そりゃ趣味でやる分には気楽だろ
失敗が喜ばれるのは男女関係ないはそうかも
自分の場合、実際はPCまわりは少々わかるのだけれど、どうせわからんだろうというスタンスで聞いてもないのにあれこれ指示される…みたいなことが多かったかな
私が男だったらこうはならなかった気がする
一事が万事こんな調子だと、だんだん「私って自分で何もできない人間なんだ」ってほんとに思い始めちゃったんだよね
セクハラも嫌だけど、セクハラって、される方はされてることを自覚しやすいし、する方には駄目だってわかってもらいやすいんだよね
それに対して考えると、バカにされる悪影響を自覚するのは難しいし、こぞってバカにしちゃ駄目だってわかってもらうのも難しいなと感じたよ
それは素朴で善良で、そしてありふれた思いだった。
しかし、日本では止まらず通行する場合が多くてびっくりしている。
そのツイートは取り上げられ、折しもオリンピック開幕前の政府関係者の気持ちを刺激した。
海外から来たオリンピックに合わせて来日する外国人に日本の悪印象を残してはインバウンドに悪影響を与える。
これは防がねばならない。
そんな金勘定をもとにした打算がひとりの善意を種にして間違った道を歩み始める。
私は言いたい。
それぞれの国にはそれぞれのやり方がある。
その間に慣習となった行いは日本という国にジャストフィットしているものなのだ。
無数のバイクと自動車がルール無用な運転をしているように見える。
一見、無法と感じる交通の仕方でも、それで事故が起きないのならば
それは最適解なのだ。
しかし忘れがちなのは、その最適解はそれぞれの国や地域によって違うものなのだ。
欧米人が横断歩道で人が待っているのに車が止まらないのはおかしいと感じる。
それは間違っていない。
正しいと言っていいかもしれない。
私が車を運転していてよく通る道がある。
そこでお正月のことなのだが、私の車の前方の2台先を走っている軽トラックが
突然飛び出してきた自転車に対して慌てて急ブレーキをかけ、急停車した。
あぶない。
危機一髪だった。
「コラ!!どこみて走ってるんだ!!ちゃんと止まれ馬鹿野郎!!」
そう叫んだのは、車の運転手ではなくて自転車の運転手の方だった。
それに対しての返答が
「歩行者が横断しようとしてたらちゃんと止まらなアカンの知らんのか!!ホケカス!!」
やはり恐れていたように人々の意識が変容し始めている。
これはほぼ生まれつきのもので多少の訓練により改善はされるものの、
そういった経験がないまま成長する人も多い。
その人達と、私達では同じ情報を受け取っても理解の仕方が違うのだ。
もっとも知能が低い人達がそれを受け取ったときにどのような反応を起こすのか
よくよく考えねばならないのだ。
新しい秩序が構築されるまでに
失われるであろう命のことを。
それがわかっていても訴えずにはいられない。
命を大事に。
それだけは忘れないで欲しい。
維新はまだ新自由主義が正義だとしてそれを突き抜けてるからまだ評価できる。あんなのが与党とか野党第一党だというのはゴメンだが。
国民民主党は積極財政名乗って、新自由主義緊縮維新の下僕だとか自分の党に入れてくれたやつを裏切る行為じゃないの。そこが叩かれたから経済から逃げる。
ほんとれいわしかないんだよな。野党側で積極財政で突き抜けてくれるの。
でも吉村知事の文通費とか、夢洲のギャンブル会場整えるのに地盤整備とはいえ数百億円公費をつぎ込むことを叩くかのようにアイツラは無駄遣いしているというのは敵を攻撃する良い石になるんだよね。まあ、夢洲のギャンブル会場なんざに公費をつぎ込むのは害悪だと思ってるが。
例えば、何かやろうとしているときに「こんなこともどうせわからないでしょ」って上から目線で指示されたり、失敗した方が喜ばれたり
前述の通り、そういう「こいつバカだなー」って言えることに癒やしを求める文化があるように感じるから、見る側だけに非があると責めたいわけじゃないんだけどね
お世辞ってのは要するに、「I love you」の言い変え、バリエーションなんだよ。
会う度に毎回「I love you」と同じ事を言ってたんじゃ能が無いし、言われる方もおもしろくない。
それで「月が綺麗ですね」とか、言い方を工夫して「I love you」を伝える訳だ。
ベースに「I love you」という気持ちがあるお世辞だけが言われて嬉しい。
見下されるって、例えばどんな状況?
基地のことだけ考えてればいいんじゃね?