はてなキーワード: 下剋上とは
判官びいきというのは、江戸時代からある(から忠臣蔵が人気歌舞伎にもなった)わけで、確かに日本人は昔から「勧善懲悪」劇よりも、むしろ「善人が弱者で玉砕」する話が好きだ。
だが、これは「絶対的な神」をもたない民族において大衆が、勧善懲悪と社会の安定を同時に保つために一番有効な「好み」だったと考えるのが適切だ。
つまり、体制的上位者における「悪」が露見したときに、「絶対的かつ超越的な存在」さえあれば現行の王が打倒されても価値観の転倒が発生することを危惧しなくていいわけだが(むしろ、新しい王は古い王と違って、より正しく神の御心を地上で実現してくれるだろうが)、日本では残念ながらそれが期待できない。ゆえに大衆は、自己を仮託するために「弱い・だが正しい」存在を希求するものの、それが下剋上することには本能的に不安を覚えるので、結果かれらが敗北する(そしてその敗北は悲劇的な、すなわち玉砕であるほどよい。なぜならそのほうが、その敗北が大衆自身の望んだ結末なのだということをよりよく隠蔽してくれるから)という結末のドラマを求めることになる。
という仮説を1分で考えたのだが、どうだろう?
そしてまた、そういう配慮から、当時としてはちょっと変わり者の主人公を立てて「実はこの人こそが現代的な感覚をもった人だったのです!」ってやる時代劇は実にクソだよね。
クソも何も、「時代物のヒットの秘訣は登場人物に現代的な価値観を持たせること」ってのは定説なんだけど。
歴史に基づいた正しいその時代の人間の感性を持たせたら現代人には理解も共感も出来ず楽しめないからね。
「異文化」を描くとしても、それはあくまで現代人の趣味に合うよう湾曲された形で描かれる。
増田の言う「主君の為に命を掛ける」ってのもその典型で、現実の歴史では「主君の為」じゃなくて「主君から貰える褒美の為」なわけ。
だから主君裏切った方が得すると判断すれば平気で裏切るし下剋上もする。
でも時代劇では「主君の為に命を掛ける」事にロマンを感じる視聴者の為にそういう人物像が描かれてるわけだ。
フェミニズムの範疇だと「手籠めにされた娘が『もうお嫁に行けない』と泣く」とか「岡場所に売られた娘が絶望して自殺」とかかな。
現実の江戸時代では女性の処女性ってのは重視されてなかったし売春もカジュアルに行われていたんだけど
現代人(男性)にとってそういう女性像は理解し難いし受け入れられなかったから、上記のような嘘の女性像が時代劇で広く描かれていたわけ。
最近は減ったけど、それも実際の歴史を重視するようになったからという訳ではなく
http://d.hatena.ne.jp/thir/20110212/p1
時給1000円になったら中小企業はつぶれるか雇用を減らすでしょうし。
新卒一括採用をやめたら英語も話せない稼げる技能もないような「普通」の人間は単純労働しか道はないでしょうし。
ヨーロッパ並みに若年失業率が上がるのかもしれないけど本当に能力のある人は活躍するんでしょう。
そもそも今までが奇跡的であっただけなので。
そもそも日本が沈んでいくのだから生活保護を含めて中間層以下多くの日本人はもっと低い水準が妥当なのでしょう。
もちろん日本がぶっ壊れることに賭ける人もいるのでしょうが。
当たり前ですが「生活保護が糾弾されている実態を見てほくそ笑んでいる」ような人間は
再構築されたシステムの中でもそれなりの地位を占めることになります。
システムが崩壊したとき、一番痛い目を見るのはいつも弱者≒低能力者です。
下剋上?
能力もない人間が分不相応の地位を占めることはそもそも「既得権」だったはずです。
あなたは発展途上国(中国・韓国でもいいです、お好きな国を想像してください)に出自を持つ、
必死に勉強したり留学した、英語がペラペラでガツガツしていてエネルギー溢れるような人に対して、
「日本人である」ということを除いて彼らの代わりにその地位や待遇であることを万人が納得できるような根拠を示して説明できますか?
ただ景気のいい時に就職できただけの中高年が仕事にありついていることに不公平感をもっているのは私も同じです。
しかしその仕事を日本で、日本人がしていることはそもそも公平なのですか?
