はてなキーワード: ノーベルとは
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140402-00000033-asahi-soci
これさ、ホント面汚しも良いとこ。ノーベル賞はくれ、と言って貰うものではない。
委員会が最初無視したのは当然だし、その後、署名を集めた際に返信があったのは、
「国会議員や大学教授、平和研究所所長、過去の受賞者らが推薦できる。だからあんたがいくら
署名を集めようと意味が無い。変なことしないでください、ノーベル賞の名が落ちます。」
という意味だろう。
そもそも、大学教授とかならだれでもノーベル賞を推薦できるわけではない。
毎年、極秘に指名された推薦者が候補を上げる。
推薦者や誰がどう推薦されたかなんかはノーベルの遺言により極秘とされる(50年は公表しない、という決まりがある)
この恥知らずがそんなことを知らないのは仕方ないが、
それ以上に、学問の分野に居る大学教員とかまでこの意見に賛同して署名とかして
外食するとき僕が最も恐れている事、それはそのお店が混んでて入れないとか初めて行ったお店が残飯レベルに不味いものを出してきてしまったとかではなく、自分の真横にクチャラーが座らないかどうかだ。
店の味なら食べログでも見ればいい。混み具合も食べログなり口コミなどで知れるだろう。ただ、自分の行ったタイミングで隣にどんな奴が座るかどうかは天下の食べログだろうとさすがに分かり得ない。
完全に運まかせだ。
食べる事が嫌いというやつはそう多くないだろう。僕だってそうだ。食べることは好きだ。その至福の時間をどこの馬の骨かも分からないようなマナーのなってない輩に台無しにされるわけである。本当に最悪だ。ぜひともノーベルぶっ殺したいで賞を授与してやりたい。
今日も新宿ナンバーワン人気のラーメン屋に数十分並んでやっとの事で美味そうなつけ麺とご対面したところで、隣のハゲ散らかした中年のおっさんにその至福の時間を邪魔された。なんで金払ってこんだけ長い時間待ったのに、一刻も早く店を出たいなんて気分になってしまうんだろうか。意味がわからない。これだからハゲはダメなんだ。クソが。何でそんなに咀嚼の回数多いんだよ。そんで何でそんなに食うの遅いんだよ。なんで一噛み一噛み几帳面に音を立てるんだ。死ね。ハゲ。
イライラしながら脅威のスピードで麺をかっこみ、味の評価もままならぬまま足早に店を出る。さあ、今日のノーベルぶっ殺したいで賞授与式会場は将門の首塚あたりにしようかしら?と思いながらターゲットのハゲの顔を思い出す。うーん、殺してくださいとでも言わんばかりの憎たらしいあの顔立ち。というかなんでクチャラーってハゲ率というか中年のおっさん率があんなに高いんだろう。これまでに出会ったクチャラーどもの顔を思い出す。どいつもこいつも中年ハゲばかりだ。死ね。ハゲ。
ハゲ共の顔が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、さっき勢い良くかっこんだつけ麺を戻しそうになりながらも、その走馬灯の中にいつも見ている顔があるのにふと気づく。そうだ、そういえばこないだの会社の飲み会の時、先輩もクチャラーだったことが判明したんだった。
先輩はいつも厳しいことを言いながらも僕のことを助けてくれる。会社の中で一番たよりにしている人。ハゲてもいない。
今日の僕なら、人がくちゃくちゃ音を立て始めるのを聞いた途端に眉間にしわを寄せ相手を睨みながら小野田坂道顔負けのハイケイデンス貧乏揺すりをし始めるのに、その時はそんなことは一切なかった。あ、先輩クチャラーなんすね、と、それだけで終わっていたのを思い出した。
何故だろう?咄嗟に拒否反応を示すべきクチャラーが目の前にいたのにかかわらず、僕はいつもの反応を示さなかったのは。
考えてみたけど、僕が先輩に心を開いている。その1点しか理由が見つからなかった。
初対面のやつに馴れ馴れしく肩組まれて話しかけられたりしたら、誰だってムッとしたり物理的に距離をおくなどのそれなりの警戒反応をするだろう。
それと同じで見知らぬハゲが隣で不快な音を出しはじめたら僕は不快感を表す。けど、それが見知らぬハゲでなく見知った頼れる人間であれば許容が出来る。
