はてなキーワード: 清原とは
・8世紀前半には北海道沿岸まで遠征
・その後は安倍氏による支配下で、中央政権から遠いので影響も及ばず半独立国家的統治。(※)
※東北地方が半ば独立していくという姿は、古代大和朝廷の中央集権国家の一角が崩れたことを意味し、これがモデルケースとなって日本は小さな国の集合体へと変貌していく。日本は明治維新まで、中央集権による統一国家とは言えない。(江戸時代も、あくまで連邦国家である)
→明治維新は政治体制的には「大昔の古代集権国家に再び日本を戻そうという復古運動」であり、決して新しい近代国家をつくろうという思想ではない
・長い間安倍家のもと安定していたが、1052年末法思想のあたりから政局が不安定化し、貴族の摂関政治の衰え、武士の台頭にあわせて朝廷に反発を始める(cf 939年 平将門の乱)
・1051年~ 前九年の役。源頼義および出羽清原氏により安倍家滅亡。出羽清原氏が奥羽の覇者に。
・1083年~ 後三年の役。清平家のお家争いで清衡が勝利し、奥州藤原家として奥州を統治することになる。
・1185年~ 奥州合戦。鎌倉幕府により奥州藤原家滅亡。東北を蝦夷と呼ぶ時代は終わり、このあとは安東氏による統治。安東氏は拠点を津軽に置き、奥羽と北海道南端の蝦夷地を支配する。北海道が蝦夷と呼ばれ始める。
・1325年~ 蝦夷大乱。お家争いが幕府への反乱につながるが和睦。
・14世紀後半~
・若狭出身の武士武田信広が、陸奥の守護南部氏・安東氏との争いを経由して北海道に上陸。
侵略され、搾取され、屈従し、たまりかねて反乱を起こしては弾圧される。
ひたすらこの5つの繰り返し。
それでも何とかアイヌ側の忍耐によりそれなりに共存してきたが我慢の限界!
・1591年 南部に大反乱。豊臣秀吉の命で徳川家康を総大将とする討伐軍。蠣崎家も参戦。
その間アイヌの生活水準も上昇し、集落もまとまるようになった。
各部族をまとめる大酋長も現れ、独立国家らしきものが5つもできた。
・100年あまりの日本人との交易を経て、アイヌの生活水準は向上したが
同時に自給自足でなくなり松前藩との交易がないと生きていけなくなった。
苦境に陥った松前藩は
アイヌはまたも敗北し、絶対服従を誓わされるが、理不尽な交易レートは引き下げられた。
松前商人は利益を追求してアイヌを低賃金でこきつかい、奴隷扱い。
・そのままアイヌの悲劇が黙殺されたままおよそ100年ほど経過。
・地引き網漁の発達により、肥料用の鰯が大量に取れるようになり、
・田沼意次の命で、幕府からの調査団が蝦夷地に踏み込んでくる。
翌日、清原は約束どおりUFOが写った写真を持ってきた。清原は得意気な顔で、それを椎名の机の上に叩きつける。清原は言う。うそなどついていない。椎名は驚くほかなかった。UFOが実在するとは思っていなかったからだ。清原は言った。UFOはいるんだ。椎名は写真に顔を近づける。UFOは円盤のような形をし、灰色をしている。表面に焦げ目のような跡がいくつか残っている。椎名は顔を上げる。清原は鼻をたかくする。椎名は尋ねる。UFOはいるのか。清原は笑う。何度も言っただろう。写真にもう一度、目をやる。UFOは真っ暗な森林の、わずか上空を飛んでいる。うっすらと灰色の光沢を放っている。信じられない。UFOはテレビでしか見たことがない。年末の超常現象特番でしか見たことがない。くだらない討論の末、明確な答えが出ないまま終わる。UFOはテキサス州でよく観測されると聞いた。それなのにここはどこだ。青森県だ。信じられない。窓の外を見ても、長閑な田園風景が広がるだけだ。信じられない。いないとまでは言えないが、似つかわしくない。椎名は言う。いつ撮った。清原は言う。小学四年生の夏休み。椎名は言う。どこで撮った。清原は言う。裏山だ。椎名はもう一度、写真に目をやる。そうして気がつくのだった。
(ここで言うHTML5はcss3とJavascriptも含めた技術全体の事、逆にFlashはAir等の派生技術は含めないブラウザ上のFlashPlayerの技術のみを指します。)
ウェブに携わる人間には常識だけど、HTML5は何でも出来るスーパーヒーローではない。
どちらかというと、中日の高木とか、ヤクルトの宮本とか、巨人の川相とかの方が近い。知らないやつはググれgoogle:いぶし銀。
HTML5の真骨頂は、昨今のリッチなインターネットコンテンツを、非常に簡潔にスマートに記述できるところにある。複雑な事をすれば凝った事もある程度できるけど、得意分野じゃない(標準APIが機能不足だし、JavaScriptの言語仕様が複雑な処理に向いていない)。
ブラウザだけでここまで出来る、とか、
Flashはもういらない、とか、
ってのは、川相だって筋肉付ければホームラン打てるようになるし清原はもういらない、って言ってるようなもん。宮本にパワーヒッターを求めるのなら筋違いだ。生い立ちも素質も違うのに、どうして代替となりうるのか(プログラムと人間を一緒にするのが暴論なのは百も承知)。
HTML5とFlashにはそれぞれ得意分野があるし、淘汰される形で対立しうるものではない。にもかかわらず、ブコメ見てて、いまだにFlash氏ねHTML5マンセーな意見が支配的なのが痛すぎる。
