なんでも、"大勢の人が情報を持ち寄り、意見や議論を交わすことにより、ブラッシュアップされて新たな付加価値を持つ情報や言説が生まれること。"らしい。
しかし、そのような体験は、今までしたことがない。意見や議論によって間違いを指摘されたり、指摘したりすることはあるが、その結果として新たな付加価値を持つ情報や言説が生まれるということは、無い。
情報や言説は、個人の営為の中からしか生まれてこない。プログラムのコードは、概念設計やデザインを幾らしゃべっても、実際にコードを書く人間がいなければ、出来上がらない。車輪の再発明を避けられるというメリットならばあるが、それとても、情報の囲い込みや検索単語の不一致等により、結局再発明を行ってしまっている例の方が多い。
これらは、情報と媒体が不可分であった時代の法制度や常識や商売が、人々の行動を縛っている為とも言える。
携帯サイトやSNSや有料サイトといったクローズドな空間では、あたかも旧東側の百科事典においてエジソンもノーベルもソ連邦の人であるとされたように、あらゆるオリジナルが捏造可能となってしまう。
お金を払っていることから、ユーザーは、自分がお金を払って見ている情報がオリジナルで、それ以外の場所にあるのはパクリであると思い込むようになる。只で見れるモノに金を払っているという愚かさを認めたくない客の心理につけ込む商売となっているのである。
集合知を実現するには、情報や言説を生み出す個人の営為に対して、明確なインセンティブを与える必要があるし、それらの情報を、囲い込まずに、不特定多数に常に公開するという環境を維持する必要がある。情報を囲い込んで閲覧料を取る木戸商売のやり方では、情報を囲い込み、木戸で代価を徴収する側だけが儲かる。地面師や手配師や興行者や縄張りを仕切ってミカジメを取る連中だけが利益を上げるようになるのである。
私は、webにおける情報とお金のありうべき姿として、個別のコンテンツではなく、クリエーターの実在そのものに対して評価を下す責任ある批評主体を、企業の株主に任せる手段を提案している。クリエイターにとっては中間搾取なしで売り上げが立つと同時に、ダイレクトなスポンサーの意思が見えるようになるし、株主は、自らの価値観を表明でき、また、株主と企業の両方にとって、電子投票システムへの習熟やアカウント管理の手段として利用できる。企業にとっては、政治家や政党のwebページをミラーして対価を支払う事で、政治献金を、株主の承認を得た合法的な宣伝行為として行えるようになるというメリットもある。
さて、このアイディアは、集合知によって生まれたものであろうか?