はてなキーワード: フリーターとは
25歳でニート歴2年の息子を「10万」持たせて家から追い出した。 きっとニートの時より幸せでしょう。:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52432977.html
現在53歳。25歳でニート歴2年の息子を先日家から追い出しました。親子の縁も切るつもりです。
ずっと本人の自立を夢見て見守っていましたが、一向に動く気配はなく、やることと言えば、1日2度の食事とインターネット、テレビゲームばかり。ハローワークに行こうともしませんでした。
さすがに私も堪忍袋の緒が切れ、手切れ金10万円を渡し一人で生きて行くことを通告しました。
伝えた当初、息子はかなり困惑していましたが、私の意思の強さに根負けしたのか、決心を固め家を出ていきました。本人のためにもこの決断は最良だったし間違ってないと思っています。
もし、自分の子供がニートである親御さんがおりましたら、今すぐ外に放り出し自立させることを提案します。
いつまでも手を差し伸べるから甘えるわけで、赤ん坊でもない良い大人にはもうそんな事は必要ないのです。
むしろ、甘やかす親がいるからいけないわけで、本来健康な体があればなんとか生きていけるものです。
今思ってみれば2年もニート生活を続けさせていたことで、お金も無駄でしたし、本人のやる気も落としていたようです。
息子が今どんな生活を送っているかはわかりませんが、ニートの時より幸せでしょう。もう二度と会うことはないでしょうが、頑張って行って欲しいと思います。
この親御さん、よくやったと思うよ。自分の15年前を思い出す。
俺の場合、外こもりニートだった。親からすればもっとたちの悪い息子だった。息子が何をしているか全くわかりゃしない。数年、音沙汰なし。でも毎月、仕送りでカードから現金が引き落とされている、なんてな。
はじめはバイトもしていたんだ。仕送り用の口座にバイトで貯めたお金を貯金していたから、親は口座に入金が増えているのをみて、「まじめに働いているようで安心した」旨の手紙がおふくろからきたことがあった。バイトでも100万くらいは貯めてたからね。それでも親は心配して2ヶ月に一度くらい5万円から7万円程度の仕送りをつづけていた。
でも転落するのは早かった。スロットにハマり、仕事に出るのは月に5日ほどになった。その頃「自分探し」なぼんやりとした夢を描いていたが、すべてパチンコ代でふっとんだ。ほとんどの時間をパチンコ屋で過ごし、堕ちてゆく自分に酔った。気持ちよくもあり、だるくもあった。大負けしたときは一日中道路わきで旗を振っていた。100万の貯金が気がつくと3万円まで目減りしていた。追い詰められていた。
大学でても一向に就職する気配のない息子を一度だけおふくろが訪ねてきたけれど、近くで食事して、一緒に散歩して、そして追い返すように駅まで見送って帰した。おれの荒れ果てた部屋をみせるわけにはいかなかったよ。あまりの暮らしぶりにどうせ泣くんだろうから。
いつしか、財布の数千円しか残っていなかった。佐川急便のホーム仕分け作業のバイトに飛び込んだ。バス代もないので自転車で2時間かけて通った。似たような若者であふれているのに少し驚いた。帰りのバス代もない、よれたシャツのくさいそんなやつになけなしの200円を貸したが帰ってはこなかった。自分の鏡のようなやつだった。そんなとき5万円が親から仕送りされた。
これだけあれば、4,5万くらいは負けを取り戻せるかもしれない。そんなときでも、仕送りを軍資金としてしかみていなかった。親は息子がこんなクズ野郎に堕ちていることを知る由もないだろう。
そんなとき不注意でカードを破損しまった。困った。お金を引き出せない。スロット台からは離れられない。もう末期症状だった。
親に電話してカード再発行するから印鑑を送ってもらうように頼んだ。
送られてきたのは、20万円の預金通帳と印鑑と小さな手紙だった。
仕送りはこれでおしまいですよ。元気でがんばるように、と書かれていた。泣けてきた。しばらくしてぶり返したりおさまったりしつつ、数年のうちにようやくパチンコ通いはおさまった。
それからもしばらくフリーター生活つづいた。7年くらいたったろうか。もう30を過ぎて半ばにも射しかかろうとしてたが、陽の射さない六畳間で極貧生活で国民年金も払えなかった。相変わらず必要最低限しか働こうとしないおれの年収は70万程度だった。そのころのおれの生活水準では月5万でどうにか生き延びることが可能だった(ただし健康であればの話だが)。家賃は最大2万だった。ルームシェアをしていたので1万円を切ることもあったが、ストレスがたまりはじめ、2万出して一人部屋を確保するにいたった。食費も1万5千でやりくりしていた。パスタは1kg178円をまとめ買いしていたし、生協で買った76円のミートソースを三回に小分けして食べたり。1万5千もあれば結構ぜいたくできたものだ。
