はてなキーワード: 内心の自由とは
踏み絵の禁止は、憲法上、信教の自由(20条)ではなく思想良心の自由(19条)の問題です。ちなみに、内心の自由は絶対的な自由と解されています。
思想・良心の自由が不可侵であることの第二の意味は、国民がいかなる思想を抱いているかについて国家権力が露顕(disclosure)を強制することは許されないこと、すなわち、思想についての沈黙の自由が保証されることである。国家権力は、個人が内心において抱いている思想について、直接または間接に、訊ねることも許されないのである。したがって、たとえば、江戸時代のキリスト教徒の弾圧の際に行われた「踏絵」、あるいは、天皇制の支持・不支持について強制的に行われるアンケート調査など、個人の内心を推知しようとすることは、認められない。
本条(引用者注:憲法19条)が,外界の行動や表現に現れない内心の自由を保障しているにとどまるのであれば,それは,本来,法の及びえない領域であって,サブリミナル(閾下)広告によって人々の行動を操作しようとするような例外的な状況を除くと,本条の保障する自由への侵害が直接に問題となる場面は,それほど多くはないとも考えられる。
本条への違反が独立に問題となりうる場面としては,①思想や信条の告白を強制する場合と,②特定の思想や信条を有することを理由に不利益を課す場合とが考えられる。
ちなみに、芦部142頁によれば思想・良心の自由の保障をあえて明文で規定するのは比較法的に珍しいようです。長谷部194頁によれば歴史的には宗教改革により対立する宗派の共存の必要から信教の自由が近代立憲主義が保障する権利の中核的地位を占めたのだそうですが、わが国では、明治憲法下において、治安維持法の運用に見られるように、特定の思想を反国家的なものとして弾圧するという、内心の自由そのものが侵害される事例が少なくなかった
(芦部143頁)ことから、思想・良心の自由を特に明文で保障する必要が意識されたのでしょう。
受動痴漢だからです。あ・え・て・電車で寄り掛かられるままにして一方的に性的興奮を高ぶらせる邪悪さを、どうして理解できないの? 感覚がマヒしてるよ。
女にも非があるだろ、というのなら。
疲れきって眠り寄り掛かってしまった女性の落ち度と、悪意を持って意識のない一般女性と許可もなしに気が済むまで触れ合うに任せてる、あなたの責任はまったく別だと言っておきます。
感触を楽しむのは内心の自由? 心のなかでどう思うかなんて知った事じゃあない。
男にとってはエロ体験の思い出でも女性にとってはトラウマだ。女の立場になってみれば解ると思うけど、そういうのってふとしたときに突然フラッシュバックして自己嫌悪にさい悩まされるんですよ。それが晩御飯を食べてるときなら、味なんて一瞬で消え失せる。
オマエは絶対普遍的正義の価値観なんてものがこの世に存在していると思ってるのか?
それヤバいよ
線引できないしちゃダメで、人類はそれで何度も失敗してきたから思想の自由、内心の自由があるんやで
どのような理由があれ「こういう考え方をしないといけない」と他人の内心を強要(洗脳)することから支配がはじまる。
(統一教会も似たようなもんなんじゃないの?詳しくないから知らんけど)
憲法がなぜ内心の自由(思想・良心の自由)を保障する必要があったのかを理解してない人に人権を語られるのは怖いというのが率直な感想。