そもそも業務の分業化が進んでいるので、上司であれ仕事の難易度なんて正確には評価できない。
成果重視→出来る奴っぽい雰囲気、アピール力(プレゼン力)で判断
努力・姿勢重視→人生の仕事への投入量(残業時間)、上司への従属度で判断
ってのが実情だし、どっちもろくなもんじゃない。
またいつもの子が現れた。何言ってるかわかんない文面でわかるぞ。
ただし、全ての国が経済合理性のみで武力行使判断しているなら、近代以降に限っても、戦争の9割は発生していないと思いますよ。
でも全面戦争にはならないんでしょ?どことやるわけ?
むしろ少しやった方がしまるんじゃない。おまえみたいな口だけの
奴がしっかり前線にたってさ。ねとうよさん。
ねるぞ。決まりきったことしかいわないで頭悪くて品なくて戦闘的で
じゃなーー。
「民主」の意味は「主権者が国民」ということであって、民意は決定者ではありません。
突発性が高いから予想は立てづらい常に立てていなければならないとしたらそれ自体がthinkcostであり負荷は大きいと言える
極端にレベルの低いブラック環境にいる人なのか、または逆に恵まれすぎて戦場をイメージできないような暇な職場にいる人なのか。
職員の健康管理を放棄するのが当然なんていう考えは見当違いも甚だしい。
休む際に他者への負担を考えている人の方が可能な限り全体への負担を減らしてくれそうだから休んで何が悪い!と言い張る人よりはよほど信頼できるよね
それは間違いなくそう。
しかし他者への負担を考えるあまり自分への負担を無理に続ける人が存在していたら、その人が倒れてもその人よりも職場そのものが悪い。
食うための仕事と別、って言うか、
商売になるジャンルじゃなくて。
公的な手当てもまだないし、恐らく当分つかないと
思うからさ。
できるだけ早く、なんか手助けできたらいいなあって
思うのさ。
困っている人がいるなら、どこかからか誰かが
なんか手を差し伸べられる世の中がいいなあ
って思うのよ。
せんかくのことかね。やったら国交断絶で経済終わるだけだからやれないよ。
あれは石原が悪い。経済合理性を無視してまでやらないと思うけど。わからんけど。
国際社会を敵に回す目立つことはさすがにできないよ。わかんないけど。
米軍とやるかなあ。
書籍加筆分に「エンカウント」という言葉がでてきて「あっ…(察し)」ってなったわ
いつもは他になじみのある表現がある時でもわざとらしく「ここは原語をそのまま読みましたよ」って感じのカタカナあてたりするのにね
民意の中から擁護論が出ていることについて、科学界の人間がやっきになって否定的な言論を繰り返している。
何様なのかなと思う。
研究費にも科学者の育成にも国民から徴収された膨大な税金が投入されている。
あるとするなら、どういう感じかな。
核があると双方戦争にならないんだよね。
仕込んでるかもしんないけど。
なるだけだと思うけど。どなんでしょ。
不測の事態に備える、そういう状態が続くのかな
うん、だから元増田のケースで言えば、プレイヤーとしての最適戦略は「日によって仕事への態度を変えること」になるはず。
これって存在してないよね。(「労働者階級という集合を1プレイヤーとみなす」なら別だけど)
・・・ただ結局この場合も、上司等の評価が混乱して勝ちにならん気がするw 勤務評価なんかは実質勤務日全て合計した1回勝負みたいなもんだから、
樋口毅宏の小説『さらば雑司ヶ谷』は、東京都豊島区の雑司ヶ谷を舞台にした小説。ゲリラ豪雨、幼なじみとの恋、やたら強い中国人との愛憎入り交じる関係、オザケンとタモリなどがごちゃごちゃになって、一気に読めてしまう楽しい(←人による)話だった。主人公の祖母は大きな宗教の教祖なんだけど、続編の『雑司ヶ谷R.I.P.』では教祖だった祖母が亡くなり、後を継ぐことになった主人公に大きな困難が降りかかるという話だった。
主人公が継ぐことになる宗教は、雑司ヶ谷に本拠地がある「泰幸会」。都電の庚申塚駅(新庚申塚だったかも…)の近くに「泰幸会スーパーアリーナ」という大きな宗教施設を持っているという設定。ちなみに庚申塚駅というのは「おばちゃんの原宿」で有名な巣鴨地蔵通りの終点にある駅。ここを読んだとき、なるほど!と思った。雑司ヶ谷から庚申塚は都電で行けるということだけではなく、巣鴨のまわりには大きめな宗教施設がやたらとたくさんあるからだ。
巣鴨駅の近くには創価学会の東京戸田記念講堂、三田線の隣駅である千石の閑静な住宅街にはパルテノン神殿のような天心聖教の本部聖堂、巣鴨と大塚の間くらいには真如苑の大塚支部、西巣鴨というか西ヶ原四丁目には天理教の大きな教会。大きくはないけど、大塚にはサイエントロジー東京もある。もちろん、地蔵通り商店街にはとげぬき地蔵で有名な高岩寺もある。巣鴨に宗教施設がたくさんある理由はよくわからないんだけど、これだけの集まっているのはある意味すごいと思う。
そういえば、『さらば雑司ヶ谷』が大きな影響を受けているであろう『池袋ウエストゲートパーク』がドラマ化された際、長瀬智也演じるマコトの実家は池袋の果物屋だった。東京で暮らすようになって、池袋駅の北口にある小さな果物屋さんをみつけたときには「あのマコトの実家だ!」と感激したものだった。『雑司ヶ谷R.I.P.』に出てくる「泰幸会スーパーアリーナ」が庚申塚にあることを「ありそう!」と感じるのは逆だけれども。
夕暮れの巣鴨の地蔵通り、とげぬき地蔵の前で、メイドさんが呼び込みをしているというカオスな風景を見て、そんなことを思い出した。