さっきまでサザエさんを見ていた。
配偶者控除の廃止を受けて、サザエさんも働きに出るのかなぁなんて思って見てた。
あと、お彼岸ということもあって、サザエさんではフネさん、サザエさん、ワカメ、タイコさんで
ぼたもちづくりをしていた。いわゆる女手が総出でぼたもちを作っていた。
波平、マスオ、カツオ、そして先祖の波平風の幽霊までもがぼたもちの完成を待つだけで食べるだけだった。
なんかすんごい違和感を感じた。男たちは手伝いもしないの?!?!と憤りそうだった。
はてブをよく見るようになってまだ2週間だけど、考え方って変わるんだなぁって思った。
東京新聞:週のはじめに考える 自衛隊の積極的平和主義:社説・コラム(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014032302000126.html
家ももっていかれた。でも借りた本人ももっていかれるのわかってる。
でも、それぐらいしか方法がないからそうしただけで、「やったー!お金なくても家が変えるし借金もできる!すげー!」みたいな感じではないよって言いたかった。
次善の策というか、苦肉の策だね。
こういうの見て毎回思うけど、隣の芝生は青く見えるの典型だよな
【日韓】 今月末までに謝罪しなければ 「天皇を世界中で嘲笑のマトに」 大使館で表明 : 【おーぷん】気になったニュース(`・ω・´)
http://kininatta2chmatome.doorblog.jp/archives/7591728.html
こんなことを平気で言い出す国が議員を務める国に、嫌悪感を持ったら「レイシスト」と呼ぶのが日本の左翼。
慰安婦問題を無視し、否定する議員がいれば、暴力をふるう韓国人が出ても「問題ない」とするのが日本の左翼。
日本の左翼が、実は差別を無くしたいのではなく、単に「日本人」という民族に対する差別感情でのみ動いているというのが、良く分かる。
ソ邦(そぽー)の方がかわいくない?
私にとっては半年くらいに長く感じたから、前に書いてから1ヶ月も経ってなくてびっくりした。前の日記にたくさんのコメントありがとうございました。
色々な考えがあるなーと思いつつ、吐き出したことでスッキリしたから本当に全力で引っかかりに行ったその後の話。
あれから一度だけご飯食べに行ったんだ。
帰り際、初めて手を繋がれて目の横あたりにキスをされた。そして「じゃあまたね」と言って別れた。イタリア人みたいだった。それに関しては色々葛藤がありつつ私はまだ浮かれ続けてたんだけど。それも先週末までだった。
「あの人(遊び人)もついに結婚らしいよ〜同棲するくらいなら流石に腹括ってるっしょ」と知人はニヤニヤしながら話していた。私は「まじでー?」って言いながら頭が真っ白で動悸が酷かった。知人も誰かから聞いた話なのでどこまで本当かはわからないけど、なんとなく腑に落ちる話だったから。あの人同棲とかしそう、みたいな。最近レスポンスが悪かったのも、同棲を始めたからだったのかな?
あー、悲しくないわけじゃないけど、やっぱ悲しいわ。勝手な喪失感がすごい。もしかしたら土俵にすら上がれてなかったのではないかという自分への失望感もすごい。
最後にもう一回だけご飯にいけたら、ありがとうって言いたいな。今まで本当に楽しかったら。
まだ諦めるのは早いとかそういうのではない潮時感というか。そういうのを感じるんだ。
こんな尻すぼみな結末でごめんね。
年のせいやろか。
やっぱ貴はかっこよかった。おにいちゃんが才能で弟に負けているとか子供にはわからんかったけど、若い兄弟が出世していく感じは心躍るものがあった。
その後あの家庭にはいろいろあって、なんやねんなーとシラけた感じになったし、自分にもいろいろあって歳をとったわけなんだけど。
その後も八百長うんぬん、強いのは外国出身力士だけとかいろいろあって、自分もどんどん歳をとっていって、若貴に夢中になった子供のころのように相撲は見なかった。
今は場所中、平日は早く帰っても間に合わないんだけど、土日は夕方になるとNHKにチャンネルを合わせて相撲を見てしまう。
でも、白鵬はほんまに強い。大相撲にはそういう圧倒的に強い横綱がやっぱり必要なんだよ、なんて誰に言うでもなく思う。
今場所は後半ちょっと心配なところがあって、これが圧倒的王者の転落の初めかもしれない、なんて誰に言うでもなく思うんだけど。
裏方の人たちの装束、動き、床山さんの櫛の使い方とか、遠藤の一番にも広告が出るところとか、遠藤はしょちゅう流血するんだけど、それは彼の相撲のとり方によるって実況に教えてもらったりとか、インタビューされる力士たちの受け答えとか。中継で見るとおもしろいんだな。
鶴竜おめ!
そういや、ナチスを支持していたドイツ人も、自分が差別を行ってるという自覚はなかったらしいね。独善というのは、本当に恐ろしいものだ。
まさにこんな気持ちなんだけど、それって女性相手にNGらしい。
でもそういうのって面倒くさい。
好きな人ならまだしも。
でもしょうがないじゃん。好きじゃなくて、その人が女だから誘いたいのだから。
体目当てというか、その人が女だから女性ホルモンが放つ何かを欲しいな、と思ったわけで。
で、そういうの場数踏まないとうまくなんないじゃないすか。そういう女の人喜ばせて、仲良くなって乳くりあうのって。
だからここから始めようと思ったわけで、手を伸ばせば届く人に声かけて、セッティングは済んだわけで。
もっとなんだろう、相手の女性を喜ばせようという意識が足りなかったのかもしれない。
それはなんとなく感じている。
「相手の喜ぶことを考えることを習慣化」できたらいいのか。
それでまたトライする。
そうしよう。
それを楽しみがらやろう。
敵味方に分けるという発想こそが差別を生むのだ。カウンターデモが、在特会のデモと同じくらい醜悪に見える理由がわかった。
カウンターデモ側は、政治的主張によって敵味方を分ける考えが、人種によって敵味方を分ける考えより、上等と思っているからだ。
自分たちも「何かの基準によって、人を敵味方に分ける」という、差別の入り口に立っているのに、自分たちが正しいという独善を信仰して、そのことに気づいていない。
まあ、お湯を常に入れ替えたりきちんと掃除されたりしてるのを考えると、
自分の家の風呂のがよっぽど汚かったりするんだよね、実際の話。
気持ち的な問題なのは分かるけど。
だったらやっぱりレイシストと同じだ。
政治的主張が異なれば敵というのなら、ナチスとどう違う? ナチスはユダヤ人だけでなく、自分たちに反対するドイツ人も劣悪な強制収容所に送ったぞ。人種によって敵味方を分けるのと、政治的主張によって敵味方を分けるのは、どっちも同じくらい醜悪だ。
政治的主張が異なろうと、「敵」ではなく「将来の仲間」として見る目を持ってない人に、差別を無くすことは出来ない。
キング牧師は言った。「かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である」と。しかし、カウンターデモをしている人は、自分たちの敵と同じテーブルにつくことなど一切考えていないだろう。
MacでもWinでもハード的なオーディオインターフェースは必要だし、ドライバはメーカーがCD-ROMで付属してる。
日本の嫌韓感情の源泉となっているのは、韓国や中国の反日活動なのに、それに対しては「そんなのは一部」「中国の本屋に反日本はない。中国人は反日ではない」とか言い出して、まともに対処しようとしないのが日本のリベラル。カウンターデモに参加している彼らには、差別というものの本質を見抜く目も、差別に立ち向かう勇気もない。ただ叩きたい相手、叩きたい相手を叩いているだけ。