ネクシーズですね?わかります。(今もあんのかな、あれ。)
いや、釣り釣られはいいけど、論理的に矛盾してたら釣られないからつまらないじゃん。
その辺、上手くやってくらないと、真の釣り師、とはいえないネ。
一歩進むと、ほんの一部の人間だけがその矛盾を発見できるようにしておいて、
釣られた人たちが我が物顔で論理展開してる中、後からその矛盾を指摘して
お前らなにまじめに話してんのwwwってのが一流だね。
招致期間中こういう論法を腐るほど見てきたけど、これらは全く無根拠なウソだったわけだ。
ヘイトスピーチがあろうが原発問題があろうが歴史問題があろうが、IOCが開催能力があると判断すればオリンピックは来る。
開催能力に難があっても、立候補した国の中で一番マシなところが選ばれるだけの話だ。
猪瀬が「中東はケンカばかり」とか失言かましても、それで招致が台無しになったわけでもない。
そもそも現行でも遺族年金や生命保険はあるわけで遺産相続しないと家も収入もなくなり路頭に迷うってのは誇張しすぎなように思う
住宅ローンだとたいてい生命保険セットで入らせるし婚姻してれば夫婦共有財産にもできる
それに死ぬ人はほとんど老人で未成年の子供がいる世代は平均で見れば住宅ローンなど債務もあるので相続資産も元から多くない
それなのに遺産が相続できなければ妻子が路頭に迷うのが一般的であるかのように言うのは誤魔化してるか無知なのかどっちかだと思うよ
親がいないし、なにもないからな。見合い相手を紹介してくれる人もいない。
結婚するためだけに、外国人嫁とかもらう気にはなれないし。遊びまくった人を養う気にはもっとなれん。
詰んでるといわれれば、もう詰んでる。
あんたが、俺に向かっていったわけじゃないだろうが、なんだろうな。
これってさ、なんで夫が死んだら奥さんが自分で働いて生きてく、じゃ駄目なわけ?
そこでさ、奥さんが働けるランクが旦那に比べて低くなるのは当然かもしれないけど、
でもさ、もうそこで生きてる人間的に、その程度の人間なんだからしかたないじゃん?
他に、夫もそれほど給料高くない人もいれば、
元々母子家庭で頑張ってる母ちゃんも居るわけじゃん?
そういう考えっておかしいのかな?だって、その奥さんの存在は、その時点で、他の働いてる奥さんに比べて人として偉いの?
同じじゃないの?
なんで特別扱いする必要があるの?その夫が自分で稼いだりして、それは特別だし、自分で稼いだ分を使うのは民主主義として正しいけど、
その妻子は別に特別な理由なんてないじゃん?
なんかその辺、逆に物凄く理不尽さを感じるんだけどな。
ただ単に自分の恐怖心や不安、めんどくさいってだけで行動に移せないだけなのに、その行動できない言い訳を何かに責任転嫁して語る思考回路ってありますよね。
自分が個人的に気に入らないというだけの存在を、社会共通の敵、社会悪として容赦無くバッシングできるように頭の中で都合良く改悪設定して、自分が行動できないのはこいつらのせいだ、と容赦無く罵って自分を正当化する。自分の行動に責任を取りたくない、できることなら自分の行動は全て他人からの指示で動かされたい、だけどその指示内容が間違ってたら安全な位置で文句言いたい。
肝心のその敵については、本人の人間性や裏側の事情などあまりよく知らないような相手であるにもかかわらず、勝手に怒りの標的として都合の良いキャラクター設定に仕立て上げる。
「人間性や倫理観も平気で踏みにじれるような独りよがりで自分勝手な奴だろ」
「この思考回路は俺には無い。俺とは違う人種であって、生きる世界、見てる世界が違う」
「こいつらのおかげで俺は多大な被害をこうむっている。こいつらを何とかしなければ俺は行動に移せない」
こういう発想に陥ってしまうと自分の恐怖心の制御や、行動に移すために前知識を仕込む事、行動して学びに行こうという思考が消し去る。思考停止に陥る。
根本的なところにあるのはやっぱり、自分のやりたいことを自己責任で行動に移す、ということに対するハードルが高くて不安感が強いことにある。なので、自発的な行動に不安を感じやすい人間ほど仮想敵が多い。まあ社会で生きる以上、大なり小なり誰でもそういう部分はあるんですが。
自分としても、自分の不完全さを後悔してうつ病に陥るよりは、誰かの責任にすり替えて怒りのパワーにシフトチェンジしたほうがとりあえず生きやすくなるとは思う。
つまり、お前は、そんな論文なんかより、馬鹿でも誰でも見れるテレビだののがよっぽど意味のある活動で、
すべての論文書いてるような活動はそれ以下だ、って言いたいんだな?
ブログで注目集めてるやつが最も意味あることで100万PV得られえる奴はその辺の教授よりよっぽど偉い、と。
で?
物理、数学系だと、arXivってのがあって、外に出しても大丈夫だと思う結果が出ればまずそこに載せる。
雑誌に投稿すると、そこから審査が始まってヘタすると1年くらいかかるから、通常、何か結果が出たときはarXivで見て知るのが最初。
ただ、それはまだ外部の人が審査してないから嘘や間違いがあるかもしれないし、それ自体を業績にしたりは出来ない。
だけど、特に大きな実験とかだと、元々内部で厳しくチェックされる事が多いから、だいたいarXivに載った時点で実質正式発表の様な物になってる。
ただ、それらについてでも、最終的にはきっちりと雑誌審査が通った後で、ちゃんとした権威付きの結果になる。
それは正しいだろう。まず、結果としては発表し、それを皆が議論し始め、
一方で、その結果をきっちりと審査を行い、間違いがないか確かめることもする。
この様な形で、例えば実験で何か新しい兆候が見えたとarXivに発表した次の日には何人かの理論家がその現象を説明するために
と言う現実が有ります。貴方が思っているより、よっぽど世の中アクティブに研究成果のやりとりは行われています。
ブログだと、その内容について、誰も真偽を審査してませんし、嘘ばっかりの事も多いですよね?それに振り回されて無意味な議論していることも。
実際、あなたのこの議論も、現状何も知らず、喚いているばかりですよね?
それに何の意味があるのでしょうか?