なんとなく身につまされるものを感じたので、書き込んでみる。
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大前提として、それはディレクターという職種の問題というよりは、そのディレクターが仕事ができていないということな気がする。
なのでアウトプットのクオリティが低ければ、それはディレクターの責任で、エンジニアやデザイナーは、ディレクターの引いたスケジュール、ディレクターの出した指示だと当然こうなりますということで泰然自若としていればよろしいという気がする。筋論としては、エンジニアやデザイナーは別にそこでストレスを溜め込む必要はないはず(これが一番言いたい)。
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客とコミュニケーション/ネゴシエーションしてニーズを形にするのが仕事。
「知識が中途半端」なのはある程度仕方がないかもだが、わからないことはその場で知ったかぶりで安請け合いせず安全側に倒して持ち帰ってもらうようにしないと困るね。
自分でデザイン+ディレクション/コーディング+ディレクションもできるフルスタックな人間がいるのが理想ではあるけど。増田の書きぶりだと職種自体の存在意義を疑っているみたいだけど、ディレクターの仕事が何であるかを理解するのも、マイナスにはならないと思う。そういう本やウェブ記事などを読んでディレクションの知識をつけるのも悪くないのでは? すくなくともディレクターが言っていることがおかしいと思ったとき、漠然とではなく根拠づけて反論する材料にはなる。
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あとなんか、職場で口頭で指示を出されたりしている雰囲気の記述だけど、タスク管理システムとか(ToDo管理/イシュー管理/チケット管理、言葉は何でもいいけど)、メールや口頭でのものとは別に、やるべきことをブレイクダウンして項目を立てて共有/アサインできるシステムを職場全体で使うべき(使っていないなら)。それをやれば、個別のタスクごとに、これは時間があればこうできるけどいまの納期だとこうしかできないとか、そのデザインの指示だと全体から見てこういう齟齬があるのでその指示の根本的な動機を教えてくれたら考えますとか、これはディレクターの仕事なのでディレクターにアサインしますね(^^)とか、論理的に切り分けした回答ができて、なおかつそれが共有でき、記録にも残るので、漠然とした話ではなく個別具体的にネゴシエーションができるのではないかと思う。
うちはGitHub Issueでやっているけど、なんでもよい。
エンジニアだけでなくデザイナーもディレクターも入ってもらって、そこに書いてないことはやらないくらいの気で、全員で本気で使わないと意味ない。
これは目下の不満とは関連付けずに提案したほうがいいかもね。
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土日が奪われているとか、そんなので続くわけがないし、客観的に見てダメなので、改善が必要なことは明らかで、問題提起すべき。
あと自分も無意識のうちに土日出勤や残業を前提にしたスケジュールを提案してないか?
書きなぐってしまった。
大半余計なことかもしれません。
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> これに対してなんで、相談なしに決めてくるのか、納品できなかったときお前はどう責任とるんだ、責任取る気はないのか
これはそのとおり。オブラートに包み方がむずかしい。
> ディレクターにあれこれ注文をつける「権限」があるのは、出来上がったものの最終的な「責任」をディレクターが全部負うからだよね。権限と責任がセットになってる。
> 他のチームメンバーはそれぞれ自分の専門分野について、コミットした仕事を全うする責任はある。でも要求される仕様や納期に今のリソースで無理なら無理ですとディレクタに言うのもプロとしての責任のひとつ。そうなった時に解決策を考えるのがディレクターの仕事(顧客と折衝して仕様を変更するとか、足りない部分について専門家を呼んでくるとか)。
これもそう思う。
このステッカー貼った人、普通に親日だろうに、めっちゃ叩かれてるね。こうやって味方になるかもしれない人まで排斥していって、いったい何が残るんだろう。
それに公式にお遍路さんに認められてる人に対して、部外者が「お遍路を汚してる」とかって言う資格あるんかいな。そもそも張り紙貼った人が、ちゃんとお遍路やってるとも思えないし。
件の差別張り紙には差別意識はないとか擁護してる人いるけど、誰がどう見たって差別意識満載でしょ。「無許可ではっちゃダメ」とか「間違ってはっちゃダメ」ってだけ文句を言うのならわかるけど、件の張り紙に書いてあったのは「気持ち悪いからダメ」だからね。言い訳のしようもないでしょ。それに無許可っていうなら、張り紙の方がよっぽど無許可。さらにそれが理由で世界遺産認定外されるかも、って話もあるとか。もしそうなったら、張り紙貼った人はどう責任取るんだろ。
こういう間違ったやり方で運動されると、まっとうに外国人問題訴えてる人の首まで締めて、発言力を失わせていくんだよね。あ!差別張り紙を貼った人とそれを擁護してる人は、それこそが本来の目的なのかも・・・?
