はてなキーワード: 踏み込むとは
Twitterで色々と検索しつつ巡っていたところ、どこかで見覚えのある名前。Bioやそのリンク先を見るとそれはどうみても元カノ。
特に何か悪いことしたわけでもないのに、別れ方が別れ方だったからだろうか、心臓がバクバクする。
(先方の浮気かつ別れる理由作りのためにありもしない暴力・レイプ話をでっちあげられ周囲に吹聴された)
頭が半寝中そんなのを発見して悪い意味でテンションが上がったせいか、もしかしたら他の元カノ(2人)も居るんじゃ?と、
今思えばどう考えても古傷えぐってデスソース塗り付けるようなことをし始めてしまった。
もちろん見付けたとこストーカーやらヲチするつもりでもないけども、興味本位・好奇心、そんな軽い気持ちだったのかもしれない。
手掛かりは割とあるのでササッと検索してみると、あっさりと元カノ全員がヒット。ほんと今は誰でもやってるんだなあ、Twitter。
先の元カノは浮気相手とはもう別れてるっぽい?その後ニコ厨→生主へ。そのまま他生主と同棲中?
つぼみ似の元カノ(同じく先方の浮気で離縁)は完全にアニヲタへ。そして仕事の愚痴ばかり。
一番最初に付き合った唯一の年上彼女は相変わらずマイペースで天然気味。というか磨きがかかってる。
ざっと見そんな感じで、それ以上踏み込むと塗り付けるどころかデスソース風呂になり兼ねないので閉じる。
向こうがこっちを見ることは無いだろうけど、何か怖いのでとりあえずブロックだけはしておいた。
まあ特にオチも無いんだけども、ちょっと手掛かりさえあればこんなあっさり見つかって、
そのうちヒーリング。
段々修行が深まってくるとやっぱり自分も癒し手側として鍛錬を積むようになる。
親戚の独身女性が元外資のバリバリのキャリアウーマンなんだけど今ではヒーラーやってる。
あの手のものは大抵アメリカ人が教祖なので(反動としての精神主義の先進国だから)
その人はキャリアウーマン時代の行動力と英語力で通訳や渉外をして
ある流派の高名なヒーラーの日本で第一の高弟のようになっている。
ただやっぱりこういうのはどうしても新興宗教やカルトが隣接するので
ぶっとんだ高額の料金を求められたり
反社会的な教義や気風があったり
個人の生活まで踏み込むような制約があったり
個人崇拝の気があったり
ということがあれば、その集団を見抜いて即撤退する賢明さが必要になる。
感じ取ったらそっちを優先すること。
仰る通り、ハードウェアアーキテクチャについては知らないですね(スタックやヒープがどうとかは表面上わかりますが)。
というのはズバリそこが非常に嫌い(肌に合わない)で、意図的に避けてるからです…。アセンブラの本とかも持ってますが、どうにも読めないですね…。
当然Cは嫌いです…。C++がギリで、できればRやpythonレベルの抽象度で全部済ませたい派です。が、さっきも書いたようにちょっと踏み込むとすぐ低レベルの話が出てきますね…。
最近はGPUだの並列化だのを使いこなさないと生きていけない感じですし。
関数型言語くらい抽象化して数学っぽい雰囲気になってると個人的には嬉しいですねw
聡明なるみなさんはこの文章が高名な哲学者p j フランクファートの評論からとられたものだとおわかりだと思う。
だけどこの文章は別にウンコな議論に関する再確認を求めようとは思わないし、その翻訳者たる山形浩生の著作についても、彼の翻訳した1984年について語ろうとするものでもない。
あらゆる間違った教育は、顧客本位ではない。だからといって、教授本位というわけでもない。ただ、試験に向けて最適化されているのだ。
物理学では相対性理論さえ避けられる。最も興味深い現象である量子力学に踏み込むことは避けられる。
僕は常々疑問を持ってきた。学校の授業って本当に効率良いやり方なのか?
ずいぶん不恰好じゃないか。進みは遅いし、何しろ起きているのが難儀だ。
そして教科書がクソなんだ。別に分厚さの問題じゃないよ、教科書は先生の助けを得ないと使いものにならないようになっているんだ。
クソ退屈な授業とゴミみたいな教科書を組み合わせても、優れた教科書、参考書には全然及ばないんだ。残念ながら。
だけどいろいろな理由をつけてそういう本、教えてくれないんだな。
時々優れた先生がいる。尊敬できる人もいるし、その人の授業を受けてよかったなって思うこともある。
だけどそういうものは、少ない。本当に少ない。少なくとも学校教育であの先生は素晴らしかったといえる人は、5本の指で数えられる。
そしてその先生方が素晴らしい所以は、つまり結局は自分でやるしかないということを教えてくれたからだ。
実験や実践を除けば、講義によって得られるものなど、殆ど存在しない。
文学の授業を受けるならドストエフスキー読んでたほうがいいし、教授お手製の教科書を読むくらいなら、もっと読むべきたくさんの本がある。
進級できないとか、単位がとれない、以外の理由。
教養を深めたいというモチベーションで学ぶには、教養はあまりにも薄くて、退屈だ。
退屈に耐えて学ぶことが大事だとして、人生がクソの山だということを学ぶとして、もしそうなら、ヴォネガットやフランツ・カフカを読めばいい話だ。
僕が習った国語の先生は、僕が手にとったフランツ・カフカの審判を見て、こう言った
彼から教わるべきことが果たしてあるんだろうか?
これは一つの例だ。ただ、彼らを見ててわかるのは、こうやってると理解出来ないままだ、ということだ。権威を一旦ないものにしてしまうと、世の中はずいぶんおかしなことになっているように思える。噛み合ってないジグソーパズルみたいなんだ。全然適正のない人が、不思議な力で無理やり位置取っているような・・・。
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/culture/academic/101007/acd1010070904010-n1.htm
ここの意見が真っ二つ。
ついでに言えば、僕は現行教育はぬるすぎてヘドが出るので、
これぐらいすればいいと思うよ。
俺の頭の中を開けて分析でもしてください。説明出来たら説明してる。
どうやら順を追って話すっていうことが出来ないらしい、父親にそう言われた。話が根拠もなく突然飛んだり断定的になったりするって。確かにそうだ。
根拠って言われても困るんだよね。俺の頭の中ではもう筋道立ってるわけだから。それをただアウトプットしてるわけで、経緯は消えちゃってるんだよ。
あと、文章だからまだいいけど、口頭で俺と話せば99%の人(これも非論理的な経緯で断定しましたw)は「ポカーン」となるよ。
その反応が嫌で嫌でたまらないから、当たり障りのないことしかしゃべれなくなって社会生活無理w「今日はいい天気ですね」「昨日はずっとネットしてました」程度のことしか言えないからw
それ以上踏み込むと俺の意味不明ゾーンに入って相手が不愉快になっていくのが分かるからね。
ちなみに俺の話が意味不明と言われる理由の一つは非論理的なとびとびの話であるということと、まず根拠のない(本当はあるけど)断定から入るということと、
言葉づかいに原因があるらしいということは分かった。意識しても出てこないけど、話してると結構他人には理解出来ない言葉がぽんぽん出てくる。理解出来ないというか、「その部分で使うことは普通ありえない」単語を「普通使わない、使ってはいけない意味で」使うかららしい。
意識して抑えてるけど、推敲が出来ない口頭だとかなり出てくる。
まぁそんな話です。別に誰に言ってるわけでもないけどひとり言。どうせ誰も聞いてないんだから。
俺はその子の彼氏だよ。
これから部屋に踏み込むよ。
仲間も3人連れてきた。
みんな乱暴者だけど、
この俺だけは紳士だよ。
いくらぐらいなら出せるかな?
