はてなキーワード: パブロフの犬とは
http://anond.hatelabo.jp/20140531163031
「なぜパンツに興奮するのか」なのだが「それは合目的的だから」である。こう考えるに至った理由を以下に説明する。
同程度の魅力の男が2人いて、パンツに興奮する人は、具で興奮する人より、興奮機会が多く結果射精の機会=性交渉も多いと考えられる。
よって、パンツに興奮する人のほうが、受精に到達する可能性が高い。
他にも、ムードに興奮するとか、おっぱいに興奮するとか、何でもいいのだが。
何にせよ興奮によって最終ゴールに向かわせるモチベーションをセットをするようにできてて、興奮の手段は何でもいいが(現代社会的にはいろいろな価値判断があるだろうけど)、その機会は多いほうが良いと言える、と。
パブロフの犬を思い出してもらえればいいのだが。
期待をするだけでドーパミンが放出される(=脳が快感を感じている)ことがわかっている。
このケースで言えば、射精という快感ゴールを期待させるスイッチがパンツということだ。
某かの理由で、その人にとってパンツが期待スイッチになる(する)ことを学習したと思われる。
何を興奮スイッチにすれば、より多くの受精機会を得られるか。
過去成功していたスイッチが現時点で有効かどうかはわからない。
具で興奮してた男は氷河期の到来で興奮しなくなったかもしれない。
革の洋服に興奮する素質を持つ男や、火に興奮する素質を持つ男を創りだすくらいの遺伝子エラーがあったほうが良い。
パンチラでは無く、布パンツに興奮する素質を持つ男もそうかもしれん。
将来介護状態になって、着衣のまま洗髪とかされても全力で排尿するようになるらしいからそれが嫌なら今なんとしてでも留めた方がいいぞ。
いい機会だから断ることを学びましょう。
あと、旦那はあなたとの相性でダメ人間の回路が花開いてしまっているから、別れた方が賢明かもしれません。
もしくはあなた自身が変わって関わり方を変えて、新しい関係を作るしかありません。ただ時間がかなりかかるので根気が必要です。
まず断ることができない、ことについては根底に断ったら嫌われるかもしれない、という恐怖と不安が支配していることは間違いありません。
それを克服していくしかないでしょう。
頼まれたとしても、断ったって良い訳です。あなたから相手との関係を断絶するという、圧力をかけることも本当はできます。
そうやって人との適度な距離を保たないといけません。
あなたが苦手なタイプはごねて、断れないことをいいことに居直るという、そういうのが上手いです。
実際断られれば相手も困るわけですが、そういうときに前述したようなあなたの恐怖と不安が、その抑止力を使えなくしてしまうのです。
そこをつけ込まれ相手は暴れてわめいて人を操ってくるわけです。意識するわけでなく、そのタイプは無意識で行ってきます。
旦那はその素養が元からあったか、開花したか、もしかしたら旦那は次男なんじゃないですかね。
そういう人は甘えることで人を操れることを知っていたりするので、面倒見が良すぎるあなたとは、よくも悪くも相性が良いんですよね。
そしてあなたはあなたで頼られることで、人と人との関係を構築するタイプなので「楽」なんですね。それで付き合ってしまう。
でもそれが行き過ぎると旦那のように極限までダメになるし、あなたはギリギリまで要求をのみ続けて、最後は爆発するしかないのです。
あなたが克服しなければいけないのは、断ったら嫌われるかもといった、そういう不安感とか恐怖なんですね。
実際に起こっていることや価値に関係なく、その感情は、まさにパブロフの犬的にわき上がります。
逆に正常というとおかしいのですが、普通に人との関係を保てる人は、そういうときにそんな恐怖などに襲われることなく、普通に断って、ある一定の距離をとって人との関係を築くわけなんですね。
じゃあその恐怖とどう対抗するのか?と言うのがあるのですが、イメージレーニングや瞑想なんかがい良いのかなと思います。
どういう環境に置かれても、ある一定の落ち着いた気持ち、感情に回復できるようなトレーニングをしておけば、
頼まれたときに、断るという選択を、恐怖や不安などの感情にとらわれずに判断することができるようになるかと思います。
というわけで、頑張って下さい。
あと、断ろうと何しようと、ちゃんとあなたのことを大切にしてくれるように関係を築いてくれる人も間違いなくいますので、
旦那さんのような人ばかりじゃないと言うことを忘れないで下さい。
僕が小学生だった頃は、友達とファミコンの話ばかりして、友達の家でファミコンをするのが楽しかった。
ちょっと風変わりなテクニックから、裏技バグ技まで、ほとんどは口伝えだった。
攻略本というのはたいていは高価だったし、旬から一歩遅れて発売されてた。
ソーシャル機能なんかなくたって、友達とつながる快感があった。
そこには確かに、ソーシャルネットワークがあった。
攻略本が、僕のソーシャルネットワークを殺した。
あるいは僕のように、ゲームに没頭すれば、誰かに繋がれるような錯覚を信じて、コントローラを握るパブロフの犬が残った。
条件反射が解けちゃったんだな。
単純にパブロフの犬状態になってるだけじゃね?