中学時代、掃除中社会科準備室で遊んでいたら、机の上にあった先生の置き時計を落とした。衝撃で時計の横についている細工が折れた。一瞬元々外れるようになっている造りだったんだと思い込もうとしたが、やはりどう見ても折れていた。その場に先生はいなかった。しかし、謝らなければいけないと思って放課後、緊張しながら社会科準備室へ行くと先生が怖い顔をして一人で座っていた。自分はびびりながらも正直に話した。
先生「弁償ってこの時計高いんだぞ? そんな金持ってないだろ?」
先生「はあ? 自分でやったことなのに親に責任取って貰おうとするな。お前はどう責任取るんだ?」
それもそうだと思ったが、それならどうしたらいいのか判らなく黙りこくるしかなかった。とにかく先生は「責任をどう取るんだ?」と言った。
話が進まないまま1時間ほどした後、次の日も放課後社会科準備室に来るように言われた。翌日に準備屋へ行くと、また話は「どう責任を取るんだ?」ということだった。
先生「そんなことして欲しくない」
先生「お前にはできないだろ」
いろいろと言ったがどれも駄目だった。もう自分に責任を取る能力がないことは自分でもはっきりと自覚していたし、先生も当然判っていたと思う。
また1時間ほどした後、話は終わった。しかし、先生は「次の日にまた来い」と言わなかった。自分はこれで終わったんだと思った。結局何もできずに終わったが、安心はしたのは事実だった。
しかし、それから三日ほど経ってまた呼び出され「責任を取れ」と言われた。
もうこっちは泣くしかなかった。泣いたところで許しては貰えなかったけど。
それから断続的に呼び出されることが3週間くらい続いた後、急に呼び出されなくなった。いつかまた「責任を取れ」と言われるんじゃないかと思って眠れなくなることもあったが、それ以来何も言われることなく、卒業を向かえた。
卒業式の日、先生が自分の方に向かって歩いて来た。俺は少し忘れかけていた時計のことを思い出し、身体が硬くなった。先生は
先生「あの時の事件で学んだろ? 一度壊れたものは元に戻らないんだよ。責任の取れないことはするものじゃないし、責任が取れないことに繋がるようなことだってしてはいけないんだ」
と言うこともなく、ただ自分の横を通り過ぎただけだった。
残念ながら気の利いたオチはこの話にはない。でも、責任の取れないことはするものではないとは学んだ。
あの時に感じた「責任を取る」という言葉が含む重さや怖さが今でも心に残っていて、この言葉を聞く度に身体が硬くなってしまう。
あー胸糞悪いもん読んじまった。
この文章を読むことで、なんらかの偉業を成し遂げようと努力していた誰かが
手を抜いてしまったかもね。どう責任とるの?
俺も俺も。
俺は一度適応障害が出たので、適応障害には敏感になってしまった。元々欝になる素質はあるが、理性で欝にならないよう自分の行動をコントロールしているが、適応障害じゃどうしようもない。
世の中には40度以上の熱があっても電車で2時間のみかかの研究所に行かされたり、72時間耐久デバッグを3人で回させたり(2人いないとデバッグ不可能なテストなのに!)、「お前の会社には金払ってるんだからお前の体調なんか知った事じゃない、働け!じゃなきゃお前の会社から金返してもらうぞ」と強制的に働かせる職場があるのだ。ブラックどころか名の通った一流企業でさえそうだ。
例えば、不謹慎極まりない仮定を言うが、例のニコ動の韓国アニソン少女が罵倒コメントの数々に耐え切れず自分の身体を傷つけるようなことをしたとしよう。
その書き込みが法に触れるようなものであれば、法的に責任を取る。それは当然の前提として今は別の話。
そうでない場合、件の少女の場合、自ら進んで自分をパブリッシュしたわけで、
それに伴って賞賛やら罵倒やらそういうものが返ってくるのは当然予想してしかるべき。
賞賛しかしてはならないってそれどんな管理社会よ。世の中総ミクシィ化ですか?
で、少女が自分の身体を傷つけたとしたら、『罵倒コメントを「ネタ」で書き込んでた連中』は
「いやいやあんなのネタに決まってるだろ。まさか本気にしてないよね? ははは。」で済ます奴もいるだろうし、
「え・・・嘘だよね・・・本当にスマンカッタorz」となる奴もいるだろう。
世の中いろんな奴がいるからね。ただそんだけの話でしょう。
俺、何かハイテンションで罵られるようなこと言った?
