はてなキーワード: 踏み込むとは
いや、ぶっちゃけ具体論の話はしたくないので投げやりです。
anond:20091229122846が諦めるために頑張れって言ってるから、確率を下げるために頑張る、にすべきじゃないかと。
確率的事象なので起きるときは起きるし、起きないときは起きません。が、統計的にみてこれぐらいの確率で起きる、っていうのはあるわけです。例えば強姦が横行してる国とそうでない国があって、両者で確率違うと言えますよね。つまり環境によって確率は変わると言えます。
で、条件によって確率が変わり、確率に影響を与えていて各個人が操作できる条件がある、とします。だとすると、個人の頑張りで確率を下げることもできます。が、頑張って確率を下げたところで、確率はほとんど変わらずコストに対して割に合わない、だから頑張る必要はない、という立場はありえます。
で、頑張って確率下げたとしても、確率的事象なので実際に現実に起きるのは、強姦されるか、強姦されないか、という結果です。頑張れ、っていうのはその結果に対して踏み込んじゃいけないと思うわけです。結果に敷衍するから二次被害になるのです。だから、結果に踏み込むべきでないと言いたいのが、「事前確率をいかに小さくするかの話である、とすべき」という話だった、と。
以前、身近だった年下の女の子がいて。
で、その子のことは好きだった。性的な意味でなく。
彼女はちょっと歪んでいた。ありふれたことなのかも知れないけれど。
決して異性に関心を持たれないようなキャラクターでもないのに、恋愛の、性的な関係の主体になることも、客体になることも自分に許さなかった。求められることはすべて拒み、自分の中にある求める部分は抑圧した。20代も後半になるまで。
俺にはそれが全部、痛ましく見えていた。
どうして彼女がそんな風になってしまったのか、の理由も見当はついていた。母親との関係だ。でも、そこに踏み込むのは躊躇していた。理由の一つは、彼女が俺を望んでいたから。
一人の大人として、性的なものを踏まえて他者との関係を結ぶこと。
これって死ぬほど面倒くさくて、でもだいたい性欲に引き摺られてその事を考えざるを得ない状況に若いうちに否応なくなってしまって、あれこれと失敗を重ねながらなんとなく学んでいくんだろう。他人のことはよく分からないが。
そして、それを切り離して拒んでしまえば、きっと楽なのだろう、という気もする。
ただ、それは大人としては歪んだ形ではないのか。
本当はそんな事判りはしないのだけど、当時の(さっぱりもてた訳ではないがそれなりの日常的な恋愛沙汰の中にいた)俺は彼女の姿を見ながら勝手にそんな事を考えて胸を痛めていた。血の繋がらない人間を相手に、愛する事、愛される事を(セックスも含めて)試みるべきなのにな、とか思っていた。
余計なお世話だ、で話が終わらないのは、彼女の中のそういう壁、みたいなものを打ち破る力を俺が自分で持っているのを理解していたから。彼女は俺には受け入れられたいと思っている。相手が俺なら、性的関係も受け入れる(彼女の母親が俺の事を認めていたから、彼女が自分の中にある規範を乗り越えるのも比較的容易だろう)。
ただ、俺はそうしたくなかった。彼女は十分に愛らしくて魅力的だとは思うが、俺は彼女との間にそういう関係を結ぶことを望まなかった。これはもう単純に、俺の女性の好みと性的嗜好が原因。
そうこうするうちに彼女の状況が激変した。彼女にとっては世界の半分が消し飛ぶような激変。具体的に言うと母親の重病。
俺はもうその頃彼女の身近にはいなかったが、電話を受け取る事はできた。連夜彼女は電話で苦しみと悲しみと不安を俺にぶちまけた。俺が彼女と逢えないことを、彼女の苦痛を受け止めないことをなじった。俺は俺で、電話という状況の中で彼女に言える精一杯の言葉を口にして、同時に彼女と俺の間にある距離に感謝した(これはひどく邪悪な心理であるように自分では感じられたのだが、どうなのだろう)。
来るべき時は来る。彼女の母親は死んだ。彼女は電話口でその事を俺に伝えた。
連夜の電話は途切れなかった。彼女はもちろん、なくなってしまった自分の世界の半分を埋めるべく努力を始めた。そして俺は電話口で、求められるがままに彼女を支える言葉を吐き続けた。
もちろんそんな事は俺の自己満足以上のものではない。その事は判っているから自分でも気持ちが悪いし、ぶっちゃけ生活にも支障が出てきたので、彼女ができるだけ早く立ち直って電話をかけて来なくなるのを望んでいた。
それでも、彼女にできるだけ幸せでいて欲しい、と思う気持ちは別に嘘ではなくて。そもそもこういう状況になったときに俺しか頼る相手がいない、と言う状況に自分自身を追い込んできた彼女自身の事が、恨めしく。
彼女は立ち直りに失敗した。電話口で自殺を仄めかすようにまでなった。
自分でも本当に愚かしいと思う。
母親をなくした彼女は、なんとか自力で大人の女として独り立ちしなければいけない。それに失敗すれば、それはもうそれだけの話なのだ。それが歪んだ人生なのかどうなのか、誰にも判りはしない。俺はそこで切り離すべきだった。
俺は彼女と会った。会っただけでは立ち去れず、彼女の家に泊まった。
もちろん楽しくなんかない。気持ちよくもない。処女を相手にしたセックスなんて最低だ。こちらがその行為に込めたどんな気持ちだって、想いだって伝わりはしない。抱かれた事は嬉しいだろうけど、その嬉しさはその場で実際に彼女に触れている俺に向けられているんじゃない。俺はここにいるのに、どうせ彼女は「想い続けた男に処女を捧げている自分」の事ばかり考えている。
そして俺は自分の場所に帰った。そう簡単には会えない、離れた場所へ。
彼女は俺を求め、苦しみ、そして俺を恨み、呪った。そして時間をかけて立ち直り、別の男を受け入れ(あるいは受け入れられ)、結婚した。まったく連絡は取っていないけれど、先日来たメールでは幸せそうだった。
客観的に見て、俺のした事は最悪だ。
愛してもいない女を相手に、その女が普通の精神状態ではないことにつけ込んで、その後の彼女がどれだけ苦しむのか想像がついているにも関わらず、セックスに及んだ。
多分これは彼女からすると、レイプと変りない、犯罪的な行為だ。
