今まで、Twitterやっても、ボットやエロサイトのフォロワーしかいなかったんだよな。
先日、
Twitter始めて、初めて20代女子から相互フォローしてもらったけれど。
けれど。
結局、メンヘラ女子というか、
これから、
「夜のバイト、始めます」「クラブQで働きます、近くに来たときにはヨロシク(*^^)/」的なことを書いてあって。
嬉しくなって。うわぁ、絶対行きたいって思った。
でも。
なんで、わざわざ、お金を払わにゃ。
いくらでも、手に入るのに。
結局、営業をかけられているようで。
(ポエムです)
君は私の友だちだけれど
未来永劫、友だちと決まっているわけじゃない
不快な言動が続けば友だちという称号は剥奪、解除して知人に戻ることだってありうる
「友だちだから何を言ってもいい」
「友だちだから何でも話すべき」
この考え方がおかしいことに早く気づいてくれ
こんなこと、この先もうないだろうな、と思った。
1時間前に待ち合わせだったけど、私はまだ家にいる。
だって寒いんだもの。。風呂入って早く寝たいよ。明日月曜日だよ。
っていう言い訳を心の中でしている。
7月、8月はまだいい。
しかし、9月からこっちは少し涼しくなったせいで出勤時に空調が入っていないことが多い。
それなりに強い日差しの中、駅から20分近く歩いて出勤しているため、到着時には汗だくだ。
到着後10分から20分くらいまではうちわであおぎつつ作業しているが、効率は悪い。
到着時だけじゃなく、空調がつく直前くらいはやっぱり暑くてうちわであおいだりしているから作業効率は悪化している。
先々週くらいからようやくかなり涼しくなってきてましになった。
経営者は節電で電気代何%カットできたかは数字に表れるので喜んで採用するんだろうが、現場での効率の悪化は直接数字に表れないから興味ないんだろうな。
あっちーんだよ!こっちは!
この節電の風潮ほんと嫌い。だれかなんとかしてくれ……
そういう感想はわりとまともだと思うんですよ。そういう心配があるのは納得できますし。
ただその心配が「きっとこうに違いない」「きっとアシスタントは不幸に違いない」となってる人は、行き過ぎというか、妄想力高過ぎるというか、もうちょっと自分の想像と現実を区別しようよとなりますよね。
1週間いなかったの?w
マンガという形式だと、作者個人の主観的なフィルターがかかって表現されてしまうので
そこに描かれている「対話」が本物の対話かどうか読者には判別つかないんですよね
作者が「これはすべて実話でドキュメンタリー」と言うのならそれを信じるしかないけれど
そこに描かれているものは絵だから、いくらでも操作できてしまう
ここが難しいんですよ
作者がどれだけ事実に対して誠実で公平な描き方ができるか
その信頼がないと、ネタにされている人たちが心配になってしまう
ちょっと他の人の批判とはずれているかもしれないけど、自分が見ていて心配になったのはそこです
確かに、それは他人の勝手な心配なんだろうな、と思ったのでは批判はしませんでしたが
そこが引っかかると、手放しで「面白い」と褒められるような作品でもなかったです
ヒモザイルに否定的だった人の意見を見ていたら、西原理恵子、小林よしのり、中国嫁日記にも否定的らしい人が見受けられたので
内容の是非(あの企画が成功するか否か)よりも、実在の知人をネタにしたり、
作者自身がキャラクター化して説教したりする作品が好きではない人たちの目にも届いてしまったことも
批判が大きくなった一因かなと思いました
客先が言うのは定型文みたいなもんだよ。
「私と同じ身長の**(芸能人)が、特に秀でるところもないのに売れている」
「私と同じ年齢の**(芸能人)が、微妙な年齢にも関わらず売れている」
ハイハイわかった
気持ちはわかるけど、それ、こっちが察して慰めてやらないといけないのか
忙しい。とにかく忙しい。今は●●で忙しいからと、先方から言われて断られる事が多い。
こちらから、お忙しい中恐れ入りますが。とビジネスマナー的なフレーズで使うけど、自らの行動が忙しいとは言わないようにしている。
仕事はお世辞にも能率が良いとはいえず、時間が足りないのは変わりはない。一件片付いたと思えば、また新たな課題を突きつけられる。
それでも、「忙しい」というフレーズは使わないようにしている。
言葉は生き物とおっしゃる方がいますが、そのとおりかなと思う。
「忙しい」の文字を分解すると、りっしんべんに「亡」と分かれる。りっしんべんとは、「心」の部首名の一つで、「心部」という。詳細はWikipediaをご参照いただければと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E9%83%A8
すなわち、「忙しい」とは、「心が亡くなっている」ことを表している。
このフレーズを連発している人は、心が亡くなっている(柔軟に表現するなら余裕がない)と思ってもいいだろう。
最後に、「亡くなる」の対象語が「生きる」となるが、これにりっしんべんを加えれば、「性」となる。
「性」行為したい。
http://anond.hatelabo.jp/20131128014005
Twitterの砂鉄さんて人も、極論の具合が、fromdusktildawn先生や無限の地平はみな底辺の人に似ている感じがしました。
@satetu4401
・ホイポイカプセル→物を粒子状に変換し、数センチ程度のカプセル内に収容できる道具
他にも色いろあるとは思うけどとりあえず。
職場に送ってもらって、裏口まで歩いていると自転車に乗った彼が普段していないマスクを着用してしんどそうな顔をして現れた。
彼を見て、一瞬、私の動きが止まる。
こちらを見ている、気がした。
そんな訳ないと自分に言い裏口の扉をくぐる。
後ろから、彼が着いて来る。
急ぎ足になった私は、彼が来ているかを確認する為に振り返る。やっぱり着いてきている。彼も仕事があるのだから当たり前だ。
また私は彼を確認したくなる。だってこんなにも偶然会える事を願っていたのだから
けれどさすがに後ろを何回も振り返れば怪しいだろうから我慢して、ゆっくり歩けば彼が後ろから追い抜いてくれるかもしれないのに、あまりの偶然に私は焦って急ぎ足で歩いてしまう。
ロッカーに着く。私はドキドキと高鳴る胸を落ち着かせる為に深呼吸をした。
会えたのだ、本当に。
ずっと願っていた、偶然で。
私が買い物をしに行けば会えるのは当然なのだ。
けれどそれだけでは嫌だと、同じ館内で偶然見つけた求人広告に電話をして働き出した。
同じ館内で働いている人としていつかは会えるかもしれない、すれ違って挨拶が出来るかもしれない、と思って毎日を頑張った。
今日はまさしくニアピンではないか。もう少し働いていたら本当に彼と挨拶を交わせるかもしれない。もう少し、あと少し。
その日までどうか辞めないで。挨拶だけだから。きっとそれより高望みはしないから。
なんて、全部作り話でした。チャンチャン♪