「ブラウザだけで」というと聞こえはいいけど、何のことは無い。5年くらい前のFlash相当のプログラムが、ようやくブラウザに搭載され始めただけのことだ。Flash は重いとよく言われるが、同じことをすれば(今のところ)HTML5 のほうが重いことが多い。
あと、記事を読むと大概「(どれかの)ブラウザだけで(なら)ここまで出来る(けど他のブラウザじゃ動かない)」って言葉が隠されている。HTML5 の仕様が固まれば全コンテンツが全ブラウザで同じように動くようになるよ!なんて本気で信じてるならあなたはネット向きじゃない。
Flashは互換性の点で優位にある。一社提供で基本的に同じコードを同じ開発者が作っているってのもあるけど、そもそも「どのブラウザでも同じように動く」が、セールスポイント=利益に直結するというモチベーションになるのが極めて大きい。
HTML5 と対立するは Flash ではない、HTML4 だ。HTML4の悪い所を直してHTML5にしようとしてるんだから当たり前。
video対応やベクター描画といった Flash が寡占してる技術の一部を HTML5 が食ってるのは事実だけど、Flash と HTML5 の機能は相補的である。HTMLは文章構造を効率的に記述する目的で生まれたものだし、Flashはタイムラインベースのベクターアニメーションを表示するために生まれた。両方ともブラウザ上でリッチなユーザー体験を提供するという目的に向かって進化してるので、お互いの領土を食い合う形にはなってるけど、生い立ちが違うので得意分野も当然違う。
テキスト表示とレイアウトはHTML5のほうが断然得意だし、2D描画はFlashの方が一日の長がある(私見だけど、HTML5はFlashの描画能力の半分にも至っていないし、Flashのテキスト表示機能はie6のそれにすら劣る、と感じる)。
Flash vs HTML5 という構図は、スティーブ・ジョブスのプロパガンダにすぎない。
ジョブスは訴求力を上げるため、しばしば、対抗技術=「悪」とした勧善懲悪ストーリーを作り上げる。簡潔で力強い言葉にのせて、対抗技術の欠点と自社技術の利点を(時には脚色しつつ)徹底的に挙げていく。対抗技術の利点など無きものとしてしまう。そこには自社技術の欠点など存在しない。
HTML5推しの本来の意図は、ジョブスの声明から推察するかぎり、HTML5であればAppleが開発してるブラウザエンジンwebkitを通じて自らの手でインターネット体験を提供出来るが、FlashはAdobeが開発している技術なので手を出せない(厳密にはFlashはオープンな技術なので自社開発する事は不可能ではないが)という点にある(もちろん、実際は様々な複合要因だと思うけど)。自社製品におけるインターネット体験、という肝心なところを他社に依存してしまうのは許せない、というのは至極真っ当なコダワリだ。Android にユーザーが流れてしまうという大きなデメリットを背負ってまで、iPhone が Flash を載せないことについては、評価すべきとすら思っている。もともと Mac版 Flash プレイヤーのデキの悪さという恨み節もあり、歴史的な経緯による「Flash は重い」という先入感も利用し、衝撃の声明は完遂された。
かくして、勧善懲悪のスーパーヒーロー HTML5 が誕生した。
Flash と HTML5 両方のコーディング経験者であれば判るけど、HTML5はこれまでに比べて簡潔に記述できる事が最大のメリットであって、複雑で凝った事は得意分野じゃない。にもかかわらず、無理矢理 HTML5 で書かれた凄いアプリが「ブラウザだけで!」とか「Flashいらない!」とかセンセーショナルな煽り文句とともに紹介され、もはや冷笑の対象となっている。
もちろん、凄い HTML5 アプリの作者は何も悪くない。未来の技術をいち早く実験/公開して、われわれにその可能性を提示してくれているのだ。そんな彼らを冷笑の対象にしてしまって良いわけがない。
ここまで読んでくれた人ならわかるだろうが、自分は、川相のゴロ捕球からの洗練された送球フォームが大好きだ。いや、HTML5の洗練された仕様と最新鋭の技術が大好きだ。
だからこそ現状を見ていられない。
現実として、Flashは互換性を気にしないで良いがiPhoneで見れない。HTML5はiPhoneで見れるがブラウザ間の互換性が問題となる見通し。
何が幸せなインターネットの未来なのかわからないけど、今の HTML5 vs Flash という構図は、不幸な方向に向かってるように見えてしょうがない。
今回触れてない話の1つにセキュリティ/バグ関連があります。議論の余地のある話ですが、個人的にはどっちもどっちだと思ってます。
あと、巨人末期の清原は本当にもういらなかったかという話があります。議論の余地のある話ですが、個人的にはどっちもどっちだと思ってます。
異常に読みにくいのでやむを得ず購入して自宅で読むことに。
作品の舞台は高校野球。プロ選手を目指していた教師が監督として乗り込んでくる話。それなんてルーキーズ?