作家になったんだけどね。
一応、専業でメシを食えるだけのインカムがあるからこう名乗ることは出来る。
とりあえず、今年と来年までは筆でメシを食えるんだけども。
まぁ、なんというか「作家」というのは個人ではないよね。
ぼくが書きたいものが、出版社の売りたいものとマッチした。あるいは出版社が考える売れそうなものと
ある程度似通った。受賞、あるいはデビューの切欠なんていうのは早い話そういうところで、
それを言えば、とりあえず一番デビューの簡単そうな業界、それでいて収入につながりそうな業界を狙い撃ちして
どんな作品が市場に求められているかだけを考えて作品を作ったぼくも悪かったから
つまるところ、文章力やストーリーメイキングなんていうのは傾向と対策、それに現状売れている作品のアレンジで
99パーセントどうにかなってしまう。ぼくは作家として幾つか本を出して以来、自分がクリエイターだと思えたことが一度もない。
エディターなんだろうと思う。サンプリングとアレンジが全てだ。
もちろん、このサジ加減に関しては職人技が必要で一歩間違えると大変悲惨なことになる。
出版社サイドは大変悲惨なことになったところで、作家(それも多くの場合は新人)を一人切れば済むので、
その辺りのアクセルを盛大に踏み込む。事故を避けるインセンティブがないから。二匹目どころかダースで泥鰌を狙う。
作家にとって一番大事な作業は、そこで踏み込みすぎないこと。なんとか折り合いをつけることだ。
これに関してはとことん神経が磨り減る。「こういう風に書け」と言われて渡された参考資料(笑)に
近づき過ぎず、遠ざかり過ぎずオリジナリティー(笑)を付与する。ちなみに、オリジナリティーっていうのは
『想定された読者層のおそらく知らないであろうネタ元から失敬する』という意味だ。
まぁ、仕方ない。それがプロというものなんだろうと思う。
日々色んな本を読み、これとこれは使える、使えない。物語の形式はこの形でここの部分をちょっとひねって・・・
みたいに考える。これはクリエイティビティーとは何の関係もない職人技だ。うんざりする、やりたくなくなる。
しかし、メシを食わないことにはやっていけない。はてなに愚痴を書くにも身バレしないように気を使い、適宜嘘を織り交ぜる。
そういうことを繰り返してるうちにいずれ売れなくなって、俺は死ぬんだろーなぁと思う。
俺は悩んでいた。会社と家の往復に。何の刺激もなかった。
カッコいいこと言ってるが、その往復では出会いが単純にないからつまらない。会社の人間と恋愛なんかしても後が面倒だし、リスクがデカイ。
だから恋人探すなら外で探すと決めていた。しかし、なーんも行動しなかったら何も起こるわけない。当然だ。綺麗なお姉さんが俺に一目惚れして「好きです!付き合ってください!」なんてことは宝くじが当たるよりも低いと思う。それに最近ようやく気づいた。
でも外で探すってどうやったら・・。なんて考えていた。出会い系?なんかそれじゃ積極的に探してない気がした。
婚活パーティー?うーん、それも金払ってわざわざ出会いを探す!?なんか違うなー。
だからクラブとかBarに行って、女の子に声をかけよう!と思いついた。なんかハードル高い感じだけど、いきなりナンパよりは低いからやってやろう!と決意した。
しかし、お店に一人で行くことに違和感というか単純に「一人で行っても大丈夫なのかな?」と思っていた。ネットであれこれ調べて、知識武装をしまくった。2chで一人でBarに行く人みたいな内容があったので、「あ、そーゆー人間もいるのね」と安心してちょっと自信が湧いた。
いざ決行当日!仕事帰り。やっぱり当然怖い。わざわざ仕事帰りでスーツの格好で行くことには、理由があった。仕事帰りでちょっと立ち寄ったんですよー。的な雰囲気を醸し出したかったからだ。
そしてネットで調べたBarの前に来た。足がすくむ。若干震えていた。当然自分が知らない場所だから踏み込むのに相当の勇気がいった。しかし店の前をウロウロしてるだけじゃ始まらないので俺はBarに行ってみた。
当然俺は一見さん。Barのマスター的には「ん?一人?見ねぇ顔だな・・・」みたいな顔をしている。当然か・・。しかしそこで負けてはいけないと“Barに慣れてる”感を無理やり演出してみた。
「お勧めあります」
「・・いえ、お客様の好みが分かりかねますので・・」
くそっ、失敗か!?なんて色々考えつつとりあえずコロナとか頼んで黙ってじっとしていた。そんな俺にマスターがちょいちょい話しかけてくれた。なんで、一人なの?とかどこでウチの店しったの?とかまぁ、そんな質問。出会い求めてBarに来ました。とは言えなかったが。
出会い云々はいいとして、行動できた俺が若干誇らしかった。これで出会いがありゃ完璧なんだけどと思っていたその時・・
店のドアが開いて女が数人入ってきた!しかも若い!!おおっ!!スゲェ!!なんて心では思いつつクールを決めていた俺。「絶対話しかけてやる!」
最初は、何から話しかければ・・・と悩んでいたがマスター経由で色々話していたらあら不思議。なんかフツーに話せるようになった。マスターに心のなかで感謝した。そして番号ゲットまで出来た。
そして改めて、今思い返してみて、外へ出るってことは素晴らしい。家と会社の往復だけじゃ経験できない事が沢山ある。
そして、環境は作られるものじゃない、自分が作るんだなと勉強できた。大学入って、社会人になってというレールは、ある種自分で決めているようだけど、皆がそうするから自分もそうするというものに近い気がする。俺はそれを自分で環境を作ったとは思えない。流れに任せていたらここにたどり着いた的なね。
だから会社で女性がいなくて、「あー、この会社出会いがねぇわ。だから恋人もできねぇ!」なんて言っていた昔の自分に情け無さを感じた。自分で無理やりにでも環境を作って出会いを求める!そういう選択肢もあるんだなと。
そう考えればナンパ師ってのは、一瞬にして出会いがある環境を創りだす天才なんだなと。そこには当然失敗もあるだろうけど、ビビって動かない俺なんかよりは遥かに先を行ってる。50歩、いや100歩先を歩いてるだろうね。
まぁ、とりとめがないけどそんなこと思ったよ。
増えてるよな。
実店舗は増えてないけど、デリヘルのHPをみるとビックリするほど在籍してる。
登録だけしただけとか、一回しか出勤したことがないとか、はたまた架空だったりするんだろうけど、それでもかなりの数だ。
高収入のアルバイトと謳った求人誌も増えてるし、明らかにAV女優の質は上がってると思う。
いったいどれほどの性風俗従事者がいるんだろう?
