はてなキーワード: ヴィヴとは
はてな界隈で論争が起きているが、知識人というか、進歩人?というか、そういう人たちが「乳袋の有無」とかいう、こっぱずかしいことで延々議論している様を見て、高尚な知識なり論理を弄ぶご趣味をお持ちな反面、「この服装は乳袋が強調されている!」とかいう目線で物事なり、目の前の女性画なりをご覧になっているんだなと、うがった目線で見てしまう私。
美術館に行って、裸婦画とか、ダビデ像とか、ああいうのはいいのか?乳袋以前にモロである。白人だから違和感がないか、と思うが、ゴーギャンなんかは、東南アジアの浅黒い裸婦をヴィヴィッドなタッチで描いている。そもそも日本には春画がある。これらもアウトなのだろうか。彼らから言えば、そのようなものも性的興奮を与えるものでアウトであろう。
散髪屋の爺「らっしゃい、こないだ引っ越してきた○○さんトコのお孫さんか」(ニコォ)
小学生ボク「そ、そうです!」
散髪屋の爺「○○さん元気け?はいココ座って、ほな今日はどないしましょ?」
散髪屋の爺「ンアァ!?男やったらスポーツ刈りにせんかいィ!!」(バリカンヴィィィィィ!)
散髪屋の爺「ンアァー!?なんでぞいや!ファー!!スポーツ刈りちゃうんかいや!!」(ヴィヴィヴィヴィィィィィ!!)
散髪屋の爺「男の子ゆーたらスポーツ刈りに決まっとるやろがい!!!動きやすいしのォ!!ボウズでもええぞ!!」(ヴィーンヴィヴィヴィーーン!)
小学生ボク「こ、このまま全体的にちょっと短くするだけで……坊ちゃん刈りで……!」
散髪屋の爺「よっしゃわかった!」
小学生ボク「(ほっ)」
散髪屋の爺「丸刈りでんな!!!」(ヴィンヴィンヴィィーーン!)
小学生ボク「イヤアァァァァアァァッ!!」
散髪屋の爺「ハァ……しゃーないのー!ったく、都会の子はオシャレでんなァ!!ガハハ!!」
村唯一の散髪屋で、しかも爺が同級生の祖父だったからあまり悪くも文句も言えず。
帰ってから泣きながら親に訴えて、次から母親の美容室に連れて行ってもらった。
上級生から「やーいやーいオンナ髪~」「オカマなんですかぁ?」と謎の煽りを受けた模様。
「え?オカマ?ちゃうちゃう!ちゃうちゃう!あ、チャウチャウちゃうんちゃう!?(ゲラゲラ)」
って全然堪えてなかったけど、今思うと危うくイジメになるとこだなコレ。
結局「生意気だ」って目つけられて、中学生になってから本格的にイジメられて大人が動く羽目になったけど、
本人は同じ調子でイジメられてることに気付かなくてノーダメージだったし、バリカンが克服できないぐらい弱いと見せかけて割とメンタル強いのかもしれん。
誰がこのことをはじめに言い出したかなんて、わからないけれど、
人間の幸せを正確に数値化することは現代の技術をもってしても不可能で、
もし、技術的ににできたとしても、ベンツの車で送り迎えをしてもらいながら育った人と、
かっぱ寿司が1年に1度のお楽しみだった人では幸せの感じかたが違うのは明らかである。
世の中的なフツウの見ること感じること味わうものすべてを人並み外れてありがたく思うわけではない。
100円のお寿司、久兵衛に連れて行ったり、しまむらを着てた人をドーバーストリートマーケットで好きなだけ買い物できたとして、すぐに幸せになれるかといったらそうではない。
貧乏だけではない。お金があっても、精神的な幸せを味わって来なかった、どこか物足りなさを感じていた人間は、幸せをイメージできないことがもっとも不幸なのだ。
つまり、美味しいお寿司、快適な車、お金、そして、何かからの愛をいざ手に入れても、その正しい価値を知らないから、ただもらっただけでは手放しで幸せにはなれないのである。
そんな私は、何か自分にとって幸せな瞬間が訪れたとき、私はつい後のことを考えてしまう癖がある。
これを食べたら太る、飲酒をしたら浮腫む、この靴を買ったら来月のカードの請求が、結婚までにそして、大好きなこの男とヤッてしまったらもうお付き合いができない…。
目先の快楽、そしてその先の幸せを、そんなネガティブがどんどんどんどん、薄めてゆく。ヴィヴィットカラーはチューブから出したばかりの色が一番綺麗なのだ。
食事、買い物、飲酒、セックス…すべてにおいて、数少ない経験則や人から聞いた話なんかを思い出し、ついつい物語の続きを思い描けず、ストップしてしまう。しかしこれは無理もないことなのかもしれない。
なぜなら私たちがお手本にしたかったおとぎ話は、ぜんぶ王子様とお姫様は幸せに暮らしました、で終わっているのだから。
その後、家庭内暴力を振るわれて離婚したとか、ふたりのもうけた子供に重篤な病気がとか、お金がなくなったとか、”めでたし”のあとロールモデルにすべきは自分で経験するしかなかった。
そんなわけで、こじらせ女子の幸せの時間は普通より短いかもしれないが、
あれや、これやと思いめぐらせている思慮深いところもあり、
そして、こじらせ女子だと自覚のあるものは、大変なことにならない程度に、まずは目先の快楽を手放しで受け止める訓練をするべきなのである。
ある日、しこたまお酒を飲んだ快楽のあと、たいへんな鬱状態に陥ってしまい、インターネットで快楽の後の精神状態について調べたことがある。
じつは、科学的にも快楽を享受している瞬間には、体内のセロトニンだかドーパミンだかなんだかわからないが、快楽物質を大量に消費するから、のちにとても気分が憂鬱になるというのが定説らしい。そしてそれは間違いなく当たっていると思う。様々な関連サイトを巡っていて、見つけた”快楽は幸福の前借りだ”というフレーズがあって、そのことばがたまらなく好きだ。
幸福の前借りをすれば、あとで必ず返済しなければならないのである。人によって違う、その落差が幸せをポイント化できる何かなのかもしれない。
ヴィヴィッドカラーでポケットから出し入れする度に目についてしまう。
スーツにそれは良くないですよね、と注意したら反論してきたので、もう彼には忠告しないことにした。
今の仕事ではよその人と外食する機会だって少なくない。人と会う、人に見られる仕事なんだから外見は整えるべきではないだろうか。
「スーツ着て来い」っていうのはただ上着とスラックスを着ればいいわけではない。
ワイシャツや革靴の着用も暗に示されているはずだ。
別に高い財布を買えだとかオシャレに仕上げろとは言っていない。
給料の使い方は自由だけど、最低限の生活に必要な額よりは余分に金をもらっているわけだし、ちょっとくらい出費したっていいんじゃないか。