確かに私にも中国人や韓国人の友人がいるが、彼らとの友好関係ができてからというもの、ネトウヨが撒き散らすヘイトとは無縁となり、正しい国際法に基づいた中国韓国への批判的視点を持つことができるようになった
zyzy 結局の所マイノリティである最大の利点は、マジョリティなら抜け出しようがない差別主義から脱却しやすいことなんだろうなぁ。
この指摘の通りで、昨年にお茶の水大学がトランス女性にも門戸を拡大してからというもの、同じマイノリティということでシス女性たちがトランス女性と共感しあう光景をSNS上で頻繁に目にするようになった
セイバーメトリクスによって打線の常識は刻一刻と変化していく。
メタゲーム加速の本場サッカーにおいては20年前なら20年かかったレベルの変化が1年おきに起きているとさえ言われている。
しかしそれぞれが思い描く打線像がバベル崩壊した時代において、打線という概念を通してなにかをたとえた所で、それはお互いが背中合わせに壁打ちし合うテニスのようなものではないだろうか。
古代、人は決闘を通して正義を定める事を、「神に委ねる」と呼んだ。
それは各々が心に描く神・正義・世界観を、一定のルールある形に再度定めて争えるように再構成していたからその言葉が出たのだ。
打線は組めない。
組むことに意味がない。
誰かが組んだ打線を見て誰も「わかる」と言えない時代なのだから。
バベルは、崩れ去った。
ああ…。
このエスニシティの問題までジェンダーに回収されてしまうのか。
まあそれはいいや。
てっきりマイノリティである日系移民が、異人種への寛容性を失って、和服を着ただけで文化の盗用と騒ぐ話しかと思っ
たら違ってたわ。
あなたがなんとかできる世界はあなたの目の前にあるあなたの両手がとどく範囲内だけなんですよ
視野にははるか遠くからの光が差し込んで移りますがまぶしいだのみたくないだの思ったときできるのはその両目を両手でふさぐだけなんですよ
昔は変えられないしこれからも手の届かないところからふってくるものは自分を守るために両手で体をかばうくらいしかできないんですよ
その両手でもってほかの人の手をつないで輪にしていけば輪の内はそれなりにととのう可能性はあります
輪をつくらず人の輪にはさまり居心地がわるい私のつなぎたい両手はここにないってわめいてどうしてほしいの?
赤子の要に手を差し伸べてもらうの待ち?
SNSやってると時々「お願いします」だけのメッセージが来たりするんだけど、そういう挨拶も主語もない文章って今どきのネットで主流なの?と思ってしまう。
多分フォロバを「お願いします」なんだろうけど、それだけ送られてもなんか返す気なくなるし無視してしまう。
女オタにとっての荒らし=「勝手な行動をとる奴」「乱暴な振る舞いをする奴」
男オタにとっての荒らし=「何時間もコピペ連投してスレを潰す奴」「完全に愉快犯で企画を壊そうとする奴」
みたいな認識の違いがありそう。
白人からコケにされるので理論武装するようになり、日本在住時より愛国心が強くなったと自称
子供が学校で「やいチャイニーズ」とコケにされ、「違うわジャパニーズじゃ」と言い返すのが通例になった模様(これ21世紀にも今だにいる! そら日本人もアメリカ人と他の白人の区別つかんだろ)
天柱