なにがあった?
不真面目に聞こえるかもしれないけれど、俺らの若いころには
茨城から千葉までの移動について、考えるだけでウンザリするという話。
大荷物(キャリーにリュックとかそんな感じ)で茨城から千葉に鉄道で移動するため、ルートを調べたのだが、平野部の隣県なのに、なんでこんなに面倒なんだと思わされた。
を条件にざっと調べ、以下に絞られた。
候補順に
このうち最有力の成田線は、確かに乗り換えは一番楽そうなのだが、他ルートに比べて所要時間がメチャクチャ長い。
およそ1時間半も違うとか、一体どうなってんだ。
他ルートも基本的に長時間乗車なので、更に特盛はいくら何でもしんどい。
野田線は柏と船橋の乗り換えが面倒臭そうだし、武蔵野線は揺れるしうるさい上に一旦千代田線に乗り換えるのが、想像するだけでゲンナリ。
というわけで、なんか良い案ある?
プッチーニのオペラ《トスカ》の第一幕は、スカルピアが教会で一人トスカへの邪な欲望を歌い上げるなか、聖歌が響き渡り幕が下りる。《テ・デウム》と言われる名シーンだ。
https://www.youtube.com/watch?v=tgWW6o1y9xI
このときスカルピアは「トスカ、お前は俺に神をも忘れさせる」と叫ぶ。これは、神を忘れなければ非道をなしえないという、彼の拭い切れない信仰心の残滓を感じさせる言葉である。オペラ最後で、トスカは「スカルピアよ、神の前で会おう」と言って飛び降りる。トスカと並んで神の前に立ったスカルピアの心中や如何。忘れ去ったはずの神を目前にして、彼の良心は傷んだのだろうか。
職場にキリスト教徒のフィリピン人がいる。こいつが、ちょっとした不正行為を行って、しかもその協力を俺に要求してくるんで困っているのだ。1回数百円程度の不正で、頻度も多いわけではないが、他の同僚にも協力してあげなよ的なプレッシャーをかけられるし、本人も当然のごとく不正の協力を要求してくるので断りづらく、ズルズルとやってしまっている。やってはいるが、不愉快でもやもやしている。その不正を自由にできる立場にありながら自分はやらないのは、それが不正だからだ。信仰心のある人間よりない俺の方が倫理的だというのはおもしろい話ではある。しかし不思議なのは、その不正行為を行っているとき、彼の神はどこにいるのだろうかということ。神の前で恥ずかしくないのだろうか。それとも神が不道徳であるとか盲目であるとかが想定されているのか。ひょっとしたら「数百円、お前は俺に神をも忘れさせる」なのかもしれないが。
いやそうすると、白人はとかさまざまな、自分の体を見せたくない条件なんて
女性が男性の産婦人科とか山ほど思いつくとおもうんだが、どうして思いつかないと主張するのかがプログラマーとして理解に苦しんでいるところ
知らないけど、何かあったの?
どうしてこちらが、まじめではないとおもったのかはわからない。
では
プログラマーの人は、一部の主義主張を持つ精神科医にかかりにくくはないか?
ただし、あとは相性の問題で
ここまで来るともう病気だな
ねえ、恥ずかしくないの?女はもっと価値が下がって無価値な僕ちんでもセックスできるようになってほしい!とか言ってるのさ、はずかしくないの?東大の価値が下がって僕でも入れるようにしてって言ってる馬鹿と同じやん