予想通り彼女は深く傷付いた。彼女からすれば、セックスを行った後は彼女のすべてを俺が受け入れ、消し飛んだ彼女の半分の世界は俺が埋める、と言う事になるはずだったのだろう。それは実現しなかった。俺が実現させなかった。
当時の俺からすれば、彼女がこれから母親を離れて独りで生きていくに当たって、彼女が唯一受け入れられる方法で(そして俺が唯一できる方法で)彼女の歪みを取り去った、と言う事になる。そしてそれは結果的に成功した。でも彼女にとってはどうだ。彼女は付け入られた、裏切られた、と感じただろう。
今はそう思っていないらしいのが、救いと言えば救いか。
セックスと言う行為が持つ意味を共有するのは、当事者同士でも多分ひどく難しい事なんだろう、と今でも思っている。そしてそれが共有されない限り、すべての性行為はレイプとしての一面を持ち得る。もちろん俺なんかよりも遥かに高いコミュニケーション能力を持っている諸兄姉にとっては別なんだろうが。
先日、偶然、本当に偶然元カノに会った。
別れてからだいぶ時間も経っていたし、別れ方もさっぱりしていたので、
久々に会った友人感覚で話が盛り上がってしまい、
後日夕食を食べに行く流れになった。
で、この前の連休、一緒に食事をした。
もともと美人だったんけど、化粧も上手くなっていて、髪型も好みで、少しドキドキしてしまった。
でも彼氏いるんだろうなと思いつつ、聞いてみたら、意外にもいないらしい。
俺も独り身だから、と無駄に期待してしまう。
とはいえ、もうこの人とは一度別れた関係なので、その期待にも躊躇いが混ざる。
ここは自分にはっきりさせようと、そういう話にも踏み込むと、彼女はもう俺には恋愛感情はないと言った。
……そうか、そうだよな。よし、わかった。
その後、場所を喫茶店にうつし、付き合っていた頃の話などで盛り上がった。
「恋愛感情はない」と割り切った方が、コミュニケーションは円滑だった。
そう思うと、付き合っていた頃にはしにくかった話(結婚観の話とか)も自然に出てきた。
互いに変わった所、変わってない所を言い合うのは、とても楽しかった。
――二人はもう元カノと元カレでもない。ただの友だち……しかも仲の良い友だちだよね。
そう確かめ合っているのだと思っていた。
俺は「何て言って別れたらいいかな」ということを考えていた。
「またね」なんて言ったら気があるふうに聞こえてしまうだろうか。
すると、家に着く直前に、彼女の方から口を開いた。
「今晩泊まっていく?」
その瞬間、全てが、夕方からその時間までに起こったこと全て、いや、二人で確かめ合ったこと全てが、裏切られたと思った。
俺はやんわりと断って、「さよなら」とだけ言って別れた。
会うんじゃなかったと思った。
別れたときの記憶がよみがえってきた。
俺はできれば関係を続けたかったが、彼女は終わりにしたいと言ってきた。
俺は彼女を尊重して、話し合い、別れることにした。
未練は断ち切ったつもりだったし、今日だって変な期待は棄てた。
そして俺は今日、友人としてなら彼女と話すことができるとわかって、嬉しかった。
彼女が裏切ったのは、その全てだ。
別れたときも、そして今日も、彼女が言うとおりに、俺は未練を棄てたんじゃないか。
それなのに、彼女は、その俺と、セックスをしようと思っている。
受け入れられる安堵と裏切られる怒りで、俺は涙が出そうになった。
俺はどうすればいいのかわからなかった。
ただ、このままでは泣いてしまうことだけはわかった。
涙を見せる悔しさを思うと、俺は断って、帰った。
今こうして書いていても、あのときの判断が正しかったのかわからない。
でも、これで俺はようやく彼女と本当に別れることができた。
未熟者だと嗤われてもしょうがない。
俺にはこうすることしかできなかったのだから。
うーん、騙されてんのかどうかは判断つかないけど、
27まで魔法使い候補だった、漏れのアドバイスとしては、つきあわないことをおすすめしたい。
っていうか、初心者に人妻不倫は扱いが難しすぎるだろ。問題が起こったときの、元増田の対処能力が低いと、泥沼る危険性が心配。
それに、非モテ歴ながいと、「ああ、あれは一夜の夢だったんだな」的な感じで、スルーしても、意外とだいじょうぶだしね…!
でも、その女性が、本当にだますつもりなのか、どうかはわからないけど、まあ、そこまで疑うのもかわいそうっつーか、非モテ根性のねじれすぎで相手を傷つけるのも不幸なことなので、
相手の好意を非モテ根性で疑わなくてもいいけど、おわかれすることを推薦、ということで。
っていうか、相手のほうにも本当に旦那(&子どももいる?)と分かれてまでどうこうするかの覚悟があるような、きちんとした女性かどうかが判断できない状態で、一線越えた状態に踏み込むのは、やめたほうよいと思われる。曖昧に、踏み越えちゃうのは最悪。こじれる可能性のあることなので、こじれてもいい、という覚悟を、この上なく明確に判断した上でお互いに合意のうえで踏み込むのなら仕方ないとはおもうけど。彼女がそこらへん、曖昧にしたままで、エロい感じで誘ってくるのなら、ちょっと、信頼のできないヒトだなー、と自分なら思う。フリーならいいけど。
元増田が高度なトラブル対処能力がある、と自分に自信を持てているのならば、別にしたいようにすればいいとおもうけど。
ほかのヒトも書いてるけど、美人局(つつもたせ)って可能性もあるので、いずれにせよ、それはエロゲではなく、人間として高度なトラブル対処の可能性まで見込んだ上での、対処が求められることなので、要注意。
互いに安心して近しくいられる人がいればいいなと思う。なのに、いざそうなれそうな雰囲気になるとなにかが嫌になって引く。なにが嫌なんだろう。
相手の性格、容姿、性別、年齢、その人と関わる手間、出費、時間、関係の名前(友達とか恋人とか、なくてもいい)、性的な関わり、メールや電話の頻度、趣味、会話の内容、沈黙、ずっと笑っているわけではないということ、言葉づかい、常識、そういうのが嫌なんじゃない。あるいは気にならない。頼るのも頼られるのも、踏み込むのも踏み込まれるのも構わないし、いやそれはねぇよ、と思うようななにかを相手が持っているわけでもない。
そもそも 何それ引くわー と思うことなんて、仲良くなった人に対してに留まらず殆どない。好きなところは無数にあって、相手も私を多少なりとも好いてくれる。
なのにどうして私は人と近しくなれないんだろう?