親しき中にも礼儀あり、確かにどれだけ僕が彼に心を開いていて、また彼も僕に対してプラスの感情を持っていたとしても超えてはいけない一線だってある。
しかし、僕の中で「咀嚼時に音を立てる」行為はその一線を超えていなかったようだ。
僕の中ではどうやら音を立てるというのは僕自身の精神的なテリトリーに踏み込むという行為に等しいらしいということが色々考えているうちに分かった。
満員電車の中で隣にいる奴がイヤホンから音漏れしてるとイヤホンをぶっこぬいて耳を引きちぎってやりたくなる衝動に駆られるが、会社で隣の席に座ってる同僚がイヤホンから音を漏らしていても特に気に留めない。
昔住んでいたアパートは壁が薄く、日中に隣からぼそぼそと声にならない声が聞こえてくると、無性に腹が立ってAVやお経を大音量でかけて謎の仕返しをしたりなんかしていたが、今思い出せば実家もそんな感じで声にならない声は聞こえていたはずなのに、気にならなかった。
自分と相手との精神的な距離感によって、僕の騒音許容量は増減する。音の大小だけでなくその性質も加味されるのであろう。
早慶で登録しておくと、当たり前のように全部の会社の説明会やセミナーを受けることが出来るが、
それは何故か。
のど飴が有名過ぎるある製菓会社の説明会では、早慶マーチ以外は説明会の予約すら行えないようになっている。
製菓会社ではこの傾向が強すぎるってだけだ。
例えば森永、明治、グリコ、ロッテは特定の大学しか採らない事で有名だ。
ただ何も食品会社に限った事じゃない、ゲーム会社にだって存在する。
大手の任天堂やカプコンのように京大しか採らない会社だって普通にある。
ESは一応全員出せるが通過するにはそこが定める学歴の基準をクリアするのが条件だ。
ただし説明会には一応参加する事が可能なので食品会社ほどに露骨というわけではない。
リクナビ・マイナビでもし予約漏れしてしまっても特定の大学ではスカウトメールから参加する事が可能だが、他大学では到底無理だ。
会社説明会の通知メールが届いた直後から採用ページに予約ボタンが存在しないからだ。
別に三菱の事言ってるわけじゃない。住友だってそうだし、唯一三井位が他大学でも説明会と一次選考の受験が可能という意味では
三井はまだ学歴フィルターに賛同してる訳じゃないと見える。フリに違いないだろうが、事実採用校実績に大東亜帝国以下の学卒は存在していない。
少なからず三井にも学歴フィルターが存在しているのが見て取れる。
ところでリクナビマイナビでは表では「学歴なんて関係ない」というスタンスだが、企業によって明らかにボーダーラインが存在するし
それに対して協力さえしている。
本当に学歴でなく「人」で採用している会社なら、採用実績校に正確に「旧帝早慶マーチ以外の大学名がある」はずだ。
しかし、それがないという事は少なくとも「人」で採用をしていないということだ。
横だけど。
俺の指導教官は60だったけど頭のキレ半端なかったなあ。
ノーベル章候補になったことがあるような人。
あの人の30代はさらにぶっ飛んでたのかもしれないけど、30代が一番ってのは見聞狭いと思うわ。
前の→ttp://anond.hatelabo.jp/20091019171410
その前の→ttp://anond.hatelabo.jp/20090807120206
遂に3回目ドンパッフー
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政治→給付金 民 選挙 選 衆 党 解散 惨敗 麻 鳩 政 開催 決定 オリンピック オバマ ノーベル 大統領 new→蓮 小沢 仕分け 友愛 成人 疫
有名人&犯罪人→EXILE 草 なぎ ナギ 薙 剪 地デジ アナロ 鹿 熊 シンゴ シンゴ 法 のり ノリ
痛いニュース系→仮 日立 ダイヤ 誠意 痛いニ←new(とうとう記事紹介まで封じた)
new 痛く無いかも知れんがニュース系→捕鯨 シェパード JAL メダル 監督 トヨタ イルカ toyota 韓国 朝鮮 マグロ
iTunesのログ系→Playing: Listening なう♪ 今、
ついった内目障り→勝間 ヒヒー ばずらせ skype 規制 結婚 婚 リム 質の マジック new→バリ バリ やめて まかせろ 無断 禁止 誤報 ガール _bot バレン ドラマ