一度でも、金銭のやりとりのあるセックス(手コキやフェラのみを含む)をしたことのある女性はどれほどいるんだろう?
1000人に1人もいない気もするし、100人に1人どころじゃない気もする。
いい加減ちゃんと把握したほうがいいんじゃないかって思う。
だってさ、コンスタントに10人とセックスする人間がいたら、1人で10人の異性の恋愛や結婚を邪魔してるわけじゃん。
10人の男と10人の女の村があったとして、1人の女が全ての男と安くセックスしはじめたら、残りの9人の女に男は向かうかな?
向かったとして、金で女を現在進行形で買ってる男のアプローチを女は受けるのかな?
そのへんは個人の価値観の問題だからあんまり踏み込むのはどうかと思うけど、でも数次第だとけっこう無視できなくないかいな?
女の1000人に1人が風俗嬢でもたいした問題じゃないけど、10人に1人だったら問題だと思うけど。
あと、性感染症の問題。
まあ、これは脱線するから言及しない。
母親が終わってるとか、父親はどうしたとか、そういう話は置いておく。児童相談所の対応とか、自治体の対応とか、そういう話も今はしない。
そんな話をしている時間はないくらい切迫した状況の子供はこの日本に、今この瞬間もたくさんいる。あなたの部屋の2軒隣、あるいは向かいの部屋、上の部屋に、助けを待つ、言葉をしゃべれぬ幼い子供がいるかもしれない。
今回の事件でも、周辺住民は、まだ姉弟が生きている時点で異変に気づいていた。マンション管理会社に通報した人もいたし、24時間対応の児童虐待ホットラインに3回も電話した勇気ある女性もいた。
担当者も5回も訪問した(その対応の是非は今は触れない)。それでも救えない。救えなかった。
このような事態に際して、周辺住民ができることは、通報、それでも埒があかない場合は騒ぎを起こして、何らかの方法で家を開けることしかない。
しかし、虐待でなかった場合、親や親族にキレられる、訴えられるという恐れもあって、そこまでは踏み切れない場合が多い。
このような場合に、特に増田を読んでいるような世代の人々に、なんとか動いてもらいたい、そしてそのために思いつくだけの取るべき手段を列挙する。訂正、追加をお願いしたい。
理不尽に消えようとしている小さな子供の命を救うのは、平凡な日常に生きるオレであり、あなたである。そして、その行動を助けてくれる人は必ずいる。日本はまだそこまで墜ちていない。
最後になりますが、亡くなったお二人のご冥福をお祈りいたします。
追記
TBやブコメでいろいろ反応頂き、感謝です。昨晩は冷静さを失って書いてしまった点もあり、反省してます。一般人が踏み込むというのは確かにいろいろと危険や問題もあると思います。そのあたりの冷静な意見はhttp://anond.hatelabo.jp/20100731090932 にわかりやすく指摘頂きました。多謝。とにかくもちろん、まずは行政や警察への連絡が最優先かつ最重要です。しかし、昨日の大阪の担当センター長のインタビューを見て、正直コレは当てにならないと痛感しました。仰るように一般人、それも当該家庭に隣接して生活する住民が騒ぐのは、別の増田が指摘してくれてるように、誤報だった場合の対処などで困ることもあると思います。これについて、具体的に効果的な対策を今の私は残念だけど答えられません。しかし、小技ですが、例えば、自分の近所で問題が起きたとき、自分が騒ぐと近所なので後々厄介というならば、遠くに住む友人に代わりに騒いでもらうというのもありかと思います。
ブコメで、「チャンコロ理論。出産自体が虐待」と書いてる人→私の意見がチャンコロ?そういう虚無な批判に答えるのはむなしいですが、「出産自体が虐待」というのは、今問題にしてるのはその時点の話ではなく、すでに生を受けて、必死に厳しい状況で生き延びようとしている子供のための話です。
同じくブコメで「田舎の人間関係が嫌で都会に出てきた層には無意味」という意見→田舎の人間関係に問題があるのはわかりますが、だからといって、今回のような事件が起きてしまう理由の一つが、「若者が望む人間関係」だとしたら、そのような人間関係にも大いに問題があると思います。その中間にある、適度な近所づきあいというものが、都会では可能であるはずであり、目指すべきです。
また、ブコメでこういうマンションでは、隣人を知らないから複数で事を起こすのは無理そうと言う感想がありましたが、別に隣人だけである必要はないんです。遠方の友人、家族、頼れる人、とにかく一人で悩むな、行動するなということです。そしてまずは警察や行政に連絡から。
以上書いてることは理想論も多分に入っていますが、幼い姉弟が2人だけで必死に生き延びようとし、最後は力尽きて寄り添うように亡くなっていたというこの事実だけは、まぎれもない現実です。同じ時代を生きる俺達が決して忘れてはいけない現実です。
http://twitpic.com/1ncbtk/full
こんなのがあった。三宅議員は自身のツイッターで「甘利さんとはわかっていましたが」と発言した後「私は甘利議員かどうか知りません」と答えていて、コメントがゆれている。でもどっちのコメントだとしても事実と違いおかしい。
http://www.youtube.com/watch?v=7_OcQzSzvhI
この動画を見ると、最初の0秒から2秒の間に甘利議員が横の男性議員を「両手で」押している。その隣にいた三宅議員の視線は、甘利議員が両手で男性議員を押したのを確認した後に床の方に動き、直後三宅議員は右足を踏み込むようにして体を前に傾け、うつぶせに転倒している。
三宅議員は甘利議員が両手で男性議員を押したことを目で追って確認しているわけだから、「甘利さんとはわかっていましたが」「私は甘利議員かどうか知りません」どちらの発言が本意であるにしても嘘をついているということになる。
2000年代の世界経済史の著作の中でも、最も重要なものの1つで、バーンスタイン「豊かさの誕生」やJ.サックス「貧困の終焉」のネタ本としても知られる(アマゾン情報)。その最大の特徴は1000年以上に及ぶ人類の歴史を膨大な”統計データ”によって叙述していること。これだけの情報を集めるのに一体何十年かかるのか。著者の労力を想像するともはや”スゴ本”なんて生易しいレベルではない。「経済統計で見る世界経済2000年史」という名前で柏書房から出版されてもいるが、現在は絶版である。以下,ポイントを列挙する。
・世界経済(システム)が数字の上で本格的に動き出したのは「17世紀」。
東西貿易が量、品目ともに拡大し、ヨーロッパ諸国からアジアへ向かう船便数は、16~18世紀の間に4倍へ。
その数はさらに、18~19世紀の間も2倍へ膨れ上がった(p65)。
産業革命が浸透した19世紀をすぎるまで待たなければならなかった。
1000年から1800年までの西欧諸国の一人当たり
年平均GDP成長率はわずか0.1%台だった。
一方で1820年以降は1%を超えて急成長する(p265)。
かつて技術、文明で世界をリードしていた中国の一人当たりGDPは14世紀にはヨーロッパに抜きさられている(p44)。
しかしそんなアジア諸国の例外が日本だ。江戸時代の安定政治のもと、
