2022-03-31

不幸の道連れが欲しいだけなのだ

他人の不幸話を喜んでしまう。

貧困友達がいなくて寂しい人の話、彼女ができない男たちの話、仕事で失敗した、ブラック企業から逃げられない…。

こういった話を見たり聞いたりすると、不思議と心の穴が満たされるような感覚になる。

私は家庭環境に大きな不満はなかったから、毒親話や性虐待に対する話に対しては、こういう感覚は起こらない。

まり自分と同じとはいかずとも、似たような辛い境遇の話を聞くのが好きなのだ

ひどいパワハラをしてくる上司が、他の人にもしているのを見ると、充足感があった。

私はもうすでにいくらかの不幸を経験しているから、生まれから順風満帆、良い人たちに恵まれ幸せに生きている人を心から喜ぶことはきっとできないんだろうと思う。

私が今後努力をして理想人生を送ったとしても、過去、何年にもわたって不幸を感じてきたことは変わらない。

もう、私が不幸を感じてしまっている時点で、私が他人の不幸を喜ばない人間にはなれないのだ。

記憶喪失にでもならなければ。


私たち共感を欲している。辛い日常の、人生の。

他人の不幸を喜び、助けるふりをして話を聞くばかりで、何もしなくてごめんなさい。

でも、あなたにも同じ不幸を味わってほしい。一緒であることはうれしいことだから

そしたら一緒に愚痴をいいあって笑おう。きっととっても楽しいのだろうな。

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