匂いをかぐ→欲情する じゃなくて
欲情する→匂いをかぐ→欲情した時の匂いだと覚える→そのうち匂いだけで欲情するようになる
夜寝る前に、あれだけ濃厚なセックスをしたのに
朝オレがまだ目が覚めてないうちに触ってきて舐めてきて
準備が出来たら「ちょっとだけ入れてみていい?」みたいな事が
こういう時の女の子の気持ちがちょっとわからない。
2回も連続でこういう事があったので、なんかいろいろ考えてしまった。
物足りなかったのかな…とか。
オレは、セックスに関しては結構いろいろ考える方で
どうすれば喜ばせてあげれるだろう、気持よくしてあげれるだろうと
気絶する程の、セックスまでは全然到達してないないけど
(そもそも、そんな気絶するくらいってのが女の子にとっていいものなのかよくわかってない。)
とんでもなく下手でもないとは思う。思いたい…。
セックスは、人それぞれ違うことを理解して、相手の事をよく観察し理解し
全て包みこんであげる、受け止めてあげる、認めてあげる
なんというか相手に対する思いやりが一番大切だと思う。
その為の障壁をとりはらってあげる、お手伝いみたいな側面がある。
ま、その為の物理的なテクニックなんかは足りていないのかもしれない…。
セックスに纏わるこういった話しって
考えれば考えるほど、相手の為とか言ってるけど、結局自分のエゴでそうしてるようにも思えてくる。
セックスがうまい自分というものに酔いたいだけなんじゃないのとか。
なんだかんだ言って、射精したいだけだろみたいな事も思う。
でも最中は、純粋に相手が喜んでくれる事が嬉しくて嬉しくて、もう射精とか二の次。
頭は真っ白(でも後から振り返ると、かなり高速に色々深く考えてる事に気がつくw)。
もう溢れるぐらい相手に喜んで欲しいという、ただその純粋な気持ちで一杯になる。それを真理だと思い確信する(最中はね)。
女の子にしても、多少の演技はあるだろうけど、それすらも愛しく思えてくる。
早くイッて欲しいからって類の演技でもなさそうで、
そうなると、なんかこいつかわいいな〜となってギュッとしたくなる。で、相手はさらに感じる。
それはもう演技じゃなくて、パブロフの犬的なものとして条件付けられていて
どこからが演技でそうじゃないかという境は意味が無いのかもしれない。
こうして書いてみると、なんとなく独りよがりのセックスにも見えるね。
相手が単純にセックスを楽しむだけならいいのだけど、それ以上を求めているのに、わかってて見ようとしない。
相手の不充足感ってのは、言葉にすると恥ずかしいが、純粋な愛みたいなものかもしれない。
セックス中は愛みたいなものを感じられるから、また求めて来るんだろうか…。
今回の風邪はやたら長引いてしまい、8月のお盆の頃から続いていたのだが、つい先ほど完治し、
そして今回も鼻血が出たのであった。
いつもそうなんだけど自分の鼻血はエラーから回復したときに出るらしい。
これに気づいたのは中学生くらいの頃だと思う。
しかも、障害の規模に応じて量が多いのである。
つまり自分の鼻血はそれ以来10年間以上、復旧報告の役割を担っていることが分かる。
ニキビとかシコリとかいう、アラートのような役割が人体にあるのは分かる。
復旧報告の役割が体の中にある、というのはあまり聞いたことがない。
痛みが引いたとか、体がなんとなく軽くなったとか、なんとなくキビキビ動けるとか、