都市の衛生にも気を配り、着実に豊かさを増していった。
明治維新が起こる前の19世紀の前半には、日本は1人当たり所得で中国を追い越していた(p264)。
(別の言い方をすれば中国は20世紀に入るまでの過去1000年、ほとんど経済成長がなかった)
また、日本に関して付言すれば、世界が歴史上もっとも高いGDP成長率を謳歌した1950~73年("Golden Age")
の期間中でも群を抜いて成長率が高かった(年間8% 世界平均は2.9% p126)。
・ただ人口については、西暦以来一貫してアジアが西欧を凌駕し続け、その差も拡大している。
本書によれば地理的にインドと中国が世界人口のツートップである構図は、西暦が始まった頃から変わっていない。西暦0年の時点で、すでに中国の人口は5000万人を超え、1500年を過ぎるころには1億人を突破していた。中国の人口はそのれからさらに、2度の人口爆発を経験した。1つは18~19世紀初頭の100年で、1.3億人から3.8億人へ3倍に爆発。2回目は20世紀後半、50年弱で5億人強から12億人へ爆発した。それぞれの時期について、西欧諸国の人口合算と比べると、1000年~1500年の間はだいたい2対1。19世紀~20世紀には3対1の比率だ。つまり、中国はほとんど所得成長がなくても、人口だけは西欧をこえるスピードで拡大してきた計算になる。同じ議論を、インドについても当てはめることができる。
【その他、気になったことなど】
・16世機~17世紀にかけて、欧州最大の都市はナポリ(281000人,AC1600)で、
18世紀~19世紀にロンドン(865000人,AC1800)へと移り変わる。意外と
・第二次大戦前と大戦後で、西欧諸国は移民の排出元から流入先へと転換した(p128)
1870-1949までのうちに1800万人がアメリカなどへ移住した。
しかし、1950年以降1998年に至るまで逆に2000万人移民を受け入れている。
・人類の歴史に負の人口ショックを与えてきた3大要素として、マクニールなどの研究も参照しつつ「飢饉、病原菌、戦争」とおいている。西洋とそれ以外の発展の違いについては、「いかに」の部分は定量的にかなり明快に記述しているが、「なぜ」に言及した部分はあまり目立たない。その意味で本書は、記述が西洋寄りという意味で西洋中心的ではあるものの、発展の原因を西洋的なものに限定していたかどうかは議論の余地がある。
・人口、所得、実物取引などのデータについては各国別の詳しい時系列がある一方で、金融関連や価格のデータが少なかった。それと、主要地域における経済発展の速度の違いがメインテーマに上げているのならば、それぞれの都市と農村との関係がどう変化したかにも踏み込む必要があると思った。欲張りすぎか
このぶんしょうのもくてき
この文章の想定読者
三日坊主の俺および俺と同じように、三日坊主地獄から脱出したいと思ってる人かつライフハックって何?って人。
この文章で扱えないレベルのひと
ライフハックに興味がある人、そのレベルだったら、普通にアタリマエのことしか書いてません。
この文章に書いてあること
俺が三日坊主地獄から脱出した方法、できなかった方法を、比べてなんで差が出たのか……慢心・環境の違い……
一番重要な、継続させる方法は「複数の通過儀礼によって、行動に理由をもたせ、意欲を維持させる」ってことだけど、結局は根性論やねん。
文章を読むにあたって
書いてから気づいたけど、夢を叶えるゾウという啓発本に似てると思う。手放したので確認できないけど、コピペではない…はず。
あと、最初は丁寧に書こうとおもったけど、飽きっぽいので後半は自分の言葉で書いた。
この文章を書こうとおもった理由
去年の4月ごろに、よい習慣をつけようと思って、いろいろ模索してみた。
試行錯誤の結果、定着した方法、定着しなかった方法があった。
どういう方法が俺に定着したのか、定着しなかったのか方法は何故俺に合わなかったのを確認する。
俺が習慣を形成する上において、何がインセンティブあったのかをあぶりだしてみたい。
俺が習慣形成をしようとした理由は、能力を効率良く上昇させるためである。
「習慣が定着した具体的な方法、それはPDCAの徹底」
ほな、これを、俺にどうやって定着させたかを記録する。
>1.習慣化したいことを決める。(PDCAのPlan)<
このプロセスで、必要なことは、決定である。
24時間という限られた資源を利用して、何を生産するか、ということを決定する。
そして決定したことは、記録することは、習慣形成に正の効果を与えた。
理由は二つ。
「習慣形成に与える第1の正の効果」
第1に、本当に必要な習慣かどうか判断出来る。
記録というのは、棚卸に似ている。
本当にこの商品を棚に置いてある価値があるのか、ということを考えるきっかけになる。
発想したときは「この習慣絶対必要なんや!ワイはやるで!」と、よく思う。
でも、記録してみると、「これはワイのホンマにやりたい事とは、ちゃうんちゃうか(和訳:違うのではないか)…」と、思うことが多い。
これは、正直落ち込む。しかし、よく考えてみると、ズレてることを発見したときは、ラッキーである。
ラッキーな理由をaとbに分けよう。
a:24時間という予算を、より自分にとって必要な習慣に使える。
b:長期人生設計とズレてるものは、やろうと言う気持ちにならない。
やる気が無くなる。習慣化に失敗する。俺はできないと学習してしまう。
そして、「ダラダラすんの最高や!ワイには習慣つくりなんて最初からいらんかったんや!」と、いう思考法になる。
この思考法により、(楽しいかどうかは関係なく)能力増加のための蓄積に利用できる時間を、空費することになる。
ズレの発見により、この空費を減らすことが出来る。
習慣にしたいことを決定したら、一度アウトプット(記録)する。
蓄積された記録を俯瞰し自分で判断するという作業は、時間節減効果が期待できる。
「習慣形成に与える第2の正の効果」
記録することによって得られる、二つ目の習慣形成に有効な効果は、自信を持って選択出来るということだ。
選択の迅速化によって、時間を節減できるし、やる気の増加にもつながる。
選択の迅速化によって、時間を節減することが何故ええんか言うと、利用できる時間が増えることがええことなんやね。
利用できる時間が増えるということは、習慣化できることを増やすことである。
習慣は、能力増加の蓄積を目的としている。また、やる事を増やさんでも、一つのことに使える時間が増える。
時間を費やせば費やすほど、できることは増えていくから、正の効果ある。
だから、一つのことを主に極めたい!言う人も、時間を節減することは大切。
これは習慣形成の話とは関係ないけど、時間投資によって得られるリターンは、やっぱ逓減していくんちゃうかなー。
収穫というよりは効用のほうな。
以上が、「することを決定すること」・「することを記録すること」に、よって得られる効果である。
「習慣化することを、何に記録する?」
じゃあ、何に記録する?という話だけど、これは自分の好きなものに記録したらいい。
以下に上げる二つ条件を満たせばいい。
条件1:自分にとって、負担のない方法。
