気持ちわかるわ
以前FMラジオを流す職場にいて、気が散って仕方がなかったんだけど、その方が仕事が乗る人は確実にいるらしい
耳栓やヘッドホンも有効だし、お気に入りのスポットを探すのみだね。似た趣向の人は結構いると思う。新幹線だけでなく、通勤電車にもサイレントカーを用意してほしいくらい。
ああ、
真逆ではね。
自分の都合のいい加工。
嘘
こっちの話を聞かず、
出来る検証もせず。
出たらめばかりで。
都合よく加工するのが得意
私は怒ってる。
気立てがいいのはわかるけど
なにひとつ本当はないのに。
ここに持ってくればいいとか
もうね、
怒りを超えているんだ。
言葉を無くす。
利用できてよかったですね。
ホウ酸だんごを仕掛けておくとだいぶ減るよ
田舎の高校の同窓会なので20数年ぶりな再開なんだけど、変わらないやつ半分、誰だか
わからないやつ半分で、さすがに年月を感じたわけです。
で、やはりというか女性陣からは、あんたの会社でいい人いたら紹介して、のオファー。
しかも条件きつい。
あのな。
アラフォーのBBA、しかも低年収、ブックブクのタンクに対して、付き合う男はいねーよ。
ラインにちくちく来てるが、見るのもめんどくせえー。
内閣人事局を批判してる層と民主党の政治主導を支持してた層がどれくらいかぶってるか気になる
政権取ったら局長以上は辞表出させるとか言ってた元民主党の政治家はその点の反省が必要なはずだがこれ言っても安倍信者認定して終わりだろうなあ
ダメなのは日本だけ、とか話す人って、引き合いに欧州のうち上手くいっていてかつ日本人が憧れがちな国を持ちだしてホラね!で済ますことが多い気がしてならない。東欧や東南・南アジアにもIT技術者は沢山いるのよね。
微笑み爆弾と、なんでだろうの歌詞に出てくる「なんでだろう」、「どっちだろう」を、
それぞれ置き換えて交互に歌っていると段々どっちが本当の歌詞だったかわからなくなる
の、なんでだろう。
何らかの条件をつけてその条件に満たない現に存在するものをなくすってのは、
残ったものの少なくともいくらかが重要だと思うものをもなくしてしまうことによって、
犬が海に入ったら、多分イルカに負けるだろう。
この核家族化が進む世の中にあって、いまだに「家を継ぐ」という概念が存在する、そんなおうちの長男に私は生まれました。
江戸時代、徳川御三家の威光を受けて参勤交代だの江戸詰めだのでそれなりの栄華を極めましたが、明治維新によってすっかり没落してしまった武家がうちの本家であり、私の実家はその分家にあたります。
一時は地域一帯を治めていたこともあり、今では誰も使っていない土地もわずかではありますが残っています。
そしてそんな一族の歴史とは別に私の家にはもうひとつ別の顔、家業があります。それが宗教です。
キリスト教の教会や仏教の寺にあたるものが実家の家業なのです。
小さな頃から両親をはじめ、周囲からも後継者、跡取りとして期待され、私も幼いながら「大きくなったら家を継ぐのだろう」となんとなく感じて育ってきました。
しかし、今この歳になり、それでいいのだろうかと感じるようになりました。
周りは就職活動を始め、自分の人生を自分の足で歩いています。社会と関わり、社会の真ん中へ飛び込んでいく。しかし私は、学業を終えれば家を継ぐための準備に入ります。
いわゆる神職ですから、それを継ぐためのさまざまな勉強や修行に身を投じるわけです。社会との関わりはほとんどありません。信じがたいことですが、俗世とかけはなれた世界というのはこの平成の世にも存在するのです。
そして今、それを「なんだか嫌だ」と思うようになったのです。私もみんなと同じように社会に出て、普通の生活がしたい、と。
しかしこの気持ちを周りに伝えることはできません。今まで「この子が跡取りだ」と育ててくれ、多大なる期待をかけて見守ってくれた人を裏切るということが、やはり自分にはできないのです。そして、今でこそ嫌だと感じていてもそれまでの自分は「跡を継ぐんだ」と思って生きてきたのです。だからこそ、継ぐことを否定することは今までの自分の人生を裏切り、否定することにもつながるのです。
普通の家に生まれていればこんな風に悩まなかったのだろうかと何度も思いました。もっと自由に自分の将来について思いを巡らすことができたのだろうか、と。
もし「継ぎたくない」と言えば父や母はどんな顔をするのか、悲しむだろうか怒るだろうか。そう考えると話を切り出すこともできません。
将来や人生に対して展望が抱くことができず、長く暗いトンネルの中を彷徨っているような毎日を過ごしています。一体これから先、どのような気持ちで人生に取り組めばいいのでしょうか...
答えは未だ出ないままです。