少なくとも俺は、今あるショッピングセンターが夕方には閉まる品揃えの悪い商店街に置き換わったら、とても困る。
親にとってラクな環境なら親の機嫌も良くなりやすい(ちょっと買い物行くだけでも大量の人に気を使う環境じゃ疲弊していって機嫌は悪くなるよね人間だもの)
親が安心して子育てできて常に機嫌がいいのが幼少期の情緒安定には一番なんだよ
で、幼少期の情緒の安定って、たった10年とかの話じゃなくて大人になっても影響を受けるって言われてるよね色んな所で(この辺詳しくないから根拠が必要なら申し訳ないけどググって)
でも、都心の子育てにもいっぱいメリットがあるし都心のほうが親が楽しく子育てできると考えるなら都心で子育てすりゃいいと思う。
どこ情報かねえ。全く見当たらない。
タワマン住民って眺望と居住性とリセールバリューと子供をぶちこむSAPIXあたりにしか興味ない人間が多くて街としてはマジで死んでく感じがする。あとはパパ活女とかヤカラとか。
なんでも通りすがりにぶつかってくるおじさんのことを指すらしい。
へぇそんな悪質な人が居るんだなと思う反面、最近田舎から東京に引っ越してきた自分としては「それっておじさんだけなのか?」と思うところもある。
東京駅が常に混雑しているのは仕方がないとしても、歩いていてこちらに真っ直ぐ向かってきても一向に避けようとしない。
それはおじさんに限ったことじゃなくて、というかどちらかといえば若い女性に多い。
すれ違い様、明らかに避けないと肩がぶつかる。
そんな状況でも相手は一切身体を避けず、真っ直ぐに堂々と歩みを進めてくる。
こちらが寸でのところで身体を翻して避ければ、向こうは何事もなかったように前だけを見て歩き去っていく。
何だかこちらばかりが気を使って損をしている気になって、卑しくも悔しくて、そこで一度実験してみたんだ。
避けないと、どうなるかって。
するとぶつかった。簡単にぶつかった。当たり前のことだ。相手も避けなかったんだから。
肩がぶつかり、相手は”信じられない!”と言った具合に目を見開き、その場で数秒足を止めて私のことをにらみ付けてきた。
そのあと何事もなかったようにスマホに目を落とし、忙しなく指を瞬かせながら足早に去っていた。
このような投稿を俺は昨日の土曜に行っていて、ブクマが三つ付いていた。
当然だよな。
だって投稿していたのは夢の中で、俺は夢の中の投稿を思い出して、今ここでこうして実際に投稿しているわけで。
でも夢の中で俺は確かに現実に起こったことをそのまま記事にしていて、でも俺が夢で見たのは増田での投稿したこの記事のみだ。
俺は夢の中でブクマが付いたこの記事のことを見たはずで、この記事の内容自体は実際に体験したわけでもないのに(ただ単に投稿した記事のことだけを覚えているのだから)それでも俺はこの記事の内容を何故か”現実のこと”のように感じられるし、体験していないのに体験したことのあるような気がしている。
記事の中にある回想の思い出を追体験したような夢を見たわけでもないのに、俺はそれを夢でありながら現実のようにも感じてしまっている。
縞模様のワンピース。身長160センチほど。おそらく20代で、上白石萌音似の女性。
彼女は俺が避けないとぶつかってきて、信じられないといった大きな目を俺に対して向けてきた。
俺はそれを夢の中の記事を見ただけで実際には記憶にないはずだが、俺はそれを覚えている。
俺は疲れ過ぎているのかもしれない。
同僚に九州大学近くのインド料理屋のラップサンドが美味いと聞いた
トルティーヤを油で揚げたもので、キャベツとか人参とかをマヨネーズと香辛料を混ぜたもので合えたものと、チキンティッカみたいなのが巻いてあった
一口かぶりつくと、揚げパンのような小麦の香りの中から油がじゅわっと染み出てくる感じと野菜のしゃきしゃき感、そのまま噛み切れるチキンの柔らかさとマヨっぽいなじみ深い味と、後味にカレーっぽいスパイスを感じる
野菜部分の味付けと、チキンティッカのソース部分との味付けが異なるから噛む場所で味の濃さと香り、食感も違うのが楽しい
さすがにラップサンドだけじゃ腹いっぱいにならんだろうと思って、ビリヤニも買ったのだけど、ラップサンドが恵方巻みたいなサイズ感だったので両方食ったら満腹で動けなくなった
九州大学辺りは最近、蔦屋書店ができたり、外国人向け寮ができたりと、九大新町という地名にふさわしくだんだんと発展し、ただの田舎の田んぼだったところがここ数年で町になってきている
それでも一本道を外れると、田園風景が広がっていて、帰り道には小学生とその家族らしき人たちが田植え体験をしていた
ファミリーカーが道の端に並んで駐車していて、水面は空を映していて、泥の底に頼りなさげに稲苗が並んでいて、小さな裸足が平らな底をくぼませていき、畔の周りで大人が写真を撮っていた
からっ梅雨が続くけど、どうせ夏本番になれば台風の大雨とかで雨量の心配をしていたのをすぐに忘れるのかなと思って過ごした週末だった
そんなことを書いていたら、窓の外で雨が降り始めた
ディスクの空き容量が足りなくなったとか?
まず、トップクラスのアスリートは、自分がどんな格好で走りたいか?よりも、0.01秒でも速く走れる格好で走りたいと皆考えている。
女子のセパレートが登場したのは約20年前だけども、次々と採用する選手が増えて、今やデファクトスタンダードになってしまったのは、
男子のユニフォームもこの20年で形状はかなり変わっている。昔は、ダボっとした、いかにもなランニングシャツが大半だったのが、
今は、首回りを狭くして風がユニフォームの中に入らないようにし、肩回りを広くとって、動きの邪魔にならないような形状に進化したのだ。
都心と郊外の話になると「子育てをするようになると郊外の良さがわかる」と言われるのが定番だが、郊外って本当に子育てにいい環境なのか?
広い公園が近くにあるとか、道が広くてベビーカーで歩きやすいとか、イオンモールが子育て層に優しいとかいうのが大方の理由だけど、それって要するに「親にとって何かと楽」というだけのことなんじゃないか?
もちろんそれならそれでいいんだけど、「親にとって楽」という話を「子供にとって良い環境」とすり替えて話をする奴が多い気がするんだよ。仮に広い公園で走り回れることが子供にとって本当に良いことだとしても、公園で走り回る期間なんて10年もないしな。幼少期の大して記憶も残らない時期の本当かどうか分からない「良さ」が、子供にとって本当に必要なんだろうか?と思うわ。