立候補に今以上の制限をつけるならより権力者の思惑にそった立候補者が出るよう制限つけられるだろうね
今は誰でも出れますよ、自由ですよという建前を見せておいて選ばれるのは出来レースという形で、
救出(たす)けてください
都会になるほどアホが多いってわけか
まず断っておくと、自分はフェミニストか否かという点では、フェミニスト寄りである。白饅頭や青識のようなアンチフェミは心底嫌いだし軽蔑もしている。ただ、フェミニストがやたらに好む以下の論法には、一男性として強く反発している。
「特権」という言葉を使う場合、権力者や富裕層などに対して、自分の意思で自由に捨てられるものだけを指すべきだと思う。いじめやパワハラで引きこもりになって無職で……という男性は決して少数の例外ではないと思うが、こうした男性に何の自由に捨てられる「特権」があるというのだろうか。あと、同じ「無職」でも女性だと「大変だね」になるのに、男性だと「情けない」という感情が瞬間的に沸き起こってないだろうか。これも「特権」なのだろうか。
女性の多くも付き合う相手を決める時、男性のルックスとか年収とか社会的地位を無意識に考え、友達に紹介するときに恥ずかしくないかどうかを気にしたりするのはごく普通である。それはいい悪いではなく、人間である限り仕方のないことだ。男性だけが異性をモノ化しているってことは絶対にない。完全にお互い様の問題について、男性だけが非難されるのは理不尽だと思う。
「男が30にもなって定職もなくて情けない」「男は結婚して家族を養って一人前」という規範は、男性自身が内面化している部分も確かにあるけど、それは世間や社会が求めているからであって、自分の意志で自由に脱げ捨てられるものではない。女性だって「女らしさの呪縛」を捨てて、化粧も何もかも一切やめればいいじゃない、という話になる。というか、「女らしさ」については、それを押し付ける人々への批判や非難になるのに、どうして「男らしさ」については「男らしさ」を押し付ける人々への批判に向かわず、男性自身が自己責任で脱するべき、という話になるのか。明らかにおかしい。
こういう意見を見るたびに、フェミニストは教室の中でひどいいじめを受けていた男子とか、パワハラでいつの間にかいなくなった男性社員とかが、全く目に入っていないんだな、とつくづく思う。だから主張が間違っている、というわけではないけど。
(追記)
気がついたら炎上しているけど、言いたかったのは、本来のフェミニストの仮想敵はジェンダー規範そのもののはずであって、「男性」ではないこと。
既存のジェンダー規範を変えるためには、政治とマスメディアの役割が大きく、それに働きかける社会運動が必要になる。それは、個々の男性の自己犠牲の精神で実現できるものでは絶対にないし、そもそも自己犠牲できる余裕のあると思える男性は貧困者に限らずほぼいないだろう。そんなものに期待してはいけないのである。
(追記2)
時々感じるのは、フェミニスト「男性は・・・すべき」という言い方の中に、「男らしさ」が要求されているように感じられること。「女性を押し除けてまで男性が前に出るなんて、男らしくない」みたいなジェンダー規範が、特に男性フェミニストの中には確実に存在する。まさに田原俊彦の歌の意味での「フェミニスト」(誰も知らないか)。
吉本にも同じこと言えるのか
自民党の同性愛差別も多くの国民は無関心だし、女性差別でも別に森喜朗は無風だし、児童ポルノのるろうに剣心は今も大人気。朝鮮系やアイヌへの差別も国民の多くは無関心だし。
公金が関わってても自由なんだよねぇ
ファミマスイーツ、たまにすごい当たりがある。見かけたら確保するようにしているが、意外と無い。プリンよりコストが高そうだし、それほど余裕を持って入れないのだろう。
久し振りに頂いたこいつはやっぱり、クリームの多さ、クロワッサンの食感、表面の粉糖に到るまで、ちゃんと丁寧に作られたものの味がする。
ジェンダーギャップについて取材を受けた。女性であることを理由に被る不利益や抑圧や様々な被害について話しながら「男性には男性の辛さがあって」「(女性らしさだけでなく)男性らしさの押し付けもあって」と挟んでしまう。その話はしてないのに。「男性の読者」を怒らせないように振る舞ってしまう。
なんでこれが悪いのか、正直よくわからない。「男性には男性の辛さがあって」とは本当は思っていないということなのだろうか。少しでも思っているのだったら、それはむしろちゃんと伝えるべきだと思う。
女性への差別と「男性の辛さ」さはそもそも無関係ではない。「ちゃんと働いていないこと」への否定的な視線は、男性は女性の5倍ぐらい受けている。そのことは「男性の辛さ」の一つであるが、それが労働市場で女性が差別されていることと無関係ではないどころか、「男は女子供を養って一人前」というジェンダー規範の表れという意味で、きわめて密接に関わっている問題である。自分も「男性の辛さ」を論じる際は、必ず女性差別と一緒に論じることをむしろ心掛けている。
戦うべき相手が男性一般だと考えているから、上述のツイートになってしまうのだろう。しかしその考えは間違いである。本当に戦うべき相手は、既存のジェンダー秩序である。だとすれば、「男性の辛さ」は必ず同時に論じなければならない。決して男性の読者に媚びる媚びないという問題ではなく。