そういった体感から「なんとなく回復した」という確認をするのが普通だろう。
鼻血が出ないと完治した感じがしないのではないか、ということだ。
鼻血が出るまでの間、自分の体は完治したと受け付けないのではないかと仮定できる。
そこで、鼻血が出る前に、試しにキビキビ動くふりをしてみた。
すごい辛かった。
その辺りの是非を語るつもりはないし
語ることが出来るほどの知識も経験も無いわけだが
昨日、それに関連して面白い出来事があった。
Aさんは小学校から英語を教え(代わりに算数と理科と国語の時間を削る)
大学に入学するまでにはネイティヴスピーカーと英語で会話できる
というレベルまで国が指導するよう教育改革するべきだ! という意見の持ち主。
このAさんと、昨日食事をする機会がありレストランに足を運んだのだが
比較的若いバイトのウェイターが注文を復唱した際、
「以上でよろしかったでしょうか?」
という、聞く人が聞けばパブロフの犬の如く"噛み付く"言葉を口にしてしまったのだ。
Aさんはウェイターが下がった後に、案の定言葉の乱れについて嘆いていたわけだが
そんなことはこの際どうでもよく、この「以上でよろしかったでしょうか?」
という言い回しは案外興味深いと思う。
「以上でよろしかったでしょうか?」
という言葉に違和感を感じる人は、"かった"という部分に反応して
「よろしいでしょうか」に訂正してほしいと感じることが多いようだ。
だが、"かった"という過去形を持ち出すのは、英語の感覚から考えると結構自然な発想で、
過去形という時制をして、現在のことであっても相手との距離感等をかもし出す事で
丁寧婉曲の表現として提示することが出来る。
現代では、どんどんと英語圏の文化が日常に取り入れられているし
そういうものに敏感な若い人達ならば無意識的に敬語表現の一環として
「よろしかったでしょうか」と口に出してしまうのは必然的なことじゃないかと思ったりした。
そう考えてみると他にもいろいろと思い当たる節があって
「私的には~」→「I guess」
「ていうか」→「or(should I say )」
みたいに、若者言葉というのは英語の感覚を反映していることが多いように感じる。
恐らく今以上に日本語は乱れていくと思う。
苦しさのあとにこそ楽しさがあるって感覚を複数回体験すれば、パブロフの犬状態で苦しさが現れるだけで楽しさの予感でいっぱいになるんじゃね?
なるほど、その発想は完全にありませんでした。参考になります。感謝っす。
苦しさのあとにこそ楽しさがあるって感覚を複数回体験すれば、パブロフの犬状態で苦しさが現れるだけで楽しさの予感でいっぱいになるんじゃね?
料理とか、他のものでも出来上がりのものを手に入れるんじゃなく自分で作る人が多いのは、作ってる最中は面倒だし苦しいけどそのあとに来る快楽が出来上がりのものを手に入れるより大きい(と、その人が感じる)から、その面倒さ自体が楽しさに変換されちゃうのかも知れないし。
作りかけのジグソーパズルを他人が勝手にやっちゃったら怒るじゃん? でも「絵を見たい」という欲求だけならジグソーパズルでなくて普通の絵を見ればいいわけだし。そこはやっぱり作りたいわけで。でも出来上がりの絵を見る目的もある。
プラモデルなんかも出来上がりのを売らないでキット販売なのは、自分で作ると出来上がりを見る楽しみも倍増するからじゃないかな?