めんどうだなあ、と思うやり方は、記録自体が続かない。
今自分が習慣化してることでやれば、負担は小さいやろな。
2chが辞められへんねんやったら、2chの過疎板でスレたててソコでやればいい。
あとは、twitterとか、そういうネットサービスを利用してもいい。
ただし、新しく始めるんじゃなくて、今習慣化してることを利用した方が、続く可能性は高い。
条件2:自分にとって簡単に見直すことが出来る。
何のために習慣化したいことを記録するのか、というと、効果1「必要かどうかの判断」を、すること。
よくやった失敗に、その辺に書きさらして後で、見直してみると……
「字汚すぎて、読まれへんわ!」とかいう失敗。
でも、これ記録した時間がもったいないし、アイデアも失って二重に勿体無い。
だから、簡単に見直すことができるやり方がいい。
これらの条件を簡単に記すと、「より小さい記録コストで、情報保存性に優れるもの」、ということ。
より小さい記録コストってのは、本人の主観に影響されるので、「情報の保存性に優れる」ことで俺がやった失敗を記す。
俺が記録失敗したことと、その理由と対策
失敗1:ワードで綺麗に作って、印刷して壁に貼る
理由1:生産にかかるコストが大きいので、まず作った時点で満足してまう。
そして、壁って、そんなに見ない。だから、印刷物も見ない。
良く考えてみれば、壁をしげしげと見る習慣は俺にはなかった。
壁を眺める習慣のある人間には、有効だろう。
あとデスクトップの壁紙にしてみたが、こちらも、いちいち見なかった。
対策1:俺には向かなかったので、やめた。
失敗2:ボイスレコーダーに記録する
理由2:再生が結構めんどうくさい。
何よりも一覧性がない。ぱっと見て判断したほうが、時間の節減になるので書き出すのが、二度手間。
ただし、録音は考えてることを、ダイレクトに記録できるので、短期記録にはすごく便利。
しかし、これで長期記憶をすることは俺に不便だった。
対策2:俺には向かなかったので、やめた。
失敗3:チラシの裏に書いて行方不明。適当に保存したから行方不明。
理由3:たとえばツイッター利用したなら、どのツイートに書いたとかわからんとか。
対策3:ついログ((http://twilog.org/))を、利用するとか、パーマリンクをブラウザのブクマに入れるとか、なんか分かりいいとこに保存することがいい。
チラシの裏に書いた場合は、ファイルとかに入れとけば、なくなくることはあんまりない。
同じところに、まとめてると見やすい。
「実際に記録してみる」
では、記録する方法を決めたら、さっそく、習慣化したいことを、思うままに書いていく。
この時点では、「あ、これええな」とか、「これも、やらな」とか、「これあったらええなあ」思う程度で、充分。
判断・選別は、記録した情報が出揃ってから、実施するので、欲望のままに記録しよう。
「全部出揃った!これでかつる!」
って状態になったら、優先順位をつけてみる。
宿題とか、やらなあかんこと、ってのは、上につけると社会的信用を失わずに済む。
行動出来る範囲が狭まると、能力上昇効率が悪くなる。
それは、自己実現から遠いので、まず「やらなあかんことをを上にしたらええ」
やらなあかんこと、ってのは、勝間(2007)のフレームワークで言う、「消費の時間」(p.110)に該当するカテゴリのこと。
勝間は、緊急かつ重要、と、規定している。((無理なく続けられる年収10倍アップ時間投資法 勝間和代))
「消費」を優先することは、藤田(2003)も「まず仕事を最優先させること」(p.43)と訴えている。((資格がいままでの10倍早く取れる本 藤田康雄))
ただ、習慣化したいをアウトプットしたはずなんで、消費カテゴリが、あまり出てくることはないと思う。
やらなあかんこと、ってのは、基本的に強制力があることやし。習慣化させられてる可能性が高いんよ。
むしろ、やりたい事で沢山出てきてるのは、勝間(2007)でいう、空費(緊急ではなく低重要)や投資(緊急ではなく重要)だと思う。
で、24時間しかないのを、どう配分するのか、というのを、自分なりに判断してみる。
優先順位の付け方としては、藤田は「仕事(消費)>勉強(投資)>持ち帰り仕事>趣味(空費)」
勝間は「消費(仕事)>投資(資格)>浪費・空費」やけど、その優先順位ってのは自分がやりたい通りにやる方が続くと思う。
というのも、個人的な意見なんやけど、仕事>趣味って絶対かあ?
別にゲームをする時間を、前に持ってきたってええやろ。漫画を読む時間を、もっと増やしてもええやろ。
そういう時間を捻出するためには、能力を上げて転職してブラック脱出したり、所得を増やしたりする必要があんねんや。
でも、海外ニート(2010)のいう「労道教」(( 日本では「労働」が「労道」になっている http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/blog-entry-345.html))の信者なら、趣味の時間を節減することによって、業務から得られる収穫を増やすことにもつながるで。
これは、自分が信仰されてる宗教によって、選択したらええ問題ですわ。
まあ、どっちかよう分からんわ……いう人は、アレや、労道教を信仰した方が、所得は増えるで。
資本蓄積した後に、どう使うかってことを考えると、できる幅も広がるわな。
リーマンとか、そういう可処分所得が小さい人間やったら、所得を稼ぐ手段である、仕事を大切にすることは、合理的な判断やと思います。
ここが一番難しい。では、失敗例を検討してみる。
Doの分野で、俺が続かなかった例を記載する。
失敗1:帰宅して、9時から英語の教科書13ページやる、10時には国語の問題集に移行して、11時には数学のry
理由1:予定通り進みません。そして、やる気なくなる→「やっぱワイにはできへんかったんや!」と、できないと学習してまう。
そして、時間を空費する。
対策1:あそびを持たせる。予定ってのは、理想の状態やから、それをトレースするんは難しい。
一回約束を守ったら、もー守らんでもええかなーって、学習してまう。
守らんでもええ、という気持ちは、やる気の減少に繋がります。
失敗2:あれもこれもと、自分が使える時間以上のことをやって、結果何も身につかない。
理由2:まあ、ほんまかどうか知らんが、効果が出て来るまでこんだけ時間がかかるらしい((初級システムアドミニストレータ「150時間」 http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51422676.html))
単純な話やりたいことを増やし「すぎる」と、投入出来る時間が分散されてしまう。
そんで、結果でるのは時間が遅れる、ってことは確実。結果が出ないとやる気が無くなる→「やっぱワイry」現象。
対策2:やることを厳選すれば、効果が出やすい。
最初は厳選して、それを高いレベルにすれば、必要な時間が短くなる。
この文章読んでるってことは、日本語の勉強特別にやらんでも、日本語読めるやろ。
そんで余った時間に、やれなかったことをやれば、できる総量は増えるんちゃうか?