肉屋を支持する豚?賢くて優秀な方々にはそう見えるのかもしれません。
しかしまともに市場に評価されたら単なる無能で、今以上の待遇は決して得られないような無能な日本人のためのセーフティネットなのです。
雇用や経済が自由化したって、TOEICで700点もとれなければ技術もないような無能な人間は「人殺しの顔」をしていくしかないのでしょうから。
小学校でもいじめはあったんだけど、グループのリーダーだったワガママな子が下剋上にあってシカトされるようになり…といったある意味自業自得なもので、
いじめられる方もタフなのでしばらくすると復権したりなんかして、まあ放っておいてもまずいことにならないようないじめだった。
あとから考えるといじめじゃなくて、あれは強いもの同士のケンカだったんだね。
でも中1の頃にターゲットにされたのは、わがままな振る舞いなど一切しない地味な子だった。
すごく痩せていて存在感が薄く、滅多に喋らず、たまに喋っても歯並びや顎に難があるのか、何を言っているのか聞き取りづらい子だった。
その子はまずリア充系の男子に目をつけられ、ひどいあだ名をつけられ、授業中に消しゴムを投げつけられたりしていた。
それをリア充系の女子も面白がるようになり、リア充系の男子はリア充系の女子の関心をひくために、さらにいじめをエスカレートさせた。
私は発言力も権力もない存在で、正義ぶったことを言ってその子をかばえば自分がいじめられる立場だった。
だから怖くて何もすることができず、遠くから見ているだけだった。
結局その子は中1の冬に不登校になった。
それからしばらくしてクラスメイトと話しているときに、不登校になった子の話になった。
一人の男子が「だってあいつクセーもん」と、すごく楽しそうに嬉しそうに笑いながら言った。
私は一瞬でカッとなって、反射的に「あんたの方が臭いくせに人のこと言える立場?」と言ってしまった。
でも私は畳みかけるように「自分のこと見えてない奴ってウザいよね」と周囲に同意を求めるようなことを言い、皆黙り込んだ。
リア充系の男子がいくら不登校の子をいじめても、怖くて黙ってみていた私。
でもオタク系の男子が適当な侮蔑の言葉を口にした瞬間、憎悪に近い感情が噴出して、反射のように攻撃していた。
私もルックスで序列つけてた。
いじめる資格のある人間と、いじめる資格のない人間を、ルックスで分けてた。
イケメンブサメン関わらず男はブスが嫌いだし、可愛いブス関わらず女はブサメンが嫌い。
イケメングループがブスをいじめるのを見て、ブサメンやギャルは面白がる。
容姿が悪い人に味方なんて居ないのだ。
さいわい私は友達グループに最大2週間シカトされるくらいが関の山で、たいしたイジメを受けずに生きてこられたけど、
自分の娘がブスに生まれたら、息子がブサメンに生まれたら、と思うととても怖い。
昨日のビューティーコロシアムで、出演した女性の母親が「きれいに産んであげられなくてごめんね」と言ったという話が出てきた。
こんな台詞、言いたくない。
きれいに、産みたい。
ひどいいじめを受けたり、それがもとで不登校になったり、恋人がずっと出来なくて苦しんだり…そんな経験をしないで、
幸せに生きて欲しい。
体制が硬直化してくると、上流の中でも中流下流に落ちていく人たちが出てくる。
その人たちが、中流下流を糾合して上流に戦いを挑みはじめる。
錦の旗は、武士の台頭、下剋上、維新、民主主義なんて言われてるが、今度のはなんだろう。
目先の利く上流の人たちは落ちこぼれた人たちに秘密裏に資金や利便を提供して生き残りをかける。
目先の利かない上流の人たちやそれに乗っかってる中流の人たちはその地位を追われてしまう。
そして中流、下流の人たちがはいずり上がってくる。もちろんはいずり上がれない人たちもいるけど。
こうして天下の主は変わってくる。
まだこの錦の御旗は何なのか見えてこない。でももうすぐ明らかになると思う。
のちの世代から見たら、ちょうど我々は歴史の転換点にいるのかもしれない。
それとも、のちの世代なんかないのかもしれない。
まぁもう少し、私はおこたにでも入って待つとしよう。