そんな野良犬のような俺を拾い上げたのは、従業員10人程度の吹けば飛ぶような下請けの小さな会社だった。おれのバイト先がほぼその会社に固まった。
社員はみな明るかったが、仕事はきつく汚く危険で、おまけに無間地獄のように果てしなかった。しかし、まんざら苦痛でもなかったので、もっと使ってもらえるように、と合宿で運転免許をとることにした。おれの面倒みてくれているバイト先の社員から15万円を借りた。32のときだ。
合宿免許は楽しかった。アル中で事故を起こし免許取り消しになったオヤジとレーサーを目指していると希望に燃える18の子が同じグループになった。
以外と工場勤め等で取る暇のなかった中年男性が多いのが印象的だった。
免許証をとったおれは初めて身分証明書を手にした気分になった。やがておれは社員として登用された。きっかけはわからないが、社長の目に留まったようだ。入社したばかりのおれに社長が勧めたのは経営の本だった。月5万で暮らしてきた人間だから勤め始めて半年で100万貯めるのは簡単なことだった。この機会にと国民年金未納分を一括払いした。2年分しか支払うことができなかったが、これが自分の転機だと思った。
そんな会社がふとしたきっかけで大きなチャンスをつかんだ。波に乗った会社は急成長し始め、社員が3倍になり、事務所も大きなところに移転した。
作業着からネクタイへ。スーツが夏冬4着もいるなどという想像もしていない生活がスタートした。業務の内容は力仕事から、マネジメントに大きく変わっていった。はじめはかばん持ちだったが次第に業務内容を理解するようになると、自分の発言や行動が認められるようになっていった。
そして部下を従え、新規プロジェクトのリーダーを負かされるようになった40歳のおれの年収はようやく人並みに追いつきつつあった。
スタート地点が15年違う。貯金は400万。これはしょうがない。15年前を思えば天国だよ。
結婚相手を紹介するために、久しぶりに親のもとへいったら、おじいちゃんとおばあちゃんになった両親が小さく立って迎えてくれた。
ずいぶん苦労をかけたね。
本人はダメすぎと言ってるけど、本人が思うダメポイントをみても、
別に普通の人だと思う。
仕事が大変なら逃げたくなる日もある。
しかし、ダイエットしても就職してもモンハンにハマれたとしても
彼が振り向くとは限らない。
今、自分に足りない要素を埋めなければスタートにも立てないなんてことはない。
むしろ、足りない要素を埋めてもなお、彼にとって魅力がなければ意味がない。
彼にとっての魅力とは何か?モンハンができる娘ならいいのか?
それを探し出して、自分の良さをアピールする努力を続ける覚悟はあるのか?
それくらい彼に思い入れがあるのか?
次の段階へ行きましょう。自分に負けるな!
好きな人がいるんですよ。すぐご近所に住んでるんですよ。小学校の頃からの友達ですよ。時々近所の同級生たちとつるんで遊びますよ。年2回くらい。
でね、みんなモンハンやってるの。PSPの。私もね、いい年してゲームやるから持ってますよ、PSP。でもね、やってみたら肌に合わなかったんですよ、モンハン。
そして女友達でね、遠くに嫁に行った子がいるわけです。彼女はモンハン好きでね、なんかどうやったかよう知らんけど、彼と遠距離モンハンで遊んだらしいです。彼がとても楽しそうにmixiの日記に書いてました。なんで彼の家まで歩いて3分の私が彼と遊べなくて日本の反対側にまで嫁に行った彼女(人妻)が楽しそうに遊んでいるのかと。
ええ、嫉妬ですよ。それに自分が情けないですよ。もういい年なのに好きな人にうまく自分を意識してもらうことすら出来なくて友達に嫉妬してるの。めちゃくちゃダサイ。それにいろいろ客観的になってみると、いくら小さい頃からの知り合いとはいえ年に2、3回くらいしか会わない人が好きとかそれキモくない私?とか、いい年して人妻とモンハンやって喜んでる男ってどうよ?とか、私恋愛云々より前にダイエットしたり就職したりするほうが先だよねこの歳でフリーターとかないよね?とか、単に結婚に逃げたいだけだよね私、とか思うわけです。
http://anond.hatelabo.jp/20110107214632
概ね賛同。
現在32歳、「超氷河期」と最初に呼ばれた世代で、報道や世間のムードに流されるままに「働けるだけありがたい」なんてくだらない考えから不本意な就職を決めてしまった結果大コケしたわたしからも一言。
