松本について、たけしだけじゃなく「記者会見して謝ればいい」という言説をよく見かけるが、あれは本当に被害女性(正確には被害を訴えている女性)を馬鹿にしている。
昭和脳のおじさんが「女はすぐ泣くから、うまくあしらわないとダメだぞ」とか訳知り顔で言ってるのと変わらない。とりあえず感情をどうにかすれば収まると思っているのだ。
一種のテクニックとして、それは正しいのかもしれない。「女は感情的にになるから、そこだけ宥めときゃいいんだよ」というやり方。
(実際、当事者でもないのに熱く騒いで「謝れ」と連呼してる人たちは、男女関係なくみんな過度に感情的に見える)
松本のやり方は違う。
被害を訴えている女性を、ちゃんと論理の通じる人間として扱っている。だから「裁判」というやり方に出たのだ。感情だけのバカだからとりあえず謝っておこう、とはしなかった。さらに言えば、吉本の力を使って声自体を封じ込めようともしなかったし、たけしのように暴力を使って言論を封殺しようとはしなかった(そんな行為に加担したそのまんま東が政治家をやっている恐ろしさよ)。
松本のとった方法は、おそらく愚かな選択だと思われるが、自分に主張があって、相手にも主張があることを認めた上で、裁判という場で戦おうというのは近代的な態度ではある。
外野から「とりあえず謝れ」と言ったり、たけしやその他の意見に同調している人間は、自分が被害女性を(知らず知らずのうちに)馬鹿にしていることに気づいたほうがいい。被害者を哀れみ弱者として扱うのはいいが、それが行きすぎて傲慢なクズに成り果てていないか。