「ヒルトン」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ヒルトンとは

2013-08-30

なぜ暑いと男の人はビールが飲みたくなるのか?

20代派遣社員です。

派遣先会社使用者が「こんなに暑いんだからビール飲みに行こうよ!」と誘うんですが、

なぜ暑いビールを飲みたいかが分からずいつも断っています。五回断っています

スッキリした感覚が欲しいならペリエでいいと思うんですが、理由が分かる方、いらっしゃいますか?

追記

皆さん、ご丁寧にありがとうございます

男の人はと書いたのは、自分ビールに誘うのがいつも男性だったからです。

その人が付き合いたいということはありえません。

やはり、夏場にビールを飲むものではないということが分かったので、

次は「ロシアでは冬にビールを飲むらしいですよ」と断ることにします。

追記

はてなブックマーク - なぜ暑いと男の人はビールが飲みたくなるのか? - http://b.hatena.ne.jp/entry?eid=159641898

も見てます。こちらはトラックバックの誠実な回答と違って、下品ものばかりでうんざりです。

なんですか、「おしっこのかわり」って。

追記

喉越しについての説明が一番ストンと落ちました。

麦の味を鼻と喉で楽しむんですね。夏である必要は量が飲めるということでしょうか。

お酒は飲めないですけど、ジンジャエールは自家製しているので(辛いのしダメなんです)、

自然の味を楽しむのは理解できます

追記

仕事中にここばかり見ていたら、同じ派遣元の人から注意されました。ごめんなさい。

追記

ちょっと落ち込んでいたら、いつもビールを誘ってくる人が、「今日こそビール飲もうよ」と誘ってきたので、

ロシアではビールは冬に飲むものらしいですよ」と断ったのですが冗談でしょとスルーされてしまいました。

「同僚と新宿ヒルトンビアガーデンを予約していたんだけど、急にキャンセルが出たんだよね」となおもしつこいので、「どうしてそんなに誘うんですか?ビール嫌いなんですけど」と思わず言ってしまいました。

そこから急に真剣になって、最近大学生の子供のことで悩んでいるそうで、年代が近いから色々相談したいと打ち明けてくれました。

それだったら早く言ってくれれば良かったのに。


ということで、ビールは飲まなくていいし、奢ってくれるみたいなので今から行ってきます

皆さん、親切にありがとうございました。良い週末を(^-^)/

2013-02-17

  ヒルトン お借りん お借りん

ヒルトン お借りん お借りん

行きましたー♪

人生人生 八角だー

2013-02-01

峯岸みなみに見る"処分"と"ケジメ"~夢の無いアイドル

【けじめをつける】間違いや過ちなどについて、責任を取ること、または、区別をはっきりさせること。「けじめ」は、区別や差別や違いなどを幅広く指す表現

【処分】規則・規約などを破った者に罰を加えること。

エンタメブロガーペレズ・ヒルトンの運営する"PelezHilton.com"に史上2つめのAKB48の記事があがった。

「度を越して不気味」という文からはじまる記事の締め括りはこうだ「アメリカヨーロッパポップスターが同じことをするのを想像できる?全員ハゲになるよ(爆笑)」

今回、峯岸みなみがとった行動について日本人でさえも「大げさ」「不可解」と感じた人は多いだろう。

峯岸みなみは何故あのようなケジメをつけたのか。それは彼女の"責任"がいままでスキャンダルを起こしたメンバーよりも重かったからだ。「1期生」にどのような重みがあるのか、AKBをあまり知らない人はわからいかもしれない。

1期生は会社でいう「会社設立から関わっている役員クラス」みたいなものだ。

まさか会社を誰よりも大事に思っている役員規約違反を犯すとは思わなかった」。このくらいの"事件"なのだたかアイドルグループの一員、たかが二十歳の女の子。でも彼女には組織の中心としての"責任"があった。

組織の中心人物が組織における重要ルールを破った。

下った"処分"は「研究生に降格」。それとは別に彼女はケジメをつけた。「平気な顔をしていちゃいけない」「罰を受けなきゃいけない」。こういう意識が働いたのは組織責任者としての重圧故だろう(じゃあルール破るな、という話はおいといて)。

ルールは完全ではない。しか社会人間は完全ではないかルールが要る。

AKB組織だ」。

AKBをそういう風にみていたつもりでいたけれど、今回ばかりはヤクザ武士にも通ずるような(あまりにも日本人的な)組織責任に対する思想に、一種の嫌悪も感じた。"重い責任"を背負わなければいけない存在必要なのだろうか。組織には必要だろう。アイドルには必要なのか。あんなの見せられたら、「AKBには長居するもんじゃない」と後輩は感じてしまいそうだ(今後は責任を感じなければいけない存在がいなくなるかもしれないし、責任者ファン投票で決まる、なんてこともあるかもしれない)。

株主希望をきく。ルールを破れば降格になる、地方に飛ばされる。ストレート出世が望めなければ、起死回生をかけて海外支部への転勤を希望する。役員ルールを破ったら、処分だけでなく、自らケジメをつけて、社員顧客にしめしをつける。

