はてなキーワード: 小児性愛とは
現状の日本社会だと、これが憎悪だと感じる人がいるのは仕方がないと思います。申し訳ないです。ただ、憎悪ではないということは主張します。
むしろ、「小児性愛者が偏見を持たれない、内心を侵害されないこと」と「犯罪被害を防ぐこと」を両立するためには何をすべきか?が重要です。
最近の小児性愛者の主張は、小児性愛について誤解を招くものが多いと感じました。件のマンガとか、私が引用した増田(「同性愛と小児性愛に類似性を主張している」)は、小児性愛犯罪に対する認識不足が露呈した例です。特に後者は、小児性愛行為自体が加害であるというポイントを全く理解していません。
「その行為が禁止されている理由をどうやら理解していなさそうな人が多数の状況」で「禁止されているので私は行為を行いません」と宣言する人がいても、不要な不安を招きます。そもそも、小児性愛自体が保護者不在の「陰で」行われる犯罪である(例えば殺人すれば死体が見つかりますが、小児性愛行為は何も見つからない)以上、ルールと罰則による犯罪防止効果はさほど期待できないんです。だから、「小児性愛犯罪の何が卑劣なのか多くの人が認識している」というメッセージがあった方が、犯罪を侵さない小児性愛者や、非小児性愛者にとって生きやすい社会になります。
結局ね、これを言ってしまうと終わりなんだけど、
男女の対立も、黒人と白人の対立も、小児性愛者擁護派と排斥派の対立も、
でも個別具体的な事案についての話だけだと話が広がらないから、
無理やり概念的な話をするために、お互いが幻想を作り出しながら殴り合ってる
変な話、「小児性愛者なんて子供を犯すんだから犯罪者よ!」って「ホモとか俺犯されちゃうじゃんこわw」と同じレベルだと思うんだよな。
もっと言えば「男は全員卑劣!」って言ってる暴走したネトフェミと変わらんと思う。
性欲を持った=即犯す!じゃねーだろと。
妥当な主張だと思いますが、小児性愛行為について「卑劣だ」と感じない人が、「なぜ小児性愛行為が児童の尊厳の侵害なのか」を理解しているとは思えないです。この理解は非常に重要です。要するに、
と考えていて、
「なぜ尊厳の侵害か」が理解されれば、「卑劣」という表現語でなくても、同等の感情を理解することは可能だと思うんですが。逆にそれが理解できないのって、「尊厳の侵害について十分に理解しているが、感想が異なる」のではなく、「尊厳の侵害について十分に理解できていない」という可能性が高いんじゃないかなと思ってダラダラ議論しています。
ちなみに小児性愛行為の被害者について一冊本でも読めば、「未成年に『不利益』がある」なんて軽い表現にはならないと思いますよ。
まず、「犯罪を犯した小児性愛者」と「犯罪を犯していない小児性愛者」は分けて考えるべき。
その上で、小児性愛者は「通常の生活では十分に性的満足を得られることのできないマイノリティ」であって、ある意味障害者と一緒。
弾圧したり排斥したりするのではなく、リベラル的には社会の中でむしろ保障されていくべき存在と考えるべきなのではないだろうか。
不利益はあると思いますよ。現に最近のマンガ家だって、小児性愛行為の卑劣さを認識していれば、あんな表現はしなかったのではないですか?変に誤解や誤ったメッセージを発しないためにも、「犯罪行為の卑劣さを認識すべきだ」って普通の主張だと思いますけど。
本当にこれ
LGBTや小児性愛に限らず、異性愛に関しても偶々そうなっただけっていう観点が完全に抜けてる
もしかしたら、自分も全く別の性愛をもっていたかもしれない(または、そうなるかもしれない)っていうことを意識しないといけない
恋愛のプロセスと、性行為という結果は区別すべきだと思います。
恋愛のプロセスで駆け引きのような価値観があるのは事実だと思います。
一方で、性行為に関する知識がそもそもない女性がいたとして(現代日本では想像しにくいですが)、その無知につけ込んで性行為に及ぶ人がいたとしたら、小児性愛者と同程度に卑劣だと思います。
性的搾取を伴わない小児性愛関係、特に児童性愛って存在しないと思う。児童が成人した後振り返っても、周りの人、特に保護者から見ても、「あれって性的搾取されてたんじゃない?児童と大人との恋愛ってヤバいよね」って絶対に思わない関係でないといけない。それは不可能レベルにハードルが高い。というか、それを達成したら、おそらくそれは性愛関係ではない何かだと思う。
誤解があったのでもう一つ追加しますが、
私が「卑劣だ」と言っているのは、犯罪・行為についてであって、小児性愛の内心ではないです。
小児性愛者であってもなくても、児童に性加害を加え行為そのものは卑劣ですし、小児性愛行為を侵さない小児性愛者は、当然卑劣ではありません。
罪を憎んで人を憎まずと遠からずでしょうか。
元増田を確認してください。小児性愛行為に関する認識を小児性愛者に求めることは、私は差別でも内心の自由の侵害でもないと考えています。もっとも、現段階で議論の余地はあると思いますが。痴漢依存者には痴漢被害に関する知識が、レイプ犯罪者にはレイプ被害に関する知識が求められるのと同様だと考えます。
確かに表現が曖昧でした。「犯罪によってそれぞれ影響が異なる」という一般論を認識してほしいのではなく、「小児性愛犯罪の場合、『具体的に』『どのように』他の犯罪と異なる影響があるのか」を認識すべきだと言っています。
まさに、こういうことがないように、元増田で「小児性愛者は小児性愛犯罪の持つ卑劣さを『認識すべきである』」と言っています。おっさんが無知であれば児童の人生に与える影響が軽減されるわけではないので、おっさんが無知であること自体が解決すべき課題ですし、それが社会的責任です。
「強く卑劣だと感じてほしい」のではなく、「小児性愛犯罪が他の性犯罪に比べて特別に卑劣な点があることを認識して欲しい」と言っています。譲歩すれば、「卑劣」という表現語自体は別の単語に置き換えても構いません。「小児性愛犯罪には、他の性犯罪に比べて、被害者に与える特別な影響がある」ことを認識してほしいです。
元増田を確認していただきたいです。最初に強調している通り、小児性愛者の内心の自由は一切侵害されてはいけません。私が卑劣だと言っているのは、小児性愛「犯罪」についてです。小児性愛者と小児性愛犯罪者を同一視することも当然不当です。その上で、小児性愛者は小児性愛犯罪の卑劣さを認識すべきだと言っています。
世の中に卑劣な行為が常であることが、今の話題にどう関連するのかよくわかりません。
小児性愛犯罪は、他の性犯罪と比べて特に卑劣な点があり、小児性愛者はそれを認識すべきだと言っています。他の卑劣な行為については何も言っていません。