うつ病のような気がする。
「働くの嫌だ、働くくらいなら死んでもいいかも。でもやりたい事もない。っていうかやる気がない。ニートになりたい。食欲があんまりない。性欲は全然ない。」と言ってた人が
精神科行って薬貰って飲んだらどんどん元気になっていって
色んな欲望も復活して、あんなにやる気がなかったのにやりたい事も見つかって
「やりたい事をやるには金が必要だ」と言い出し、
元の仕事にあっという間に復帰して今では前よりも稼ぐようになった。
そして、うつだった時の事を「あの時は悪い夢でも見てたんじゃないか」「なんであんな状態だったのか自分でも分からない」と言っている。
今の状態から抜け出せるかもしれない。
「相手の正義を折る」というのは、「危険である」という考え方を否定するということだ。
「危険ではない」と納得させることだ。
君が言っていたのはそういうことだろう?ころころと変えるなよ。
横だけど、これは別の増田だと思う。(いや、同じかな。読み返したら同じな気がしてきた。ちゃんと概念は共有されてるよ。妥協点を押し付けるのは最初の正義と別の正義を折っているだけだという主張だね。)
それはさておき、ここでいう「相手の正義を折る」のと「妥協点」を押し付けるのだと、「相手の正義を折る」方が禍根を残さないと俺は思うなぁ。
折ることが出来なければそりゃ禍根が残るだろうけど、折れれば残らない。
一つ前の増田は「相手の正義を折る」ことはすごく難しいと考えていて、俺なんかは「相手の正義を折る」ことがそれほど難しくはないと考えている。
河北省の京漢線・元氏駅の土間で、私はアンペラの上に仰向けに倒れていた。銃一挺を抱くように持ち、外套を頭から被って、眼を瞑っていた。
この何日か、衝心性の脚気の発作が烈しくなったため、今朝、雪の中を南下、行軍して行く部隊と別れて、この元氏駅で北上して行く列車を待っている。列車に石家庄駅まで運んで貰い、そこで下車、最近設けられたと聞く石家庄野戦病院に入院する。
──これが自分が選んだ自分を生かす、ただ一つの道であった。これ以外、生き得る方法はなさそうであった。部隊の軍医も、看護兵も、また同じ意見であった。
私が仰向けに倒れている元氏駅には、中年の歩兵上等兵が駅長として、これまた一人、アンペラの上に胡坐をかいたり、そこらを歩き廻ったりしている。駅長と言っても、他に駅員が居るわけではなく、ただ一人、駅に配されている。
一日に三、四本入って来る軍用列車を迎え、送り、それをどこかに、電話で連絡するだけの仕事を受持っているようであった。
夕方、彼は病兵の私のために夕食の支度をして、飯盒と罐詰を持って来てくれた。その時、二人は初めて、壊れかかった石炭ストーブに手をかざしながら、言葉らしい言葉を交した。
──夜、七時過ぎには、一応列車は来ないことになっているので、七時になると、俺は俺で、そこらの壕に入る。壕の方が、幾らか寒さは防げる。お前さんも、好きなようにしてくれ。このまま、ここに居たければ、ここに居ればいい。
──ただ、どこへ行ってもいいが、臨時の列車が来ないものでもない。臨時であろうと、なかろうと、上りが来たら、お前さんは、それに乗ることだ。おとなしくしていたら乗れない。しがみついてでも、乗っちまうことだ。
──そうしないで、こんな所でうろうろして居てみろ。お前さんの場合は、いいところ三日で、まあ、お陀仏だな。
そんなことを喋っている時、遠くに銃声が聞えた。
──ああいうのは、大丈夫!毎日、今頃になると、撃ってくる!撃たしておけばいい。近寄っては来ない。だが、すっかり昏れてしまうまでは、線路の向うには行かない方がいい!
駅長は言った。
いつも、お前さんはここに一人か、と私が説くと、
──ここに来て、まだ五日ほどだ。咋日までは、自分の隊から離れちまったのが、四、五人、ごろごろしていたが、それぞれ、みんな、昨日のうちに、列車で、前線の己が部隊へと向った。すると、替って、今日はお前さんがやって来た。病人でも、まあ、居ないよりはましだ。
実際に、病人であろうと、なかろうと、居ないよりはましであるに違いない。こんな大平原のただ中の、ちっぽけな駅に、一人で置かれたら、気でも狂う以外、どう仕様もないだろうと思う。
結局、夕近くなると、二人は駅の小さい建物から出て、その横手に掘られてある帯状の、細長い塚の中に入った。かなり深く掘られであるので、待合室に居るより、寒さは多少ましだった。
それに、列車が来れば、すぐその音が響いてくるので、そこから直かに、ホームに上って行けばよかった。
二人は、それぞれ、壕の中に己が寝所を造り、身を横たえて、外套をかぶった。いつか、雪はやんでいる。どれだけの時間が経ったか、知らない。
──おい、起きろ。
その声で眼を覚した。
──夕焼がきれいだ!こんな夕焼は、めったに見られるものではない。こんな所に、ばら撒かれていればこそ、こうしたものにも、お目にかかれるというものだ。まるで、天の火事だ!
私は黙って、夕焼を見ていた。駅長が騒ぐだけあって、西の空は真赤に焼けただれ、それが大きく拡がっていた。確かに、今までに見たことのない、壮大な天の火災であった。今朝、別れた部隊は、どこで、この天空の大火災を見ているのであろうか、と思った。
それから、また眠った。
その夜、十一時、北上する臨時の貨物列車が入って来たので、壕を飛び出した。いつからか、また雪が降っている。待ちに待った列車に乗り込もうとしたが、容易なことでは乗り込めなかった。雪をかぶった無蓋貨車で、どの車輌にも、やたらに梱包が積み上げられてあり、何人かの応援でもない限り、そこに身を移すことはできなかった。
駅長はホームを駈け廻り、私を乗り込ませる車輌を物色し、自分も半ば、それに乗り込むようにして、私を引き上げたり、押し上げたりして、どうにか私を、車輌の一つに乗り込ませてくれた。
列車が動き出してから、私は世話になった駅長の名前も、所属している部隊名も聞いていないことに気付いた。気付いた時は、もう遅かった。駅長は、長い、これほど長いとは思わなかった、長いホームに一人だけ立って、手を振っていた。“孤影”とは、この時の、彼のために造られた詞であった。私もホームに向って、手を振ったが、私が手を振るのが、駅長の眼に入ったか、どうか。
私は、私の八十年の生涯で、“別れ”なるものを一つ選ぶとすると、昭和十二年十一月の、この元氏駅に於ける、深夜の駅長との別れということになる。私はある時、ある所で、ある人と別れたのである。本当に別れと言える別れを、異国の小さい雪の駅で経験したのである。
http://anond.hatelabo.jp/20110721091830
4か月経った。
あれから部屋に溜まった物を少しずつ処分している。
面倒臭がりなのでなかなか片付かない。
1年ぐらいあれば終わるんだろうか。
ダルい。
まあいいや。
終わらせるための儀式だと思えばね。
明日は何を捨てようか。
それは元の論点とはズレると思う。
「サクラダリセット」は、主人公悩んでるし、知能高いし、決断してるし、いいんじゃないか。
タイプだけで言えば「ミスマルカ興国物語」がぴったりだと思うんだけど、ファンタジーなんだよな。でも壮大じゃないよ。
ガガガ文庫のスクールカースト物はどうだろうか。「ほうかごのロケッティア」とか「灼熱の小早川さん」とか、小賢しくも悩んでる感じがする。
どんどん訳わかんなくなってるよ。
車はとてもリスキーな乗り物で、それなりの確率で人が死んでる。
でも、人は車を使うでしょ?
死亡事故の確率とか、自分の運転技術とか、安全性とか、なんらか「自分が正しいと思う情報」で判断して、折り合いを付けるんだよ。
飛行機に乗るのもそう。
このリスクは許容して良いって「判断」するんだ。
ここで、相手が未だ「危険」だと思ってるものを、「妥協」と言う言葉で「押し付ける」のは、相手の正義を折ってる。
相手が「納得して」妥協したのなら、それは相手の正義に干渉して変化させてる。(許容できるリスクだと「納得」したのならね)
「相手に納得してもらう」とかさらっと書いてるが、一体全体、何のこと言ってるんだか。
今上の体調が悪いそうだけど
震災慰問の過酷なスケジュールによる疲労が…とか報道で言ってるのを見て
もういい年だし引退して上皇になっちゃえばいいじゃん、壮年の皇太子が天皇になって激務こなせばいいじゃん
皇太子をトシとって体力なくなるまでヒマにさしとくことないじゃん、今元気なヤツが働けばいいじゃん、
…とか思ったんだけど、天皇制っていま終身て決まってんの?
一応皇室典範読んだんだけど、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」とは書いてあるけど、生きてるうちに引退しちゃイカンとは書いてなかった気がする。
詳しい人教えて。
まず第一に、ガンになる可能性が上がることを納得してもらう、という妥協点があるよね。
え?
それは、相手にリスクテイクさせるのだよね?
本当はリスクでもなんでもないけど、相手がそう信じている。
「ガンになる可能性が上がることを納得してもらう」
別に良いと思うんだよ。
それが良いと思うならね。
個人的には、放射線のリスクなんかより、ストレスのリスクの方が全然上だと思うから、
追い込んでるだけ(妻は救ってない)だけど、OKなんだよね?
