叩く理由はアベの仲間というだけで十分だ
そのうち消えるだろうって油断だろうな。
「回答が理解できません」と更に聞く。
→「なんでわからないんだ!なにがわからないんだ!こちらも忙しいんだ!何度もしつこい!」と怒られる。
→大体間違っていて「なんでわからないんなら聞かないんだ!」と怒られる。
家にひとりで引きこもってる22歳
一歩踏みだしてよかった。
君にもまた、一歩踏みだしてほしい。
失敗するかもしれない。また家に戻るかもしれない。
でもそれでもいい。とにかく一歩踏みだしてみよう。
君はひとりで苦しんで
苦しいことを苦しいと伝える相手もいないかもしれない。
誰も君の苦しさをわかってくれる人はいないかもしれない。
誰も君の苦しさを和らげる術を知らないかもしれない。
でも、それでも、同じように悩んで、悩みながらもがんばって生きている人がいると思う。
必ずいる。
暗闇のさなかにいるときは、今自分の抱える問題が世界のすべてで、
どうしようもなく苦しくなったりすると思う。
その苦しさから抜け出すのはきっと苦しい。
だけど、もしかしたら、
一歩踏みだして、転ぶ前に次の一歩を踏みだしてってやっていけば、
思わぬところまで進めるかもしれないよ。
思わぬのところまで進んだら、きっと思うかもしれない。
「あのとき、俺何悩んでたんだっけ?」
3年前に僕は決めた。
自分のことで悩むことはやめよう。
一旦悩むことは忘れよう。そのかわり、人の悩みを解決することに自分の頭を使おう。
抜け出すのは本当に苦しかった。
だけど1年後には、1年前の自分の苦しさを忘れるぐらいのところまで来ていた。
そういう意味では、僕は君のことをわかってあげられないかもしれない。
逆に、僕は君が僕のことをわかるぐらいのところまで来てほしい。
おまえはたまたまラッキーだったんだろ、って言いたいのもわかる。
もう時代が違うんだよ、っていいたいのもわかる。
そんな簡単に就職できねぇよって。
でもそれでも、一歩踏みだしてほしいんだよ。
失敗するかも知れないし、家にまた帰るかも知れない。
帰ったっていいんだよ。帰った頃には、それまでいた部屋とは違う部屋にいるだろうよ。
何もなかった部屋じゃなくて、挑戦した自分がいる部屋なんだよ。
挑戦して失敗して家に帰ってきたらブログでも書いてくれよ。
俺は挑戦したって。
次はもっと大きな一歩を踏みだしてやろうって思うよ。
君が何で今苦しいか教えてあげようか。
その苦しみを乗り越えて、他のやつに道を示すためだよ。
俺にバトンを渡してくれよ。
受け取って全力疾走してやるよ。
挑戦するなら、アドバイスがある。
すぐに逃げられるようにしといてくれ。
やばいと思ったらすぐに逃げればいい。
逃げられる用意が、君を強くする。
君には無限の可能性がある。
君が挑戦したらかなりのことができるかもしれない。
君が挑戦しないことは、社会にとって大きな損失かもしれない。
それもこれも、挑戦しなけりゃわからない。
挑戦しない限り、可能性はない。
もう駄目なら、それ以上駄目になることはない。
挑戦してみよう。
今の君にとっては大きな一歩でも、
いつかそれすらも小さかったなぁと思えるぐらいの一歩を踏み出せるかもしれないよ。
今、歩き始めればさ。
俺も、がんばるからさ。
まだまだ、これから!
君なりの一歩、まってる。
治りかけてきた頃の、自分へ。
君へ。未来へ。
いつもありがとうございます
スターをもらうたびに「こんな自分でも社会とつながっている、生きてていいんだ」って感じます
このツイ主がどう考えて怒ってるのかはわからないけど。
人間で言うと、
煩わしい月のものも無くなるし、レイプされて不幸な妊娠をすることもなくなる
みたいなもんかな
4歳の娘、1歳の息子とかみさんが風呂に入ってて、娘が先に泣きながら出てきた。
ふとももに擦り傷に浸みてもう出ると。
俺「なんでスカート脱いでたの?」
これが女の子のメッチャめんどくさいやつか!!!!(凄く良い笑顔で)
きちんと父親やらないとなぁ、難しい。
都道府県魅力度ランキングで、毎度ワースト争いをするのも致し方ないといえる程度にはダサい。
そもそも、律令国の時代には「武蔵国」として、埼玉県は東京都と一体だったのだ。
で、武蔵国から東京を分離した「あまりの部分」が現在の埼玉県なのだから、これがダサくなくてなんであろう。
(余談ながら、ことあるごとに埼玉はおろか、東京すらも下に見る、あの鼻持ちならない「横浜」という地域の大半も、
かつては「武蔵国」であって、そういう意味では、横浜と埼玉は兄弟であって、ペリーの来航による開港がなければ、
かつての城跡あたりに県庁やら市役所やらNHKやらが集まっている地域が多い。
そこには、それぞれに領主がいて、城下を繁栄させ独自の文化や産業をはぐくんでいたのだろうが、
さしたる文化的な蓄積がない。
そもそも幕府の直轄領だったらしいから、まあ、東京(江戸)の一部みたいなもので、独自性もへったくれもない。
実際、小江戸と言われたこの街には、日本百名城の一つがあるし、寺社仏閣や蔵造の街並みが観光資源として使える程度には残っている。
にもかかわらず、今一つ存在感が薄いのは、この地をがっちりと育ててきた大名が存在しないからではないか。
大坂の陣で江戸留守居役を務めた酒井重忠とか、家光・家綱に仕えた酒井忠勝とか、
知恵伊豆こと松平信綱とか、綱吉の寵愛を受けた大老の柳沢吉保とか
これは要するに、徳川政権の高級官僚が、江戸の手近のところに領地を与えられたという話であって、
「優秀な人ほど、東京に通勤していて、地元にそんなに愛着がない」という
西武線沿線、東武東上線沿線、JR東北・高崎線沿線、東武伊勢崎線沿線と、
東京と各地を結ぶ鉄道沿線沿いに都市圏が発達し、住民はなにかと東京のほうを向いていて
県内の各地域の「横の連携」が弱く、それ故に県としての一体感が弱いのも埼玉県の特徴だ。
たとえば「埼玉西武ライオンズ」といっても、さいたま市あたりの住民などは、ほとんど愛着がない。
なにしろ、ライオンズの本拠地たる所沢に行こうにも、鉄道で行くとなると、
いったん、池袋(埼玉県であるとの説もあるが、行政区画としては東京都)に出なければならないのだ。
愛着なぞ沸くはずもない。
なぜなら、各地域の基盤となっている前述の鉄道路線が、おおむねかつての街道筋に沿っているからである。