はてなキーワード: 貴族とは
再分配は「金持ちから税金を取る」ことが大前提としてあるわけだが、
権威のない国家が税金を取ろうとしても、金持ちは納得するんだろうか。
「多額の収入がありながら自国に税金を納めないとは、この非国民が!」とか、
「同じ国民が困っているなら、国民として助けあう義務があるだろう」というロジック以外に、
個人が自由に国籍を選択できたり、二重国籍が容認されるようになると、
金持ちは税金の安い国を選ぶようになるから、税金のダンピング競争になってしまう。
再分配を重視するなら、金持ちが逃げないように国籍の移動を制限すべきだ。
または金持ちをナショナリズムで洗脳して、外国に行く気をなくさせるか。
それか、一定額以上税金を納めた人は特別扱いするべきだな。
勲章を与えたり、特別な敬称をつけたり、昔の貴族や今の皇族のような扱いをすべきだ。
直接政治制度だったきがするが、民衆が政治参加しているという起源はそこら辺だった気がする。
そういう意味では、奴隷ではないが、外国籍の人を中心に特定の人には参政権は認めていないというのは、原則今でもあるので。
選挙権を持っている人の集団による選挙を中心とした民主主義という意味では、ローマ・ギリシアでいいとおもう。
そもそも論として、王家というものは、主によって、人民の統治をまかされた神の代理であるという大義名分で、
人は平等であるから、人が人を統治することはあってはならないから、民衆が王を選ぶことは出来ないと
むしろ王族に利用されていたと思うけど?
キリスト教が民主主義の起源であったという事実はないと思うんだけど・・・。
あと、わからないけど、もしそうだとしても、だとするならば、 いわゆる 特定の範囲における博愛性というものは、キリスト教の前身ともいえる宗教にも存在しているので、キリスト教が原点であるという理由もないと思う。キリスト教以前にも宗教は存在しているし。
むしろ、そういう圧政が多くて、その次代の王政にいち早くブチギレた人たちが革命を起こしたんだよね。率先して。とみるほうが・・・
あと、あんまり、特定宗教の話を深くしたくないんで、いちおうこのへんで。
というかなぁ・・・昔は国の単位が小さかったわけよ。東京1つが国だったわけ。
その規模で考えると・・・国が企業に 国王が社長になった。と考えれば。民主主義とはなんぞや?という疑問にはぶち当たると思うよ。
王政の頃の国は、貴族領という物があって、貴族領が国みたいなものだからね。海外でも。
そういう意味では、実質的な違いは、世襲って話になるけど、企業が世襲な場合もあるし。
ようするに、ブラック企業に務めているというのと、独裁政治に泣いている、何が違うかというのを、程度問題である程度考えると、そらねぇ。民主主義のほうがいいとは言え。という事になる。 その平等という観点で見るとね。
初期状態(生まれた瞬間)のレベルが1~10000くらいまでバラツキあるし、レベルの上がり方も初期レベルが高い奴の方が圧倒的に速い。
これ違う。
初期状態の「生まれ」が違うだけ。
「生まれ」が「貴族」か「奴隷」か「農夫」か、とかそういうこと。
もちろん「生まれ」が違うと初期装備が変わる。所持金も違う。
けれど、レベルは一緒だ。
ステータスのさいの目に恵まれない奴も居るな。
ステータスの合計値は人によって差が出るし、望んだステが高いことの方が珍しい。
けれど、レベルは一緒だ。
魅力が3で魅力判定に「-3」されてる奴もいるだろう。
魅力が18で魅力判定で「+3」の奴もいる。
けれど、レベルは一緒だ。
この国が前借りで発展したのだから,今,痛い目を見るのは当然,というのは理解できる.
ただ悪い貴族(に仕立て上げられる人)がいるかいないかでいうと,
まぁ元増田も書いているように世代差や既得権差で作りだされる気がする.
ただ、危機感が無かった。
まったくその通り.
こんなことしてんじゃねーよと言われたらおしまいなんだけど.
でもまぁなんですか,さんざん閉塞感が語られ,打開策が提案されるわけだけど,
ほとんどが「○○がダメだから,それを直さないと」じゃないですか.
