はてなキーワード: ゼットンとは
テレビ見だす前の描写ですでにゼットンの名前が出ているのが気になった。
ってことはこういう会話があったはずだ
父「ゼットンつよいもんねー」
子「そうなの? どれくらいつよいの」
父「そりゃあお前、ウルトラマンに勝つくらいだよ」
子「ええーーっ!」
……うん。するわ。この流れはネタバレする。仮にネタバレ避けるとしたら「どうかな? 見てればわかるよ」とか言うんだろ。4歳児にそんなもったいぶりかたしたら、ゼットンやウルトラマンに対する興味を失うと思う。父の言い訳が、ゼットンは常識だから言ってもかまわない、になるのもそりゃそうだ感ある(言い訳だとは思うが)。これは4歳児がゼットンの話をしたからの対応であって、流石のダンナさんも、貴方が読んでる東野圭吾の犯人をバラしたりはしない。ポートピアも例えがわるいよ。犯人がヤスなのは知ってるけど、なんでヤスなのか、ポートピアがどういうゲームなのか知りたいだろ。バラモス死ぬのが判っててもドラクエをやるように。
4歳の息子がウルトラマンにはまってきた。
お友達の影響でフィギュアでの戦いごっこから始まり、ウルトラマン本を読んだり。
夏休みに帰省した時のお祭りでは中古のフィギュアや本が売ってたので買ってあげると喜んだ。
それを持って歩いてると私の同級生(もうおっさん)達は「お!セブンか。かっこいいねー」とか「ゼットン強いもんなー」とか声をかけてくれた。
バルタン星人くらいしか知識がない私(母親です)にとって、やっぱり男子はウルトラマンを皆見てたのだなあと感心したものだった。
帰ってきてからそろそろテレビも見せてあげようかと、Netflixにあったジードを適当に見せてみた。
けど、やっぱ古典からだよなあと初代ウルトラマンも見せるようにした。
そんなある日、息子が「最後にゼットン勝つんだよね。」と言い出した。
「え?なんで知ってるの?」(私はwikipediaで予習してた)
「パパが教えてくれたよ」
憤懣やるかたない私は夫に詰め寄った。
私「じゃあ、あなたはポートピアをやり始めた時にヤスって教えられてもポートピアやるわけ?」
常識だから言っても構わない。自分はネタバレされても構わない。と主張する夫。
「なんなら同級生とかにも聞いてみろ」とまで言われたので増田で聞いてみることにしました。
そんな暴挙が許されるわけない。助けてブックマーカーの皆さん!夫を断罪してほしい!
余談
初代ウルトラマンは相当怖いらしく、小学生の娘が半べそかきながらガチで「消してー消してー」と頼んでくる時があります。
息子も大人と一緒じゃないと見なくなりました。
ジードとかNetflixにあるような新しいウルトラマンだと全然大丈夫なのだけど。
そんなわけでゼットンが出てくるまでは程遠く、たどり着けるかどうか見込めない状況です。
【追記】
追記したいのは"ネタバレの相手が子ども"ってこと。妻である私ではない。
子どもは今後、ガンダムだって見るだろうしドラゴンボール・エヴァンゲリオン・仮面ライダーなど・・・
興味がある方面の古典を与えるのは親の仕事ってもんだろう。(ここまでは夫にも異論はないはず)
でも、それぞれのコンテンツに対してネタバレ無しにしたいってのは親の共通認識として話し合う必要があると思うんだ。
ほんじつはおひがらもよく、真昼の多治見市中心部では牛車の温度計が38℃を示しましたわばがにっ!!
海なし県は空だけなので半分、青いですわ。プッシュしすぎですわ。
瑞浪市化石博物館で開催されている「ホロタイプこれくしょん」展を見て参りましたわ。
その種の基準となる標本のことらしいですわ。
ホロタイプのファンネルとして、いくつか指定できる「パラタイプ」もあるそうですわ。
かなり多いそうで、貝類から甲殻類、ほ乳類までそろっていますの。
日本で記載されただけに学名に日本人の名前が入っている種が多くて、
タナベイやワタナベイには笑ってしまいました。
極めつけは「アルカエア・コバヤシノブアキイ」でフルネームは欲張りすぎだと思いますわ。
岐阜県土岐市で見つかっても、トキエンシスと付けられていますわ。
各所で絶賛されてるけど、個人的にはナシでした。
場面が切り替わってはテロップ、画面が切り替わってはテロップ、正直に言えば、わかりやすいし面白いんだけど、なにか違う気がしました。
ニコ動ではなく、映画なのだから、映画は映像で魅せるべきなのに、文字情報に頼りすぎてるように思った、
ほぼほぼ、人間パートは会議のシーンと会議室までの移動シーンでしたが、テレビドラマというか、お笑い番組のなかのミニドラマのような感じを受けました。
そう強く思わせる映画でした。
もう1つ、気になったのは、ゴジラへの愛が薄いことです。
特撮が撮りたかっただけで、ゴジラが撮りたかったわけではなかったように思いました。
1番、熱を感じたのは、序盤の水棲生物型のゴジラがビルに抱きついてはなぎ倒すのを繰り返す街破壊シーンと、在来線型爆弾のところです。
ゴジラの熱線なんかは、とってつけたようなCGで、特撮シーンに比べると、「とっておき」感が薄かった。
ゴジラにとっての熱線は、派手さじゃなくて、もっと、もっと、特別なものだったので、派手だけど気に入らなかった。
新シリーズは、旧シリーズの否定なのだから、それは仕方ないことなのかなと思ったのですが、ゴジラ映画の思い出は、幼年期の思い出で、幼年期を否定されたような、寂しい気分になりました。
天災、破壊の化身であると同時に、裁きを与えるもの、神でした。
神に仇なすムートーは裁きを受け、核に頼ろうとする人間、銃に頼る人間もゴジラが裁く。
強く、雄大で、公正な、神の姿でした。
他方、シン・ゴジラでのゴジラは、自然災害ではあるものの、乗り越えるべき存在です。
とってつけたように、博士は核を憎んでたとか、ゴジラの世界を作ろうとしたけど、やっぱり別にゴジラでなくてもいい存在だった。
別にゴジラでなくとも、ゼットンでもよかったし、巨神兵でよエヴァでもよかった。
シン・ゴジラが面白いと思ってる人は、騙されてるだけだと思います。
お笑いにテロップをいれたら、その瞬間は視聴者を笑わせることが出来たとしても、笑いのポイントを解説しなかった時点で敗北でしょう?