「武力を整備して抑止力とすべきだ」、そらそうではあるし1つの正解だとは思う。
ただ、平和になんとかやれないものかと言う人間に対して社会が「頭がお花畑で現実を見られていないな」という感じの目を向けることが多くてやってらんないよね。
君騙すの簡単そうだな
これについて、いちプロデューサー(注: アイマスファンのこと)視点からの意見を書きたい。
元々がアイドルプロデュースゲームであった過去から、プロデューサーはファンであると同時に、メタな運営目線からコンテンツを応援するという姿勢をとりやすい。
そして、その視点はある種の義務感、あるいは使命感を芽生えさせる。できる限りコンテンツのことを把握し、運営の気持ちに寄り添い、盛り上げていこうという気持ちだ。
これには良い面と悪い面がある。そして、この両面とバンダイナムコのすれ違いによって、アイマスは負のスパイラルに陥っていると考えている。
↓いわゆるアイマスPの良い面と悪い面(の一部)
良い面
(注: ライブ終了後に客席から巻き起こるコールのこと。もともとは一部の厄介ファンが起こしていると見られていたが、公式がそれを取り入れる姿勢を見せたために一般化した)
・ライブや配信でのファンと演者の交流がコンテンツを育てていく
悪い面
・コンテンツに満足できない=もはやプロデューサーを続ける資格はないかのような空気がある
・ライブ全通に非常に大きな価値があり、これを逃すとモチベーションを失いやすい
(注: 全てのライブに参加していること。抽選倍率が高い場合もあり、人脈と財力が大切になる)
・「もっとこうしてほしい」という意見は個々人の中で飲み込むべきで、ネガティブな発信は禁忌とされている
・ゲームではストーリーの進行がほぼないので、ライブに通っていないとついていけない
さて、それではなにが負のスパイラルなのか。
それはバンダイナムコの好む「みんマス」展開と、新シリーズ・新アイドルによる拡大路線の相性の悪さにある。
(注: 複数シリーズの垣根を越えてコラボさせることを、「みんなまとめてアイドルマスター」というある曲の歌詞をもじってみんマスと揶揄する)
プロデューサーは全通、つまりコンテンツの最初から最後まで、できるだけすべてを把握し、参加することを非常に重視している。これは裏を返すと、途中参加Pの肩身の狭さを生み出す。
例えば、初代アイマスではアーケードからのPが最上位、アニメからは新参(もう10年以上も前なのに!)という空気がある。
そこで、バンダイナムコは新シリーズを追加してきた。古くはデレミリ、直近はシャイニー。
そうすると、「新シリーズは1stライブから行ってるからね!」と言えるプロデューサーが生成され、末長く支援してくれるのだ。
一方で、近年のバンダイナムコは、複数コンテンツの越境コラボや合同ライブを好む傾向にある。
単独ライブよりも大きな会場を使えるし、各シリーズから「全通」の義務を持ったプロデューサーが動員されるからだ。
合同ライブはもちろん、満場一致の「最高」のコールで迎えられるのだ。
ところが、シリーズが増えてアイドルも増えてくると、そのライブに行っても自分の担当アイドル(注: 要するに好きなキャラクターのこと)は一曲や二曲しか歌ってくれないのだ。
もっと悪いと、自分の担当アイドルは何年も参加しないこともありえる。
例えば、来年2月の合同ライブは各シリーズから歌唱ユニット単位で参加することになっているが、全ユニットのうち、参加するのはほんの一部。そして参加するユニットもメンバーが全員揃うわけではない(なんで?)
こうして、義務感で参加したライブで得られるリターンは年々減っていく。
アイマスという箱は拡大し、個々のコンテンツは希釈されていく。減った動員を補充するため、また新しいシリーズ・アイドルを作り、越境コラボを行う。そして個々のコンテンツはさらに希釈されていく。
プロデューサーがそうした不満を発信することはほとんどない。希釈度に耐えられなくなった時、静かにライブの抽選への応募をやめる。
男女は同じ賃金であるべきだという話が社会では当然のように受け入れられているんだけど、個人的にこれは本当に正しいのか疑問に思っている。
例えば、10の荷物を運ぶために男性が可能な生産が10であると仮定した時、女は体力が少ないぶん、5の生産が可能だとする。
このとき、10の男性の生産と5の女の生産に対して同じ賃金を払うことが適切だと言えるんだろうか。私としては、女は5の生産を上げているのだから、0.5倍の給料を受け取らざるを得ないように思える。給料は労働力に対する報酬として支払われるものなのだから、より生産をあげた側に高い報酬を支払うのは当たり前ではないのか。
これは単純な荷物運びの話だけではない。女はどうしても生理中はパフォーマンスが下がるのだから、その分、いつもと同じ10の仕事をするのにかかる生産は5にも2にもなりうる。その時、普段と同じ10の賃金もの支払いをすることは、それこそ女の労働力を高く売りつけていることになってしまうんじゃないだろうか。
私は労働はかけた生産に応じて報酬を受け取るべきだと思っているし、その観点では、なんでも男女平等だからといって、給料を必ずしも同じにしなくてもいいんじゃないかと考える。少なくとも、現行の賃金体系は体力の低い女にとって有利なものになっている気がしている。
こういう話をすると、「じゃあ会社に女は要らないですね」という極論を言う男性が出てくると思う。でも、現実問題として男性だけでできる仕事なんてたかが知れてるし、女の能力が必要な場面は絶対にあるだろう(少なくとも膣を使う仕事に関しては、男性の平均よりも女のほうが絶対に有能だと思う)。
それに、私が言いたいのは仕事をするのにあげた生産に対して報酬を支払う話なのだから、別に女だけに安い賃金を払えと言っているわけではないと理解してほしい。もし女のほうが男性と同じ仕事をするのにあげる生産が大きい仕事であるのなら、それに関しては女の生産に応じて報酬を払えばいいと思う。
良いものなら邦楽でも聴くよ?みたいなうぜぇエクスキューズのために1枚だけリストに入ってるBADモード。うぜえええええええ!!!!
雑だけどいい慰め方だと思った