今さ、部屋にGが出たんだよ。
明日は授業無いからモンハンやってたんだよ。そしたらあのカサカサ音が聞こえてふと視線を落とすと1.5メートル前方下辺りに奴がいた。
刺激して下手なところに動かれないようにするため、足音を消してアースレッド(G専用じゃない殺虫剤)をリビングからとって来て部屋に戻るとさっき居たはずの所に奴がいない、ふと視線を横にすると壁にへばりついてやがる、結構デカイ、身の毛がよだつ、思わずひっと小さい悲鳴を上げつつ廊下にバックステップを取りつつ息を整える、笑ってしまうくらい心臓が早鐘を打ち、鳥肌がヤバイ。
廊下から奴の動きを探るが見えない、どうにもならないので部屋に踏み込むと今度は机沿いの壁にいる。今奴にアースレッドを放って落ちようものなら、机の上未練がましく置いてある、昔好きだった人から誕生日にもらった手作りクッキーの箱(手書きの手紙付)に入りかねない。それだけは避けねばならず、しばらく睨み合いが続く。
何が楽しくてGを見つめてなけりゃいけないのか、悲観的な気持ちになりかけたら奴が心情を察したのか動き出した。
今度はベッド沿いかよ、そこに落ちたら気持ち悪くて今日寝れねぇよ。痺れを切らしてベットを引っ張り壁とのスキマを開ける。手前の机に引っかかって10cm位しか開かなかった。ここは止めを刺したい空白エリアである部屋の南西角に誘導するため逆側から吹きかけ、追い込む作戦を取ることにした。
うあぁぁぁ、動いてる、テラテラ光りながら結構なスピードで狙い通りの方へ向かっていく奴。
ここぞとばかりに集中砲火を足を震わせながら至近距離で喰らわす。
あの「ボトッ、カサカサ」って音が聞きたくないがために一時撤退。5分くらい経ってから死体の確認に戻る。壁には居ないが南西角にも居ない、これがまた嫌だった。
どこに居るかわからない、いきなり死に物狂いで飛んでくるかもしれない、生き物は死ぬ直前に粘る的な事をよく聞くし。下手に動けずそのまま硬直した後、西側のテレビ棚の下を覗く、暗くてよくわからなかったけれどその中でもそれっぽい塊が見えた、ここで殺った事を確認し暫く殺虫剤が部屋から抜けるまでリビングでパソコンでもしようかと思って部屋を出ようとした時後ろから「カサッ」と聞こえた。気がした。
もう一度棚下を覗くと少し手前に動いてきていた。また至近距離で喰らわして、部屋から出て今に至る。
ゴキブリが嫌ですもう、ほんとに。
いい年こいて足震えるし、男なんだからそれぐらい自分で処理しろと言われ自室に出た奴は自力でどうにかしてきましたが、やっぱりダメだ。
どうにかならないもんですかね。
自殺という問題は、それを専門に扱っている医療関係の人でも対応の難しいものです。
電話口で自殺の決意を語られている時、多くの人にとってそれは知りたくない事実で、でも知ったからには自分の目覚めが悪くしないためにも全力で立ち向かわなければならないなにかにかわります。
あなたを知ったからには死んで欲しくない。
そういう意味では、私は自殺という状況には踏み込むというより踏み込まれているのではないかと思います。
実のところ漠然とした死にたい気持ち、つまり希死念慮については、特定の人だけが持っているものではありません。
話題にあった薄命のヒロインたちを扱った作品は、多くの人が持つ漠然とした希死念慮に訴えかけたものです。その意味で言えば、女性の方がずっと強い死に対する思いを持っているのかも知れません。
なにかの拍子に、暴力的な死への願望に引きずられる。それはとどめようのないものにも見えます。
そんなに多くのことが出来るとは思わないことだと思います。
ただ自分自身があとで後悔することがないように、直面した時は全力を尽くすべきだと思います。
警察に通報するというのは、適切な対応ですよ。
激しく今更なので、感想として。
これだけの文章が書けるほどの明晰な頭脳を持ち、様々なスキルを身につけ、ファッション雑誌にも載るくらいの人がなぜ「モテない」という悩みを抱えているのか。
世界が狭い。ただそれだけ。
自分の視野に入る範囲でしか物事を見ておらず、そのテリトリーに引っかかる人とだけ関わりあおうとしてるから。
「待ちの姿勢」って言うのは、自分から女の子に声をかけないことを言うんじゃなくて、自分以外の世界に踏み込んで行こうとしないこと。
色々なことに興味を持って挑戦して自分を磨いて、一見世界を広げる努力をしてるようだけど、その実、自分の手に届く範囲のこと、もしくは世間的に価値があると認められることにしか手を出していない。「良くわからないから一番権威ある情報を参考にしよう」っていう。
そうじゃなくて、周りの人が一体どんな価値観で動いてるのか、それに興味を持ち、理解しようとするべき。
心のどこかで、自分以外の人間に自我があることを認めてないような気がする。
世の中の人間は、自分自身と同じくらい、いやそれ以上に、自分独自の世界観やこだわり、好みをもって動いている。
どんなに頭空っぽに見える馬鹿スイーツ(笑)でも、「メディアはこういってるけど、でも私はこれがいい」って言うような、独自の考えを持っている。
そこに踏み込み、共有することが、「承認欲求」が満たされるための唯一の手段。
表面的にいくら「すごいね」って言ってもらっても納得なんかしないわけで。
単純に、知り合った女の子に、「俺モテるようになりたいんだけど、どうすればいいと思う?」って聞いてみればいいんじゃないかなー
で、ヒアリングしたそれを実行するんじゃなくて、「この女の子はそういう価値概念のもとで動いているんだ」っていうデータにする。
そこに対して掘り下げてもいいし、「でも自分は、こういうのがかっこいいと思う」って価値をぶつけてみてもいいし、もしくはそのデータを他の女の子に「僕の知り合いはこういってたよ」ってぶつけてみたりする。
すると、様々な価値観が浮き彫りにされ、またぶつけ合った双方の価値観が変化する。
そうすると、その「価値観の変化した部分」ってのがお互いに共有した世界観となる。
世界観を共有するということは、その人の中に自分が足跡を残すということで、それがすなわち「承認された」と感じられること。お互いにね。
ミュージシャンとかデザイナーとか、あーゆー人たちがモテるのは、学校などで教わる以外の価値観を追求し、様々な価値概念を貪欲に取り込んでいる人たちだから。
人間関係においても常に相手の価値観に興味を持ち、それを自分の中に取り込んでいる。
また、本人達の価値観も普通の価値観とは違いが大きいので、それをぶつけられた女の子の価値観に変化が大きい。即ち、共有する世界が最初から大きい。
また、こうした形で「モテない」という悩みを抱えている人たちは、非常に優しい人物であったり、とても優秀な人であることが多い。
優しい人というのは、相手の価値概念を引き出すのは失礼にあたるのではないか、とか、引き出した相手の価値観も尊重しようとしてしまい、価値観をぶつけ合うことが出来ない。
「いい人なんだけど」で終わる人ってのは大概このパターン。
優秀な人の場合は、大抵のことを器用にこなせてしまうため、自分の世界を広げるまでもなく色々なことが解ってしまう。