とここまではいいのだが、頑張って最初の30ページまで読んだところだけど、とにかく疲れる。
・登場人物の間のやりとりが全くないため単調な印象
単調なイメージで住めばいいのだけれど、もしドラの時と同じように
主人公である監督が何か働きかけると、特に抵抗もなく物事が進んでいく様子が
・文章の流れを遮る唐突な引用がすごい多く、非常にテンポが悪い。
地の文でうんちくを聞かされていたと思ったら実は監督の言葉だったとか、監督の言葉だと思ったら実は地の文だったとか。いろいろと切り替えがおかしい。
・なにか変化があるたびにいちいち
「そうしてこの習慣は、迷径学園野球部同好会が部と昇格した以降も、変わらずに受け継がれる伝統の一つとなった。」
って表現が入るのがうざい。
と私がいっても伝わらないと思うから実物を見てもらおう。
P12~P13
二週間の合宿期間中、続(監督の名前)は、夜のミーティング時間を利用してくり返し整備の大切さを生徒たちに説いて聞かせた。すなわち、用具を大切に出来ないものは、野球に限らず、その道での上達を望めない。用具の中でも、まず大切なのがグラウンドだ。練習をするうえで、すべての土台となるグラウンドが荒れたままでは、技術の進歩はないし、何より野球をしていて楽しくない。グラウンドを粗末にすると痛い目に遭うとか、罰が当たるとか、そういうオカルト的なことを言うつもりはないが、荒れたまま練習をしたのでは、全くの時間の無駄となってしまうのだと、続は説いた。
ここで続は、平成元年のプロ野球ペナントレースにおける、あるエピソードを持ち出した。その年のパ・リーグは、近鉄、西武、オリックスが、終盤まで激しい優勝争いを繰り広げていた。その最後の決着をつける西武対近鉄のダブルヘッダーで、近鉄は、ブライアントの奇跡的な連続ホームランで連勝を遂げ、優勝をほぼ手中に収めた。このダブルヘッダーの第二試合、近鉄に負け、優勝の望みをほぼ絶たれた西武ナインは、大きな落胆と共に、自らのホームグラウンドである西武球場を引き揚げていった。その際、当時西武の主砲であった清原和博は、帽子を取ると、グラウンドに深々と一例をしてからベンチを後にした。目の前で優勝を持ち去られるという大きなショックを受けていたにもかかわらず、例を忘れなかった清原のこの行いは、テレビ中継でも放映されたから、ちょっとした話題となった。その年のオフ、テレビ番組「プロ野球ニュース」の企画で、落合博満が清原と対談した。その席で落合は、「どうしてあの場面、グラウンドに礼をしたの?」と、清原に尋ねた。落合の目には、清原の行為は奇異に映り、それを一種のスタンドプレーか、あるいは何らかの意図を持った行動と勘ぐったのだ。しかし清原は、そんな落合の邪推とは裏腹に、こともなげな顔をして「いえ、あれはいつもやってることなんで、あの日もそうしたまでです」と答えた。つまり清原にとって、グラウンドに感謝の礼をすることは、単なる日常的な行為であった。いつも行っている、当たり前の習慣だったのだ。そうして清原は、かつてないほど大きなショックを受けたこの時も、そのことを忘れなかった。それほど、肝の据わった男であった。
「つまりおれの言いたいのはそういう事だ」と、続は言った。このエピソードから、何を感じるかは皆次第だが、俺は何かを感じた。端的に言えば、そんな清原を格好良いと思った。だから、おれはそんな姿勢を見習いたいし、皆にも勧める。続は、生徒たちにそんなことを話して聞かせた。するとこの話は、生徒たちにそれなりの影響を与えた。次の日から彼らは、グラウンド入出時の礼を欠かさないようになった。そうしてこの習慣は、迷径学園野球部同好会が部と昇格した以降も、変わらずに受け継がれる伝統の一つとなった。
ずっとこんな調子で
「監督が問題発見→監督の説教→監督の主張を補強するやたら長い引用→作者による引用の解説→問題がすぐに解決」の繰り返し。
エースを描くはずが、監督しか描いてねー。しかもこの監督の視点がどうみても部外者のスポーツライター。
うざい文章で有名な初期の禁書目録でさえ、説教が始まったら自分の言葉で語るというのに・・・。
これ小説じゃなくてコラムだろ、といいたいが著者曰くれっきとした小説だそうだ。
引用元のコンテンツが主体のもしドラは別に良かったんだけれど、文章が主体の小説で同じことをやるとは思わなかった。
この人はこの作品で、何を描きたいのだろうか。
引用部分に込められた熱量や主張と比べると、選手たちのトレーニング光景も、成長も、苦悩も、試合も、すべてが軽く扱われているように見える。
私はこの引用部分を語るために形ばかりにストーリが添えられているようにしか今のところ感じられない。恐ろしくバランスが悪い。
と、文章にはかなりネガティブな印象があるが、内容は良くもないが悪くもないと思う。まだ判断下すには早いかもしれないが。
目次を見るに、ちばあきおの名作「キャプテン」を下地にして、そこに監督を放りこんで、監督主導でストーリーを再構成するつもりなのでは、と思う。
しかし、それをどうしてハックルブログの文体そのままの文章を編集なしで本にしようとおもったのだろうか。
別に天呉くんレベルとは言わずとも、もう少しましなライターさんが文章を担当して、岩崎さんは原案で良かったんじゃないのか?
コミカライズの予定らしいが、その際には上のような引用はバッサリ刈り取られるのだろうか。ぜひそうしてほしい。
それとも「球場ラバーズ」のように引用部分の選手たちのエピソードを削ることなく、それでいてキャラを活す、そんな演出が出来るだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20101207042841
美人局にはあったことがある。
どう? 話きくだけでも? って言われて、地下への階段をふらふら降りたんだ。
おお、こんなおっさんも行ってきたんだな、お客入ってんじゃん、って思った。
で、下のフロアーの受付みたいなところの前に数人のおねえさん。
話ききにきたんだけど、って言ったら、どうぞこっちへ、って言って隣の部屋へ。
つうか、いくらなの? って聞いても、あっちの部屋で話すよ、って言われたのでそっちへ。
隣の部屋で、ねえちゃんがそこのソファに座った。
そこではじめて金額を言われる。
確かニ十万とか、そのくらいの金額だった。
いや、それないからって言って部屋を出た。