大事なのは、企業を選ぶときにはあくまで自分の欲望に忠実に選ぶことであって、間違えても「自分を企業に合わせよう」なんて思ってはいけない。
この人のすすめている「うそ」は、自分の気持ちを偽れ、ということでは絶対にない。
「入りたいと思っている会社に対して、自分という人材をいかに立派に輝かしくプレゼンテージョンできるか」という能力を磨け、ということだ。
「0を1にするのはだめだが1を100にするのはあり」
本当にこの一言に尽きると思う。
0を1にしてうっかり何かの間違いで採用されてしまった場合、地獄を見る。
これは絶対にやってはいけないことだと思う。
3年生当時のわたしは、志望動機をつくるときにこの「0を1にする」をやっていた。
当時はITバブルが弾けたばかりだったが、依然として学生の関心は高かった。
わたしは面接のさい、まったく興味のないIT業界に対する興味をでっち上げ、もっともらしい理屈でガチガチに固めた。
どことは言わないが、名前を言えば驚かれるぐらいの難関企業だった。
どうせ無理だろうと思っていたが、人事のおっさんが酒でも飲みながら決めたのか、なぜかSEとして採用されてしまった。
そもそもなぜ受けに行ったのかも謎だった。
とにかく数多くの企業を回るべきだという気持ちだけでよく考えもせず動いていたように思う。
採用を知らせる電話がかかってきたとき、わたしは直感的に「この会社に就職してはいけない!」と思った。
志望動機を偽って受かっても、きっといいことはない、と、どこかで強く感じていた。
しかし、せっかくこんな立派な会社に採用されたんだし…と、わたしはそこへの就職を決めた。
親に迷惑をかけたくない、というのもあった。
泣こうがわめこうが4年が終わればわたしは大学から押し出される。
そのことを考えると、ぞっとした。
そうやって「0を1にする」ことで採用してくれた会社に4月から勤め始めた。
先輩たちはかわいがってくれた。
1年目の新人をこの仕事につけるのは明らかな人選ミスだ、と周囲の先輩たちは同情してくれた。
確かにそうだったようだ。
わたしはあっけなく潰れた。
上から能力を試されているのだ、というのもわかっていたのだが、上司を心の中で「くそったれ、死ね」と罵倒しながら、動かない身体を必死に引きずって出社していた。
辛かったが、一般的に見て驚くほど理不尽だというほどでもない。
誰しもこういう試練の時期を経て一人前になっていくはずだ。
けれどわたしには乗り越えられなかった。
「やってられるかこんなクソつまんねー仕事で心身ともにボロボロになるとかアホくさい」
これが本音であった。
ちなみにSEと言えばデスマーチであるが、あの会社にデスマーチと呼ぶべきものはたぶん存在していない。
働きやすさでいえばかなり恵まれた環境だった。
だからわたしはSEという仕事特有の過酷さに潰されたわけではない。
単にわたしの要領が悪かったのと、渋々選んだ仕事だったから、というだけのことだ。
それでもまだ、わたしは「0を1にする」ことの罪の大きさを十分には認識できていなかった。
社会とは、そうして渡っていくものだと思い込んでいた。
派遣で食いつなぎながら次々とブラック企業を受け続け、そのたびに志望動機をないところから作り上げて理論武装し、内定をもらったり落とされたりしながら、わたしは同じ過ちを繰り返そうとしていた。
そしてある日突然、わたしは派遣先に出勤することができなくなった。
身体がうまく動かせなくなったのだ。
それから少しずつ社会復帰しようと思い、学生の頃やっていた塾講師のバイトを始めた。
楽しくて仕方なかった。
加えて大分ほどではないにしてもコネが横行しているのも周知の事実だ。
超氷河期と言われるこのご時世に、そんな時間も金もかかりそうな夢を追いかけることは、贅沢なことなのだと思っていた。
それよりも、現実的に考えて手っ取り早く金がもらえて身分を保障してくれる勤め口を確保するべきなんだと思っていた。
それが、自分にとっても周囲にとっても、一番いいことだと思っていた。
でも違ったのだ。
たぶんわたしは、ついてはいけない嘘をついてしまっていたのだ。
「自分を大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」ということで、たぶん「先生になりたい」という欲望をそのまま放っておいたのがわたしにとって致命的に自分を貶めることだったのだ。
親に話したら猛反対された。
今から受けたって受かるわけがない、何年かかると思ってるんだ、それまで生活はどうするんだ。
早期退職した父親と専業主婦の母親。頼み込んだが、彼らのすねをかじることはもうできなかった。
