アルジャーノンに花束を(原題:Flowers for Algernon)は自分のことを賢いけどちょっと天然(適応障害)入ってると思いこんでいる単なる人格破綻者のナルシズムを満たすための文学ポルノじゃねーよ。
あれは知能障害者の悲しみを通して、社会の狭量さとそれ故に社会が成立していることに対する無自覚さを読者に突きつけることがコンセプトなんだよ。
人付き合いが苦手とか、小中学校の頃100点がちょっとたくさん取れたからって他人との間に壁を作っては社会への適応力を自分から失っていった奴らがコミュ障あるあるで盛り上がるような作品じゃねーんだよ。
そこを分かってねえ奴らの多さにビビるぜ。
むしろ、そういう連中を浮き彫りにすることによって社会に表出する地獄絵図こそがこの小説の本来のコンセプトなんじゃないかと疑いそうになるね。
お局の都合があるんでしょうとか言って。ニートとかはめちゃくちゃ叩いてるくせに。はてな民は男が多いんでしょ?だから直接お局になんか言われたりすることないんでしょ!
情け無い話だけど増田でしか職場のお局の不満が言えないのです。だから共感してほしい。お局と一緒に働くのつらいです。毎日職場仲間の愚痴を言って踏ん反りかえってるのがうちのお局です。他社からもあの人プライド高くて話しづらいと噂されつらいです。
ちょいちょい話題になるけど、いじめって被害を受ける本人以外はクラスメイトも先生も含めて、残念ながらとてもメリットも多いものなんだよね。
ここで問題になるのはいじめられる側のデメリットが大きすぎることだと思う。
なんのメリットもなく弱者の立場を強要されて、いじめという名の犯罪被害に遭うのはひどい話。
だからこそなんだけど、学校でも会社でもいいんだけど、いじめられる立場を役割としてきちんと配置して、そのポジションの人間に膨大なメリット・報酬を与えたらみんながハッピーにならないかな?
いじめられる側以外は今までと変わらずそのメリットを享受できて、いじめられる側は押し付けられたロールではなくてメリットとデメリットを天秤にかけて選択したという立場になるわけだ。
会社であれば報酬のイメージは単純に給料だし、学校であれば内申とか将来の指定推薦・就職とかかな?
荒唐無稽で馬鹿げた話ではあるけど、正直いじめってなくなる気はしないから、こういういじめられる立場をあえてメリットあるものとして確立するみたいな方向性の考え方もありかもしれないなって、帰りの電車の中でふと思った。
以前はそんな断りなく実話風創作を書いていた。
でもなんでわざわざそんな断りを入れるようになったかというと、創作なのに実話だと思ってマジレスしてくれる方に申し訳なくなったから。
経済でも災害でもシミュレータはあまり利用されていないように思える。
1つの大きなシミュレータを用意し、国家公務員と研究員によって、日々精度が上がるようなデータとパッチを当て続けるのはどうだろうか。
自前でOSメンテする余力がないからAndroid採用してんのに、結局他社の作ったOSを後から手間かけて自社端末に適用しなきゃならん。
自社端末独自の売りを作ろうとすると「余計な事するな」と切り捨てられ、万が一好意的に受け取られても
自社が全く関われないAndroidOSの方向性に振り回されてせっかく作った売りがメンテコストの塊として呪いに代わっていく。
結局OSメーカーの面倒事を肩代わりする替えの効くブルーカラーでしかない。
一時期羽振りの良かったXiaomiも微妙なことになってるみたいだし、今後も全力で突っ走るOSメーカーについていけなくなったロートルから
今回のブクマで保守派こそどうなんだ!と言った人は、今後別の議論で保守派に対してWhataboutism批判をすることが二度とできなくなってしまった。
保守派が持ち出した時だけサヨクがわざわざそういう呼び方をするだけで、論法自体はどっちもフツーに使ってるじゃん
そして今後も使わないわけがない
どっちも使っていいし、それをWhataboutismと呼びたければ呼べばいい、の方が実態には即している
父とは疎遠だった。
幼少の頃に両親が離婚して、最後に会ったのがいつかも覚えていない。
今年に入って父と通話をする機会があった。
若干ボケていた。
足も不自由になっているらしい。
通話をしてから今日まで、意識的に父について思いを巡らせたことはなかった。
今朝である。
シャワーを浴びながら、父の弔事を読む自分の姿が思い浮かんだ。
我ながら感動的なスピーチだった。
あなたの子どもにしてはよく出来ている方じゃないかとニヤリとした。
これまでこんなことはなかった。
差出人に電話した。
父が亡くなっていた。
私は非科学的なことは信じない。
超常現象も、オカルトも、スピリチュアルも、全部ウソだと思う。
こんなことってあるのか?