はてなキーワード: ツェッペリンとは
熱心なビーズ好きなら話し合うかもよ。
私は知らなかったけど、あなたが言うから聴いてみたよ。Led Zeppelinで良いのかな。違ったらごめんね。
何曲か聴いただけの私個人の勝手な感想を書くから、見たくなかったり嫌な気分になったなら読み飛ばしてね。
曲の中に遊び心があって情緒的で、だけど何処か哀愁が漂っていて、それなのに生き生きとしてる。
私の感想は支離滅裂で知ったかぶりで申し訳ないのだけれど、一言で言ってしまえば「なんか良いな」って私は思ったよ。
ツェッペリン好きな人に会うのは難しい気がする。自分と全く同じ好みの人に会うって滅多に無いよ。
だったら他の人が書いてるみたいに、考えの似てる人を探してツェッペリン好きにしてしまえばいいんだ。
案外、音楽に特別な関心がない部類の人達の中に、あなたが求めているようなツェッペリンにハマる人がいるかも知れない。
色んな人と話すしかないんじゃないかな。
自分の理想の人とめぐり合うことは非常に難しく、19年生きてきたが未だに理想の人と出会ったことがない。
そもそも私の理想の人とはどんな人だろうと考えたとき、条件がまるっきり自分に当てはまっていた。
私が最も人に求めているものとして、考え方が挙げられる。
自分で言うのもなんだが、私は自分自身の考え方がものすごく好きだ。
人間は一人一人違っていることを理解しているから異なる考え方を持っている人を許容できる。
人の考えを否定したり、人の好きなものを馬鹿にしたりしない。自分がそうされるとすごく不愉快になることを知っているから。自分がされて嫌なことはしない(ように心がけている)。
次に趣味だ。
私は70年代のハードロックが好きで、特にツェッペリンが一番好き。
同じ趣味の男なら腐るほどいるだろうと考えていたが、自称音楽詳しい男性も洋楽なんてビートルズ知ってりゃマシみたいなレベルばかり。
まあ、邦楽好きならそれはそれでいいんだろうけど、私はあまり邦楽が好きじゃないからそういう人とは合わない。せめてツェッペリンが分かる自称音楽好きと知り合いたい。
求める条件はこの二つなんだけど、これまでにそういう人と出会えていないということは、わがままな条件なんだろうか。
自分ができないことを求めている訳じゃないんだけどな。
あー、私が男だったらな。絶対付き合うのに。
恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。(青空文庫)
自分は東北の田舎に生れましたので、ドコモショップをはじめて見た時に
ウィルコムじゃない携帯電話屋さんがあることに衝撃を受けました。
抱き合わせでYahooのADSLが売られていない、そんな馬鹿な。
大人の階段だとばかり思っていたのです。大人の階段を登って降りたら、
登って下った先にはアナザーワールドがあるとばかり思っていました。
もしくは、天国への階段だと考えていたのです。
ツェッペリンの音楽はわたしを飛行船へと誘ってくれないのです。
ギターのサウンドは天国まで登る煙のように幻想でしかありませんでした。
ギターソロの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶんと気の利いた反復運動に思え、それは世の中ののトラヴィスの曲の中でもでも、最も気のきいたチューニングギターの扱い方だと思っていたのです。
のちにギターソロはただギタリストの為のオナニー行為でしかないと気づいて、、
にわかに興が覚めました。
一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、
といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、いやな子供だ」
と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。(青空文庫)
私は、その男の写真を三度、見たことがある。ガンジーでも三度見するレベルだったからね。
一回目は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、Facebookでタグつけされていて多分彼と推定される。
その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、一つ飛ばして、ドドリアさん!!(フリーザ山本)と想像される
グランド花月の舞台の袖に、荒いエビズジーンズをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、ピサの斜塔のように斜めっている
けれども、鈍い人たち(つまり、芸人などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、
といい加減なお世辞を言っても、まんざら空(から)お世辞に聞えないくらいの、謂(い)わば
ドドリア感もその笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、
前説の訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
毎回それなりに楽しんで視ている『けいおん!』について、気になる点をふたつほど。
■女の子の脚が太く、かたちが悪い。
率直にいえば、少々きもい。
けど彼女らの脚には、萌え顔との間で緊張感を生む妙なリアリティがあり、
結局、とても気になってしまうということは、
表現としての強度がそこにはあるのかなとも思います。
眼をそむけたくなるのだけど脳裏に焼き付くって感じで。
あの脚が「肉付きがよくていい」とか普通にいっている人も多いみたいだけど、
なにか過剰なものを感じます。
■ロックギターのイメージが古く、演奏されるフレーズが恥ずかい。
(ハルヒの"God Knows . . ."などもまあ同様だが、軽音部モノなので、非常に気になる)。
ジャズ研に関心を示していた中野梓が9話ではじめて演奏する際、
ジョー・パスのソロギターを延々とかましてくれるのではと密かに期待していました。
もちろんそんなアホな話はなく、蓋をあけたらツェッペリン。
実は相当に面白い状況なので、そのあたりについてもう少し突っ込んでもらいたい気もします。
音楽に関心ない人にとってはどうでもいい話なんだろうけど。
飛行石の原理を妄想する。
崩壊したあと上昇するというのが解せないし、飛行石の効果でゆっくり落下するというのもわからない。
いやそもそも反重力物質ってなんだ?
浮力とは本来そこにあるものを押しのけてどかした重量差分が浮力となる。
水にビート板が浮くのは同体積の水よりビート板の方が軽いからであり、
空中に風船が浮くのは同体積の空気より風船の中に含まれたヘリウムガスの方が軽いからである。
地球の空気は主に窒素、酸素、二酸化炭素で構成されており、その重さは1モルあたり29グラムと仮定される。
大してヘリウムは4グラムで風船のゴムの重さを入れても、ある程度の体積があれば中空に浮かぶことができる。
だが岩石がちがちに固められた天空の城を中空に浮かすほどの浮力を持てる物質が存在するだろうか?
ヘリウムより軽い物質は水素しかない。(水素で飛ぼうとするとレッドツェッペリン号になる。)
それでも24リットルで28グラム程度の浮力しか得られずとても飛行石程度の体積で確保できる浮力ではない。
やはり超低温伝導物質のような物質なのだろうか?
地磁気で飛んでいる?
いや、もっとシンプル。
飛行石は空間が圧縮されたものなのだよ。
実は飛行石は質量の無い空間を鍛えて鉱石にしたものであり、それだけの浮力を確保することができるんだ。
つまりドラえもんの四次元ポケットは同時に浮力も得ることができる。
僕はそう考えたんだ!