言動に生じる問題は異なります

という発言を受けて思ったことです。

ραοさんの発言は、マジョリティである男性ジャッジすることはマイノリティである女性に対する圧力となるため非フェミニズム性があり、マイノリティである女性ジャッジすることは(圧力があるにせよ)非フェミニズム性とは異なるおかしさ(例えば他人内面を決めつけることの失礼さ?)があるという意味ではないですか?男性女性が非対称な権利を有している現在規範を改めようとするフェミニズムに対し、マジョリティである男性一定フェミニストの主張は非フェミニズムであり新たな規範として認めるべきではないと主張するのは、女性に対する圧力として働くものであり、非フェミニズム性があると。

なので、女性に対する圧力存在暴露とその解消を目指す文脈で、(その活動における)障害存在批判する際に男性によるジャッジが強調されるのは非対称だが筋は通る(一貫した主張である)かなと思いました。(なのさんがのちに運動のための理論であるように感じて好きではないと言われていたのもこの辺りのことが引っかかってかなと思いました。)

この後ραοさんとなのさんの主張は最初議論とはやや異なる内容の議論(女性マイノリティであるということの意味議論の進め方等)と共に一定解決を見ずに終わったようで燻ったような状態に落ち着いたように見えます。他の内容についてはここでは触れません。

2.途中の感想

フェミニズムの議論はたびたび大きな話題になりますが、話題になるフェミニズムは(筋の通る通らないの程度によらず)やや論理的に整理されてない主張が目立つように僕は感じていました。今回の件でもいくつか整理が不十分だと感じる点はあり、例えばραοさんの最初ツイートの下で述べられる

これって普通に男女以外でも考えてみてほしい。マジョリティであるシスジェンダー異性愛者がセクシャルマイノリティに「この人は真のセクシャルマイノリティか、エセか」とか言うのめちゃくちゃおこがましくないですか?障害者に対して「真の障害者か、エセか」とか。何様なんだろうって私なら思うよ。

圧力という考え方があまり見受けられないので良い例示ではないように見えます。これは他者内面(あるいは属性アイデンティティ)を決めつけることはおこがましい、自然感情として(普遍的に)おかしなことであると主張する話になっており、「男性が」ジャッジすることの非フェミニズム性の話にはそぐわないように思います。何様なんだろうと思う、という自然感情に端を発する主張のように記さず、セクシャルマイノリティ障害者の方に対する強い圧力として働く考え方である、というように記す方が合致するように思われます

整理が不十分であること自体はよくて議論とともに整理していけば良いと思うのですが、その後ραοさんはやや早計になのさん(及びなのさんに同調する人々)のことをミソジニストと決めつけてしまったように見えます。早計というのは、議論一定解決を見ないまま、ραοさんに「つっかかってくる」人をミソジニスト認定しているように見えるからです。実際には一定論理によりミソジニスト認定しておられるでしょうが、ここまで他者ジャッジすることのおかしさについて議論していたので、ダブルスタンダードに見えてしまますダブルスタンダード自体は主張の正しさを変えるものではありませんが、信頼できる議論相手かどうかという他者から評価には影響するので。実際これのせいで感情に寄りすぎている(論理的に整理されていない点を整理しないまま自分意見正当性を主張しようとしている)とみなされてしまっているということがあるのではないでしょうか?

3.自分が調べたり思ったりしたこと

僕は最初追っている時はなのさんの議論の方が身に馴染み、かつ筋が通っており、ραοさんの議論はやや筋が通らないように感じていました。しかしそれはフェミニズムを全く知らないためである可能性も十分高く、少し調べてから判断しようと思いました。現状では、今ある規範問題点を指摘し新たな規範を構築する際、新たな規範正当性をどのように確立すればよいのか分からなくなり、整理がついていません。

舟場 保之(2007)「ジェンダー哲学問題とはなりえないのか」『哲学』58 号 pp. 61-78(https://doi.org/10.11439/philosophy1952.2007.61)に、次のような話が載っていました(p. 65)。

アイデンティティポリティクスの主張は、その真理性なり正当性なりの論拠を最終的には当該のアイデンティティにおく。アーレントは、アイデンティティポリティクスに反対していたにもかかわらず、レッシング受賞講演において「ひとは攻撃されている事柄によってのみ、抵抗することができる」と論じている。このとき、「抵抗」のひとつの形として「現行の法」に対する異議申し立てが行われるとすれば、その異議申し立ての論拠は「攻撃されている事柄」におかれることになるだろう。ある「抵抗」の異議申し立てに対して、、「あなたはなぜそのように主張するのですか」と問えば、最終的には「わたしは○○に関して攻撃されているから」と答えられることになる。しかし論拠がこのようなものであるとしたら、この言い分に納得できるのは同じように〇〇に関して攻撃されている者だけであり、異議申し立ては〇〇に関して攻撃されている者にしか説得力をもたないことになる。だからこそ、このような異議申し立て無理解な者に対しては、「あなたは○○に関して攻撃されていないからわからないのだ」という言い方が(きわめてよく)なされるのだろう。アイデンティティポリティクスの主張は、アイデンティティに論拠がおかれるかぎり、アイデンティティが同一の者には説得力もつがそうでない者には説得力をもたないのであるしかも、論拠とされるアイデンティティが「反論余地のない事実であるなら、論拠を問題化することがまったく不可能になってしまうので、アイデンティティポリティクスの主張は反駁される可能性を原理的にもたない絶対的ものとなってしまう。