以前勤めていた派遣先に事情を話し、ゆるい仕事場を紹介してもらって、働きながら受験勉強をすることにした。
身体は本当につらかった。
でも、社会人になってから、あんなに充実した気持ちで毎日を過ごしたのは初めてだった。
どちらかというと底辺のほうに近い高校で学力は低い。不良も多い。
高校名を名乗ると、相手を「ああw」とつい嘲笑させたりすることもある。
でもわたしは満足している。
ここにわたしは骨を埋めようと思っている。
モンペ対応など面倒なことも多々ある。しかし仕事そのものが苦になることはない。
同業者で父親のコネがあってSEから転向してきたという人がいるが、彼に言わせるとSEのほうが百倍楽なのだそうだ。
してみると、問題の根っこはやはり「向き不向き」なのだと思う。
わたしは、こんなに穏やかで楽しい毎日が来るとは、SEのころには夢にも思っていなかった。
とにかく食えればそれだけで幸せと思わなければいけないのだと思っていた。
でもそれは絶対違う。
「自分を大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」「自分の直感を大事にする」ということだと思う。
就活における直感とは、幼い頃から漠然と積み上げてきた価値基準や趣味嗜好によるものだとわたしは思っている。
「この会社に就職してはいけない!」という直感は間違っていなかったし、今勤めている高校から採用の報せを受けたときにも「ここがわたしの居場所になる職場だ!」とわたしは強く感じた。理屈ではなかった。そしてその通りになっている。わたしの直感は、幼い頃の素朴な夢と根強くリンクしていると感じずにはいられない。そしてその通りに行動することがただひとつの正解だったのだと、今になって思う。
だから就活生には、難しく考えすぎず、直感的に「行きたい!」と思った会社を受ければいいんじゃない、と言いたい。
きっとその直感には自分でもわからない多くの判断基準が含まれており、きっとよく当たっている。
もちろん、受けて受かるかどうかわたしは知らない。
運良く採用されても「こんなはずじゃなかった」と思うことも出てくるはずだ。
愚痴りたくなることも山ほどあるだろう。
辞めたくなることもあるだろう。
けれどきっと、不幸は割合小さくて済む。
そして幸福は、きっと割合大きくなるはずだ。
「0を1にする」過ちさえ犯さなければ。
ちょうど村上春樹のインタビューを読んでいたので、引用してみたいと思う。
満員電車に乗って会社に行き激しく働くというのは喜ばしいことだ、とは彼らも思っていません。でも、そうしなければならないとは思っています。僕はそういった勤勉な日本人たちを愛しています。けれども同時に、もし彼らが戦争に行ったら、例えば中国に行ったら、たくさんの中国人を殺すでしょう。彼らはすごくすごく組織化されているからです。みんな勤勉なんですよ。
「彼らは危険だと?」
危険です。誰かが人を殺せと命令したら、彼らは殺すでしょう。僕はすごく彼らを愛してるんです。でも同時に恐い。それは……うん、ちょっとわかりません。まだわかりませんね。
「僕が役所や会社に勤めるのを拒んだとき、両親はすごくがっかりしました。急に僕が社会のアウトサイダーになってしまったからです。そして当時アウトサイダーになるのはとても危険な、あやういことでした。そのころ日本の経済はすごく強くて、システムの中にいさえすれば安全だったんです。誰もが、自分たちは一生安泰だと考えていました」。彼は笑う。「そしてもちろん、そんなことなかったと、いまでは誰もが知っています。
BMWや新しいコンピュータを手に入れれば幸せになれるし孤独でもなくなる、と今の日本人たちは教えられてきました。それは事実じゃありません。でも、このことについては真剣に語られないできました。だからみんな偽善と悲観に陥ってしまったんです。この新たな社会はあまりに大きく巨大に見えるので、どこから攻撃したらいいかもわからない、と言うのが問題なんです。けれども事態は動いていますけどね。
学校を出てそのままフリーターになる若者がたくさんいます。そのことにはいい面も悪い面もあるでしょうが、僕はいい面を見ています。それはまさに、自由になるチャンスなのです。
http://hamusoku.com/archives/3908221.html
「社内ニート気味なこと」と答えると思う。
日々明確にすることがないし、将来的になにかできるようになるみたいなこともみえない。
教えられなくても自分で勉強すべきとか、自分でチャレンジしていくべきとか、
職場の空気をぶち壊せばできるような改善策を行えばいいのかもしれないけど、多分無理。
