Slice of life と分類されるアニメ。そのなかでもとびっきりのお気に入りがひとつからふたつになった。高校時代ははるか昔だ。じっさいのところ進学校で男子校、家庭は大人数でややこしく青春などなかった。だからこそかもしれないが、観ているうちにいつの間にかあの頃にもどって登場人物といっしょに笑ったり感動したりどきどきしたりする自分に気づく。失ったもの、はじめから与えられなかったものを再体験するような感覚にひたれた。台詞がおさえ気味で間がながいこと、映像が美しく変転すること、細部まで考え抜かれた仕掛けが、ディスプレイから映し出される光景をまるでじぶんの眼前の光景がと錯覚させてくれ、思考回路と感性の扉を開いてくれている。元気をもらったということのほかに、忘れかけている大切なことを思い出したりもする。泉瑛太も夏目美緒も、子熊も玲子も椎も、自分で決断し自分でアクションを起こした。そこに魔法はなく、ほんとうに必要な時にそばに寄り添ってくれるものとして、たとえば友人や仲間が、あるいはスーパーカブがある。忘れないようにしたいことのひとつだ。
今の感染者の増え方を見るにオリンピック開催前に再び緊急事態宣言を出さざる得なくなると思うんだけど
オリンピックを無観客でやるなら、他のイベントも無観客開催を認めないといけない。
観客を入れる場合は、他イベントも同じ基準で入れていいということにしないといけない。
だからと言って一匹でいたらすぐ死ぬ。どっちにしろ死ぬ。なら集団に何とか適応する努力するしかない。 適応できない個体は死ぬ
増田的には
醜形恐怖症なのに、低スペックで卑屈で異常に傷つきやすいのに、
出会い厨(同性含む)だったり、キャバ嬢・風俗嬢だったり、ヤリマンだったりで、
河野にでもタレ込んだら?
どっちかが尻を出せってこと?
その文字通り、性自認は自分が自分をどういう性だと思うかという話で、性指向はどのような性の人が恋愛(あるいはセックス)の対象となるかという話だ
LGBTという語で表されてるLGB、すなわちレズビアン・ゲイ・バイは、いずれも性自認と性指向の両方のパラメタの関わりによって定められている
性自認が女で性指向が女ならレズビアン、性自認が男で性指向が男ならゲイ、性自認に関わらず性指向が男女どちらもならバイセクシャル、というような具合だ
一方でLGBTのTであるトランスジェンダーというのは、肉体の性と性自認が一致しない人のことであり、性指向については問題としていない
つまり、LGBTという語は、性自認と性指向の関わりによって定まる話と、性自認のみによって定まる話が混ざった構成になっているのだ
この語に座りの悪さがあるのは、たとえばトランスのゲイとかトランスのレズビアンという存在するということを初めて知った人が混乱をおぼえがちだろうというような点にある
LGBTのあとにいろんなアルファベットが足されていく謎の文字列が必要とされたことがあるように、LGBTという語は、この世を男と女にハッキリ分ける時代に生まれたせいもあって、その語の構成を字義通りに解釈してしまうと、現実の多様で曖昧な性のありかたを実は表しきれないのだ
もちろん、語の構成と意味に乖離があることは言葉の世界ではよくあることであり、LGBTという語はその構成通りの意味よりも、世の中には多様な性がありますよねというくらいの意味で認識されて欲しい単語として存在しつづけているのだと捉えればよいだろう
だがそんな風に註釈と文脈が付帯する語というのは、しばしば誤認を生みやすく、馴染みのある人間にもない人間にとっても座りが悪いものなのだ
つまるところLGBTという語は何が問題となっているのだろうか?
2つ問題がある
1つめは、男と女という明確な線引きがされたカテゴリーから脱却しないままでいるのが可能であること
2つめは性自認と性指向がセットである印象から抜け出さないままでいられてしまうことだ
ノンバイナリというのは、上記の問題に呼応して、性自認の側面についてより精確な状況を表そうとして生まれた言葉だ
その文字どおり、自分の性はバイナリ(二分法)ではない…自分の性を考えたときに、男だねとか女だねと、いつでもどちらかに属してるよってあんまり言えないな、というのを表したい言葉だ
再びになるが、注意すべきなのは、これが性自認についての語であって、性指向についての語ではないということだ
以下のような疑問に対し、こう答えることができる
Q: ずっと男としか恋愛してないのにノンバイナリって言えるの?
A: 恋愛関係において対象が常に典型的な男性であったとしても、自分が男として好き・女として好きだとか、はたまたそのどちらの要素もある…という状況もある。また、自分が男的であるなとか、女的であるなというのは、恋愛と関係のない場面においても、社会における人との関わりにおいてちょくちょく生活の中で意識にのぼることがらであるはずだ。友人たちと、より男性的な振る舞いかどうかとか、より女性的な振る舞いだといった評価をしあうときだって、性自認は関わってくる。
A: 男性として生まれて常に女性装をしていてノンバイナリという自認の人もいるだろう。肉体性を手術で変えた上でノンバイナリでありたいという人もいてもおかしくないだろう。逆に、ぜんぜん肉体も格好も今のままでいいやって人もいるんだろう。
A: ゆる〜く話すならそれでも構わんって場合もあるでしょうわね もっと精確に表したい〜って時のための言葉なので
まとめるとノンバイナリというのは、性自認と性指向を切り分けなければ精確ではないという現状のもと、性自認をより精確に表しているとして好まれている語なのだ
個人的には、単にLGBTとか多様性という言葉の印象だけでなにかを知らなければならない人間にとってもよりわかりやすい言葉なのではなかろうかと感じる
ちなみに、性指向のみを表す言葉にはアンドロセクシャル(男が好き)、ガイノセクシャル(女が好き)、パンセクシャル(みんな好き)…などなどがある