その是非の検討も必要だけど,まぁ仮にそれがダメだったとして具体的にどうするのか,と.
例えば田村耕太郎氏のこの話とか,中野雅至氏のこの話とか至極納得するのだけど,
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110104/217792/
私はここに、日本に30のシンガポールをつくることを提言する。今や国民1人当たりでアジアNo1の豊かさを誇り、今年の上半期も18%近い成長率をたたき出したあの国だ。その秘密はそのサイズにあると思う。私は、人口400万人のシンガポールが、財政錯覚を起こさず、住民が政府と一緒になり、創造力と危機感を共有して繁栄する地域を築いていく適性サイズだと思う。人口1億2000万人の日本なら30のシンガポールができる。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110112/217895/
具体的に言うならば、中央政府の役割を外交とか安保とか、通貨などにぐっと絞って、あとは道州制にして分割する。そうした方がコンセンサスが築ける。お互いが顔の見える範囲にいれば、税金を払って支え合うという政策でも、それぞれが自助努力でがんばる政策でも、コンセンサスを築きやすいと思います。そして、地方政府の役割は社会保障を含めて、大きな政府でも小さな政府でも、道州ごとに決めればいい。大きな政府を取る関西州があってもいいし、小さな政府を取る東北州があってもいいわけです。
「現状の制度ではコンセンサスがとれないから,コンセンサスをとれるこの制度へ!」と言ったところで,
「じゃぁそうしましょう」というコンセンサスをどーやってとるねんー!という問題が残る訳ですよね.
そしてその問題への具体的な解決策がいまいち思いつかない.
人々のアクションが明確かつ実行可能性がそこそこあるように見えて,興味を引いた次第.
そうやってずるずると世界的地位が落ちていくのが一番辛いが.
↓
↓
一番辛い目を見るのは、至極当然。
↓
倒すべき「悪い貴族」はかつての自分なので、革命は起こらない。
ただし注意点。
こういう時、断頭台に上がるのは、
「俺は革命を起こす側じゃない、でも、悪いのも俺じゃない」と思ってる人。
マリー・アントワネットは、自分がそこまで憎まれてるとは思っていなかった。
実際、個人としての彼らは、それほど悪辣というわけでもなかった。
ただ、危機感が無かった。
地獄のミサワ的な言い方になっちゃうけど、いまさら感が非常に強い。
ATOKの変換語彙自主規制は90年代半ばにはすでに実装されていて、
その規制語彙の一覧などを見れば、
一度も気づけないなんてことが考えにくいほどに無茶な規制を組み入れている。
”不快表現、差別語なんて一般的な場面ではつかわねーから気づくわけないだろ!”
たとえばラーメン店の屋号としてつかわれる支那そば屋の支那をなぜ変換できないのか、
なんてことに人生で一度もぶち当らないで済むような上流階級の貴族様や、
ぶち当たっても変換できないのが当然と思ってスルーしてきたような問題意識の乏しい人が、
だれかがATOKに変換語彙自主規制が導入されていると言っているのを耳にして、
にわかに「20年来のパートナーと別れる」なんて言い出すのなんて、だっせーなとしか思えない。
古女房がプロ市民として長年活動していることを他人から指摘されて初めて気づいて、いきなり離婚すると言い出すような。
程度の差こそあれ、MS-IMEにも表現規制は導入されていて、
メーカー側の勝手な配慮により自動変換不能にされてる語彙は少なくないことからすれば、
他に十分な変換機能を備えたまともな選択もない以上、実際に使う使わないかは別として、
ジャストシステム様が「おめーらには使わせてやんねえ」とのたまってるド下品な語彙リストを
ユーザー辞書としてぶち込んで抵抗してやるぐらいのことしかできない
・・・はずだった状況もGoogle日本語入力が登場するまでの話で。
盲滅法もつんぼ桟敷も一発で変換してくれる素敵な変態IMEのGoogle日本語入力があるんだから、
補足 横ネタ
ホメオパシー は 科学的か? という 命題に対する2つの答え
1 科学的の意味は多様であるが、非専門家においては、科学的に証明されていない、効果がない という意味で非科学的という言葉が使われることがある。
