松本について、たけしだけじゃなく「記者会見して謝ればいい」という言説をよく見かけるが、あれは本当に被害女性(正確には被害を訴えている女性)を馬鹿にしている。
昭和脳のおじさんが「女はすぐ泣くから、うまくあしらわないとダメだぞ」とか訳知り顔で言ってるのと変わらない。とりあえず感情をどうにかすれば収まると思っているのだ。
一種のテクニックとして、それは正しいのかもしれない。「女は感情的にになるから、そこだけ宥めときゃいいんだよ」というやり方。
(実際、当事者でもないのに熱く騒いで「謝れ」と連呼してる人たちは、男女関係なくみんな過度に感情的に見える)
松本のやり方は違う。
被害を訴えている女性を、ちゃんと論理の通じる人間として扱っている。だから「裁判」というやり方に出たのだ。感情だけのバカだからとりあえず謝っておこう、とはしなかった。さらに言えば、吉本の力を使って声自体を封じ込めようともしなかったし、たけしのように暴力を使って言論を封殺しようとはしなかった(そんな行為に加担したそのまんま東が政治家をやっている恐ろしさよ)。
松本のとった方法は、おそらく愚かな選択だと思われるが、自分に主張があって、相手にも主張があることを認めた上で、裁判という場で戦おうというのは近代的な態度ではある。
外野から「とりあえず謝れ」と言ったり、たけしやその他の意見に同調している人間は、自分が被害女性を(知らず知らずのうちに)馬鹿にしていることに気づいたほうがいい。被害者を哀れみ弱者として扱うのはいいが、それが行きすぎて傲慢なクズに成り果てていないか。
いや、してるだろ
マンガ原作の世界観を最大限尊重してれば、あのミスマッチはあり得なかった。
wikipedia によると、アニメソングなので少女漫画のキャンディ♡キャンディのイメージで詞を書いたとか。プロデューサーはアニメを曲の宣伝としか考えていないと自認していた、とのこと。
そばかす以降、アニメと歌詞がマッチしてない主題歌が増えた感触がある。
①旅する
②友達と遊ぶ
両方一緒にやっても良いし、片方だけやっても良い。
おれは知らない場所へ旅するなら一人で行きたい。そのほうがそこでの体験に意識を集中できるから。誰かと一緒に行ったら、旅行中、意識の何割かはその誰かとのコミュニケーションに割くことになる。
外国に行ってまで日本人とつるんでばかりいるのはもったいないとも思う。その土地の人とのコミュニケーションも含め、日本ではできない体験を求めて外国に行くのだから。
友達と遊ぶのが主旨なら、その手段が旅である必要は必ずしもない。友達と遊ぶのが主旨で、その手段に敢えて旅を選ぶなら、
①その友人は本当に信頼のおける友人に絞る
②難度の高い旅は避ける
小2で初潮があった。それからくらいからおりものも発生してたと思うけど親にも学校でもおりものについての指導はなかったから正確なことは覚えていない。
家におりものシートなんて洒落たもんはなかった。おりものがあるとパンツが汚れた。ほぼ毎日汚れた。いつだったか洗濯に出す前にパンツは手で洗ってから出せと母親に言われた。小3くらいのころに一度だけそれをサボったら母親がすごく怒って、一つ上の兄貴がいる目の前で「パンツは洗ってから洗濯に出せって言っただろ」とこっぴどく叱られた。仲が悪く性格も最悪だった兄貴に「あいつは小3にもなってお漏らししてる」と学校で言いふらされた。お漏らしじゃないといっても何がパンツを汚すのか自分でも理解できてなかったし、強く反論できなかった。この話が母親にまで渡ったが母親はバカだったのでこの件をどう対処すればいいのかわからず兄貴を強く叱ったりしなかった。母親が大嫌いになった。
中学くらいになってから洗濯機の使い方を覚えて自分で洗濯するようになった。誰にも咎められなくなったので洗濯前にパンツをわざわざ手で洗うなんてことはしなくなった。パンツの黄ばみは確かに目立つようになったきがしないでもないけど、毎日毎日パンツを手洗いする労力と屈辱感(小3時の一連の出来事以来パンツを手で洗うことが嫌いでたまらなかった)とを天秤にかけたら気にならなかった。誰に見せるもんでもなし。そのまま10年近く経ってさっきおりものシートという存在を知った。