new ついった内TL埋め尽くし系→タラ サザエ Q&Aなう B! お題 度」 shindanmaker coming-out.sony.jp
new 汎用→勝利 母 ヨメ new
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えっ new自体が含まれてた・・・理由なんだったっけ
なんでも、"大勢の人が情報を持ち寄り、意見や議論を交わすことにより、ブラッシュアップされて新たな付加価値を持つ情報や言説が生まれること。"らしい。
しかし、そのような体験は、今までしたことがない。意見や議論によって間違いを指摘されたり、指摘したりすることはあるが、その結果として新たな付加価値を持つ情報や言説が生まれるということは、無い。
情報や言説は、個人の営為の中からしか生まれてこない。プログラムのコードは、概念設計やデザインを幾らしゃべっても、実際にコードを書く人間がいなければ、出来上がらない。車輪の再発明を避けられるというメリットならばあるが、それとても、情報の囲い込みや検索単語の不一致等により、結局再発明を行ってしまっている例の方が多い。
これらは、情報と媒体が不可分であった時代の法制度や常識や商売が、人々の行動を縛っている為とも言える。
携帯サイトやSNSや有料サイトといったクローズドな空間では、あたかも旧東側の百科事典においてエジソンもノーベルもソ連邦の人であるとされたように、あらゆるオリジナルが捏造可能となってしまう。
お金を払っていることから、ユーザーは、自分がお金を払って見ている情報がオリジナルで、それ以外の場所にあるのはパクリであると思い込むようになる。只で見れるモノに金を払っているという愚かさを認めたくない客の心理につけ込む商売となっているのである。
集合知を実現するには、情報や言説を生み出す個人の営為に対して、明確なインセンティブを与える必要があるし、それらの情報を、囲い込まずに、不特定多数に常に公開するという環境を維持する必要がある。情報を囲い込んで閲覧料を取る木戸商売のやり方では、情報を囲い込み、木戸で代価を徴収する側だけが儲かる。地面師や手配師や興行者や縄張りを仕切ってミカジメを取る連中だけが利益を上げるようになるのである。
私は、webにおける情報とお金のありうべき姿として、個別のコンテンツではなく、クリエーターの実在そのものに対して評価を下す責任ある批評主体を、企業の株主に任せる手段を提案している。クリエイターにとっては中間搾取なしで売り上げが立つと同時に、ダイレクトなスポンサーの意思が見えるようになるし、株主は、自らの価値観を表明でき、また、株主と企業の両方にとって、電子投票システムへの習熟やアカウント管理の手段として利用できる。企業にとっては、政治家や政党のwebページをミラーして対価を支払う事で、政治献金を、株主の承認を得た合法的な宣伝行為として行えるようになるというメリットもある。
さて、このアイディアは、集合知によって生まれたものであろうか?
女性だからどっか1すじだけに命をかける気迫がないのはよくわかる。
子供も産みたいし毎日美味しいご飯もたべたい、趣味(=技術)の話を出来る友達とも毎日会っていたい。
そういうのが幸せとX性染色体上の遺伝子にまで(おおかたの従順な女子学生には、
人生の半分以上を学校ですごすことによって)刷り込まれている。
幸せなお嫁さんになればいいんじゃない?
理系の博士に、修士に、国から一人いくらの補助金が出されているか。
あなたにとって趣味なら他のおなじような能力だけど自分にはこれしかないと思ってる人にゆずればいいじゃない。
能力があるのと意欲(つか食い詰めモチベーション)があるのでは意欲があるほうが絶対いい。
公務員は比較的いいよ。I種は転勤前提だし、特許の審査官がみている技術は全部かならず3年遅れ(審査請求制度)だししかも会社とおなじく配属は人手が足りないトコだから専門とかならずくいちがうし、下手に昇進すると家族毎または単身でアフリカだのフィリピンだの送り(出向:1-3年しないともどってこれない)だし、
それでも、ただ働きしてくれるから大事にされてる(ことにもきづかない)博士にしがみつくよりいいね。
あなたが一番望みそうなのは、彼氏のいる地方の技官。転勤は県内のみ、出向なし。
そうやって女性は過剰適応ですぐつぶしが利く方、利く方にすすんでしまう。