だから、相手の価値観に興味をもつ余地がない。
どこかのタイミングで自分の価値観を壊すような出来事に遭遇すると、結構がらっとモテるようになったりするんだ、こういう人って。
もし、この人が僕の身近にいる人であれば、僕は「とりあえずお金持ちになれば?」と言う。
貯金をためるのではなく、毎日何百万、何億単位でお金を動かすような、そういう人になる。
そうすると間違いなく価値観が変わってくる。
もしくは「オリンピック目指したら?」や「プロのミュージシャンになってみたら?」でもいいんだが、この辺はもともと違う価値観を持ってないと入り口にも立ちづらい世界なので、結構難しい。
だが、肝心なのは、「まるで違う価値観の元に動いている世界」に入るために、それを理解する努力をする、ということなのだ。
少なくとも、年収470万円レベルで、ジャズダンスを習ったり筋トレしたり、手の届く範囲のものだけをやっているのは、精神的には引きこもりなのだ。
お互いにその世界に踏み込むことなく、共通の知識で盛り上がるだけでは、残念ながらネトゲ廃人のコミュニケーションと大して違いはない。
「絶対に手が届かないもの」を無理やり追いかけなければ、世界は変わらないのだ。
自分の世界を壊すことなく、そこに入って来い、承認して欲しいとだけ言うのは、あまりにも傲慢なコミュニケーションといわざるを得ない。
そんなんで告白だけしても、土台うまくいくわきゃないんである。
だから、お金持ちやオリンピックとは言わなくても、誰か一人の人を死に物狂いで振り向かせようとしてみるのもいいかもしれない。
どんな形でもいいから、自分以外の人間、もしくはコミュニティの価値観に興味を持ち、受け入れ、そしてまた否定することをしなければ、一生孤独なままだろう。
最初に書いておくと、私はWindowsを使ってこの文章を書いているし、ソニーのWALKMANを毎日携帯している。
しかし、XBOXには全く魅力を感じないし、PS2は持っているが、PS3もPSPも買う気が無い。
が、2009/6/19から始まったニンテンドーゾーン(とマックでDS)は余りにひどかったので、敢えてここにその酷さを書く。
ニンテンドーゾーンの公式サイトでは、以下の様に説明されている。
http://www.nintendo.co.jp/ds/nintendozone/
『ニンテンドーゾーン』は、ニンテンドーDSのワイヤレス通信の機能を利用したサービスです。全国のマクドナルド※や、つくばエクスプレス※の駅で、ニンテンドーDSシリーズ本体をお持ちいただければ、どなたでも無料でご利用いただけます。実施しているエリアではオリジナルコンテンツや、DSソフトの体験版をダウンロードして遊んだり、ニンテンドーWi-Fiコネクションに接続して遠く離れた友だちとゲームを対戦するなど、さまざまなサービスをご利用いただけます。
DSi発売と同時に開始する、とされていながら、ようやく始まったサービスだ。
しかし、サービス内容以前の問題として、その仕様設計が余りにひどい。
なお、以下の記述は全てDSiで試した話であり、DSiについてのみ記載する。
ニンテンドーゾーンはDSでも提供されているサービスだが、DSでは動作が異なる部分もあり、私は試していないので言及しない。
ニンテンドーゾーンを利用する為には、専用のソフトウェア「ニンテンドーゾン」が必要になる。
(以下、サービスエリアとしてのニンテンドーゾーンを「ゾーン」、ソフトウェアとしてのニンテンドーゾーンを「ソフト」と書き分ける)
このソフトについて、公式サイトでは以下の様に記載されている。
http://www.nintendo.co.jp/ds/nintendozone/howto_dsi.html
1.本体の電源をONにして、「ニンテンドーゾーン」をタッチ。
※「ニンテンドーゾーン」のアイコンは初めてニンテンドーDSiを「ニンテンドーゾーン」のサービスが行われている場所使用したときから表示されるようになります。一度表示されたアイコンは消えません。
※「ニンテンドーゾーン」のサービスが行われている場所ではアイコンが点滅してお知らせします。
まず重要なのはここだ。
※「ニンテンドーゾーン」のアイコンは初めてニンテンドーDSiを「ニンテンドーゾーン」のサービスが行われている場所使用したときから表示されるようになります。
つまり、このソフトはゾーンに入った時点で、個人のDSiに勝手にインストールされる。
正確には、DSiの電源が入った状態でDSiメニュー(DSiの基本画面)を表示すると、自動的にインストールされる。
私のDSiにソフトがインストールされた際は、5秒程度でインストールが終了した。
DSiメニューを表示したままDSiを持ち歩いている人は少ないと思われるが、例えば、つくばエクスプレスの駅でゲームのメディアを入れ替えている時にDSiメニューを表示したままにしていたりすると、その時点でインストールされる。
気付かないうちにインストールされていた、と言う人も出てくるだろう。
これは任天堂にとって、DSiと言うハードウェアを運営していく上で致命的な失敗だと、私は思う。
何故ならば、任天堂は「DSiと言うハードは、勝手にソフトがインストールされる事があります。知らない間にDSiウェアがインストールされていたとしても何ら問題ありません」と言う事にしてしまったのだ。
本体の更新について
「ニンテンドーゾーン」の利用に本体の更新が必要な場合は左の画面が表示されます。画面の指示に従って本体の更新を行ってください。
つまり「DSiと言うハードは、勝手にソフトがインストールされる事があります。知らない間にDSiウェアがインストールされていたとしても何ら問題ありません。突然、本体を更新しろと言うメッセージが表示されても正しい動作なので更新して下さい。」と言うことだ。
当然、自動インストール可能なソフトは特別な認証が用いられ、悪意の第3者が同じ事をしようとしても出来ない様に保護されているのだろうが、そんな事は問題ではない。
ソフトウェアをインストールする際にはユーザの認証を得る、と言う従来のハードウェアで当然とされてきたステップをニンテンドーDSiは破棄してしまった。
「ソフトウェアをインストールする際にユーザの認証は要らない」と言う認識が一般化されてしまったら、どうなるか。
私は街を歩いているだけで勝手に携帯にソフトウェアがインストールされまくる様な世界はお断りだ。
DSiにソフトがインストールされるとDSiメニューにソフトのアイコンが表示される。
このアイコンはゾーンに入ると点滅して、ユーザにゾーンに入った事を通知する。
それ自体は親切な事かも知れない。が、この時、DSiからゾーンのサーバに対してはどの様な情報が通知されているのか?
個体識別情報は送られていないのだろうか?
ゾーンのサービスを利用するユーザが、そのゾーンで個体識別されるのは仕方が無い。
しかし、そのゾーンの利用などする気が無いユーザでも、勝手に個体識別されるとしたら問題だ。
しかも、前述した通り、このソフトは勝手にインストールされるのだ。
こんな事を望んでいるユーザがいるだろうか?