完全に、一人でやってみろと丸投げされたほうがまだマシだ。失敗しながら覚えられそう。
スキルや給料による将来性的な似たところで今の会社に悩んでる、他の人に将来どうしようと思ってるか聞いてみたい。
18歳の俺は底抜けに貧しかった。高校を出て、働き出して、同じような仲間二人とアパートをシェアして暮らしていた。
友人たちも似たようなもので、「親の再婚相手に連れ子が三人いて家を追い出された」とか「親と同居して働くと生活保護が止まる」とかなんというか、貧民丸出しド底辺、どうしようもない状況だった。
だから、クリスマスになるといつも思い出す。あれはもう7年も前のクリスマスだ。こういう話にありがちなとおり、俺たちの金は底をついていた。挙句に俺は失業中だった。さらにいえば、三人ともここ暫くまともな職にありついていなかった。
雪国の地方都市に住んでいた経験がある人間ならわかると思うけれど、こういう町にはフリーターが生きていくだけの余地が少ない。時給は600円前半だし、こう景気が悪くては日雇いのドカチンも限られる。唯一マトモな収入が得られる可能性はパチンコ屋の店員だけれど、町に4軒しかないパチンコ屋のアルバイトはいつも奪い合いだ。
思えば、あの頃はいつも腹が減っていた。コンビニのアルバイトにありついていたときだけが例外だった。大量の廃棄がいつも腹を満たしてくれていたあの時期は、本当に幸せだった。
三人合わせて210円。家賃はもう既に一ヶ月滞納していたし、灯油は1ccもなかった。寒くて寒くて仕方がなかった。俺たちの住んでいたアパートの向かいには焼肉屋があって、クリスマスの夜には肥えたクソガキが旨そうにカルビだのロースだのをつついていた。なのに、俺たちは210円でなんとか腹を満たして、仕事を探しに行かなければならなかった。
どうするか、と我々は話し合った。210円で三人、出来ればひとり600カロリーは摂りたい。どうすればいいか。我々は、セイコーマートで小麦粉を買った。それを水で延ばしてフライパンで焼いた。塩をつけて齧った。食えたものじゃなかった。一人が空になったウスターソースのボトルを見つけてきて、我々はそれに水を注いで搾り出した。うまかった。少なくとも、食えるものだった。町はクリスマスで、俺たちは焼肉屋を襲おうかと真剣に考えていた。でも、腹が一杯になればそんな気力も失せて、とにかく明日は朝から仕事を探す、出来れば三人のうち一人は廃棄の出るコンビニを見つけよう、と決めた。
あれから七年が経って、色々あって。
我々はそれぞれ、大学に通ったり就職したりして今はそれなりに暮らしている。社員寮でストーブを贅沢につけるクリスマスの夜に、なんとなくそんなことを思い出した。今となっては、俺はガス代をケチらないし、寒ければストーブをつける。蛇口をひねればお湯が出る。幸せなんだろうな、と思う。とにかく、なんか色々あったけど、俺は幸せだと思う。
そりゃあ、合わない仕事はしんどいし、上司に怒鳴られる度にうんざりもするけれど。少なくとも、蛇口をひねればお湯が出るし、スイッチを押せば部屋中温まる。幸せだ、と思わなきゃいけない。だから俺はもっとがんばらなきゃならない、鬱になってる暇なんかない。俺は幸せなんだから、仕事に行かなきゃいけない。頑張らなきゃいけない。
仲間に会いたい。また、焼いた小麦粉を水っぽいソースにつけて食いたい。もちろん、あの頃は決して幸せじゃなかったけれど。でも、少なくとも孤独じゃなかった。
最近なぜか人に何か買ってあげたり奢ってあげたり自分も高価な買い物しまくったりしてる。
もちろん買ったり奢ったりしてるのはかなり仲良い人にだけだけど、それとも最近どうしたの?気前いいねって言われるレベル。
先月ついにクレカの限度額知らんうちに超えてた。まぁ学生カードだからたかが知れてんだけど。
ちょっとこれは異常じゃね?と思って買い物依存症について調べたけど当てはまるか当てはまらないかすごく微妙なライン。
借金はしてないし(クレカは厳密には借金て言われたらそうだけど、限度額は超えててもバイトの給料内には収まってるから普通に払えるし)同じもの何個も買ったりはしてないし、他人に隠したりはしてないしブランド物も別に興味ないし。
でも就活やばい、2個上の彼氏がフリーターなって将来も危うい、自分の単位も結構危うい、更年期入った母親との関係も良くなったり悪くなったりもうめちゃめちゃで、ストレス溜まってるっちゃ溜まってる。でもこのくらいのストレスなら内訳は違うにしても同年代の子なら感じてると思うんだよなー。