するとさっきの受付で呼び止められる。
じゃああなた、12万円ね、って。
や、何もしてないし、話聞くだけって言ったじゃん、って言ったら料金表を見せてくる。
ほら、女の子がソファに座れば12万、って書いてるでしょ、って。
おいおいおいって思って出ようとしたら階段に、さっきすれ違ったごっついおっさん。
ここで初めて血の気がひいた。
しかし、持ち合わせがない、マジデナイヨー。
必死で訴えたら、ポケットを全部捜索される。
クレジットカードはいらんと言われるが、総額20万ほどあったトラベラーズチェックを発見される。
裏にパスポート番号と名前を書かされ、さっきのごっついおっさんと外へ。
なんとかそのトラベラーズチェックで、12万円分、それで済んでくれたらもういい、って思う。
換金所で現金にかえられ、言われた額の差額は、ほらお前のだって言って渡される。
じゃ、領収書渡すからもう一回戻ろう、と言われる。
ここで断固拒否。
しかし、これだけ払えば1年間はタダでいいんだぞ、そのために領収書渡すから、次からそれ持って遊びにこいよと言われる。
そんな話があるわけないと断固拒否。
じゃあ店の前で待ってたらいいから、と言って店の前で待たされる。
その間、店の前で呼び込みしてた、あのめっちゃきれいなおねぃちゃんと一緒になるが、普通に俺のこと無視。
俺はめっちゃ恨めしく思うも、自業自得としか言えないので何も言わず。
おっさんがあがってきて、領収書をくれる。
いかねえし。
参考までにそこから学んだことまとめ。
・こわいお兄さんは奥から出てこない。外から入ってくる。
客の退路を断たないと意味がない。後日あやしいお店の周囲を見れば、やたら胸板の厚いおっさんが不自然に突っ立っている姿を発見。
・呼び込みのいるお店は危ない
よく言われているけど、呼び込みのいるお店はとりあえず避けるのが無難と思う。
・非常時には普段よりスラスラ英語が出る。
美人局英会話習得法ってので特許をとろうかと考えている。まあ英会話の練習にはなったが月謝が高額すぎた。
セックスしたいならきれいなおねえさんについていくようじゃダメ。事前にしっかりチェック。素人とするときも計画性は必要ですよ。
ttp://himasoku123.blog61.fc2.com/blog-entry-218.html
◆中高時代
その後PL学園に入学して一年時から四番に座り、国内最高の野球エリート校でみっちりと鍛えられる。
三年間で甲子園優勝二回、準優勝二回。ドラフト時は六球団から1位指名を受ける。
試合のある日だけ野球部に顔を出すが、それ以外の日は映画館に入り浸っていた。
◆19~24才
清原:「バットを抱いて寝る」と言われた程熱心で、恐らく球界一の練習の虫であった。
その後も「常勝西武の四番」として常にマスコミから注目された。
プロボウラーを目指し昼は映画、夜はボウリングという生活を続ける。
その後プロボウラーを諦めて東芝府中に入社。24才の時にロッテから指名を受ける。
◆主な獲得タイトル
清原:特に無し
<Live door>
塩野誠 慶應義塾大学法学部 シティバンク→ゴールドマンサックス証券→Live door
熊谷史人 横浜市立大学商学部 みらい証券→Live door
<弁護士>
猪木俊宏 慶應義塾大学法学部 Live door側弁護士→辞任
桂木明夫 東京大学法学部 Lehman Brothers在日代表
鹿内宏明 東京大学法学部 日本興行銀行→フジサンケイグループ議長→追放
1 NTTドコモ (9437) 119428.40 東京大学工学部卒(立川敬二)
2 トヨタ (7203) 101260.43 東京大学法学部卒(張富士夫)
3 NTT (9432) 68894.70 京都大学経済学部卒(和田紀夫)
4 武田薬品 (4502) 40906.53 早稲田大学政治経済学部卒(長谷川閑史)
5 ソニー (6758) 40720.05 東京大学経済学部卒(安藤国威)
6 ホンダ (7267) 40438.19 早稲田大学理工学部卒(福井威夫)
7 キヤノン (7751) 37890.83 中央大学法学部卒(御手洗富士夫)
8 日産自 (7201) 36997.15 仏理工学校鉱業学校卒(カルロス・ゴーン)
9 東電 (9501) 31386.53 東京大学経済学部卒(勝俣恒久)
10 三菱東京FG (8306) 29887.1 東京大学法学部卒(三木繁光)
11 セブンイレブ (8183) 26908.50 東北大学法学部卒(工藤健)
12 松下 (6752) 26119.34 大阪大学経済学部卒(中村邦夫)
13 野村 (8604) 25930.48 東京大学法学部卒(古賀信行)
14 JR東日本 (9020) 20840.00 東京大学法学部卒(大塚陸毅)
15 富士写 (4901) 19298.46 東京大学経済学部卒(古森重隆)
16 関西電 (9503) 17761.79 京都大学工学部卒(藤洋作)
17 信越化 (4063) 16353.22 東京大学法学部卒(金川千尋)
18 JR東海 (9022) 16217.60 東京大学法学部卒(葛西敬之)
19 デンソー (6902) 16098.89 名古屋大学経済学部卒(岡部弘)
20 中部電 (9502) 16026.64 早稲田大学商学部卒(川口文夫)
順位 大学学部名 人数
2. 東大 法 87
3. 慶應 法 86
4. 慶應 商 57
5. 早稲田 理工 43
8. 早稲田 商 37
9. 東大 工 35
11. 慶應 理工 27
http://anond.hatelabo.jp/20090427130133
東京23区在住、うらやましがられる立場に近い、子アリの主婦だが、それほど優雅ではないよ~。
そういう人もいるかもしれないがなぁ。
ヘアサロンで、この間、清原妻が表紙の雑誌のグラビアを見ながら、ため息をついたよ。
髪を切ることさえ、自由にできない。
夫に子どもを頼んで、やっと、出てくる。
だって、子どもを連れて行って大丈夫なところなんて、ファミレスか、実家ぐらいだもの。
ランチとか、誘いが来るよ。うちの子は泣き出すと止まらないから、行けないけど。
そういうのはなんだが、そこにいる精一杯オシャレして、精一杯見栄をはっているってことだと思うよ。
まぁ、雲の上みたいな暮らししているママもいるんだけど。