たしかに家庭も仕事も充実させられている人はいきいきして見える人もおおい。
いつまでも飼い殺しされて、人事院勧告がまた下がった、旦那の給料も上がらない、と
数少ないけどそれでもいないよりはマシな同僚と愚痴り会うのが、あなたの幸せだと思う。
くさしてるとかじゃなくて、マジでそうおもう。
これで発憤してどこまで自分を捨てられるかがあなたのアカデミックポスト到達度を示してるとおもえばいい。
ノーベルとか無理。オバアサンになってからしかもらえないよ。業績がひととおりでて、トップ論文100報
教科書15冊くらい書いて、だれもがみとめてそれでももらえないまま死ぬチームメイトがいてから、
ようやく生き残りのじいさんがもらえたりしてるんだから。それうれしい? もうキュリーの時代じゃないよ。
昔、10歳ぐらいまでか、自分は天才だと思っていた。結果として勘違いもいいところだったのだが、当時は僕のアイデンティティーであった。ろくに勉強しなくてもテストで点が取れるし、誰よりも手先が器用だった。やろうと思えばなんでも出来た。他人より自分が優れていることが嬉しくて、他人がやっていることを真似して、それを本人の前で超えてやろうと息巻いたりしていた。覚えている限り、僕はそれを容易に達成していた気がする。よく言えば向上心豊かな子だったのだが、その原動力は薄汚れていて俗悪だった。
僕は周囲に馴染めなかった。その理由を自分の家庭環境に求めた。確かに僕の家庭環境は異常であり、なにやらわからぬ妙な宗教団体に入り浸っていたり、両親はほとんど家におらず孤独にすごしていたりした。母は病気で入院していて、親父は仕事に忙殺されていた。親父と祖父は宗教の問題で揉めていた。僕は対象年齢が高いテレビゲームばかりしていた。ゲームがなによりの友人だった。
偉人の本が好きだった。アインシュタインやノーベルが好きだった。
彼らは世間で言う気狂いであり、「普通」とはかけ離れたが故に天才だった。
学校で周囲から聞かされる、普通の家庭像にそれなりに憧れた。それと同時に、自分の狂気に陶酔した。「普通の人生」の欠損が僕を捩じ曲げ、それが狂気を生み、その狂気故に自分の才能を裏付けているのだと思った。おまえたちと僕は根本的に違う。だから僕の有能さはこれからも揺るがない事実だ、と。
この愚かな少年は、幼少時は母親にひたすら甘やかされて育ち、一人っ子であり、世間との距離の取り方はわからなかった。狂人だから理解出来ないでいて当然だとも思っていた。
時間は残酷で、歳を経るごとに世界は広がり、優秀なつもりの自分が崩されていく。
全てがそれなりに狂っていて、その全てが許容範囲の中にあり、誰かと同じように狂っていた。
そして、どこまでも平凡だった。
狂気が才能を担保するのではない。狂気に耐え続けた人が、結果としてある種の才能を有することはある。が、僕はどこまでも凡俗だった。憧れたのは、才能ではなく形だけの狂気だった。
題は結構マジかも。元記事の意図はさっぱりだから、記事から論文を復元してみるテスト。
「囚人のジレンマ」ゲームとは、協力と裏切りという選択肢があり、裏切ったときに得る報酬>協力をしたときに得られる報酬>両方とも裏切り合ったときの報酬>裏切られたときの報酬となるように設計された環境において、人々はどういった行動をするのかを調べるゲームである。
これまで「囚人のジレンマ」系研究によって以下のことが知られている。
最後の研究が、評判が機能する環境において、裏切り戦略が一般に不利だという話に繋がっている。
http://www.swissinfo.org/jpn/front.html?siteSect=105&sid=10322161&cKey=1234439657000&ty=st
ここで検討されている戦略はどういったものだろうか?
まず、
に分けた。
ダニエル・ランキンは、
上記の2つのグループを混ぜ合わせ、25回の融和をさせてみた。その中から、1番少ないコストで最も利益を上げたサンプルを取り上げ、次の実験にも使い、負けたサンプルは取り除いた。このプロセスを2500回して結果を集計した。
その結果は「評判の悪い生体、つまりほかから助けを受けない生体は強く、評判が良い生体は淘汰される。最良の策は思いやりを持たないこと」
だとランキン氏は言う
皆様。理解できたでしょうか?