例えば宇崎ちゃんポスター話題などでも「普通に訴えてもお気持ち扱いされる」みたいな話を見かけました。これはまさに上記引用で触れられている、アイデンティティポリティクスの主張がアイデンティティを論拠とするために反論を許さず、そのためにアイデンティティが同一でないものに対しては説得力を持たないものとなる(反論不可能ものについては議論が出来ないので?)、という構造と同じものだと思います

宇崎ちゃんポスターの例では「性別Aの者を性別Bに属するものがあげつらったり、その性を利用したりすることは正しくない」というような公理のもと、それがA=女性、B=男性として宇崎ちゃんポスターにおいて行われていると判断され、問題のあるポスターとして指摘されたと僕は認識しています。これに対し「この程度は性についてあげつらうほどのものではない」「これをあげつらいと考えるのはお気持ちである」という形で「お気持ち扱い」をされているのかなという印象です。

このとき、仮にアイデンティティポリティクスに反対する姿勢を取っていたとして、宇崎ちゃんポスター問題においてどのように主張の正当性確立するべきなのでしょうか?究極的にはお気持ちにならざるを得ないのでしょうか……?僕には分かりません。何かうまく論理を構築する方法論が知られているのでしょうか。

またραοさんとなのさんの議論の中で、上記引用典型的発言として挙げられる「あなたは○○に関して攻撃されていないからわからないのだ」と似た発言がなされていました。

男性フェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」と自分ジャッジできると思い上がってる時点で君はフェミニズムのことを何もわかってないのだねという感想しかないわ

という発言もややアイデンティティ(あるいはポジショナリティ)を論拠にしているように見えます。これによりραοさんは、なのさんや一部の方から自分正当性を疑わない人とみなされてしまったように見受けられます

しかし、特に規範のようなものを考えるにあたり、アイデンティティポジショナリティから自由になることは可能なんでしょうか?ραοさんはそれが不可能だと考えているか、相当に困難だと考えておられるのではないでしょうか?

自分中立だと思いこむのとか、立場偏見を取り除いて客観的ジャッジ目線議論ができると思いこんでるのはなるべく高等教育過程に入った方には既に卒業しててほしいな…。こんなの哲学の初歩の初歩でしょ…。

というツイートから、そのように思われます

自然科学の研究をしている身としては、実験だったり理論だったりの正当性検証は容易ではないが常には原理的に不可能ではないので、メタ立場から正当性議論が出来る(なのさんの言葉を借りれば「パワーバランスに基づく議論あくま論理/倫理的な「正しさ」とは独立であるべき」)と考える方が身になじむものがあります。なのでアイデンティティポリティクスに反対する姿勢もしっくりくるところがあるのですが、実際問題としてそれを回避することは可能でしょうか?自分がある程度アイデンティティ(あるいはポジショナリティ)を論拠としている部分がある、と自覚した上で正当性議論を行うという所が限界なのでしょうか?今の僕には分かりません。

上に書いた話も、自分感覚整合性が取れるように論展開を進めようと思ったのですが、僕の「お気持ち」が何となく納得していない感じがあり、十分整理できてないなと感じています

自分研究が落ち着いた時に、時間をとってもう少し勉強して整理したいと思っているので、重ねてですが「◯◯の主張は筋が通っていない」「◯◯ぐらいは読め」みたいな指摘がいただけると幸いです。

anond:20191027125615

1時間微妙だけど30分以内ならまあまあやってるな。

バスタオルを洗わず複数回使うのに近い感覚ではないだろうか

anond:20191028224220

単に強いほうに付いて寄らば大樹してるだけで理屈など後付け

サリン事件ときオウムが天下とってたら今頃は、村民も村外民も日本人みんなでオウムソングを歌う日本になっている

まちがいない

高専教員辞めた思い出

いま仕事が忙しくて、なんか悲しい気分だなと思ってたら昔のこと思い出がよみがえってきた。

博士取って数年高専で働いて、地方の零細大学教員になって今に至る。

就職で縁もゆかりもない高専に行ったのは、受かったのがそこしかなかったから。着任した当初は感動したよ、こんな僕が先生やっていいのかってね。

幸い少数だが良い学生出会うことができたし、愉快な同僚にも恵まれた。

辞めたのはなんかここは居場所じゃないなって、覚めた気分になったから。

やる気もなく教員がどうにかしてくれると思っている学生の補習があった。

暴力暴走飲酒喫煙窃盗喧嘩の取り調べに明け暮れた。問題行動を引き起こす学生はもれなく複雑な家庭環境が原因ということを知った。

困ったタイトルメールが来たときは、「どうか担任クラス学生じゃありませんように」と願いながら本文を読んだ。

隙あらば悪さをしようとする学生けん制を期待されて見回りしながら寮に泊まり込んだり(6時間しか寝れないし次の日普通に授業なんだよね)。

土日は部活引率で学生がケガしないだろうかとヒヤヒヤしながらずっと緊張感を引きずった。

職場都市から遠く離れて外界との疎外感を強く感じた。ペーパードライバーだったけれどドライブ趣味になった。

別に熱血でもなかったし、やってみても面白みを見つけることができなかった。

あるとき毎日過ごす時間転職のために過ごす時間になっていることに気づいた。

大学に移って、良くなったところはある。一応、学術的な専門家として尊重されるというのは嬉しい。

だけれども、人間の引き起こす厄介さというのはどこに行っても同じ。

この職場ではまだ気の合う学生には出会っていない。

ここではあまり根詰めず、気楽にやりたい。

後日退職エントリ的な奴をちゃんと書く。

犯罪はいつも朝鮮人差別

だけど、中世ジャップ差別じゃない

こういうスタンスの人って何がしたいの?

そんなんだから反差別を掲げても、一般市民から相手にされず馬鹿にされるんだと思う

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