ちなみに、「本体設定」の「無線通信」設定時の説明は「無線通信を使う場合はON、使わない場合はOFFをタッチしてください」だけだ。
本体の設定画面を設計した人間も、まさかこんな使い方をするソフトが(他ならぬ任天堂自身から)出てくるとは考えなかったのだろう。
まず「マックでDS」はニンテンドーゾンを用いてマクドナルドが提供するwebサービスであり、アクセス時にも「ここから先はマクドナルドの責任で管理・運営されている」旨が表示される。
また、「マックでDS」の公式サイトは http://www.mcdonalds.co.jp/ds/ だが、以下に記載する事項に関して、公式サイトには一切説明がない(2009/06/22 21:50時点で)
マックでDSにアクセスすると最初に「なまえ」と「せいねんがっぴ」「せいべつ」を入力する様に求められる。
DSiのメインユーザである低年齢を配慮しているのか、全てひらがなで記載されており、「本名を書かない様に」と言う注意書きがある。
しかし、一方で「ここで入力した情報はマクドナルドのホームページで公開される事がある」との記述もある。
実際、「マックでDS」の公式サイトのコンテンツである「乱戦! ポケモンスクランブル コレクションラリー」には「スーパーコレクター全国ランキング」と言うコーナーがあり、そこでは地域ごとにランキング上位の「なまえ」が表示されている。
表示されている名前はぱっと見て明らかに本名ではないものが大多数で、一部に本名と思われるものもあるが、まず実害のない範疇だろう。
問題なのは、これらの情報の入力時に、その管理方法に関して何の説明もなされていない事だ(2009/06/20時点)。
プライバシーポリーシーの表示もない。第3者への開示に関する記載もない。
「マックでDS」のサービスを利用する為には、これらの情報の入力が必須となっており、ブランクのままで先に進もうとすると、入力を促す画面が表示され先に進めない。
先に進めないどころか、キャンセルして元の画面に戻る事すら出来ず、情報を入力したくなければDSiの電源を切るしかない。
「なまえ」や「せいねんがっぴ」「せいべつ」などの個人情報を収集し、かつ、その利用目的、利用範囲も示さないと言う運用は、個人的には酷いものだと思う。
しかし、恐らく個人情報保護法上は問題にならない。
名前(本名)を取得していない為、個人情報として扱われないからだ。
実態としてはDSiのハード情報で個体識別しており、個体情報と紐付けられた「せいねんがっぴ」や「せいべつ」は、本名と紐付けられた個人情報と等価であろう。
個人情報保護法が如何にザル法かと言う事だが、現状、個人情報保護法以外にこの手の情報管理に関する法律はないので、法律上は問題ない事にケチをつけている事は重々承知している。
今後、マクドナルド以外にニンテンドーゾーンでサービスを提供する会社が増えた際、それらの会社はマクドナルドと同様に個々のサイト上で様々な情報を入手するだろう。
更に、個々の会社が集めた情報を統合して相互利用する事も可能だ(なにしろ運用範囲を規定せずに入手しているのだからやりたい放題だ)。
DSiの個体に対して広告を配信する事も可能だ(あくまでDSi個体であって、個人かどうかは関知しないというお題目の上で)。
ニンテンドーゾーンと言うサービスはこれでよかったのだろうか?
確かに「マックでDS」は任天堂ではなく、マクドナルドが管理運営するサービスだ。
しかし、ニンテンドーゾーンのサービス開始同時に提供されるサービスについて、任天堂の監修が入っていない等と言う事は有り得ない。
実際、「マックでDS」において任天堂のコンテンツである「乱戦! ポケモンスクランブル」のアイテムが配布されている。
両社はニンテンドーゾーンの開始に当たって相当に深い協力関係にあっただろう。
その結果が、これだ。
私は任天堂はこの手のサービスに関して極めて慎重な会社だと思っていた。
保守的に過ぎると思う部分もあったが、そこもまた好ましいと思っていた。
それだけに、ニンテンドーゾーンのこの体たらくにはがっかりだ。本当に残念だ。
ニンテンドーゾーン周りのものに関しては、余りにユーザに対して不透明で、不躾で、プライバシーに土足で踏み込む様なものが多過ぎる。
ソフトのインストール方法もそうだし、マックでDSのプライバシーポリシーもそうだ。
何故、こんな事になってしまったのか。
ニンテンドーゾーンのソフトには「手書きメモ」や「写真メモ」「画面メモ」などの機能があるが、これらについて、どこを見ても何の説明もされていない。
今までの任天堂のサービスであれば、これらを使ったからといって何か不都合が有り得ると言う不安を感じたりはしなかったが、ニンテンドーゾーンに関しては駄目だ。
メモ内容が勝手にサーバーに送られたりはしないだろうが、はっきり言って全く信用できない。
本当に任天堂には裏切られた、としか思えない。
残念としか言い様が無い。
現状、アナログ放送をIODATAのダブルチューナカードで録画している。これは極々一般的なmpeg2で当然DRMもかかっていないので、
これら、私が今遊んでいることはまっとうなPC用デジタルチューナではかなり制限がきつくなる。少なくともバッファローやIODATAで上記機能を全て満たす製品が出ることはないだろう。
私にとって最も絶望的なのは、
本質的には、放映する側がその映像を捨てちゃうからです。二度と見られない、という事態を避けたい。
だから、PC更新したりHDDが一個壊れたり円盤が一枚割れたぐらいで駄目になるようではやってられないし、金額があまりかかるようでは充分に残すことが出来ません。
pt1が私の場合だとリーズナブルな唯一の解決策だったのだが、買おうと思ったときには高騰していてもう手が出ない。
HDUSFなどはいつまた録画できなくなるかわからない。
かといってフリーオはダブルチューナにしようとするとこれまた高い。
PCでお金がかかってしまうなら制限がきつくても専用機で我慢するか…
と思って調べたらHDDの容量が一桁から二桁足りない。そして高い。フリーオ白黒計4台分とか。
自作Atom機にpt1と大容量HDDをぶっ込んで録画機を作るか、フリーオ白黒2台づつとノートPCと大容量HDD複数をUSBでタコ足配線して静かな録画機を作るか。
本家のニュースを日本語に翻訳するというのであれば、不要である。
日本のニュースを流すのに、看板が欲しいのでWSJと提携するというのであれば、志が低い。
ビジネスの立ち上げには、時間がかかる。その時間を、看板を買うことで短縮できるというのは、企業買収における最大のメリットである。SBIは、ライブドアともつながりがあったせいか、まだ、あの時代の考え方が抜けていないらしい。
情報媒体の看板には、余り価値が無いというのが、出版業界の常識である。というのも、インクのついた紙の束に何を載せるかが重要で、毎号毎号の積み重ねが無ければ、実売部数はあっという間に落ちていくという現実がある。放送媒体の様にチャンネル数が制限されていたり、新聞のように宅配ネットワークの実存によって市場を独占していると、他が酷ければ再放送で数字が取れ、ラテ欄とお悔やみ欄と折込チラシ以外は、誰も読んでいないというような、ぬるい環境ではないからである。