2 ホメオパシーには諸説あるが、ブラセボ効果のような心理学的効果は存在する。
3 ホメオパシーには、薬学的効果は現段階では、有意義に証明されているとは言い難たい。(少し譲って、議論中である)
4 よって、ホメオパシーは、十分に証明されてない、否定されている学説が主流であるという事を前提として
日常会話で ホメオパシー は 非科学的と使われる分には 一定の合理性がある。
A ホメオパシーは 医学が発展途上の際に 薬を飲めば直る という誤った知識が広まっていたことを1つの背景にしている。(以後 暗黙的にホメオパシーはという前提でを省略する)
B 貴族の奥様方などが、善意から 高価な薬を他人に飲ませる 飲ませたいという要望があった
C しかし、医薬品・医薬部外品などの分類が十分に出来ていなかった時代、薬の投与を素人が行うことは危険であった。
D しかし、善意の薬の配布という事は、禁止しても科学的知識がないから行っているという層なので、実施されてしまう
E こう言った自体を防ぐために、偽薬を配布することには一定の合理性がある。
F 偽薬の配布には偽薬であるので、偽薬に効果があると虚偽の申請をする必要があるが、それは科学的である。
回答2 ホメオパシー は 科学的(薬物の乱用を防ぐための偽薬配布という目的に対して)
元来、薬物の乱用を防ぐための偽薬配布メソッドであるホメオパシーに対して、薬理的効果を追求することは合目的性という観点から非科学的であるし、必要悪の世界なので、悪い行為であるという指摘はナンセンス。
よって、ニセ科学の合目的性を考えず、異なる合目的性を主張して非科学的という行為そのものは非科学的である。
ニセ科学その物は、パニック防止、誤用防止などの心理学的な分野から施工されている事があるので、そういった、分かってやっているものに対して
横からですが、学歴主義や官僚主義を否定するわけではありませんが
2 復興して今の日本を築いた人たちの中には 松下幸之助さんを始め、学歴の低い方の多くの台頭があります。
3 その後、東大・お受験の時代がやってきて 大学歴時代となったわけですが、今の失われた10年をはじめ、経済を失速させた時代です。
こうやってみると、学歴時代と呼ばれるものは 直近の日本経済ではマイナス要因であり 学歴が関係なかった時代というのが特需の影響であると考えても無学歴でも時代を動かせたということが出来ると思います。
これらの事から、無学歴でも能力がある人間を上部に採用できる会社・社会が伸び 学歴偏重する社会は破綻をきたす という事が直近の事実かと思います。
また、日本以外の海外での一流大学は 一芸主義などもあり 岡本太郎なども入学できるが 東大は不可能 という側面もあり、日本の高学歴はやや、世界的な高学歴とは方向を異にしているという事情もあります。
海外の高学歴は貴族の子などの、リーダー育成学校、トップ育成学校という側面が強いのに対し、日本のそれは、兵隊幹部養成学校であり、誰かに付いていくという側面でリーダー育成の概念が薄い。もしくは、反乱・革命を恐れ、従順であることを吉とする部下育成学校であるという側面を持つのもひとつでしょう。
そういった中で、日本の失われた10年を創り上げたと言っても良い、現在の学歴偏重主義を、この不況のどまんなかで掲げるにはそれなりの理由が必要かと思います。>元増田さん
閉鎖的、かつ無目的(学校の目的は勉強ではない。)なところでは人気取りがメインのすることになり、人気が取れなかったものは悲惨になる。
石原氏にも猪瀬氏にも共通してあるのは「表現活動とは、才能ある選ばれた人間にのみ許される高貴な行為だ」という発想なんじゃないか、という気がしてきた。
「そもそも漫画やアニメを見下している」というのはあるだろうけど、それだけでは、自身も表現者であるのに関わらずここまで「表現の自由」をぞんざいに扱う理由が説明できないように思う。
彼らが、表現者を一種のエリート階級だと思っているなら、高貴なる表現活動の品位を下げる漫画やアニメの存在は苦々しいだろうな。そういう立場から言えば、「表現の自由」とはエリートたる表現者(=自分達)の権益を保護するためのものでしか無いわけだから、「俗悪な」表現を生業とする者達の権利なんてどうでもいいし、むしろ「表現」に品位を取り戻すために積極的に規制すべき、となるのではないか。