例えば部活とか会社とか一度自分で決めたものを辞めるってことに対して世間の風当たりは強い。風当たりが強いだけに辞める本人も罪悪感、自己嫌悪、情けなさを感じて疲弊してボロボロになって辞める。逃げる奴は逃げる事を繰り返す。いつまでたっても充実感のない人生になる。組織に属しているといつも自己嫌悪に苛まれている。そんな俺の人生を俺を例に俺が全力で無理矢理肯定してみる。
俺は子供の頃から何をやっても続かない子だった。運動音痴のくせにすぐにいろんなスポーツに手を出す。しばらくたって辞める。これの繰り返しだった。勉強も特に結果を出せず、特に興味のある学問もなく、ただだらだらと塾へ通い、惰性で中途半端に勉強しては平均点くらいで留まる奴だった。高校ではついに勉強すらもあきらめ退学しフリーターになりバイトを半年周期くらいで転々とし金が貯まっては2ヶ月くらいNEETになり、また求人広告を探し始めるといった毎日だった。時間ができればパチスロばかりやっていた。本当に何をやっても続かなく目標のかけらもない10代だった。
20代にさしかかっても明確な目標なんか見えてなかったがてとにかく一念発起一発逆転しなければならないと強く思い、極道の妻から弁護士になった人の本を読みモチベーションを高め、とにかくバイトの求人広告で一番時給の高いプログラマとかSEなるバイトが割がいいということで素人でも簡単に取れそうな MicrosoftのWord,Excel,Accessの資格をとってデータ入力のバイトを得てそこの社内公募から技術部へ入ってLinuxとか触らせてもらって合間に自主勉強して大学に行き、大学院に行き、就職し、就職先を1年ちょいしか経っていないが今度会社を辞める俺がいる。せっかくどん底から這い上がり社会のレールに乗ったにも関わらず俺は今回もまた例の長続きしない根性を朽ち果てさせる悪い虫が再び心の中に現れて、先輩社員からの白い目、裏切り者のレッテル、根性無しの烙印を押されるのにも関わらず今まさに退職の意思を伝えようとしている。世間が見ればどう見ても俺が初心を貫徹できない根性の無いクズであることは明らかだ。
ただ何でもすぐ辞めるには訳がある。勝手な意見を100も承知で言うが、全ては衝動だ。次への衝動が湧く、影響を受けやすい、常に変わりたい、新しいものを見たい、自分を変えたい、そのために生きている。明日に向かって全力疾走で走る何かが欲しい、10代に散々味わった惰性はもう十分だし惰性で生きていくくらいなら死ぬ、先が見えることをこれから何十年も会社でやり続けることは拷問に近いとすら感じた。自分は人から与えられた枠組みの中にじっとしていることはできない、いやどうせ辞めたくなるのだから迷惑がかかる、いつも申し訳ないほどに。自分でやるしかない、俺らみたいな人種はおそらく社会の中でクズ扱いされてボロボロになっているだろうが俺らみたいな社会のクズはクズなりに起業なり起業なり起業をしなければならない。野垂れ死んでも起業しなければならない。自分で考えた会社の枠組みの上でジタバタジタバタ新しいものを追いかけ回してひたすら技を磨いてADHDらしい発想で直感的に発想してモノをサービスを付加価値を創っていかなければならない。はっきり言って俺らのような人種は挑戦する回数と行動と瞬発力は並大抵のものじゃない(長続きしないのは致命的だがうまく管理してくれる相方がいればよい)。失敗ばかりでお金も全然貯まってないけれど、これまでの人生を急ハンドル切ってきた回数、独学の瞬発力とノウハウ、社会の底辺で味わった修羅場の回数、地を這い回り泥をすすって生きてきた人生経験に起業というフィールドでは勝るものはないはずだ。今ここでやらずにいつやる。
辞めるという事は決して負けることではないはずだ。会社に関していえば、労働契約である以上双方のメリットがなくなれば契約は解消される。俺は申し訳ないが辞めさせてもらう。先輩方には本当に感謝しているが辞めさせて下さい。完全に完膚なきまでに組織に従属し自分の頭でモノが考えられないことに、規律や空気に徹底的に従うことにもう疲れ果てた。5年経ったらとりあえず1人前になれるから5年は我慢って言われて、この俺のゴミクズのような人生模様からそれは完全に無理ってことをわかって下さい。それよりももっと自分の頭にあるワクワクすることを死ぬ気で追いかけて自分の人生をおもいっきり泣きながらもがき苦しんで生きていく。家族は飢えさせやしない、切羽詰まったらバイトだって何だってやる、俺はいつ死んでも構わない、ただ全力で泣きながら走らせてくれ。