まりにも夢のない世界だ。アイドルなのに、夢が無い。しかし夢を追うからそこに居るのもまた事実だ。AKB不思議アイドルだ。

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (1/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)

1 - 2 - 3

この夏、私は初めての日本への旅行を企てた。

村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。

ところがその目論見は外れることになる。

私は村上の作品の影響下にあるまま、東京に降り立った。

期待していたのは、バルセロナパリベルリンのような街だった。

そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ劇場文学シットコムフィルム・ノワールオペラロックといった、

西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタン世界都市を私は期待していた。

誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。

実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。

そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。

東京での初めての朝、私は村上の事務所に向かっていた。

アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、

私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。

最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、

どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。

私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。

そして蜂の巣状のガラスピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき

ついにユキという村上アシスタントに見つけてもらうことができた。

このようにして私は東京の地下の洗礼を受けたのである

まりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。

実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。

そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。

村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなた最初記憶はなにかと尋ねる。

やっと村上に会えたとき、私は彼の最初記憶について尋ねた。

それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。

彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。

流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル

そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。

「明確に覚えている」と彼は言う。

「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」

村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。

その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶自分の中にある、と感じた。

ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。

村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分記憶を写し込んでいたのだ。

村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中

週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。

それは非現実的なまでの災害の余波を受けた夏だった。

4ヶ月前に北日本を襲った津波で2万人が命を落とし、

いくつもの街が破壊され、原子力発電所メルトダウンした。

その結果、電力、公衆衛生メディア政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。

日本を代表する小説家である村上に会いに来たのは、

大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。

この本はアジアで数百万部を売り上げ、

まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。

62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学最高峰としての地位を確かなものにしている。

疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界大使となった。

そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。

村上は常に自分日本アウトサイダーだと考えている。

彼は不思議社会環境最中に生まれた。

アメリカによる戦後占領を受けた1949年京都日本の前首都である

「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。

「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。

「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。

彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、

それはそのまま彼の最初人生経験の基本構造でもある。

村上は成長するまでのほとんどを神戸郊外で過ごした。

そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である

彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説ジャズに没頭して十代を過ごした。

そうして反逆のクールさを自分ものにし、

二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブ東京で開いた。

掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、

彼は約10年間をその仕事に費やした。

作家としての村上キャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。

どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生根底から変えてしまう。

29歳の村上地元野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴヒルトンというアメリカ人助っ人バッター二塁打を打つのを見ていた。

平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上天啓に打たれた。

自分小説が書けると気づいたのである

そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。

そして彼は書いた。

試合が終わった後、書店に行きペンと紙を買って、

数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。

それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。

アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。

わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。

名犬ラッシー』、『ミッキーマウスクラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲フランス映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディランマーヴィン・ゲイエルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストックサム・ペキンパーピーターポール&マリー。

以上はごく一部に過ぎない。

そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本芸術引用がまったくない。

村上作品のこうした傾向は日本批評家をしばしば苛立たせている。

村上は『風の歌を聞け』を権威ある新人賞に応募し、受賞した。

そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。

時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。

30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。

すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。

彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。

そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。

彼は自分の事務所を監禁場所だとみなしている。

「ただし自発的な、幸せ監禁だけれど」

「集中は僕の人生もっと幸せものだ」という。

「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」

そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。

30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンルSFファンタジーリアリズムハードボイルド)と様々な文化日本アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。

どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。

時とともに村上小説は長くシリアスになる傾向が強くなった。

シットコム引用もその傾向に調和している。

そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。

低く深い声で村上たくみ英語を操る。

彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。

なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。

はいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。

特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。

安全言葉いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。

英語即興の遊びをしているように感じられたのである

私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。

その事務所は半ば冗談ながら村上製作所と名付けられている。

数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。

村上は青いハーフパンツと半袖のボタン付きシャツで現れた。

彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロンけが好きだという)。

靴は履いていない。

彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップブラックコーヒーを飲んだ。

その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からお気に入り小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。

話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。

村上純粋にびくっとしたようだった。

その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。

「大きいな」と村上は言った。

電話帳みたいだ」

1 - 2 - 3

2010-06-17

パイズリ・ヒルトン」という駄洒落を思いついたが、使うわけにはいかないので増田に投稿。

2009-04-07

http://anond.hatelabo.jp/20090406122029

景気が悪いから助け合う人がいたら、と思い結婚した。損得で…と言われるとそうかもしれないが、愛情だけだと、維持するのは(自分の場合は)困難だと思った。てなわけで、今年始めに結婚し、秋に結婚式を挙げる予定だ。

