たとえばおれが会社のデータを破壊して逃げたら、会社に損害を与えたみたいな理由で警察沙汰になるかもしれんけど、自殺するかもしれないからって理由じゃ通報されないと思う。
サイバーさん本人が書いてるのかと思った。
過去には通報なんてされなかったのに、今回通報しやがったこうもりは異常、つって。
違うかな?
最近スマートフォンに買い換えたという人が知人が居るんだが、周囲の人からの、某メッセンジャーや某SNS、某ソーシャルゲームなどの誘いを「面倒くさい」の一言で全部断っているらしい。
ベトナムの被害者を心配したり思いやったりしないで、「これがまたヘイトに使われる」みたいに韓国の心配をするコメントは一体何なの。被害者にならないと死んでしまう病気でも患ってるの?このニュースでベトナム人妻を殺した韓国人達に同情の余地ってある?DVの末に殺害って、本当に最悪だと思うんだけど。そんな状況なのに、祖国の至らないところを認めたりしないから、余計に反感を買うんでしょうが。ヘイトがどうのって言う前に、自分たちが嫌われるような言動を取ってる自覚を持ったほうがいいと思うよ。
28にもなると生きづらさを感じて生きてきたことそれ自体がアイデンティティに食い込んでて
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20141225/1419531038
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20141227/p1
2002年のアニメ挙げてみましょうか。
「キングゲイナー」「おジャ魔女どれみドッカーン!」「シスタープリンセスRePure」「灰羽連盟」「最終兵器彼女」「まほろまてぃっく」「東京ミュウミュウ」「朝霧の巫女」「アベノ橋魔法☆商店街」「あずまんが大王」「ラーゼフォン」
上に挙げられた作品の六・七割がたは見ていたので、当時の深夜アニメ(一部朝アニメも入ってるけど)が持っていた独特の「濃さ」みたいなものは、何となく分かる。
翻って十年そこらで、深夜アニメを取り巻く環境が激変したことも。
でも、自分はそれを前向きに捉えているのだが。
てか普通に良いことじゃね?
だからこっちも鼻息荒くとか、理論武装()するみたいに身構えることなく、世間話や何気ない日常会話でもするみたいなノリで気さくに話しかけられる。
その流れでごくごくライトに語り合うだけで楽しいもんだし、それだけで「ここまで何とか生きてきて本当に良かった」と心底思うけどね。
自分より若い人間がより幸せになる方が世の中絶対良くなるし、何よりアニメが好きというだけで偏見を持たれるとか、今振り返れば絶対おかしいだろって空気が変わったのを実感するだけで、自分のことのように幸せな気分になる。
「お前らはそれでいいんだ、自由にやれ、行く道はきっと楽しいから」と思いながら話している。
そんな自分からしてみると、「オタクが融解した」のではなく「オタク文化が世間一般と融和した」という見方になるというか、そういう見方しかできない。
少なくともアニメが「俺らだけのモノ」だった時代はメリットよりもデメリットのほうが遥かに大きかったわけで、あんな状態が今の今まで続いていたら・・・想像すらしたくない。
むしろ問題なのは、特に90年代に中高大学時代を「非オタ」あるいは「一般人」として過ごした、まさに自分と同年代の人ら(30代後半がメインボリュームかな)の、未だに強いアニメに対する拒絶反応だろう。
依然として「興味ない」「理解できない」ゆえの嫌悪感を抱いている人間が少なくない。
まあ深夜アニメは今も昔も10代・20代がコアターゲットなので、その年齢で興味を持てなかったらずっとそのままだろうから、普通に予想できたことではあるけど(2006年のハルヒ放映の時点でアラサーだった彼らが認識を改める可能性は非常に低かった)。
やりとりを見ていると、斉藤さんは鬱病やメンタル系の病気では無く、境界性人格障害のはずだ。
にも関わらず、いきなり警察に通報したのが、出会って間もないコウモリさんであり、物事を大きくさせるかのような彼の行動に違和感を感じないだろうか?
斉藤さんの奇行が派手に語られているので、見失いがちだが、コウモリさんもまた重い病を持っていると思われる。
私は直接コウモリさんと接点は無いが、これまでのはてなでの行動(参謀本部への雇用、ナンパとプロポーズ、ブログ反論や内容、今回の積極的な通報、暴露)内容は、やはり常軌を逸しており、恐ろしいのは現在、はてな内でそれが常人の行動として肯定されつつあるということである。
コウモリさんの暴露記事は真実のエピローグではなく、彼が作る物語のエピローグであり、本来は彼ではなく第三者が語って初めて事実となる。
私達は、藪の中に居る。
なぜ、自殺行為を繰り返している訳でも無い、数ヶ月かそこらの知り合いに対し、警察に通報、はてなで逐一報告し、嬉々として暴露までするのか?