私なりに、記事中の彼のモデルを再構築すると
つまり(1)と(2)の違いは、協力を受けないかどうかではなく、(1)手違いがあっても「(次のゲームに)切り替えていく」グループ(2)一度でも裏切られたら「絶対に許さない。顔も見たくない」という態度のグループなわけ。
先行研究との違いは、エラー込みの評判利用型ゲームと言えばいいかな。
実は、先行研究の弱点でもあるのだけれど、この評判利用型繰り返しゲーム最大の問題点というのがあって、評判の利用できる範囲が設定されていないというのがそれ。全ての参加者が、前の対戦における行動を参照できるというのは、評判ではなく自己申告を利用しているに等しい。
というわけで、どうひっくりがえしても評判の悪い生体、つまりほかから助けを受けない生体は強く、評判が良い生体は淘汰される。最良の策は思いやりを持たないこと
にはなりません。
また記者の責任かはわからないが、どの戦略を残すのかについてかなり奇妙なことをしている。
研究結果が、道徳上なんらかの影響があってはならないとランキン氏は強調するが、経済界にとっては、ある種の影響を与えるものだ。研究中ランキン氏は、米イェール大学の金融学者ウィリアム・バイネッケ氏の研究書を参考にした。バイネッケ氏はインターネットの書籍オンラインショップ「アマゾン ( Amazon.com ) 」や「バーンズ・アンド・ノーベル ( Bernesandnoble.com ) 」の書評を分析し、評価の高い本より評価の低い本ほど、売り上げが多いことを発見した
アンチが沸く本はいい本という話を、行動選択の話に引きつけてくるなんてトンデモそのもの。
本文のとなりに微妙な解説記事が
ランキン氏の説明によると、例えば誰かを助けようと自分で決めたとして、誰もその人の行動を知らず、その人にとって見返りもないというのであれば、助けないのが最良であるという論理が成り立つという。
「一方で、誰かに見られていて自分の名声にかかわるとか、ほかの人全員がすることに自分の行動が左右されるとなれば、協力したほうがよいという判断が働く」
囚人のジレンマ型ではないの?対戦型なら少なくとも対戦相手には必ず、協力か裏切りかが伝わるんだけど。
評判の評価システムが狂ってるとしか思えないが。
http://anond.hatelabo.jp/20081213220509の補足を書かせて頂きます。
確かに、"普通"を多数派と定義するのであれば、私は"普通"ではないと思いますし、"異常"を少数派と定義するならば"異常者"だと思います。しかし、自分自身ではこの生活が充実していますし、効率よくすることでより満足のいく人生が過ごせると考えています。むしろ、変人扱いされることは私的には褒め言葉でもあります。ではなぜ増田で"私の1日の生活は異常だとバカにされた件"を書いたのか
まず、バカにされたのはこの友達だけではないと言う事。今までの人生の中で多数の人に卑下され続けました。私の周囲には共感してくれる人は親を含めていなかったこともあり、私はこの生活を他人には伏せてコミニケーションをしていました。そして、いざ仲良くなって私の生活を言ってみるとかなりの確率で"ヒカレマス"。そして、態度や発言も変わります。特に女性に関しては顕著に見られるので、合コンで言うのはご法度状態になったワケです。
話を戻しますと、そもそも、この日本が"普通"=良い みたいな風潮がダメなのです!!! 逆に言うと、"変人"や"異常者"を周囲で見下す目をするのがおかしいのです。脳科学者の茂木先生も言ってましたが、イギリスのケンブリッジ大学(ノーベル受賞者を数えられないくらい輩出してる名門校)で認めてもらうには、まず"変人"でないと相手にしてもらえず、もっと"変人"を尖らせていかなくては話にならないとおっしゃてます。つまり、"変人"=良い という風潮がこの大学にはあるのです。だから、日本も"普通"=良い という固定概念をなくさなければ、今後もっと数多くの優秀な人材を潰すことになるのと、"個性"を思う存分出せなくて悔いのある人生を過ごす人が出てくるのです。
何が言いたいかと申しますと、私のように時間を大切に使っている方々、周囲でバカにされたり変人扱いされる可能性があると思います。しかし、決して"変人"=悪い と思わないで、もっと変人としての原石を磨いて欲しいのです。つまり、"私の1日の生活は異常だとバカにされた件"を書いた本当の理由は、ライフハック中毒と揶揄される人たちに、同じ考えの人が沢山いるよと言いたかったこと、現実という壁に負けないで欲しいというメッセージを込めて書いた次第です。だから、この増田という不特定多数に見てもらえるコンテンツを通して、"普通"=良い という風潮に警鐘を鳴らすと共に、"変人"=良い が少しでも浸透すればと心から願います。
まなめはうす http://homepage1.nifty.com/maname/index.html#141327p3 「取り上げて下さりありがとうございます」
私の一日の方が異常だと思います。 http://anond.hatelabo.jp/20081214035203 「皆もどんどん自分の生活習慣(個性)を増田で公開していきましょう!」
オレの一日 http://anond.hatelabo.jp/20081214130337 「皆が増田やブログで生活習慣(個性)を書くことによって"普通"=良い が淘汰して行きます」
楽に生きる3つの方法 http://anond.hatelabo.jp/20081213101605 「実に良い考え方です。私とは正反対的ですが、全く問題なく素敵な人生です!」