インターネット上での情報媒体も同じで、毎日毎週の積み重ねが重要で、スタートラインに下駄をはかせても、記者クラブ発表を並べているだけでは、競争力は無い。独自のネタをやるには、一歩踏み込んでリスクを背負う必要があり、それを法人の看板でやる事は、事実上不可能である。週刊誌や月刊誌が、署名記事や証拠写真といった物証に頼らざるを得ないのは、このリスクを背負わずに事実に踏み込む為である。
言論機関のオーナーは、主筆として自ら筆を取るタイプと、内容には口は出さないが商売人としてがっちりやるというタイプに分かれる。
WSJ日本語版は、どちらのタイプになるのであろうか。前者の人材がいるようには見えないから、後者のタイプになると思うのだが、どんなビジネスモデルを提示してくるのであろうか。
全ての男性に一般化はできないと思うが、こういう状況になっている人って結構多いんじゃないかな。
人って誰でも欠点があるから、恋愛関係に嵌る前の冷静な目で異性を見るとそれでもう引いちゃうというか、それ以上踏み込む必要性を感じられなくなってしまうというか。
若い頃は性欲を原動力とした異性への情熱(=恋愛感情)があるから、冷静な目で見る間もなく「痘痕も笑窪」の状態に陥れたのにね。(それで付き合っていくうちに、精神的繋がりが強くなっていく。)
若いうちは恋愛を開始することが簡単だったから、社会人になって環境が変わって学生時代の恋人と簡単に別れてしまったりするんだけど、二十代後半になって気が付くといつの間にか恋愛を始めること自体が困難になってるんだよね。
しかも、今は男性も一人暮らしを維持する程度の家事能力はあるなどの理由で結婚の必要性をあまり感じない人も多いから、恋愛できないならお見合いで結婚しよう、ともならないし。
感情は高まらないまま、冷静な目だけが肥えていくって怖いよ。
ネットにおいて危ない所に踏み込む事とその結果として損害を被った事に関しては自己責任が基本だけど、そのネットにおける自己責任ルールを実社会にそのまま持ち込もうとすること自体無理があったんじゃないかな、実社会においては突き詰めれば問題点がわんさか出てくと言うのにそれらを「自己責任」として放棄するのはちとおかしい。
冬コミに行けなかったので、友人に何冊か欲しいサークルのリストを渡し、買ってきてもらうことにした。
人気サークルはわざと選ばず、ちょっとの労力で行けるところを選んだつもりだった。
昨日、その受け渡しをおこなったら、頼んでいた分が一冊だけ足りなかった。
「あれ?一冊足りないよ?」と言ったら、
「わざわざ買いに行ったのに文句言うなよ。本当に欲しいなら自分で並べ!」と怒られてしまった。
別にこっちは責めるつもりはなかったのだが、何か気に障る部分もあったのだろうと思い、謝っておいた。
帰りの電車の中で考えた、「善意」って(受けるにせよ与えるにせよ)扱いが難しいよな。
コミケで本を買ってきてくれたのは、友人の善意であることは間違いない。
しかし一冊忘れたことに対して「そんな事全く気にしなくていいよ!」という態度を取ることは難しい。
自分自身は厚かましい人間と言われたことはないけど、そういう人でも難しいとも言える。
友人だって恩着せがましい人間ではない。
頼みを引き受けてくれた時だって嫌な顔をしなかった。
そういう人だって少しだけでもケチをつけられたらイライラするのだ。
「善意」は無力だという言葉は嘘だと思う。「善意」はとても強力なものだ。
「善意」を受けて、「貰えただけでも儲け物」「ないよりある方が良い」という程度に考えられる人は少ない。
人は「善意」を受けてしまえば、麻薬のようにさらなる「善意」を求め、それが続くべきだと信じてしまう。
だからこそ元々は無かったはずの「善意」が突然消えてしまうと、
それが無かった時以上の深い絶望と裏切られた気持ちになってしまう。
与える方も大変である。
元々は見返りや何かを期待しないはずの「善意」であるのに、本当に感謝すらなかった場合は辛い思いをする。
そしてその辛い思いをすることは「善意」が足りない証拠とされてしまう。
それはまだマシな方であり、感謝されればさらに大変なのである。
相手が欲深くなかったとしても、さらなる「善意」を求め、その期待を裏切ることを許さない。
裏切れば、相手からも周りからも「偽善者」という声が待っている。
時として「善意」は、与える方と受ける方で地獄のような関係を作り上げるのだ。
だから、この手のボランティアなんかをしないことにしている。
自分自身がそういう「善意」の地獄に踏み込むタイプだと分かっているから。
とはいうものの、「善意」という厄介なものに関わらないボランティアは楽だ。
人に強制的にやらされている、好きな人に良いところを見せるチャンス、実はこっそりバイト代が出るなど、
そういうのはすごくシンプルなので好きだ。
もっとこの「善意」ってやつを上手くコントロールすることはできないものかな。
そうすればもうちょっと上手くいくことだってあるはずなんだけど。
さの対策。
平穏なブログ運営。だから増田で。気づかれても目をそらさず否定できる。
<中立ごっこ、未熟者と失笑されようが、物言えば唇寒しの状況は気持ちが悪い>意欲は買うが、長年の南京論争を眺めてきた増田には、新参者が手首足首を縛り氷河に飛び込む軽業師に見える。酷な言い方だが、あがいて浮上を繰り返しても、ガスが腹の中で膨らんでいるとしか思えない。如才ない奇術師はパンツに剃刀を縫いこんでいる。南京論争には初心者が陥りやすいトラップがあり、反論もルーチンワークの仕掛けになっている。情熱も知識もない増田だから助言。長文も対応策のひとつ。ひるまないでいただきたい。
三項目の問題点、最後に可能性を探る。
(1)数字
<それでおたくは何人と考えてる訳?>南京事件に触れ、まず数を考える者は多いらしく、頭に浮かんだ疑問をそのまま論争に持ち込む初学が後を絶たない。四万に留意する事。四万以下の数字を主張するのは、はてサに<虐殺三十万人説を証明しろ>と迫るのと変わらない。一蹴されるのが落ちだ。数字は慰安婦強制性では虚偽説の代表的論客である秦郁彦が、廃棄処分を免れた現存する日本側文書を軸にし、明らかに不当な、不法なケースを取り上げて最低限の数を順次加算したもの。覆すには秦の著書を購入し、関連書を参照しなければならない。本末転倒で、不本意な作業を強いられる。四万以上の数を扱う場合は当然資料も増え、最終的に中国側の農村部での人口推移の調査報告まで視野に入れなければならなくなる。
<証明できるのか? 二十、二百かも知れないではないか>見出しの百の文字に惑わされてはならない。元中尉の名誉回復裁判は人数が焦点ではない(数にこだわるなら政治屋弁護士と心中する覚悟がいる)。増田の知る中ではてサに「百人も殺したのだから処刑されて当然」と主張する論者はなかった。「国を挙げての士気高揚、その象徴的人物が戦後に個人の責任を問われた」事件と認識され、同情的な見方もある。産経の「捏造」、「真っ赤な嘘」が指すのは、言論統制、検閲を断行した政府、それに唯々諾々と従った当時の報道人と国民に対する侮蔑だと把握しておけば足元をすくわれない。