それは、あなただけでなく、私たちもうらやましいよ。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081102-OYT1T00492.htm
しかし、田母神氏ご本人は、「誤っているとは思わない」「(論文の内容について)今でも間違っていない」、
http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200811030159.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081103-OYT1T00526.htm
とおっしゃっておられるようであり、
「近現代史の一面的な見方を見直そうという動きが各方面から起きていたが、その象徴的論文」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081103/plc0811031834005-n1.htm
という新聞もあるので、ネット上にある反論ソースをあげておくのも意味ないことではないと思い、対中外交について落ち穂拾いをしてみます。今回もネット上にあるものだけを参照しており、私はこの時代の一次史料を読んでいませんので、「ちらしのうら」であることに変わりはないですが、根拠を何も示さない所論よりはましだと思っています。
見出しの引用の出所は、田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」2008年
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
それでは、公開されている次の論文を紹介する形で反論します。
古屋哲夫「対中国政策の構造をめぐって」『近代日本における東アジア問題』古屋哲夫、山室信一編、吉川弘文館、2001年、をPDF・HTML化したもの(単行本にはあたっていないことをおことわりしておきます)。
http://www.furuyatetuo.com/bunken/pdf/75.PDF
http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html
まず、日露戦争後の日本の中国権益についてみてみましょう。そもそも初期条件は清の関与できない日露両国の話し合いで設定されました。
日露講和条約によって日本が獲得した在満権益とは、ロシア権益の残りの期間を、「清国政府ノ承諾」を条件として、譲り受けたものであり、具体的には 1923年(大正12)に満期となる(露清原条約の期限が25年)遼東半島租借権と、運転開始から36年後の1939年(昭和14)年に中国側に買戻権が生ずる南満洲鉄道経営権を中心とするものであった。
清の事後的同意が必要とされたこと、租借権と経営権には期限が設けられていたことは留意されるべきでしょう。
後の関東軍へとつながる駐兵権の話も、この段階で出てきます。
それは清国の了解なしに、その主権を侵害する鉄道守備兵駐兵権を設定したものであった。それは現に軍隊が存在しているという既成事実を権益に転化させようとするものであり、日露両国は清国の主権侵害の共犯者となったことを意味し、また、以後の満洲支配についての日露共同行動の可能性をしめしたものでもあった。ところで講和条約はロシアから日本への権益の移転譲渡は、「清国政府ノ承諾」を条件とするとしており、それにもとづいて、1905年11??12月にそのための北京交渉が開かれたが、そこで清国側がもっとも強い反発をしめしたのは、この鉄道守備隊の問題であった。・・・(中略)・・・結局この問題は日本側が、ロシアが撤兵を承諾したときには、日本も同様に撤兵するという条件を付けただけで押し切ってしまうが、小村寿太郎全権は、ロシアの撤兵など起こりえず、したがって日本の撤兵もありえないものと考えていた(5)。この鉄道守備兵が、租借地守備兵とともに、後の関東軍を構成することとなる。
先に既成事実があって後に法的に問題を確定させようとしていることは留意されるべきでしょう。
このようなやり方が、相手側に不満を生じさせ、後の紛争の種となるのも当然でしょう。
日露講和後の清国に対する交渉において、もっとも紛糾したのは、前述の駐兵権問題についで鉄道権益をめぐる問題であった。・・・(中略)・・・その結果、1905年12月に調印された、「満洲ニ関スル日清条約」(実質的内容は附属協定)では、吉長線も新奉線も協定附属の取極に譲らざるをえず、前者は清国の自主建設により、資金の不足分を日本からの借款による、後者は日本から清国に売渡し、その改築のための費用を日本より借り入れる、という譲歩をよぎなくされている。結局協定本文には、安奉線が残されただけとなったが、これも軍用軽便鉄道を商工業用に改良することは認めるが、18年後には清国に売り渡すべきことが規定されていた。それは安奉線についての日本の権利が、長春・旅順間の鉄道とは全く異なるものとして協定されたことを意味していたが、日本側、とくに現地の実権を握る陸軍は、条約には目もくれず、安奉線を駐兵権や附属地を持つ満鉄の支線とすることを 実力で押し切ろうとしていた。
実際に、満洲よりの日露両軍の撤兵期限である1907年(明治40)4月になると、遂に、安奉線上の本渓湖の市街に新たに日本軍が進出し、同時に日本の警察官出張所が設置されたとして、清国側からの抗議が提出された。これは前年8月に陸軍が主導して在満権益を管轄するために設立された関東都督府(都督は陸軍大将または中将、初代は 大島義昌大将)が、既成事実を作り出しはじめたことを意味した。そして外務当局もこれを追認する態度を示している。日本側のやり方を条約違反とする清国の抗議に対して、同年5月18日林董外相は、安奉線は満鉄の支線であり、守備隊の駐屯や警察官派遣の権利も満鉄と同様だとの態度をとるよう奉天総領事に指示している(7)。それは条約よりも既成事実を押し通せ、ということであり、対満洲政策の一つの性格が早くも形作られつつあったことを示している。
上記のような「条約よりも既成事実を押し通せ」という態度は、国際法にのっとった正当なものと言えるでしょうか。
軍と外務当局との関係については、一致することも異なることもあったでしょうが、ここでは両者ともに既成事実化をはかっています。
