フォトショップを20年くらい前に「できるシリーズ」っていう本を買って数時間やったのだが、あれはホンマやっといたよかったと思っている。
もちろんデザインセンスはゼロなのだが、仕事でちょっとした画像加工などが必要になることはPC利用する仕事であれば絶対に発生する。
ネットニュースのコメントとかSNS以外の場で方言を使う人を見ると鬱陶しく感じる。しかもだいたい関西弁なのが謎。博多弁とか津軽弁とかいない。
自分は関西出身で、関西弁を話すけど、そういうところで見る関西弁は謎にコテコテで絶対リアルでは使わない表現ばっかりだったりする。老人ならともかく、若い人はそんなにコテコテじゃない(自分は20代前半)。テレビで芸人が使うようなビジネス関西弁のようなものを感じる。
どんだけ我が強いのかと思う。なのに匿名っていう。
何話すかなんて自由だけども、鬱陶しい。
さんざ言われてるんだろうけど、その程度の価値観の違いで離れていくやつは友達でもないし、無理して付き合っても疲れるだけだ。
ただし、その価値観の違いを押し付けるような、もしくは「やっぱり自分は理解されないのね!」と自分の殻に閉じこもるような反応をして友人をなくしたのなら、お前が悪い。
アマゾンで購入履歴でウンコチンコレベルの並べ替えをされたが(想像に任せる)、
機械的にやってると思ったら中の人に猿がいるんだなということがわかって面白かった記憶がある
もう10年くらい前だけど
無糖→微糖→??
書類で落とせやって切れてるんだけど、会いもしないで人間性がわかったら苦労しないんだよね。
それでも使えそうな人材かもしれないしって時間を割いてるわけだよ。
それをろくに仕事もできないようなニート風情が来てやったんだよとキレてるのっておかしいんだよなって。
有能だったら面接通るんだよね。通らない時点で企業からすればウチには要らない存在ってなる。
社会学者全体へ向けられた批判が不適切なものだった事を確認するために、あなた達を擁護する為に、
ずっと見ています。
エビデンス無しに主張したり表現の規制や撤回を求めたりしない事、曖昧な概念を定義せずに議論を進めたりしない事、
炎上を捏造しない事、査読や再現実験、引用等の専門知識を持った第三者による検証を尊重し重要さを認識している事、議論の有意義性と規制要求や表現者へ圧力をかける行為が許容される理由を混同しない事、等々。
一人一人を見ています。
これからも色んなことが起こるでしょう、社会学者の一人がまた何かの表現の炎上を点火する事も有れば、社会学者ではない人がそれをする事も有るでしょう。
その時にあなた達がどういう反応をし、どういう行動を取るか、見ています。一人一人、ずっと見ています。
「社会学者」と一括りにされる事に不満も有る事でしょう、ですから、
あなたが他の集団を一括りにして批判したりしないか、ずっと見ています。じっと見ています。