発注と検収のいたちごっこみたいな仕事に嫌気が差して、入社して2年目からちびちびと転職活動をしていた。
入社して2年目は転職サイトとか転職エージェントとかを使って、もっと手を動かす仕事が良い!みたいな希望で活動した。
何社か応募したけど、採用どころか面接にすら全然届かない。経験も実績もないから、仕様無いと今になっては思う。
でも数少ない面談した企業の方からは「小さくてもいいからWebサービスを作ってみるといい」とか「うちはRails使うことが多いから、Railsわかる人だと嬉しい」みたいな具体的なアドバイスはもらえた。
ちなみにどことは言わないけど、転職エージェントは「年収が下がっていいならすぐに見つかります!」「正社員じゃなくて派遣から始めるのはどうでしょう!?」とか不穏な誘いが多くてすぐに使うのを辞めた。
3年目はもらったアドバイスに従って、仕事の合間に小さなWebサービスを作ることにした。(Railsは使わなかったけど)
流行りのフロントエンドフレームワークを使って、PaaSで公開。テストも書いて、CI/CDもちゃんと整備した。
フレームワークや言語の学習も含めると半年以上かかったけれど、納得のいくものが出来た。
4年目。業務転換があり、ベンダと要件の狭間でストレスが絶頂になった。
この環境から逃げたい、というひどく後ろ向きな理由で転職活動を再開した。
幸い3年目の成果物がある。Twitterの転職タグとかを使って成果物のURLを貼り付けたりすると、5社くらい話を聞いてくれることになった。
驚いたことに、エンジニア業界では有名な会社とかも声をかけてくれたりして、ちょっと有頂天になったりした。
しかしながら結果は惨敗。オンラインのコーディング試験や技術面接に歯が立たず、ほぼ全てがお祈りとなった。
ある企業の面談では、「希望年収の半分くらいなら」と言われたこともあった。この日のことは、未だに忘れられない。
4年目の惨敗を受けて、5年目はしょぼくれていた。
面接で出来なかった問題こそAtCoderなりアルゴリズム本なりで勉強していたものの、「こんなに勉強しないといけないなら、もう現職でいいかな」という思いが大半を占めていた。
なんとなくはてブの技術エントリを読んだり、Qiitaとか面白そうなチュートリアルを手慰みにして時間を潰していた。
そしてそんな折に、知人経由で大手ITを受けてみないかと声をかけられた。
いやいや無茶でしょう、というような有名企業で、自信を喪失していた自分には恐れ多いとしか言いようがない。
とは言え、落ちるだろうから受けない、というのもあまりに後ろ向きな話。
なので、受けるだけ受けることにした。知人の顔を立てる、というくらいのモチベーションである。
内容の詳細は秘密保持の関係から記載できないけど、3年目のサービス開発で学んだ知識と、惰性で技術エントリを読んでいた経験が活きた。
それなりに回答できて、手応えはあった(現職で得た知識とかももちろんあるけど)
結果は通過。そこからあれよあれよと面接ラッシュで、すったもんだありながらも最後は内定。
待遇も満点ではないけど十分な内容で、迷う余地がなかった。強いて言うなら、休みが減るのがちょっとネックかな。
元増田に言いたいのは、一回動くと何かが変わるよってこと。
私が結果としていい転職ができたのは2年目の活動の際に「Webサービスとか作ってみるといい」ってアドバイスをもらえたのがきっかけだし。
ベンチャー企業の人から声をかけてもらえたりするくらい頑張ってるなら、胸を借りるくらいの気持ちで話をしてきたらいいんじゃないかな。
人生の分かれ道は意外なところに落ちていたりするよ
十数人はいっぱいでいいだろ。その人らより人気があるのは数十人程度だし、
彼らに比して「人気があるのは…ばっかり」って主張なんだから十分無視できない数だ。反論になっている。あと暴言で自説をゴリ押そうとする奴こそが真のタコ。
誰でもいいから叩きたい人「コイツは悪いやつだ!我々は長いストーキング活動によりコイツの些細な悪事をついに見つけたのだ!皆で叩こう!」
誰でもいいから叩きたい人たち「よくやった!実にいいストーキングだったぞ!!」
誰でもいいから叩きたい人たち「ストーキングなんて許せねえ!こいつらを叩くぞ!」
誰でもいいから叩きたい人たち「悪い人間を批判する人間を叩くなんてきっと悪い奴らの仲間だ!叩こう!」
誰でもいいから叩きたい人たち「難癖をつけて人を叩いてるやつがいるぞ!叩いて改心させよう!」
誰でもいいから叩きたい人たち「改心させる手段に叩くのなんて無意味だ!暴力的な奴らをひとまず止めるために叩くぞ!」
誰でもいいから叩きたい人たち「叩かれる痛みを知らないからむやみに叩くんだ!痛みを教えてやれ!」
こういうの、ネットでよく見ませんか?
いい加減辞めませんか?
どう考えてもこれ全部「粘着を目的とした粘着」でしかなくて、「正義」なんて誰にもありませんからね。
マジで。
いい加減辞めませんか?
本当に。
具体例は出しませんよ。
だって具体例を出したら私がその対象を叩いてることになって、私もまた粘着を目的とした粘着の仲間入りをしかねないですからね。
なぜかって?