失敗3:ダイエットは明日から~♪ダイエットは明日から~♪と、念じていれば痩せると思っていました
理由3:なんか目的を作ったら、満足してまう。目的の設定は、ナビを設定しただけやねん。目的地まで走らな、つかへんのや……。
対策3:具体的にやる方法を、計画・決定し、実際に行動する。((これがムズイんや!うまく自分を操縦してくれ!))
よく言われることだけど、やりだしたら結構、止まらないってことが多い。
だから、最初だけしんどいとおもう。具体的なやり方は、いろいろ議論されてる。
知らない人のために何個か()の中は個人的な感想
・机を綺麗にする(これは、掃除してまうと思う)
・時間を決める(これは、難易度高いと思う。残業でたり、うんこ行きたくなったりしたら詰む)
・何かの行動に続けてやる(トイレ→手洗い、飯→歯磨きみたいな)
ちなみに俺は「1日サボると、取り返すんめんどいなあ。後回しする方が、めんどいなあ。せやから、やったほうが得やな」って、自己洗脳してます。
またある時は「この時間を、勉強に費やした方が幸福度高そうやな。ここでゲームすると、今は楽しいけど、後で苦労するで!純幸福度はどうやろ……」とか、そんな感じ。
「じゃあ、俺のアクセルは、どうやったらかかんねん!」
普段どういうときにアクセルかかってるのか、考えてみたらええかもせえへん。
そこにヒントがありそう。
「もっと知りたいんや!」やる気 方法 で検索すればアホみたいに出て来るから、お知恵を拝借すればおk。
でもなあ、あんま検索せえへん方がええかもせえへんで。
というのも、実際アクセルかかれば、どんな方法でもエエんやから。
愚直にやればアクセルあったまってきたりする、これが一番の方法かも。
ところで、これ読んでる人は、一昨日何食べたん?
これ即答できへん人やったら、辛い思い出も覚えてない可能性が高い。
何が言いたいかっていうと「辛い思いもいちいち覚えてへんのや!」ってことです。
「あーだるいわー。でも、3時間後にはこのダルさ忘れてるしなー、よしやろう」
この考え方、8月31日は毎年地獄の俺には、ちょうどよかった。
ほんまに辛いこと覚えてるんやったら、毎年8月31日は地獄にならんて。
失敗4:時間は作らなできへんのちゃうか?これって、よく指摘されることだけど、俺の場合はなかなか気付かなかった。
対策4:なかったら作ればええんや!
よっしゃー、時間は作るでー。
ただ、「何時に宿題」とか言う、時間の作り方は、俺には継続が難しい。(業務とか、授業とかは別・強制力の働かない状況で)
ほな、どうするか。
俺の出した答えは、定石である「スキマ時間の徹底利用」だった。
人間の集中力は15分。つまり、最初の15分は、かなり効率良くトピックを頭に入れることができるということだ。
これを利用する。たとえば、受験生の場合なら、覚えたいトピックを、ノートに記して、すぐ取り出せる場所に配置する。
そして、授業の合間とかでも、先生が「今からプリント配るからー」とかの、空き時間に、ノートを開く。
5秒もあれば、そのトピックを確認出来るはずや。
そして、ソレに対する解釈をし、理解を深める。
受験生は暗記したがるし、実際暗記も大切。((暗記せな対応出来ない試験とか多いし))
でもなあ、大切なことは勝手に覚えるから、概念理解するほうが楽やで!
ただ、あくまでもスキマ時間の利用であって、また先生がお話始めたらちゃんと授業聞いた方がええで!
なんでかっていうと、内職よりも、教師との情報交換によって、トピックへの理解を深めた方が、おもろいとおもうから!
うまいこと自分なりに発見して、自分なりのやり方作ったらええんちゃうかなあ。
探すんもおもろいし、いい気分転換なると思います。
ポイントは
・簡単に参照できる
・すぐやめれる
この二つやと思います。
失敗5:なんだかんだ言って続かへん……
理由5:できへんもんは、できへんのや…
対策5:自分の中でやる理由を作る
要はドクトリン形成。このドクトリンは、他人からコピペしてもうまくいかん。
似てきてもええから、自分なりのアンサーを出すことが大切や。
ちなみに、俺のドクトリンはただひとつ。
重要なことは、蓄積をすること。
これを、俺の中で暗誦するんだけど、その度に、昔剣道の先生が言ってたことが思い出される。
「みなさん、私は1日どれだけ素振りをしていると思いますか」
剣道の先生やで、めっちゃ素振りしてると思うやん、せやから、そう言ったんや。
そしたら「お酒を飲んでしんどい時も、1日1回以上を目標にしています」当時は意味わからんかったわ。
でも、今なら、ちょっと分かる。
たった5分でもええ。
重要なのは、辞めないこと、毎日続けることやねん。
つまり、目標達成のための時間蓄積、時間蓄積のための行動、そして習慣化。例外を作らないことや。
できへん壮大な目標をぶちあげて、時間を空費することは、もう辞めたらええねんや。
5分でも愚直に蓄積すれば、0分より全然ええと思うで。
ほな、その5分を蓄積しまくればええねん。
>3.実際の行動を記録する。(PDCAのCheck or Study)<
やったことは記録する。
行動記録はモチベーションの維持の効果がある。
では、失敗例を
失敗1:正確に記録しようとする、やる気が失せる、ワイ略
理由1:記録が目的になってしまう
対策1:記録はかなりゆるい範囲でいい。3分しかやってなくても5分で記録すればいい。
重要ようなことは、蓄積することであって、記録することではない
失敗2:記録が続かない
理由2:めんどうだから、続かない
対策2:簡単に記録できるようなシステムを構築する。
エクセルとかで気合入れて作ろうとすると、結構つまずいたりする。
次の2つの条件を満たせばOK
条件1:簡単に記録できる
条件2:後から確認しやすい
これが達成出来るなら、パソコンにこだわらず、カレンダーに時間を記していってもいいし、シールを貼っていくのもいい。
英語を合計で30分やったら青いシールとか、1時間やったら☆とかそういのもいいかもしれない。5分毎にシールはるのもいいかも?