例えば、不謹慎極まりない仮定を言うが、例のニコ動の韓国アニソン少女が罵倒コメントの数々に耐え切れず自分の身体を傷つけるようなことをしたとしよう。仮にそうなった場合、罵倒コメントを「ネタ」で書き込んでた連中はどう責任取るんだろうね、という話。もちろん、これは短期的な話であって、自分らが積極的に作ってる「空気」が長期的に与える影響についての責任、という話でもある。
http://anond.hatelabo.jp/20071106062604
ああ、そうなのか。それならいいんだ。
ttp://takoashi.air-nifty.com/diary/2007/09/post_2017.html
ここを読んでいて、ちょっと吐き出したくなったことがあるので書く。
まったく異なる経験だが、自分もテレビ出演で非常に嫌な思いをしたことがある。
ずいぶん前のことだが、知人Oさん(友達の恋人)経由でテレビ出演依頼がきた。
ある番組に、知り合い同士のグループで出演してほしいとの依頼で、自分を含め数名が声をかけられる。
その番組には、某人気タレントたち(いまでも冠番組を持っている人々)が出演していた。
自分以外のメンバーは「ナマで人気芸能人を見られる!」「テレビに出られる!」「お金ももらえる!」と
めちゃくちゃ舞い上がっていた。
Oさんの話を聞いただけでも、低俗で自分の親が見たら泣くような内容であることが判明したので、
みんな辞退するだろうと思ってた。報酬に飛びついたメンバーもいたけど、わずか数千円だし、
そのために嫌な思いをしてまでやる必要のないことだと考えていた。
しかし、「親には言わなければバレないだろう。それよりこんな貴重なチャンス逃したくない」
「お金をもらえる上に、テレビに出られるんだ!」と盛り上がっているメンバーに押され、
ひとまずテレビ局側の詳しい説明を受けることになった。
その後、よくよく考え、どうしても番組内容に納得できなかったため、テレビ局の人と会う前に自分だけ辞退しようとしたものの、
メンバーの猛反対に合った。
理由は、出演条件に人数変更はNGだったから。日程的にも内容的にも自分の代理人を立てるのが難しかったのだが、
かといって1人だけ抜けることは許されなかったらしい。
途方にくれて、グループ内で信頼できそうなメンバーに相談した。
しかし、そのメンバーから脅し(誰々が怒ってキレる、あいつなにするかわかんないよ、あんたのせいで全員テレビに出れなく
なったらどう責任とるのか…など)に近い説得をされて、ひとまず説明会だけ参加することに。
説明を聞いたときは、小田嶋さんが言われていた
・番組のコンセプトを聞いて、ちょっと尻込み。なんだか裁判仕立てのバラエティーみたいだし。そういうのに出るのってヨゴレじゃないのか、と、そう思ったから。
・最初の直感に従えば良かった。
にまさに当てはまる状況で。
嫌な予感はしてたんだ。
しかし、当時はグループ内での人間関係を壊したくない、仲間はずれにされたくない、嫌われたくない、いじめられたくない、
という思いが強くあった。いや、もともと、自分はそのグループ内で浮いているんじゃね?という雰囲気があり、その真実を
受け止めるのが怖かったんだ。
これ以上浮きたくなくて、「自分が1日我慢すれば良いんだ」と、出演を決めた。
撮影当日は気が気じゃなくて、ずっと吐き気がしていた。
みんなは「@@にサインもらえるかな??」なんてはしゃいでいた。
撮影が終わったあとは、みじめな気持ちと出演しなければよかったという気持ちだけが残った。
いよいよ放映日。当然のことだが撮影内容が編集されて放映されていたので、撮影時には見えなかった自分達の醜態が
テレビにはたくさん映っていた、らしい(自分ではこわくて見てない。周りから聞いた話で概要をつかんだ)。
その番組は、素人達が隠し撮りされているところを、みんなでこっそり盗み見て楽しむような内容だったので、
本当にいい恥さらしだった。
内容を見たメンバーたちは、「こんなはずじゃなかった」と激怒。
おまけに放映を見た周りの人々からは白い目で見られ、親にもばれ、そのとき通っていた学校にも出演内容が漏れ、
校内でうわさになり、学校を退学させられそうになった。
その後、メンバー全員からストレスを一気にぶつけられ、しばらくして自分が壊れた。
この出来事が、よくない人間関係をたちきるいいきっかけだったとは思う。
でも、精神的におかしくなって病院通いして、しばらくの間まともに人間関係を築けなくなるほど、深いダメージを受けたのは事実。
回避する方法はいくらでもあったと今では思うけど、浮きたくないと必死で、追い詰められていた頭ではまともな思考が
働くはずはなくて。あの頃を思い出すと本当につらい。
いじめから逃れられなかった人に対して、なんで誰かに相談しないんだとか、助けを求めないんだとか、やり返さないんだとか
言う人もいるけど、そんなことできるような状況じゃないんだって、その時はじめて知った……。
唯一救いだったのは、落ち込んでいる自分を励ましてくれた友人たちと、自分がストレスのはけ口になっていることに
だから今でも、その番組に出演していた芸能人たちを見ると、吐き気がする。
そんでもって、テレビには二度と出たくない(まあ、出るようなことはないだろうけど)。