僕は数年来のにわかボクシングファンだけど、年末ボクシング商戦とTBSの現状について語ろうと思う。
まず、確認しておきたいのが日本ボクシングの歴史において、現在は非常に盛り上がっている時期だといえる。
理由としては、日本の総合格闘技の凋落と日本人ボクサーの世界における相対的なレベルの向上が挙げられる。
00年台の日本格闘技といえば、総合格闘技全盛だった。立ち技系のK-1と寝技ありのPRIDEという2大団体だ。
かつてはこの2大団体が興業としても、選手のレベルも世界でトップクラスだった。そのため、年末の格闘技放送は総合格闘技+泡沫色物プロレスがメインだった。
しかし、ヤクザ問題やUFC等海外団体の台頭など色々あった結果、K-1もPRIDEも消滅した。後発団体ももはやかつてのそれほどの求心力は持ち合わせていなかった。
そして、時期を同じくして日本人ボクサーのレベルは急上昇した。
かつてはファイティング原田や浜田剛史、具志堅用高など日本人ボクサーのレベルは世界の中でもレベルが高かったが、日本人ボクサー冬の時代が訪れていた。
世界的にはボクシングチャンピオンというと、各階級ごとに4つの団体があって、その一つを保有することで世界チャンピオンになれる。
WBA、WBC、WBO、IBFの四団体で、さらに暫定王座やスーパー王者などがあり、世界チャンピオンは階級に一人ではないのだ。
冬の時代のボクサーはこのうち最も弱いチャンピオン(俗に穴王者と呼ばれる)を狙って世界戦をしていた。
それでも勝ち切ることができなかった。勝ったとしても、防衛戦が待っている。そこでも弱い相手を迎えるのだけれど、負けてしまうことが多かった。
日本人チャンピオンの数は冬の時代に比べて格段に多くなり、さらに防衛戦でも勝ち続けているのだ。
それだけにとどまらず、世界戦で強い相手と試合をすることがとても多くなった。
軽量級世界最強と呼ばれるローマン・ゴンサレスとマッチメイクをした八重樫東の世界戦は記憶にあたらしい。
それは、今の世界ボクシングの風潮がビッグマッチ思考といって、世界王者であるということよりも、実力者に勝つことが重視されることもあるだろうし、アジア人のマニー・パッキャオが世界トップクラスのボクサーとして評価を受けていることもあるだろう。
日本人の西岡利晃がメキシコでジョニー・ゴンサレスを、ラスベガスでラファエル・マルケスを破ったこともあるだろう。
なにはともあれ、日本におけるボクシングの注目度は今世紀最高であるといっても過言ではない。
さて、こうしたわけで年末の格闘技には当然ボクシングが放送されるわけだが、テレ東、フジ、TBSの3局がボクシングを放送する。
TBSが育てたチャンピオンとして最も有名なのが亀田兄弟である。
放送権をTBSが囲い込み、対戦相手は徹底的に弱い相手を選ぶ。後はキャラクターと試合前の煽りVTRで視聴率を取る。
試合は日本で行われ、判定に持ち込めば地元判定と謎の疑惑判定で有利に戦う。これぞボクシングの黒い部分だ。
しかし、亀田兄弟はやり過ぎた。日本ボクシング協会の逆鱗に触れ、日本追放された。
手持ちのボクサーが失われたTBSは新たな手駒として井岡一翔を中心とした井岡ジムの囲い込みに出た。
井岡一翔は若手の中でも実力者で、ファンの中でも評価は非常に高かった。かつては。
しかし、井岡一翔もTBSボクサーに成り果ててしまった。マッチメイクは段々とレベルが落ち、弱い相手としか戦わなくなった。
その上、弱いと思った相手が想定外の奮闘をした結果、一方的な内容で負けてしまった。なぜか判定は僅差の判定だったが。
そのTBSが、ボクシングを愚弄しているとまで言われたTBSが、年末にギレルモ・リゴンドーの試合を放送する。
これはかつて東京でマイク・タイソンが世界戦をした以来であると言っても過言ではない。スター性は別だが、傑出度とクオリティという意味では間違いないだろう。
ここでギレルモ・リゴンドーの紹介をすると、アマチュア時代にあらゆる大会で勝ちまくり、キューバから亡命して鳴り物入りでプロデビューした。スター候補としてだ。
その目論見は半分はあたった。リゴンドーはプロのリングでも無類の強さを見せ、かつて日本人ファンの期待を一身に背負った西岡利晃を寄せ付けなかったノニト・ドネアを完封した。
この一試合でリゴンドーの名は軽量級最高峰として轟いた。かに見えたがリゴンドーはスターにはなれなかった。
その試合内容があまりに堅実で、テクニカルで、盛り上がりに欠けたからである。