軍だけに責任を負わせることはできません。
安奉線が朝鮮半島と満洲を直結するものとして重視されたことはいうまでもないが、日本側は他面では、韓国北東部に隣接し多数の韓国人が居住する間島地方に、領事館及分館を設立して、韓国人に対する領事裁判権を行使することで、日本の勢力を浸透させることを企図していた。そして清国側が容易に実行しないことを予期しながらも、日本の希望を記録しておく意味で、前記「間島ニ関スル協約」に、清国が吉林から間島を経て韓国北部の会寧に達する鉄道を建設する際には、吉長線と同一の弁法によることという一項を押し込んでいる。しかし中国側は辛亥革命後も、一貫してこの吉会線構想を拒否しており、満洲事変以前には交渉が成立する見込みさえも立たなかった。
つまり、日露戦後の対中国政策は、その基礎に、「交渉」によっては解決しえない部分を抱えこむ形で出発しているのであり、この時点においてすでに、中国との平穏な交渉によって、利権の拡張を図ることは不可能になっていたと言える。
ここまであげてきた行為から、相手国の了承などどこ吹く風といった態度があったことは明らかではないでしょうか。
つづいて、中華民国期に入ります。
ところで日本が主導しえなかったこうした〔引用者注:辛亥革命以後の〕経過の中でも、日本の対中国政策のなかに、様々な特徴が蓄積されてくる点に注目しておかなくてはならない。その第一は、中国全体の情勢を制しえないならば、むしろ分裂を促進して日本が操作しうる地域を造りだそうという発想が生まれてきたという点である。たとえば、在清国公使伊集院彦吉は、1911年10月18日の時点で、清朝にもはや中国全土を統治する力はないとして、「中清ト南清ニ尠クトモ独立ノ二ケ国ヲ起シ、而シテ北清ハ現朝廷ヲ以テ之カ統治ヲ継続セシムヘシ」「何レノ途北清ノー角二清朝ヲ存シ、永ク漢人ト対峙セシムルハ帝国ノ為得策ナリト思考ス(10)」 との意見を外相におくり、さらに11月19日になると、清朝の情勢がより困難となりこの三分案の見込みもうすれたとし、第二案として清朝をして「十八省以外満蒙等ノ地域」に国を保持させる、それも駄目で清朝滅亡の際には第三策として新共和国の首都を武昌など中国中央に置かしめ「満蒙ノ地域ヲ遠ク辺外二置キ漸ク閑却セシムル(11)」との意見を具申している。それは親日的地域の確保のための中国分割という発想に行き着くことになろう。さらに翌12年2月になると、いわゆる大陸浪人川島浪速らが、参謀本部や関東都督府と連絡しつつ、北京より脱出させた清朝粛親王を擁し、蒙古の王公らをも参加させて、満蒙独立国を造り出そうとする画策が実際に行われるに至っている。
ここでは、一外交官、一大陸浪人の例しかあげられていませんが、後にみるように、国の分裂を促進させようというのは国の政策となっていくのであり、その萌芽がみられることは留意しておくべきでしょう。また、ここでも軍のかかわりがみられるようです。もちろん、他国を分裂させようというのは、相手の了承を得た、国家間の条約を尊重する態度とは言えないでしょう。
この間〔引用者注:革命後、1910年代前半の中国情勢の混乱〕に付加された対中国政策における第二の特徴として、中国現地において日本軍人が侮辱されたと日本側が解釈した場合には、「原因の如何にかかわらず」、中国側に責任者の処罰と謝罪を行わせて、日本軍の威信を守るという方式が打ち出されてきたことに注目しておかなくてはならない。いわゆる第二革命の 時期に、日本人が被害を受けたとする、漢口・エン州・南京の三事件がおこっている・・・(後略)・・・
漢口事件について、古屋論文に基づき、要約します。
まず、陸軍少尉が中国軍の制止を無視して戒厳地区に進入し、一時抑留されました。
軍からの報告は、「無抵抗の西村少尉らが、理由もなく暴行を受け、軍服をぬがされるなどの侮辱を受けた」というものでしたが、日本の総領事は「これを信用せず、自ら調査して西村らの横暴と暴行について牧野伸顯外相(第一次山本内閣)に報告」しました。しかし、「陸軍中央部は、現地の調査も行わずに、「日本将校凌辱事件」として」、謝罪と賠償と利権を要求し、結果として中国側に処罰・謝罪させたものです。
古屋論文は、このような事例が満洲では蓄積されていたであろうことを指摘し、「このような先例の蓄積は、「日本軍の威信」の確保を第一義とするという条件によって、日本の対中国政策が実質的に拘束されるようになってゆくことを意味していた。そしてその翌年の第一次大戦への参戦は、対中国政策にさらに決定的な影響を及ぼすこととなった」と評価しています。
交渉ごとにおいて、譲歩できないものを必要以上に多くすることは、カードの手札を事前に少なくしているのと同じではないでしょうか。
つづいて、第一次大戦下の部分をみていきましょう。
第一次大戦下で目に付くのは、前述した鉄道付属地経営権や、軍の威信を確保する事件解決方式など、条約面に現れない既得権の高圧的行使や、軍を背景とし、あるいは軍に依拠した陰謀的行動の横行であった。とくに袁世凱が自派による帝政運動を組織し、1916年1月1日帝位について洪憲元年と称したのに対して、反対派が第三革命に立ち上がるという事態に対応して、大隈内閣が反袁運動支援の方針を決定したことは、こうした傾向を著しく促進することになった・・・(中略)・・・この〔引用者注:内閣の〕方針は具体的には「適当ナル機会ヲ俟テ南軍ヲ交戦団体ト承認スルコト」などをあげているが、実際には山東に居座った日本軍(侵攻以来ワシントン会議後 まで7年以上駐留)や、満鉄守備隊を含む関東都督府の現地軍が関与あるいは支援したことが、最も重要であったと見られる・・・(中略)・・・大隈内閣の反袁政策は、結局のところ、現地日本軍と其の周辺の日本人の横暴への反感を広めただけに終わったようにおもわれる・・・(中略)・・・第一次大戦下の日本の対中国政策は、侵略性の膨張として特徴づけることができるが、列強のすべてが参戦し、中国に手を出すいとまがないという条件のもとで、初めて実現したものであり、従って戦争の終結とともに転換を迫られることは必至であった・・・(中略)・・・日本軍は、青島を攻撃・占領する以前に、ドイツ兵に守られているわけでもない中独合弁の私立会社の経営する山東鉄道を占領(26)しているのであり、日本の参戦がたんにドイツの軍事力の打破のみでなく、新たな権益の獲得を目指していることは明らかと見られた。
