貧困、友達がいなくて寂しい人の話、彼女ができない男たちの話、仕事で失敗した、ブラック企業から逃げられない…。
こういった話を見たり聞いたりすると、不思議と心の穴が満たされるような感覚になる。
私は家庭環境に大きな不満はなかったから、毒親話や性虐待に対する話に対しては、こういう感覚は起こらない。
つまり、自分と同じとはいかずとも、似たような辛い境遇の話を聞くのが好きなのだ。
ひどいパワハラをしてくる上司が、他の人にもしているのを見ると、充足感があった。
私はもうすでにいくらかの不幸を経験しているから、生まれてから順風満帆、良い人たちに恵まれ、幸せに生きている人を心から喜ぶことはきっとできないんだろうと思う。
私が今後努力をして理想の人生を送ったとしても、過去、何年にもわたって不幸を感じてきたことは変わらない。
もう、私が不幸を感じてしまっている時点で、私が他人の不幸を喜ばない人間にはなれないのだ。
記憶喪失にでもならなければ。
他人の不幸を喜び、助けるふりをして話を聞くばかりで、何もしなくてごめんなさい。
YouTubeを観ていたらある芸能人が外食をする動画を配信していた。どの料理も1000円程度の値段だったが、私はそれを見て高いと思ってしまった。1日に2食として毎日食べ続けたら1ヶ月6万円になる。この金額は一般的なのだろうか。
歴史上の人物はまさしく歴史上で評価が定まってるから受け入れられるんだろう。
死んだばっかの人はまだ歴史になってない。
生前のその人のことを知ってる人がたくさんいる。
子どもの頃、母ちゃんに白髪を抜いてくれと頼まれたことがあった
頭部の自分ではよく確認できない部分に生えた白髪を俺が抜いてやった
抜くときに俺が母ちゃんに髪の毛を引っ張っても痛くないのかと聞いたら
俺はそれを信じてずっと生きてきたのだが、最近に自分の頭にも白髪が混じるようになってきたので
よくよく考えると髪を抜く痛みは皮膚が引っ張られる痛みだから黒も白も関係ないのだ
俺はずっと母ちゃんに騙されていたのだ
https://ameblo.jp/mayakoba712/entry-12734845302.html
その線引きはどの辺にあるのだろう、と思った。
このロジックで考えると、フィクションで歴史上の人物にしゃべらせると死者を冒涜していることになるのだろうか。
なんとなく論点は違う気がする。
中学はまでそれでもいいけど、高校は学校によって使ってる教科書がまず違っていて、入学した時点で卒業後の進路はかなり限定されている。それを案外中学生に教える人はいないみたいだ。商業高校に行ったのに薬学科を目指して挫折したとか、普通科でも偏差値がかなり低い学校に入って医学部に入ろうとしてダメだったとかいう体験談を聞くに。井の中の蛙大海を知らずとはまさにこのこと。
再犯する、ってどういう状況を想定してるんだろ
生き物には生存本能という抗えないものがあり、死にたいという感情はそれに反するものである。
生まれたからには死にたくないのが当然だという意見も尤もだが、私は、死にたいと思うことはアポトーシスの一環
オタマジャクシがカエルになる際にしっぽがなくなるのがいい例だろう。
生き物には生存本能という抗えないものがあり、死にたいという感情はそれに反するものである。
生まれたからには死にたくないのが当然だという意見も尤もだが、私は、死にたいと思うことはアポトーシスの一環
オタマジャクシがカエルになる際にしっぽがなくなるのがいい例だろう。
俺のしいたけは?