(2)検証
テンプレがネット上に大量に転がり、手軽さも手伝うのか、初心者がもっともはまりやすく、もっとも論立てが煩雑なのが細部の検証だ。手軽な詰問に対しては反論も数通りのテンプレが用意されている事に気づかないといけない。相手は気分に応じて資料を選ぶ。複数あるのは遺物の集積と相互依存で史実が成り立っているからだ。独自の疑問点を設定するには書籍の購入が必要であり、新書一冊ではまかなえない。たとえば(1)の不当、不法に言及する場合は法学に踏み込むことになる。質問者をよそおって相手の出方を研究する手口も使えない。また万一資料に不信を植えつける事に成功しても、一人の証言者、一枚の写真に疑問符を付けただけで終わってしまう。労多く功無し。
(ただし「功無し」は学術上に限って。目ざましい功労者にポストを提示する教育機関が現れても増田は驚かない)
(3)政治
<謝罪を繰り返させられ、外交で押し切られる隙を残すのは国益を損なう。否定派には存在意義があるのではないか>メタ視線は悪くないが、楽な筋道ではないのは胆に銘じる。最初に日中間に「南京問題」は存在しない事を確認してほしい。政府は「肯定派」であり、中国は賠償も新たな謝罪も要求していない(調査のために遺骨を発掘しろと主張する者がいたが、ビルや田畑を取り壊す政治力や膨大な費用を日本政府が負う事はない。有志による個人負担となる訳だ)。決議に反した閣僚の発言が、政治問題化しないための「強い遺憾」と「村山談話」の応酬が謝罪の内実。また外交問題ではなく国内問題とする誘導に抵抗するのは並大抵でない。はてサに<中国が怒ってる、問題だ>と、一時期の朝日の影を思い描くのは悪手だ。富田メモによって、靖国親拝中断が中国の干渉によるものとしてきた右派は、靖国を国内問題に渡らせないために「天皇」と靖国の距離を広げざるをえなくなった。辞任問題に踏み込めば、閣僚らの特権的地位について逆に問い返される覚悟が必要。初歩の問答を想定しよう。
「旧軍はバターン半島で捕虜らに最大限配慮した。非難は不当」が持論の司令が、「A区調整、全住民を安全に配慮しつつ速やかにB区へ避難させよ」と命じられたら?
「日本は資産を持ち出してまで朝鮮に富をもたらした。利他的で手本となる施策であった」と講演する政治家が、経済相か雇用対策の特命相に任命されたら?
不用意に無償の政治カードを世界に乱発する人物が、通商代表として使節団を率いるとしたら?
(バターンに関してはネット情報でカバーできる。植民地事情に関しては英国と植民地印度の貿易収支が英側の赤字であった事、双子の赤字を抱えた米国が二つの戦争を始めるほど好景気だった事、当時の日本政府と国民が、兵士の生命と財産を供出しても特アの隆盛を切望したと夢想するだけで間に合うだろう)
(4)トウハセイ
<嘲笑と罵倒では相手は聞く耳を持たない。壁に大声でがなりたて、言い返してこないとふんぞり返るようなものだ>読者を無視さえすれば、論争で宗旨替えした否定派が皆無という事実がこの主張の説得力を後押しする。ここで唯一のトラップは、はてサの多くが自身の党派性を否定していない現実だ。質問に質問を重ねるのを逃亡とみては失敗する。彼らは論争に通じ、経験から言質を取られ議論が拡散する事を嫌う(「黙らせるための問答で満足している」と左派から非難された左の論客もいたが)。<イデオロギーで記事を選る、コメ欄に同調者が群れる>といった非難は想定内なので、泥仕合に持ち込むつもりがなければ控える(泥試合が有効な左派も存在するが、医療、疑似科学がテーマ)。党派性で彼らの選択ではなく論理が歪んでいると考えるならば、事の検証が欠かせず、(2)へと戻る。膨大な過去ログを読む必要も。しかし、増田が提案できるのはこの(4)だけ。遠回りで時間は取られるが、非専門家でも順次対応可能で、一点突破も目指せる。
その1 http://anond.hatelabo.jp/20081223235800
その2 http://anond.hatelabo.jp/20081224002406
その3 http://anond.hatelabo.jp/20081224004222
その4 http://anond.hatelabo.jp/20081224013124
その5 http://anond.hatelabo.jp/20081224021305
(G-4面下)
「このひと月のような、急速な景気の落ち込みは、これまでに経験したことがない」
11月10日、ブラジル・サンパウロでは、中央銀行の総裁が集まってBIS(国際決済銀行)総裁会議が開かれた。日銀の白川、FRBからはバーナンキの代理でガイトナー(次期財務長官)が出席するなか、新興国の中央銀行の総裁たちは口々に不安を訴えた。
米国発の金融危機は欧米や日本を巻き込み、これまで比較的堅調だった新興国の経済にも深刻な影を落としている。世界同時不況の中、欧米の中央銀行は利下げを繰り返す。しかし、市中の金利はあまり下がらず、金融政策の効果は乏しくなっている。
不況を食い止めようと、世界各国では大規模な財政政策が発動されたり、検討されたりしている。
米国はすでに1680億ドル(15兆円)の所得税還付などを実施し、議会民主党は5000億ドル(45兆円)規模の景気対策を準備している。欧州各国も数兆円規模の景気対策を次々と決めた。各国で、大銀行への公的資金の注入も相次ぐ。
先進国の危機対応では、政府・議会と中央銀行の役割が、基本的には区別されている。政府・議会が景気対策や銀行への公的資金の注入などの「財政政策」を担い、中央銀行が「流動性の供給」を行なう分担だ。
「流動性の供給」とは、銀行などが資金繰りに困らないようマネーを供給することだ。国債、手形、社債などを担保とする金融機関への貸し付けが基本。税金を使う「財政政策」と違って、市場での取引であり、議会の承認という民主主義のチェックをくぐらなくてすむわけだ。
だが、金融危機が深まるにつれ、「財政」と「金融」の間の垣根は、崩れつつある。
FRBは先月末、住宅ローンなどを裏付けに発行した証券化商品を最大8000億ドル(71兆円)も買い取ると発表。個別企業の支援にあたる企業のCP(コマーシャルペーパー)の直接買い取りも始めた。CP買い取りは格付けが高いものに限るなど損失回避の措置を講じてはいるものの、万が一の場合は国民にツケがまわるため、「財政」に近い政策ともいえる。バーナンキは長期国債の購入を検討していく方針も明らかにした。
こうしたFRBの対策について、白川は「かつて日本銀行が採った対応と非常に似ている」という。
日銀も、日本の金融危機の1990年代末から2003年にかけ、ABS(資産担保証券)などを買い取ったり、長期国債を買い増ししたりした。銀行の保有株を買い取ったこともある。日銀が特別融資を行った山一證券は倒産し、最終的には、1110億円もの損失が発生した。これは、日銀の国庫納付金が減るという形で、国民の負担になった。