ここでは、中国の内部分裂を促進させる政策を内閣が採用しています。政治が、権謀術数やパワーゲームというのはその通りなのかも知れませんが、これに対する中国の、その民衆の反発は至極まっとうなものでしょう。ベルサイユ講和会議における中国の要求が退けられたことから、五四運動へとつながります(中国はベルサイユ条約への調印を拒否しました)。周りにいくら根回しをしても、当事者同士に納得が得られなければ物事は進みません。
そして、アジアの国際秩序について話しあわれたワシントン会議では九か国条約が結ばれます。
対中国政策全体は、領土保全・門戸開放・機会均等というアメリカの主張を柱とする九か国条約に規制されることになり、そこには勢力範囲政策を排除することも明文化されていた。
このような流れのなか、詳細は省きますが、古屋論文では、「国際的に通用しなくなって」きた「特殊権益」、「勢力範囲」にかわり、「満蒙治安維持」という、関東軍の謀略による満洲事変につながっていく「政策理念」が出てくるとされます。
しかしそれ〔引用者注:満蒙治安維持〕は、他国の一部を自国の利益に従属させるという点では、勢力範囲と同じことであり、中国との対等の関係を確立するためには、破棄しなければならない要求であった。しかしそのことは、幣原外交においても、ほとんど意識されることはなかったように思われる。
それは幣原外交もまた、国民の対中国意識のあり方に規制されていたということであろうか。第一次大戦中に強められ広められた中国に対する侮蔑を基礎とする優越感は、大正デモクラシーによっても解体されることはなかったし、さらにその基底では、満蒙を20万の将兵の血と20億の巨費であがなわれた明治天皇の遺産とみる天皇制的意識が形成され、大衆を呪縛していたことであろう。現地軍における統帥権の独立と、国内における大衆的中国侮蔑感とは、対中国政策の構造的改造を困難にするものであった。そしてその大衆意識は、満洲事変への共鳴板として鳴りはじめ、状況を一挙に転換させることになるのであった。
ここまでみてきたような、日露戦争から満洲事変にいたる流れをおさえてなお、「相手国の了承を得」た、「条約に基づいた」と表現することが妥当なのでしょうか。ご覧の通り、日本の大陸政策に対する軍の関与は明白ですが、まさか防衛大を卒業された方がこの程度の知識をご存知ないとは思いませんので、あの「論文」の内容とどのように整合性をとられているのか興味深いところです。
さて、このように、一つの論文をみて、「論文」の一部の所説を検討するだけでも結構な手間がかかります。歴史の勉強はそれほど甘くはありません。粗雑な「論」を示して誤りはないと言われても困ります。また、「事実は小説より奇なり」ということもありますし、歴史学においては、「神は細部に宿る」こともあるので、個人の感覚からおかしいと言うだけでは有効な批判にはなりません。また、学問においては、勉強が足りずに事実認識が間違っているのは、明らかに勉強が足りないことに非があります。今は勉強不足で根拠が示せないというのであれば、その主張は根拠がないゆえに認めれらないのです。いつか証明されるのかもしれませんが、そのときが来るまでその主張に強度はありません。
ところで、古屋論文の最後に、「国内における大衆的中国侮蔑感」の問題が出てきました。今もまた、中国に対する偏見は百害あって一利なしであり、中国の実態を虚心にみつめ、評価しなければならない、と私は考えています。
その意味で、中国の民衆運動について、興味深い論文をみつけたので最後に紹介します。
しかし,中国民衆のナショナリズムとは,つねにそうした「暴力」をともなうものとしてしか実現されなかったのであろうか。そこには多くの場合,「暴力」の受け手の側からするバイアスがかかってはいないだろうか。一昨年の,「反日デモ」についての日本のマスコミ報道が,デモの「被害」を強調し,一面的な批判に終始したことも想起される。「歴史」と「現在」を同時に射程に入れねばならない現代史研究者にとって,そして,民衆の運動の対象であったわれわれ外国の研究者にとって,必要なのはこうしたバイアスを克服し,実証的に中国の民衆のナショナリズムの実態を注視することではないか
(江田憲治「民衆運動とナショナリズム―1925年の五・三〇事件を手がかりとして―」『現代中国研究』21、2007年、27-28ページ。http://modernchina.rwx.jp/magazine/21/eda.pdf)
私はこの問題意識に全面的に賛同し、実証的な近現代史の議論が進められることを希望するものです。
またしても、このような長文をお読みになってくださった方に感謝します。
アスリートを対象に失神するほど笑ったのはあれが初めてだったかもしれない。長渕剛が暴走していたアレのことです。2008年のプロ野球珍プレー・ナンバーワンは間違いなく清原の引退セレモニーだ。
僕はどっちかと言うとデリカシーというものを大事にする方だが、あんなもん笑うなという方が無理だ。突っ立ってるだけの清原の周囲をぐるり徘徊しながら熱唱する長渕剛、このカメラワークがおかしくておかしくて仕方が無かった。軽い挨拶程度で流されると思っていた「とんぼ」が、フルコーラスだとわかった瞬間も僕の呼吸困難に追い討ちをかけた。ネット上での感想を読んでいても僕と同じような印象を受けた人は結構居て、「引退セレモニーですら笑いを取ることが出来る清原はさすが上方出身だけある」みたいな皮肉も沢山見受けられた。
あのセレモニーで爆笑した人と、本気で感動した人との違いはまんま、世代の違いだと言えると思います。KK時代の直接世代でない人たちから見れば、あそこは笑うしかない。悪気が無くても笑うしかない。そういう構図だ。
でも笑いから覚め、落ち着いて考えているうちに、プロの世界はやはり非情で厳しいものなのだなぁということが理解できてきた。笑ってはいけなかったのではないかとじくじたる思いにもかられたのです。
僕が小~中学時代の頃、西武ライオンズファンだったので当然清原も大好きな選手の一人であった(特別熱を上げていたのは郭(泰源)と秋山だったが)。あれほど好きだった清原がああいう形でしか選手活動に終止符を打てなかったというのは、考え方によっては実に残酷な話ではないですか。