辞めるってことは、俺の理想に向かう全力疾走のプロセスにただ「辞める」があっただけだ。いくつもの出会いや別れを越えてようやく俺は自分のフィールドに立とうとしている。遺伝的アルゴリズムのように評価値の高い広範囲なフィールドを確率的にうろうろうろうろ学習しながら探索した結果、探し当てた一山に今一気呵成に鬼神のごとく局所探索をかけようとしている。この山にこれから登り続けるかもしれないし、もしかしたらまた辞めて他の山を探索しにかかるかもしれない。いつまでたってもダメな奴かもしれないがいつまでたってもジタバタ走り回るバカでいさせてほしい。そんな人生をただ自分だけは肯定し受け入れて胸にしまい込んで一瞬一瞬を全力疾走で駆け抜けたい。
彼らは既に雇用されている人間の権益を守るために存在しているのか?
将来の日本の労働環境だとか、氷河期に就職できずにフリーターになってしまった人間だとか、そういう層のことは考えてすらないんじゃないだろうか。
そうだけど?
両者が競合している場合、組合は100%前者(1)を捨てて後者(2)を取る。だってそういう組織だから。
どんな凶悪犯だろうが弁護士は仕事として被告を法廷で弁護するでしょ。連続婦女暴行殺人犯を弁護しているからといって、その弁護士は強姦や殺人を肯定しているわけじゃない。それと同じ話だよ。だから行為の是非を彼らに問うても無意味。そもそも学生は組合費払ってないし(笑)。
http://headlines.yahoo.co.jp/smartphone/hl?a=20101202-00000090-jij-bus_all
春闘の要求項目の詳細がどこから落とせるのか検索しても分からなかったから、要求の具体的な部分は報道でしかわからないんだけどさ。
春闘、というか労働組合全般って一体どこと闘っているんだろう?
大学生の内定率は10月時点で約57.6%、まだ決まってない学生が4割も居て就職氷河期越えはほぼ確実。
なんで賃上げベアアップを未だにメインの闘争項目にしているのが俺にはよく分からん。
労働組合なんだよな?経営側と闘って労働者の権利を守る、ってのが労組系の存在理由のはずだと思うんだが、違うんだろうか?
彼らは既に雇用されている人間の権益を守るために存在しているのか?
将来の日本の労働環境だとか、氷河期に就職できずにフリーターになってしまった人間だとか、そういう層のことは考えてすらないんじゃないだろうか。
実際就職氷河期だった年齢層って今の企業ではぽっかりと抜けているところが多い。
また同じことをやって、時代のせいにして労使揃って経済の都合を運の悪かった学生に押しつけるのか?
本来の存在理由を考えれば、要求項目は"雇用の維持"であり、"採用者数の維持"であるべきで、そのためには労組側も多少の泥はかぶりますよ、とかもっと柔軟な提案をすべき組織なのに、
夢も希望もない。
最も強い意志があって、実現したい目標が明確にある人など少なく
みんな仕方なく、それなりの身近な生きがいを見つけて生きていると思う。
俺もそう。ただ「ある週刊連載漫画の最終回までは見届けよう」とか
その程度で生きている。
働いていても、昇給もないし、ボーナスもない。フリーターや派遣と呼ばれる人と
大して扱いは変わらないし、正社員だからって特別なことはなにもない。
ただ趣味に使える程度のお金がもらえ、どうせやることもないし時間つぶしに
労働にいそしんでいるだけだ。
たださすがに、こんな考えで10年も生きてきたんで、つらくなってきた。
みんなもただ同じような日常を送って、それなりの生活をしているのは
わかる。挫折してしまってうつ病になったり、自殺に走るのもわかる。
ただせめてすがるものが何か欲しい。何でもいい。
何か信じるものが欲しい。
パチンコ屋さんの前には自転車や車が何台も止まっていて、大学生なのかフリーターなのか分からない青年や、「会社どうしたの?」というサラリーマン、年金暮らしであろうと思われるおじいちゃん・おばあちゃんなど、沢山の人が通い詰めているのを見掛けます。
僕が社会人になりたての頃、友達に誘われてパチンコを始めました。
何回かやっている内に味を締めたのか、起きたらパチンコ屋にいた…というような末期に近い状態に。
何を言ってるのか分からないかと思いますが、これはノンフィクション・事実であり…それほどにハマっていたのです。
・調子が悪いと¥5,000が10分で溶ける、スロットなら更に加速
・友人からの『勝ったら奢る』という謎の押し付け
・友人が給料・ボーナスを突っ込んでいるにも関わらず負け続けている
・負けが込むとストレスが溜まり、顔が歪む
・タバコの煙が凄く、空調・清掃が追いついていない為、気持ち悪くなる・臭い
・他人の当たりを嫉み、心が荒んでゆくのがハッキリと感じ取れる
暇潰しにもなるし、トータルで20万ぐらいは儲かっていたのですが、これらの要素で僕は辞めることに至った訳です。
今考えると、何故ハマっていたのか…?