結婚式とかカネがかかるから、やりたくないと思ってた。でも、周囲の人にきちんと挨拶する必要性を感じ、やることにした。

お互い、ある程度の年齢になってからの結婚だったから、そこそこの規模のホテルを選ぶことになった。新宿ヒルトンとか、その辺りのクラスと大体同じぐらいの渋谷ホテル

60人の招待客で、見積もりが大体300万~400万。おそらく400万ぐらいかかるかもしれない(担当者へのお心付けとか含めば)が、いろいろなところを削って300万ちょいで抑えたいと思ってる(ちなみに、初回見積もりでは、新宿センチュリーハイアットが300万を切っていた。見積もりは各所で必要項目がバラバラなので注意が必要)

60人から平均で3万のご祝儀がいただければ、180万。親族がいるから、もうちょっと多いかもしれないけど自己負担は二人で150万ぐらいになりそうだ。

結婚指輪は、ホテルが決まってたので2割引で買えた。婚約指輪は買うつもりなかったけど、意外と安く済みそうだったので、記念だったので購入。総額で30万ほど。

引越しは、嫁のマンションの方が広いので、そっちに移ることにした。引越し費用は、5万円程度。

家具は互いのもってるもののどちらかを使おう、という話になっている。

テレビを買い換えたいという話もあるが、結婚式でかかる費用が確定してからにしよう、と。

新婚旅行も同じように。結婚式でかかる費用が確定したあたりで、場所を選定する予定。

現在生活費は2箇所の家賃を払ってる関係で、そんなに安くなっていないが、それでも、いわゆる生活費の出費が、毎月3万ぐらいは安くなっている。毎日の昼食がお弁当に切り替わっただけでも、かなり安くなってる。

家賃を一緒にすれば、10万ぐらい安く済むんじゃないかなぁ、てな感じ。秋まで半年で60万ぐらい貯金が出来ればいいんだが(タヌキの皮だが)

結婚式ピンキリで、安く済ませようと思えばいろいろある。面倒でも安くてもちゃんとやった方がいいように思う。結婚するために二人で、あれこれ面倒なことをやり遂げるのは必要なことじゃないだろうか。

周囲の友人を見てると、両家の親から挙式代にかかる費用を全額もってくれる家もあるみたいだ。

正直、羨ましい。もし、両親がそういう事を言ってくれるなら、素直に助けてもらいたいと思う。

カネはいくらあってもキリがない。つうか、カネは限りがあるけど、結婚した方がその後のことを考えれば生活は楽だし、人生は充実するんじゃないかなぁ、と思う。考え方はひとそれぞれだろうけど、結婚した方が楽になる、と感じてる人の意見として書かせていただきました。

長文失礼

2007-03-16

面接でしでかしたこと。

以下、就職活動中の友人の日記です。

-------------------------------

「失礼します」

こんこんと2回ノックをしてからドアを開け、僕は面接室に入った。むだに広く、がらんとした感じの部屋だった。綺麗に拭かれたガラス窓の向こうにはヒルトンホテルが見えて、その向こうには都庁が靄のようにけぶる小雨の中に建っていた。

僕は背筋を伸ばし、用意された椅子のある場所まで歩いて立ち止まると面接官に対し、深くお辞儀をした。そして「ぶっ殺してやる!」と威勢良く啖呵を切ると、席に着いた。そして椅子に腰掛けると、おもむろにゲロを吐いた。これで第一印象はバッチリだ。

面接試験では、まず面接官にインパクトを与えることが重要だ。面接官は一日に何十人もの大学生を相手にしているから、同じような問答の繰り返しには飽き飽きしているのである。僕はゲロを吐きつつも、自己紹介を始めた。「亜細亜大学法学部卒の山西です!人を不快な気分にさせるのが得意です!趣味飲尿です!」

面接官は僕の自己紹介を聞いた後、しばらく黙って僕の履歴書に目を落としていたが、やがておもむろに顔を上げて言った。「どうしてウチの会社に入ろうと思ったの?」

こういった類の質問に対して、例えば会社の大きさだとか職場環境だとかを、志望の理由として挙げてはいけない。それは消極的だし、保守的な回答である。

「それは…」 僕は少し間をおいてから、「亀の甲羅を利用した占い結果です!」と元気に言ってそのあと間髪入れずに屁を2回こいた。

こういった発言をすることによって、普段から現実世界を離れて、スピリチュアル呪術の世界と深い関わりを持っていることをアピールできるし、また、そのあとに屁をこくことによって屁の臭さをアピールすることができるのダ。

そんな風な問答がいくつかあり、やがて面接は終わった。帰り際に面接室の壁を思いっきり殴って、それから「このクソヤローども!オマエらなぞヌゲルゲスに喰われちまえ!」と言って、最後に「失礼します」と言って丁寧に頭を下げてから退室した。

エレベーターで1階まで降りてロビーを抜け、ビルの外に出ると雨は止んでいた。僕はひらきかけた傘をとじて、風の中を歩き出した。

※「ヌゲルゲス」というのは僕が考え出した魔物の名前で、清原の顔と桑田の体を併せ持つ、合体悪魔のことである。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん