アイの前にはエッチやで
愛されたい
海外在住経験のおかげで季節感を無視できるようになった思い出について
母が洋服が好きな人だった。私は料理に興味がないので洋服は母との数少ない共通の趣味だった。
母は季節感には厳しい人(この世代の方は基本そうだよね)で、3月なんだからもうこの素材は着ない、11月だから長袖といったルールを守る人だった。
私にもそのルールはしみついており、長い間そのルールを破ることに抵抗があった
一発目、南半球で生活したとき、季節逆。月と季節の感覚が掴めない。周りを見ながら洋服を選ぼうとするがそれぞれの服装がバッラバラ…。私困惑。
気温に合わせて好きな服着る。一人だし、それでいいと吹っ切る。でも厚手のマフラーは真冬にしか巻けなかった。
二発目、大陸が違う南半球生活。東海岸の湿気と気温で季節?それ何?おいしい?感覚に陥る。
緯度的には暖かいはずなのに、芯が冷える夏。庶民は初夏でも朝晩はダウンを着たりする。
服に関しての季節感ルール、完全突破。厚手のマフラーが夏の寒いときに効く生活実感。
三発目、アメリカでの生活。自由。The 自由。いついかなる時も彼らは自分がどう感じるかをメインに服装を選ぶ。
着飾ることが好きな人は艶やかに美しく、快適さを求める人は心地よさを。自分がどう感じるかで服を選ぶ。
薄着で厚手のマフラーを巻くファッション、すごく可愛いから好き。
日本のきちっとしたルールも今でも好き。この季節が始まるのだ!とぴりっとする感じに価値がある。
だからね、自分がいいなら真冬に裸足だっていいし、絶対にこの月にはこの服は着ない!と決めてもそれもいいのだと思いながら、この何を着ていいかわからん気温帯のこの季節を生き抜く。
個人的には、全体に砂糖入れずに加熱後になにか甘いソースやあんこみたいなの落として、甘くない牛乳粥with甘い味という食べ方のほうが好みである
食べ飽きるかどうかはこれから一袋食べてみて決めたい
ぼくも8時以降家にいるので強力金ください
昔、パチ屋で車によく置いてかれた
2002年ぐらいの時、小2の時に車で寝てたら気が付いたら置いてかれてた
冷房はついてたけど誰もいなくて最初はすぐ親が帰ってくると思ってた
よく分からないけど親は買い物に行ってるって信じてた
でも30分ぐらい経っても帰って来ない
だんだん不安になってきて、車から出たいけど出ていいのかわからなかった
出て探しに行って親が帰って来たらどうしようとか
親が待てなくて凄い怒ったらどうしようって考えたらなんかいなくちゃいけない気がした
1時間くらい待っても来なくて次第に怒りと悲しみが湧いてきた
不安で怖くて親に見捨てられたとか考え始めた
なんで自分を置いていったんだ!なんでここにいなきゃいけないんだ!早く帰ってきて!という感じに怒りと悲しみで車の中で1時間泣き叫んだ
親や世間の人に見捨てられた悲しい気持ちをグズグズ涙にしながら疲れて寝た
「ねてたの?」そう言われてなんとも言えない気持ちで何も言いたくなくて、でも親だから何か言い返さなきゃいけないから「うん、でもちょっと寂しかった」そう言って寝たフリをした
最初は何回か同じことを繰り返していたけどだんだん慣れてきて次第に「またか」となり諦めた
傷付いて胸に大きな穴があるような気持ちになりながら寝た
いつも家族揃って笑いながら楽しそうにご飯を食べている想像をした
もしパチ屋に行く人がいたら入る前に子供が車にいないか軽く確認してくれ
車で待ってるように見えるなら窓からコンコンって叩いてあげて話を聞いてあげて欲しい
見て見ぬふりをされて誰にも助けられない子供は将来誰を信じたらいいかわからなくなるし人はすぐ裏切るから信用出来ないってなる
ずっと孤独で寂しくて友達も信用出来ない人にならないようにできたら聞いてあげてくれ
どうかお願いします
解けない方程式を解こうとしていないなら、何も傷つかない。謝る相手が存在しないのに土下座させようと迫るのは、強要罪の構成要件を満たす。
お医者様がたが検査を嫌がるのは、診断・治療と関係ない検査で陽性になって(つまりその時点では偽陽性の可能性だってあるのに)
症状もないのに病院にきて「薬も出さないとはけしからん人〇し!」と言われたり
症状もないのに「検査しろ検査しないとは人命軽視だ人〇し!」といわれたり
症状もないのに入院という話になったりするのが嫌だからですか?
症状があって病院にきたのに