そして今、日本でも不況色が強まるなか、日銀は、CPの直接買い取りといった企業金融への支援策を打ち出した。支援の規模はFRBほどではないが、質は似ている。日銀は、「中央銀行としてなし得る最大限の貢献を行う」と表明した。
日銀は、どこまで財政の領域に足を踏み入れていくべきなのだろうか。
三つの視点が重要になるだろう。
まず、危機の深さである。日本の不況は深刻になってきているとはいえ、1990年代の日本の金融危機当時や、現在の米国ほどではない。しかし、今後、危機が深まっていくようなら、もっと踏み込んだ対策が求められる。
次に、政府がどの程度すばやく動くか。
金融危機のときには、銀行への資本注入が有効だ。株価下落などで銀行の自己資本がしぼむと、企業への貸し渋りや融資の回収による倒産が相次ぐ。資本注入をしやすくする改正金融機能強化法は今月になって成立したが、なお対策は不十分との見方も強い。政府や議会の動きが鈍い場合には、中央銀行が代わりに動かなければならないケースもある。
第三に、日銀が「財政」に踏み込んでも、後に、本来の道に戻れることが約束されているかどうか、だ。
危機が去ったあとも、政府が中央銀行を「便利な財布」として使い続ければ、やがてもっと大きな弊害を招きかねない。戦前、政府が日銀に国債を引き受けさせて戦費を調達したのは極端な例だとしても、紙幣をいくらでも印刷できる中央銀行が、政府の意のままになってはならない、というのが歴史の教訓だ。
中央銀行がリスクのある資産を買い取って財務が悪化すれば、その国の通貨の信頼が落ちる危険も増す。FRBの資産・負債は急膨張しており、ドル暴落の危険もささやかれる。危機脱出のためにやむをえないとはいえ、米国の政策運営は綱渡りである。
経済のグローバル化で相互依存が進んだことで、中央銀行の判断はさらに難しくなっている。日本の低金利政策は、世界的な低金利に連動していた。米国などが当面の危機脱出のために「何でもあり」の政策を取るのなら、日本も同様の手を打つほうがいい、という考え方もある。
ただ、ここ20年、世界各地でバブルが起き、崩壊するたびに、超低金利や大胆な財政政策が実施されてきた。そのことが経済のゆがみや膨大な財政赤字を招いている側面は否定できない。カンフル剤に依存すればするほど、いずれは別の種類のバブルやインフレ、大不況といった副作用をもたらしかねない。
「日銀は、学習し、実践する組織でなければならない」。そう語る白川は、過去の歴史から何を学びとり、どう行動していくのだろうか。■
注: 欧州中央銀行の金融政策を決める21人のメンバーの中に、ドイツ、フランス、イタリアの各総裁が入っている
中央銀行 | 総裁・議長 | 年齢 | 主な前職 |
米連邦準備制度理事会(FRB) | ベン・バーナンキ | 55 | プリンストン大教授、FRB理事 |
欧州中央銀行(ECB) | ジャン・クロード・トリシェ | 66 | 財務省国庫局長、フランス銀行総裁 |
・ドイツ連邦銀行 | アクセル・ウェーバー | 51 | ケルン大教授 |
・フランス銀行 | クリンチャン・ノワイエ | 58 | 財務省国庫局長、ECB副総裁 |
・イタリア銀行 | マリオ・ドラギ | 61 | 財務次官、ゴールドマン・サックス欧州拠点副会長 |
イングランド銀行(BOE) | マービン・キング | 60 | ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)教授、BOE副総裁 |
カナダ銀行 | マーク・カーニー | 43 | ゴールドマン・サックス・マネージメントディレクター、首席財務官 |
ブラジル中央銀行 | エンリケ・メイレレス | 63 | フリート・ボストン・フィナンシャル国際部門担当役員 |
ロシア中央銀行 | セルゲイ・イグナチエフ | 60 | 大統領補佐官、第1財務次官 |
インド準備銀行 | デュブリ・スバラオ | 59 | 世界銀行エコノミスト、財務次官 |
中国人民銀行 | 周小川 | 60 | 証券監督管理委員会主席 |
k_wizard 増田 「でも合意の上でやったとしてもロリコンは許されないよな。」これ一行だけだと足りない気がする。わからないけど。
子供が同意してるんならやってもいいじゃんという意見があることは知ってるが、とりあえず社会通念として「やってはいけないこと」ってのを認めた上での話と読んでくれ。
rag_en 増田, 社会 ”ロリコンの性的衝動はどっちかといえば危険なものだろう”僕の誤読でなければ、元記事(の引用)ではコレ自体が否定されてるのでは?話が1ターン戻ってしまっているような。
元記事の主張自体の批判なんだから1ターン戻るのは当たり前だろ。
元記事のは、あくまで「実現されない場合は危険ではない」という主張。
「実現することが許されている」異性愛や同性愛の欲望と同列には置けねーわな。
kashmir108 "ここでロリコン擁護が盛り上がってるが、論理のすり替えがある。"すり替えじゃなくて誤読じゃねえの。
具体的に。
合意の上でのロリコン行為も悪と見なすことは前提で
ロリコン行為の是非にまで、踏み込まないし踏み込む必要がないといっているんだ。
それだけの話。
koisuru_otouto sexual abuse "レイプしたいっていう"自覚的な"性的衝動"だけが性犯罪を起こす訳じゃない。増田の論理では"合意の上/愛"だと思い込んだ/込ませた上での暴力に言及できなくなってしまう
それは欲望それ自体の危険性ではないのでこの論理の射程外の問題だな。
一つの論理ですべてを処理しようとする必要はないし、おそらくするべきでもない。
あるいは「"合意の上/愛"だと思い込んだ/込ませた上での暴力」への欲望ってことならこの論理の射程内に入る。
だが無自覚な暴力性を批判する場合にはもっと別の論理が必要だろう
nanahusi ロリコンの性的衝動は危険じゃないだろ。問題は同性愛者と同じでレイプ願望。同性愛とロリコンが違うのは、成人男性と少女というアンバランスな関係になるので、力任せの行為が発生しやすいかもという部分。
合意の上での性交もOKという立場に立つならそうなるが、一般的に子供に自分の性を管理する能力自体がないものと見なされている。
↓のようにもっと前提レベルでの議論が必要になる。
oldriver 「実行して構わないか」は恣意的な基準でしかない。「神の御心」とか「生物学的に」とか「日本の伝統文化」とか「世間の空気」と何が違う?内心の正邪を規定するならアナタの内心も邪である可能性に思い至るでしょ。
先にどこが同じかを述べよ。
そもそも「神の御心」と「生物学的に」と「日本の伝統文化」と「世間の空気」の共通点が見えねえ。
お前にとって無意味ということ以外に何か共通点があるのか?
何が実行してかまわないことか、について確かに意見が分かれるという意味ではそうだ。
そのことは否定しない。ロリコン実行OKって奴もいるわな。
繰り返すがそういう奴に対しては無意味な議論だ。
id:rag_en長くなったので