打たれずに打つというボクシングの本質を体現したリゴンドーの試合はその完成度と裏腹にエキサイトできないものであった。
結果的にリゴンドーはアメリカのスター戦線、ドル箱スター街道から干されてしまった。ショービジネスの悲しい側面である。
あのリゴンドーが地上波で見られるというのは恐ろしいことである。
あろうことかこの放送をスポーツバラエティ番組とバーターにしてしまう所がTBSのTBSたる所以なのだ。
井岡は名も無きロートルとノンタイトルマッチを組み、リゴンドーは名前も出ない。もう一試合にはノーコメント。
せめて井岡だけでももっとエキサイトできるカードを組めば、年末ボクシング商戦で頭一つ抜けられるところだろう。
ボクシングなんて野蛮なものは見ないというはてなユーザーに年末の注目カードを伝えておく。気が向いたら見て欲しい。
日本人最速世界王者に加え、マッチメイクが素晴らしい。強い相手としか戦わないという宣言通り、強い相手と戦い続けている。今回のナルバエスも王座11度防衛の強敵だ。
そして八重樫東。軽量級最高峰との呼び声高いローマン・ゴンサレスと戦い散るも、その勇姿はファンの心を踊らせた。回転の早い連打に注目が集まるが、フットワークを使ったアウトボクシングが光るスピード溢れる選手だ。
ホルヘ・リナレス(これ放送するのか?)は日本人に馴染みが浅いが、幼い頃から日本のジムで練習を積んでいる。ハンドスピードが早く、スタイリッシュなボクシングを展開し国内では敵なし。海外でも有力選手を退け、スター街道を歩むかに思えたが、打たれ弱いのが玉にキズ。イケメン。
そしてリゴンドーだ。天笠選手はここでいい結果を出せば一気に世界に名が広まる晴れ舞台だ。
さて、年末が楽しみですね!
一台買い足すだけで容量に関しては今後数年は迷う必要無くなるよな?
アホが。今問題になってるのは「鶏の卵」と「鶏」の前後関係だろが。
お前の論法によれば、最初の鶏が誕生した卵は「鶏に似た何かの生き物の卵」じゃねーか。「鶏に似た何かの生き物の卵」から「鶏」が生まれただけであって、その卵が鶏から生まれたわけでない以上、それは「鶏の卵」じゃねーと言えるじゃねーか。最初の鶏が産んだ卵こそが、史上初めての「鶏の卵」じゃねーか。つまり鶏が先説。
しかしながら、これを更に逆転させると、最初の「鶏に似た何かの生き物」が産んだ卵は、偶然のイタズラにより「鶏を生み出す卵」すなわち『鶏の卵』となったわけで、つまり最初の卵は「鶏に似た何かの生き物が産んだ『鶏の卵』」とも言える。この場合、やはり卵が先説。
しかしながら、更に話を進めると、「鶏」を「鶏を生み出すことができる鳥」と定義した場合、鶏の卵を産むことができたその瞬間から、その親鳥は定義上「鶏」に分類される存在になったとも言える、つまり、同時説。
だが、もう少しだけ考えてみると、『鶏の卵』を生み出すことができたその親鳥において、卵を産む準備は事実としての卵が生まれる前に既に完了していたと考えることができる。ならば、この場合実際に卵を産む前に、既にその鳥の「鶏」化は終了していたと言えるわけなので、この場合、やはり鶏が先説。
しかし、そう考えると、最初に「鶏」と定義されることになった鳥の卵は、何の卵だったと言うべきなのか、が問題になる。つまり、結果として鶏となる鳥を生み出すことになったその卵は、「鶏に似た何かの生き物の卵」だったと言うべきなのか、それとも、結果的に鶏を産んだ卵だから「鶏の卵」なのか。
作画厨でもない素人だけど、この話は動きとか表情とか非常に良いのよね。
自宅に帰ってくるここなちゃんさんのところは、もうアニメーションスタッフに現金握らせたいレベル。
自分で縫った浴衣でピョンピョンするここなちゃん……のところで出てくるMOB。
ほんとなんなのこのメガネ。
ここなちゃんさんのお母さんを思う心は、全ての世界において最上級の美しさ。
ここなちゃんさんマジ天狗。
あおい?とかいうめんどくさい女のために杖に焼き印してきてくれるここなちゃんさんマジ天使。
ゴライコー アメージング!!
糞メガネ「狭い部屋だけどゆっくりしていってね」
ここなちゃんさん「いえ、とっても広いですぅー」
あーーーーーーーーーーーー結婚してくれええええええええええええええええええ!!!!!!
胸の前で両手を合わせるここなちゃんさんが可愛すぎるマジ天使。
ぶっちゃけめんどくさくなってきました。ここなちゃんさんかわいい。
笹の葉を折って笹舟作るここなちゃんさんマジ天使。