そういうときに選ぶってことは、心のどこかで「せっかくだからコイツに矛先を向けとくか。前々からムカついてたし」って気持ちがあるわけですよ。
その気持ちがあっても、行動にさえ出さなきゃひとまず封印できるんです。
自分が同じような存在になったとき、どれくらいまでなら恨みっこなしと思えるかでみんな決めてると思う
周囲に許す人がいるならそれに合わせとくのが良いんじゃないでしょうか
追記で取り上げられてた知恵袋の回答に、いじめられてた人が「先生に言ったら仕返しされそうであえて言いませんでした」と書いている。それはクラスメイトも同じだと思うのだが。それを恐れて行動できなかったことを責めることはできないし、それを加害者って言われるのはちょっと…。クラスメイトだって自分以外誰が敵で誰が味方なのかわからない。ちょっと誰かに庇うようなことを言ったら主犯格にチクられるかもしれない。いじめられている人が一人でどうしようもないように、クラスメイトも一人で空気を作ったりするのは簡単ではないので、責めるのはやめてあげてという感じ。
やっぱ親の自己実現なのかねああいうのは。自分ができなかったことを子供に達成させることで自分が満たされるという気持ちもわからないんだよなあ。子供が達成したことは子供の成果であって親(自分)が達成できなかったという事実は何も変わんないじゃんって思ってしまう。
昔「タガメ女」云々というタイトルの新書に「子供というのは本来日々の生活の中に自然にいるものであって何か壮大な覚悟や期待を持って生み出すものではない」というようなことが書いてあって、ほんとそうだよなと思ったのを覚えている。でも現代は社会の空気が子育てというもんに対して巨大な期待をかけてくる感じがするね。
これがまさに認知の歪みで「程度」を最初から無視してるのは、のっけから批判することを目的に読んでる方っていう。
どんな問題でもある程度は「程度問題」があるから、そこでその程度のスライドバーを自分が相手を叩くのに丁度いいポイントに最初から決め打ちしとけば叩き放題っていうテクニックを多用しすぎて無自覚にいつもそれをやってるからやってる事にすら気付けなくなっている悲劇がね。
男女の生物的な性差に起因する問題って、どうにもならないよね。
思考停止と言われたらそれまでだけど、なんでもかんでも差別扱いしたら生きにくくないのか?と思う。
https://anond.hatelabo.jp/20210224154916
http://www.arsvi.com/b1900/6100le.htm
はてブという超絶安全地帯で不賛同とか憤りの声だけ発したことで何かをしてるつもりなのね。
ツイフェミとはてブ民がどうしてこうも懲りずに自分を棚にあげ続けられるのかといつも不思議なんだけど、もしかして単に頭が悪いからなのかしらね。
当事者意識ゼロで傍観者の極みといっても良いはてな民が「見て見ぬふりはいじめと同じ」とか言ってるのめっちゃ笑っちゃいます。
いや、あなた方がやってるのがまさに「傍観者のふるまい」なんですけどな。
ritsuko11hamham まあ一番邪悪なのは、顔も何も知らない人の過去の行動を、まったくこれっぽっちも関係のない完全なる第三者第四者どころか第五者第六者以上の立場で、一番安全な方法で正義の側に立ってみせるブクマカなんですけどね
それな!
こういうコメントをしている人が、普段どういうコメントをしているのかを見てみたわけですよ。
youchin 自分が関与できる範囲なら見てみぬふりは実行犯と大差ないと思うけど星集めてるブコメ見てると世間の意見は違うんだね。せちがれえなあ
xorzx いじめを受ける側からすれば、いじめ現場を見てもそれを無視する行為は自分自身が無視されたも同じに感じる。無視は代表的ないじめ行為でしょ?
augtodec そうやって傍観していることを自己弁護してればいいよ。お前らみたいな奴のことをラフィン・ノーズは「何も見るな考えるな70まで平和に暮らせ」って歌ってたよ
きみらほんとに自覚ないんだね。
つーかさ。
自分が倫理の問題をしているのか制度設計の問題をしているのかの話も区別せずに何かの議論ができると思ってる方が怖い。
やっぱあたまがやんごとないことになってるだろこの人たち。
「期待をかけることは選択肢を奪うこと」なんていう意味は全く含めてないぞ。そっちこそ行間を無闇に読まないでくれ。
動機はなんであれ純粋に自分の子供にモリモリ期待をかけてそのことをモチベーションにする気持ちが分からないというだけ…。俺は結局のところ自分自身しかモチベーションにならないから。
社会のためにマシなことをしなければという気持ちは俺にもあるが、その気持ちを社会そのものではなく全て自分の子供に向ける気持ちがわからないというか。
全ての大人はそう望んで欲しいと思うぞ、俺は
流石にこれは押し付けがましいというか、このセリフにこそ俺が理解できない部分の全てが表れている気がする。上手く言えないけど。
友達が駐車場に泊めてるから来て!フィットだよ!とか言われてもフィット?となる。
わからないからネットで調べても、小さめの車全部フィットに見えた。
正直大きい車もプリウスって言われたらそうかって思うし違うって言われたらそうなのか…って思う。
みんなは何で車を見分けてるの?
先にスタンス書いておくと、俺はあのクソバカ展開でゲラゲラ笑えたし好きだよ。
珍しくBlu-rayまで買った。
あの映画何がズルいって、批判を「そうかもしれないけど、瞬間瞬間を必死に生きてきた結果だからな」って包括してしまえるとこ。
そもそもあの映画はメタ的に平成ライダーシリーズの悪いところを肯定してるから、どんな批判も瞬瞬必生で無効化されてしまう。
まあ、だからと言って開き直ってなんでもしていい訳じゃないのは確かだけど。
この4つが欠けてたらボロクソ言って終わりだった気がする。
すっげーよくわかった。そりゃ、違うわな。