クエリで平均何時間とか本格的に分析して、細かい数字を出すのも楽しい。
でも、時間の蓄積計測は目的じゃなくて、時間を投資した中で何を自分のものにするのかが、目的だから、そんな精密でなくてもいい。
そして、記録は分析にも利用できる。
たとえば、「お、寝る前は効率良くやってるな」とか、「朝起きたときのほうが、はかどってるかもー」とか、そういうのを抽出できればラッキー。
その時間に積極的に、時間をつくっていけば、より短時間でたくさんのトピックを覚えることが出来る。
この辺の分析方法は、俺は、試行錯誤中。
たぶん経営学のあたりの範疇から、インストールできる概念多そうだと思うので誰か教えてください←主題
>4.改善点を見つけて、アップデート。(PDCAのAct)<
分析して、上がってきた課題を、次の計画に組み込む。
そんでアップデートすれば、同じ時間で、よりたくさんのことができるはず!
ってか、改善まで来てるってことは、三日坊主は脱却してるやろ!
もっと出来ること増やして、みんなが自分の理想を達成出来ればええね!
最後はあきっぽさ炸裂で、竜頭蛇尾や!!
例えば児童ポルノを読んでいる人が、児童ポルノにはまっている人は非常に真面目なサラリーマンである。これはぼくは非常によく理解できるんですが、非常に真面目で、過剰な規範意識という呼び方をしてもいいと思うんですが、過剰な規範意識を持っている、社会生活において過剰に適応して、過剰な規範意識を持っているけれども、一方で児童ポルノにはまっていく。それは何故なんだろうかというところを考えて、そこら辺の説明まできちんと踏み込む。性というものをどういうふうに捉えるかということを、理論的バックをきちんとした上で、これはこう規制する。アニメであろうと漫画であろうと、具体的に実在しなくても規制するんだというときには、性の問題はこういうことなんだということを、きちんと理論的な背景がなくてそれをやろうと多少いろいろな問題が出ると思うんですね。
まさかとは思いますが、この「真面目なサラリーマン」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。
今まで仕事中に必要なこと以外ろくに会話もなく、仕事上がっても人が歓談してるその横を形だけの挨拶して帰ってたでしょ。
なんで今になって突然会話に割り込もうとし始めたの。
今まで話してた人たちを(物理的な意味ではなく)押しのけて会話を遮ってるの気付いてる?
人を不快にさせたり、気まずくさせてるのに気付いてる?
なんでいきなり自分も会話の中心の一人になろうとするの?
なんで話に興味があるってことを示してワンクッション置いたあと、相手からの反応を待ってから会話に混じることができないの?
人の家に上がる前はチャイム鳴らすでしょ。
いきなりドア開けてリビングで歓談してる人たちの所に乗り込まないでしょ。
なんで「Aはよくて俺は~」とか言えるわけ?
確かに貴方とA君はよく似たタイプだけど、彼は会話に参加したいって意思を最初に示して、その場の人間に受け入れられてから話の輪に加わったんだよ。
最初から受け入れられるの前提で、いきなり輪の中に割り込んでくる独りよがりな会話の入り方しなかったんだよ。
いい年してこの程度のこともわからないの?
人との距離感が分からない?
いい年して何言ってんの?
距離感がわからないなら、相手とのそれを測ろうとしたりしないのは何で?
似たようなことをA君も言ってたけど、彼はそのあたり特に気にしてるっぽいよ。
ちょっと過剰で、人の顔色伺うような感じになるところがマイナスになってるけど、貴方みたいにいきなり土足で相手のテリトリーに踏み込むようなことは絶対ないよ。
どうして毎回同じことを繰り返すの?
引き際も弁えてないの?
あーもう
ウザい
思いつくまま書いていったらかなり長くなってしまった…
まず指摘の大かった『女子は「ほんと男子って馬鹿よねー」って言いながら実際興味しんしん』の部分についての言い訳。これについては非常に申し訳ない気持ちでいっぱいです。「女性の性に対する抑圧」「処女厨となにが違うの」の指摘は、自分でも書きながら意識していた部分であり、痛いところを突かれたなと感じています。
最後の段落の意図については、自分のいいたかったことは『いっそみんなで開き直りましょうよ』の前までで言い切っているので、あとは極論を言って『落ち』を付けようかな、という感じで書いた文章です。
当初ここでは、指摘されたような「男性はニッチなポルノでオナニー、女性はBLで楽しくオナニー」みたいな文章を書いていました。しかしすぐ「女性の性のはけ口としてBLを扱うべきか」「そもそも女性の性について、軽く冗談めかして極論を言うだけのバックボーンとしての知識があるか」という考えに至り、段落丸ごと全部削るかどうか悩んだ結果『男性』を『男子』、『女性』を『女子』にし、さらに女子の台詞を「ほんと男子って馬鹿よねー」という小学校の学級会を連想させるようなより冗談っぽい表現に変えました。書いた当初は「興味しんしん」で女性の性欲について多少触れたつもりだったんですが、不適切であるという指摘はもっともです。
また、表現を変えた、ではなく、逃げた、のほうがより正確かもしれません。
結果、多くの人に不快な思いをさせてしまったようで、本当に申し訳ないです。女性の性欲について踏み込むのを躊躇したあげく適当にお茶にごそうとして自爆するぐらいならやめときゃよかったかもしれません。最後の段落については、ちょっとどうするか考えます。(削除するか、変更するか)(でも個人的にやっぱなんか適当な落ちは欲しいんですよね。)なお、BLに関しては「女性の性欲のはけぐちとしての部分もあるものの、男性は男性らしく、女性は女性らしくといった性差の抑圧を取っ払ったうえで、恋愛を含む人間同士の関係性を描くための手段としての側面が強い」と考えており、また、女性の性欲に対しての知識は恥ずかしながら「あるのは知ってるけど、どんぐらいのもんなのかは想像することしかできない。訊くのもむずかしい」程度のものです。
「この増田のような人が腐女子を叩いているんだろうと思った 」という指摘について。
BLにはほとんど聞きかじった知識しかないものの、強く興味を抱いており、たたくなんて。そんな。そこは強く「違います」と言いたい。
食わず嫌いしていた少女マンガを「すげーおもしれー!」と目を開かせてくれた『ポーの一族』でした。女性作家の漫画で最高傑作だと思うのは『日出処の天子』。よしながふみは漫画はもちろん対談集も購入しており、羽海野チカは短編読みたさにコミックキューも買いました。そんでハチクロの最終巻みてちょっと後悔。男性の漫画好きとしては典型的すぎるラインナップですが、それでもこれらの名作を生みだしたBLという文化について、たたくことなんて考えられません。あといちおう、最初から最後までエロいだけのBLも読んだ経験が何度かあります。あれ、比喩表現の一部とか男性向けエロ小説と共通してるから、普通に勃起するんですよね。めちゃくちゃびっくりした。すごく面白かった。