前にも書いたけど、いんじゃない。
素敵ですよ。
私は非科学的に放射能を怖がる人々にはうんざりしてます。で、「放射能で奇形が生まれた!」みたいな騒ぎに「そもそも奇形は自然にも生まれるもので有意に増えたのでなければ放射能の影響を強調するのはおかしい」という意見には肯定的で(そこに差別的視線が云々という話もあるけど、いったんおいておく)す。
ただ、時々みかけるのが「放射能の影響で奇形が増えるなら流産の報告が増えてなければおかしい」で、こういうことを言ってる人には「ちょっと…」と思うのです。もちろん、放射線の影響に関する今までの調査その他から言って「放射能の影響で奇形が増えるような状態では流産等も増えているはずだ」はほぼ断言できると思われます。
しかし、です。最も根本的な問題として「流産の量に関する統計ってまともにそもそも存在するんですか?」 以前からも現在でもまともな統計はないと言っても過言ではありません。なので、データがなくてもみんなが認めるほど大きな変動でもなければ、「流産が増えたかどうかなんて実はよくわかりません」。もちろん、ある産婦人科からみて、「妊娠が分かって出産まで面倒を見ているうちの流産になった人が多いな」と気づく場合はあるでしょう。そういう産婦人科が増えれば、流産が増えた状況証拠としては使えるでしょう。でも、統計的に耐えるほどちゃんとしたデータを残している病院ってそんなにありますか?日常の診察の中で感覚として増えたと感じるなどの異常を感じたら、まぁさすがにそのときに声を上げる病院関係者はいるでしょうけれども。
なので「流産異常の増加が統計的有意に放射線の影響を示さない限り、放射線の影響による奇形の増加は認められない」と断定するのはちょっとつらいのです(流産の数に関する調査がまったくなんの状況証拠にもならないとまでは言いません)。
あとは関連話題になりますが、流産の原因に占める要因別って、厳密に解明されたわけではありませんが、何周目かによって実は変わってきます。ストレスの影響が出やすい時期とそうでない時期、そういうものが言われてます。特に初期は「本人が妊娠に気づく前に流産にも気付かない」例も案外ありますが、これに関するまともな統計はありません(推計はないことはないはずですが、微妙な増加を察知することはほぼ不可能です)。まぁ、世の中には妊娠に気づかず出産する人もいますから(まぁこんなのは例外中の例外なので統計的察知には影響ありませんので余談ですが)。微妙な増加を検出するには悪条件が余りにも多すぎるというのは理解いただけましたでしょうか。
まぁ、もっと言うと、「放射線で奇形」が多発すると「不妊」も増えるはずです(そもそも受精しない)。が、不妊が増えたかどうかの測定は流産の測定異常にさらに困難です(どこに厳密なデータがありますか?)。
でもっと言うと、不妊やある時期の流産にはストレスの影響も強いのはわかっています。従って今回のような地震+原発問題のコンボの時期に「放射線の影響」だけ切り出して「流産の増加」を測定することは、まぁ簡単なこととは言えないと思いますが…。
私はこの手の分野の専門家ではないので上記の中に突っ込み所を見つけられる方もいらっしゃるでしょうが、これを読んで正確な突っ込みを入れられるレベルの人を除くと、私は「放射能の影響で奇形が増えるなら流産の報告が増えてなければおかしい」などという余計なことは言わない方がいいと思いますよ。
写真の修正とかまでやってるわけでしょ。
おとなしく二次元と戯れてなさいって感じだね。天然美少女云々の増田は。
言われなくてもそうしてそうだけどw
その、「妥協点」って考えが変なんだよ。
別に妻じゃなくても良いけど、Aさんにとっての事実が、「なんとか還元水を飲まなきゃガンになる」であった場合、「飲むな」と言うのは「ガンになれ」と同義だからね。
ここで「還元水を飲まない」地点に「合意」を求めると、「還元水とガンには何ら関連性は無い」と認識してもらわないといけない。
今は判りやすく「なんとか還元水」をもってきてるけど、これが福島産のお米だろうが一緒。
「食べろ」と言うのは、「折れろ」リスクを取れ、と相手に迫ることなんだよ。
だから、相手の正義に干渉しない場合、こちらが折れるしかない。
・絶対に水道水は飲まない → OK/NG
・福島産のお米を食べない → OK/NG
・外出時は肌を露出させず完全防備 → OK/NG
・なんとか還元水を買う → OK/NG
相手の行動の是非に関わらず、相手の宗教を信じて付き合う事は、ある程度出来る。
その閾値を超えたとき、相手に譲歩を求めると言うのは、相手にリスクを取れと突きつける事だ。
この時、「正しい事」を相手に納得させずに、「妥協」してもらう?
あり得ないだろ?