はてなキーワード: 白票とは
[最高裁判所裁判官国民審査の『重要性』と、誰も教えてくれない『棄権の方法』 #seiji - Togetter](https://togetter.com/li/423004)
要約するとこんな感じ
白票=信任になるのに対し、棄権=信任にも不信任にもならない。
3人は自分の信念に沿って「この裁判官の判断はおかしい!」と思い、裁判官Aにバツを付けて投票。
残りの7人は「よくわからないから」と何も書かずに白票を投票。
こうなると投票数10に対して過半数を満たせないので、裁判官Aは罷免されない。
もし「よくわからないから、ちゃんと考えている人の意見が通るようにしよう」と思ったら棄権するのがベストになる。先の例で7人が棄権していたら投票数3に対して裁判官Aは3つバツがあるので罷免される。
それでは「この裁判官の判断はおかしい!」と思う人はどういう根拠があるのか。
[夫婦同姓「不当な国家介入」 最高裁判事4人が違憲判断:朝日新聞デジタル](https://www.asahi.com/articles/ASP6R56BLP6RUTIL044.html)
リンク先の判決では「夫婦別姓を認めないのは違憲じゃないの?」という訴えに対し、最高裁では「いやいや合憲だよ」という結論に達した。
しかし重要なのは「全員一致で合憲と判断された」のではないこと。4人の裁判官は違憲だと判断した。
そうなると当然議論の余地はあるわけで、一般の人にも「この裁判官の判断はおかしい!」という意見が生まれる。
ちゃんと考えて「この裁判官の判断はおかしい!」とバツを投じた人の意見は、何も考えずに投じた白票で薄まってしまう。棄権することもできるのに周知されていない。
先のTogetterに書かれているが、投票所で「棄権します」と言ったら「じゃあ何も書かずに投票してね」と言われるケースが散見されるとのこと。
つまり、投票所のスタッフも「棄権≒白票」だと思っている人が多いということ。
何度も言うが棄権と白票は違う。白票=信任であり、「裁判官全員ちゃんとやってて(・∀・)イイネ!!」という意味になってしまう。
先のTogetterは10年近く前のことだが、今でも同じような状況なのかを確かめる為にも、期日前投票で「棄権します」と言ってみた。
受付「あ、向こうで仰ってくださいね」
どうやら国民審査の投票用紙を渡す係の人に言えということらしい。そりゃそうか。
係の人「あ、ええっと…すいませーん!ちょっとー!(他の係の人を呼ぶ)」
係の人「(他の係の人に)こちらの方、国民審査を棄権するそうです」
他の係の人「わかりました」
これで国民審査の投票用紙を渡されることなく、期日前投票は終わった。
このやりとりで思ったのは、やはり国民審査を棄権するのはレアケースなんだろうなってこと。
ちゃんと考えてバツを付けた人の票は、何も考えずに白票を入れてる人にかき消されているんだろうなってこと。
中にはもちろん「何も考えずに全員バツ」で投票してる人もいるだろうけど、それでも「何も考えずに白票」の方が多いんだろうなってこと。
岸田で議席減らして結果的に安倍麻生の影響力がまた強くなってしまうくらいなら、今回はいっそ自民に入れよかとも思ったけど、カルト教団って…
ネオリベのゴミクズは竹中平蔵のケツ穴舐めて下痢便啜って「やっぱりトリクルダウンはありましたぁ!」とか言ってりゃいいので論外中の論外やし、
そんじゃあ野党かと思うと、共産党。まあええよ俺ずっと共産党投票してた時期あったよ。
でも…候補者は髪型でジェンダーフリー感出してきてるレインボーウーマン。いや俺も性的マイノリティ差別はアカンと思うよ、でもそこ推しで来られてもさ。だいたいレインボー消費とか言って無い需要をあるかのように言ういつもの電通のやり口に共産党が乗っかってどうすんの、っていうか。まぁあと共産党のダブスタ露呈にはガッカリしたってのがあるわな実際。
白票を投じるのってだいたい「投票するために選挙のことを考えたけど結局投票したい候補がいなかった」状態だけど、
そもそも投票をしないってのは知らん間に「選挙なんかどうでもええわ」って感じになりがちだから、とりあえず白票入れに行くようにはしてる
とりあえず「選挙に参加する」って習慣は維持したい
やあ、最初に
別にオタクの味方をしてくれるとは思ってないけど、普通の人は「気に入らないからなんでも規制してしまえ!」なんて野蛮な考えはしないんだよ。
って書いた増田やで。
お前が「向こう」って言っているのが全部俺ではないから、一部お前の挙げたコメとは異なる意見になるけど、少なくとも俺は無関心層はオタクの味方になると思っているのではなく、そもそも無関心層は規制・反規制どちらにもカウントするべきでない派だ。
「規制するべき」or「規制するべきでない」の必ずどちらかの意見に引き込まなきゃいけないとは思わない。
その上で、世のほんの一部でしかない、(観測範囲の問題があるのであくまでオレの主観と予防線を張ったうえで言わせてもらえば)おそらくは反規制派の人々にすら数で負けるような本当に極一部でしかない人々の、不快とか悪影響が出そうという感情・感覚だけで規制をするのはおかしいでしょ? って意見。
大学生活とコロナ禍がちょうど重なって楽しくないとかそういったことはもう諦めの域に入ったのでどうでもよい。
1番の問題は、日本という国そのものの将来に希望が持てずいることだ。
私たちの世代は、生まれた時には高度経済成長もバブルも既に遠い過去の物になり、義務教育では少子高齢化の話をされてきた。数年前(18歳になって)有権者として政治に参加できるようになったが、白票を投じるだけで国政に対する意見自体を持てないままだ。
少子高齢化、伸び続ける失われた10年(今は失われた30年なのか?)、その他社会問題が積み上がっているが、これらはほとんど全部が私たちの世代がどうすることも出来ないうちに積み上がった問題だ。
生まれた時点でそれらの問題は存在していたし、選挙権を得るまでに解決の兆しはほとんどなかった。解決が難しい問題だし、上の世代の怠慢だと切り捨てることもできないだろう。ただ、積み上がった問題を突然有権者になって押し付けられてしまったというような感覚もある。
若者の政治的無関心の理由の1つは、自分たちが政治に関わる年齢になった時点でどうにもならない問題が積み上がっていることを成長過程で悟ったこと。また、それらが中高生の頃に見ていて解決されそうもなかったこと。これらの理由ではないかと思う。私自身はこういった理由で政治への期待感が持てない。