追記:
人事の高望みを防いで、企業の身の丈に合った学生を採用させること。
ミスマッチングの原因はどちらも高望みしていることが問題。
並行して堕胎禁止も法整備して、妊娠したら原則出産。嬰子を殺害したら貴族の人間は下層へ落とし、下層の人間は殺害。
慣習ではいけない。
法整備して、一縷の望みも断たせてやらないと、どいつもこいつも諦めない。
http://anond.hatelabo.jp/20101212223647
バカなやつだな。
分相応の生活をしようとしない奴は死んでも構わんが、そいつのせいで独身だったりNNTになったり、人が来ないと嘆く企業がゴマンとあるんだぞ。
村上は美大を問題にしてるが一番問題なのは小中高の美術教育だと考える
村上が批判するところの『自由主義』≒内発的なものを表に表現することこそ美術の真髄であるという思い込み
小学校はともかく中高でそういう教育を行うのは問題なのではないか
日本の美術教科書は他国と比較すると異様に薄く内容的にもかなり異なる
典型例として
自分を見つめる
とNGが出る
褒められる絵
美術教師・教科書が褒める絵のスタイルには傾向があり、顕著なのが風景画における印象派
心ひかれた場面に出会ったら絵に表してみましょう
光や影、広がりや奥行きを各画面の構成や色彩で工夫すれば、印象深く表すことができます
→印象派
日本の美術教育は印象派が美術の最先端だった頃に開発された技法が輸入され太いチャンネルになっている
その結果として印象派的な書き方を教えることが日本の美術教育の一つの王道を成している
分厚い
美術史を丁寧に教える
ルネッサンスの項では遠近法が開発され、そうした理論の注入が行われた結果それまでの中世の絵から
どのように変わっていったのか、等が論理的に
20世紀の項では
ピューリズムとかシュープレマティズムなどマニアックな流派まで結構詳細にどういう背景を持って
どのような流れで出てきたのかを触れる
半分は美術史をやり残り半分は実作
例えばエジプトの壁画、ファンアイクの絵、マチスの絵に到るまで丁寧に模写をした上で
それがどういう時代背景の元にどういう技法で描かれているかを自分なりに読み込んで
まとめる、ということを行う。
日本でも美術史をやらないわけではないが、それは日本史世界史の授業で行い
美術の授業とは切り離されている
基本的に向こうでは美術史と自分で描くこととを両輪のように組み合っせてやってる
美術というのは歴史があり、何が「美しい」と思われてきたのかは時代時代によって
かなり変わってきている。
歴史の積み重ねがそれを作り上げている。
それは宗教だったり政治であったり、そういった権力のもとで作られてきたとか
あるいはフランス革命により王政が打倒された結果、描くモチーフが王侯貴族から市民に変わっていったり
そういう技法まで含めて流れがあり
我々が何を美しいと感じるかというのは、実は自分が生きた時代に人々がそういうものを
美しいと思うように訓練されたから、そういうものを美しいと思うのだということが体得されてゆく。
ある人がなにかを美しいと思う、それは何か訓練された結果美しいと思うのではなくて、
あくまで内発的ななにものにも影響されないそういう感覚があり、その美しいと思ったその感覚、
あるいはそれを表現することそのものが美術なんだという風な、いわば洗脳を受ける結果として、
自分があるものを美しいと思うときに、例えば広告とかTVCMとかの結果としてそういうものを
美しいと思うようになっているにも関わらず、内発的に美しいと思っていると誤解している
ところが発生しかねない。
疲れたんでここまで
以下、日本の美術教育のこのような特殊性のルーツはなんのか、等々
またこういった『自由主義』が美術教育の専門家ら自身にも問題だと認識されていること、
にもかかわらずこーなってんのか、日本美術教育がどのように位置づけられてるからなのか、等々。
更にかつて現在の美術界同様な状態だった日本の建築界が磯崎新の仕掛けによりどのように
変わってゆき、現在のような5~6人のワールドクラスを輩出するまでに変わっていったか、等々
村上は磯崎が建築界で起こしたことを美術界で起こせるのか、等々
と続く
とにかく根拠が実感だけの村上さんよりはるかに具体的で面白かったんで、こんな糞エントリじゃなく