ただ「未発達な蕾」っていう表現が出てきたときには、笑っちゃいまいた。「蕾」って、女性器を花弁に例えることが前提として比喩表現だと思っていたので。結構普通にBLであるわけ?菊の蕾?普段は聞きたくても聞けないのですごく気になります。
…とまあこんな感じなので、叩くような思想は持ち合わせていないつもりです。ただ、自分自身誤解している部分もは多くあるだろうし、文章からいやな感じがにおいたってきてるところもきっともあはずなので、もしよければ簡単にでも指摘もあえるとすごくありがたいです。おれ、ふじょしにきらわれたくない。
「秘めることを悪いことだと勘違いしている。日本だけがポルノの国ではない。ポンペイの遺跡や欧米のポルノショップやエグイAV等も観た方が良いと思われ。」という指摘について。秘めることは別に悪いことではないと考えています。いちおう秘めることを悪いというのではなくて、元エントリは「なかったことにしようとするのは無理筋じゃね?」という感じのニュアンスで書いたつもりでいるのですが、誤解を与えるような表現だったなら申し訳ない。本意ではないと弁解させてください。あとポンペイの遺跡についての知識はないですが、欧米のえぐいやつについては、昔某マニアックAV専門店(邦洋問わず)の倉庫整理のバイトをしたことがあるので、いかに世界が広いかということについては認識しているつもりです(遠い目)。
最後に、特殊性癖(性嗜好)うんぬんについて。例に挙がっているような、他人を物理的に強く傷つける性嗜好はもちろん倫理的にアウトだと思います。ただまあ、現実に実行しないかぎりその人の人間性が否定されるわけじゃないし、想像するのは自由だと思うので「たいへんだとは思うけど、うまくおりあいつけてください。吉良吉影がかっこいいのはジョジョの中だけです」って感じでしょうか。なお、倫理判断はケースバイケースで。
元増田です。考え込み続けてます。
文句のつけようが無いと思う。
後だしは卑怯ってのは承知の上で、俺としては彼女に「今すぐ婚姻届を出してしまおう」と主張してたのだけれど
「喧嘩別れになっても構わないから、報告に行くのが誠意だろう」と彼女に言われて
彼女の親に会いに行ったという流れがあった。俺自身も、同意を取り付けられるか否かはともかく
「報告」はするのが筋だろうと思うところはあった。これは俺の考え方と照らし合わせれば明らかに矛盾になる。
その上で、彼女は十年でも二十年でも待つ。
その上であなたの納得のいく時期に婚姻を結ぼうと言った。
俺はもしかしたら「結婚」に対してそんなに意欲がないのかもしれない。
いや、もう明らかだけど俺は「結婚すること」に対してそんなに意欲的じゃない。
ただ、彼女とつながりを持ち続けることに対しては意欲があるから婚姻届を出すことに同意出来る、それだけだ。
俺は未だに「結婚」ってものに対して、法や契約といったもの以外が介入すべきだとは思わない。
俺自身が「家族」っていうものを持たない以上、それが間違っているとは思わない。
でも、俺は実際のところ「結婚」そのものに対して強い動機を持っているわけではなかった。
その上、俺は他人の痛みが徹底的にわかってない。非常に残酷な人間であると思う。
しかも、自分が残酷であることに気づいても、そこに実感が伴わない。
俺は独りで生きるべきだと思った。
彼女とは別れるべきだし、俺みたいな人間が結婚なんて単語を口に出すべきではなかった。
そもそも俺は結婚なんて単語を使う資格がない。彼女とは別れようと思うし、殴られても仕方なかった。
俺は、増田の言うことを理解は出来る。でも、絶対に納得は出来そうもない。そういう人間はそういう理屈の通じる範囲で生きるべきだ。
彼女や彼女の父親のの領域に踏み込むべきじゃなかった。正しい正しくないではなく、それは俺が口に出していいことじゃなかった。
くそったれ。
彼らを友人と呼んでもいいのかな。
そう呼んでいたいのは私の一方的な思いなのかもしれない。
彼女とは小中の同級生。
でも彼女とは元々そんなに仲がよかったわけじゃない。
ただ共通の友達がいて、なんとなく遊んでいただけ。
共通の友達がいなければ関わりあうこともなかったのだろう。
3人なべを囲んだ。
温かい気持ち。
少しだけ唇を噛んだ。
迷惑かな?とも思ったけど、彼らはいつだって私を迎え入れてくれた。
あんなことしたのに、彼らは私を許してくれた。
「俺達、結婚するんだ。」
わかってた。でもその時は大げさに驚いたふりをして「おめでとう」
3人、家族みたいだね、って言ってくれてた。
でも彼らは本当の家族になる。
私が踏み込むことの出来ない領域。
はじめから踏み込むことが出来なかった領域。
彼女は順調だった。
彼女は恩人だった。
でもどうしても好きにはなれなかった。
家族にも周囲にも愛されていた。
私が父から暴力を受けていた頃に。
私が母からいらない子って呼ばれていた頃に。
私が周囲からいじめられていた頃に。
「もうこういうこと、やめようよ?」
私はいじめなんてどうでもよかった。
いじめなんて慣れていたし、友達なんていらない。
本当は誰よりもわたしのことを見下していると思ったから。
「ありがとう・・・って言えばいいの?いい人ぶるのはやめなよ。」
お金で体を売った。V系追っかけの仲間と非合法のドラッグに溺れた。
ひさしぶりに会った彼女は何も変わっていなかった。
3人なべを囲んだとき、温かい気持ちになった自分が許せなかった。
私は彼を誘惑し、彼は私を拒み、彼女は私を許した。
私は彼女の何を妬んでいたのだろう。
環境?
容姿?
学歴?
そうだと思ってた。
でも違うんだ。そんなんじゃなかったんだ。
私が妬んだのは彼女の優しさ。
妬んだというのも嘘になる。
そんなものが存在するとは信じられなかった。
いや、それも嘘かもしれない。
そんなものが存在するのなら私のいままでが否定される。
だから嘘であってほしかった。
私が世界を歪みと呼んだとき、彼女はその歪みのなかに星のように輝く確かな何かを探した。
もし彼女が私に生まれてきても、きっとそのようであろうとしたのだろう。
世界を愛そうとして、世界を愛することができなくて、世界を信じようとして、世界を信じることができなくて、
世界を解ろうとして、世界を解ることができなくて、世界に訴えかけたくて、世界に訴えることができなくて、
彼女が持っていたものは私になかったもの全て。彼女が守ってきたものは私が捨てたもの全て。
あの2人に加わることは出来ない。私は私の道を歩いていく。
向こう岸の街明かりがまぶしくてもかすかな星の光を探して。
もう手遅れって言われるかもしれないけれど。
振り返って、拾い集めて、また向き直って、走り続けたい。
私が私になるために。私が許されるために。
2人幸せになって欲しい。
助けてくれたあの時言えなかったこと、今なら言えるよ。
ありがとう。