派手な演出・当たった時の爽快感など思い当たる節はありますが、あそこまで熱中していた理由は明確には思い出せません。
でも、ハマるってことは楽しいと感じてたってことなんですよね。
仕事では上司やお客さんとのコミュニケーションに疲れ、東京には友達はおらず、特に趣味も無く、相思相愛な相手もいない為、今の生活にはさほど刺激がありません。
目から生気が消えてるような、頬が数年つりあがってないかのような、気がします。
皆、何して毎日過ごしてるのでしょうか?
水商売やクラブなど、夜遊びの刺激に逃げるのは、この年になったらダメと思ってるのですが(そもそも先立つものが無い)、どうして良いか分かりません。
没頭できる何かが欲しい。
いやー、しっかしすごいなぁ正社員って。
こんな触ったが最後核融合になる可能性99%の他人の大ポカに手を突っ込む義務があるのかぁ。
ぼくにはとてもできない。つーか、もう真っ当な手で解決するのは絶対ムリだし。
上司と一緒に毒まんじゅう食うのも会社的にどーなのって感じで。そもそも毒まんじゅうを食い損ねたときに
間違いなく俺も被爆するんだもの。どーしよーもない☆金目鯛でも食って温泉浸かってた方がマシ。
いや、フリーターだったらもう少し「助けなきゃ!」みたいな責任感発動したかもしんない、むしろそっちならがんばったかも。
でも、この先社会人続けてお給料でメシを食っていくこと考えると、やっぱ明日は温泉に浸かるしかなさそう。
社内で一生冷や飯食うのはイヤです。社史編纂室があるんだよウチには。
元増田です。
続報あるので報告します。
結論から言うと、相手は死亡していました。
そこで、事故って示談交渉中に自殺、どうすれば生死を調べられるか、賠償請求はどうするのかを聞きました。
生死を調べるには、住民票を取得しる、と。
「除票」としてその人が住民でなくなったことが記載され、理由欄に「死亡」と書かれる。
取得方法は、事故証明を持って該当の役所へ行き、住民票を申請する。
きちんと理由付けできてればもらえるよ、って。(弁護士は職権でもらえるけど、とも言ってた)
生きていた場合
興信所で調査。今なにをしてるのか等々。
死んでいた場合
今回は、相続人がいない。(内縁の妻が財産を相続するとは思えん)
その管理人と示談交渉する。ただし、費用がかかる。たぶん費用割れする。
というわけで、弁護士さんへお礼を言ってその足で役所へ。
この人の住民票くださいと伝えて、事故証明と免許証(身分証)を提示したらあっさりもらえました。
そこにデカデカと「死亡」の二文字。
ごねる畜生としゃべるストレスがなくなったことにじんわり喜びが出ています。
社会の負債がひとつなくなったと感じています。子どもがいない、独身である点に関して、ダーウィン賞をあげたいです。
メシウマにはならないなぁ。いつも通りの食欲はあるが変わりはないな。
さて、今回の事故で非常にいい金額を支払いました。たぶんフリーターの年収くらい。
非常に高い授業料でしたが、たくさんのことを学びました。
実感したこととしては、無知は損する。事故ったら専門家に聞け。
基本的にごね得畜生には、専門職が対応するので、保険屋を通すべし。
誠意のない相手に「あんたには誠意がない」と言われても、受け流す図太さが必要。
このエントリが誰かの役に立つように願って記す。