個人的な印象では巨人移籍以降の清原は全然パッとせず、とても巨額の投資に見合うだけの働きはしていない。巨人もオリックスも実は最初から戦力としての清原には興味が無かったのではないかと思ってる。ショービジネスなのだから、何も球団への貢献方法は、ホームランを打ったり三振を取ることだけではないはずだ。経済効果が見込めれば賞味期限の切れたヘタレだって獲るのだろう。それはそれで利口だけれども、清原獲得への投資が、氏のタレントとしての存在価値でペイするしか無いというのは、本人にとってはある意味屈辱的なのではないかと思います。
なんせ、「打ったら拝まれる。三振したらどやされる」という、選手としての結果主義を説いていた当の清原だけに、あのフィナーレは耐え難いものがあったのではないか。そんな気がする。
あと、別の理由として考えられるのが、清原が本気で試合で活躍すると信じて獲得した人々の存在だ。僕は球団運営について何も知らないので想像だけど、仮にも一法人がバカ高い買い物をするのだから、数多くの幹部の同意が必要だろう。おそらく書類につかれたハンコの数も一つや二つではないはずだ。そんな彼らが手がけた獲得劇である。「獲得は失敗だった」という口ざまだけは避けなければいけない。片岡篤史もそうなんだけど、つまりどんなに期待はずれに終わった元・超大物打者でも、「獲得は成功だった」と周囲に印象付けなければ困る人たちが、あのような滑稽なフィナーレを演出したのではないかと思っているのですが、いかがでしょうか。
ファンにも同じことが云えます。自分の青春時代、球界で華やかに活躍していた清原が、往年すっかり落ちぶれたことを認めたくは無いのでしょう。華やかだった青春時代から一転して、パッとしない日々を送る今の自分と清原とがオーバーラップするのではないでしょうか。でも、それでは駄目です。本当のファンならば選手の衰えという現実をしっかりと直視して、それでも尚愛し続ける勇気を持たないと。
今の10~20代なら松坂やダルビッシュといった選手の大ファンという人も多いだろう。だけど、いつかは彼らにも衰えが来ます。打てなくなり、あるいは被弾し情けなくベンチに下がることが多くなるでしょう。そのとき、彼らのみじめな姿をちゃんと見ていてあげてください。世間から注目されなくなり、ひっそりと球界から去っていく彼らを、ファンだけは最後まで見守ってあげるべきなのです。
偽りの労い、偽りの賛歌に彩られた引退セレモニーに声援を贈るような、そんな残酷な仕打ちだけは避けなければいけない。清原和博のような犠牲者をこれ以上増やすべきではないのだ。
("物書きの才能があるのかしら")
今回出すのは野球、サッカー、バスケだけど、皆さんはチームを応援する、もしくは好きになるのは何がきっかけでしたか?選手が好きだから?チームの雰囲気?チームの場所?
自分は選手ありきです。これはどのスポーツにも共通していて、好きな選手がいるからチームを好きになる。
野球なら現在セ・リーグでは中日(落合監督、キレイなノリさんw)、パ・リーグでは楽天(田中)。初めて好きになったのは西武で、当時は工藤、郭、渡辺、秋山、清原、伊東、石毛と蒼々たるメンバーが揃っていたのが理由(特に同じ左ピッチャーだった工藤と秋山の存在が大きかったかな)。その中から工藤、秋山、石毛がホークスに移籍し、ホークスファンになったのは当然の流れでしょう。
バスケならNBAのナゲッツ(アイバーソン)、bjリーグの東京アパッチ(青木、牧、ヘリコプター)、JBLの札幌(折茂、桜井)。
とまぁ、一通り書いてみましたけど、やっぱり好きな選手がいないと応援しようがない。そのいい例が今のホークスで、上に書いた選手は移籍or引退、現役でも井口と城島がメジャーに行ってしまい、残ってる選手は・・・まぁ、スペランカーこと多村選手の動向は色んな意味で注目してますがw
コレはまさに実現不可能な夢の試合 「阪神vsPL学園(清原桑田世代)」 そのまんまぢゃないですか?
プロだからアマとは試合できない、そんな言い訳をしていた時代があったような
とある将来有望な投手は、「オリンピックにプロは出られない」がためにプロのスカウトを断り続け、野球人生をオリンピックに捧げてきた
それなのに
時代がいつの間にか替わって、日本は「世界の野球同好会」相手にプロを選抜して「金メダル欲しい♪」ですかそうですか
アマの連中を集めて星野さんが叱咤激励、鼓舞し金メダル獲得を狙うならわたしも野球が好きな人間です応援は惜しみません
結果、優勝して金メダル取れたならもろ手を挙げて祝福しましょう!乾杯しましょう!ニューボトル入れちゃいましょう!
でも全員プロなんですよね?野球でメシ喰ってる人たちなんですよね?
優勝して当たり前、金メダル取って当然でしょ?
そんなのが勝ってもつまらないし、万が一負けたら日本プロ野球なんか信用できない応援できない
苗字だとわかんないんですよね。東北には昔から金姓がいるわけです(九戸郡を本拠とする金姓久慈氏)。
古代までさかのぼれば朝鮮半島の金氏とは同じ源流ですが、そこまで遡って在日うんぬんと言い出すのもどうかと。
清原氏も朝廷に仕えていた明経道の家もあれば、創氏改名の時に名乗った清原氏もあり、見分けは困難です。
新井氏も上野国新田郡発祥の清和源氏新田氏もあれば創氏改名の時に名乗った家もありますし。
星野氏も三河国宝飯郡星野荘発祥の藤原南家なのに、なぜか在日扱いされています。トンデモ本で藤原氏帰化人説というのが
ありましたが、まさかそれを鵜呑みにしている人がいるのでは?!
どうも2ちゃんねるのいい加減な情報に惑わされて在日認定をしまくる人が多いんですよね。
あれの根拠のなさは失笑物です。
<Live door>
塩野誠 慶應義塾大学法学部 シティバンク→ゴールドマンサックス証券→Live door
熊谷史人 横浜市立大学商学部 みらい証券→Live door
<弁護士>
猪木俊宏 慶應義塾大学法学部 Live door側弁護士→辞任
桂木明夫 東京大学法学部 Lehman Brothers在日代表
鹿内宏明 東京大学法学部 日本興行銀行→フジサンケイグループ議長→追放
1 NTTドコモ (9437) 119428.40 東京大学工学部卒(立川敬二)
2 トヨタ (7203) 101260.43 東京大学法学部卒(張富士夫)
3 NTT (9432) 68894.70 京都大学経済学部卒(和田紀夫)
4 武田薬品 (4502) 40906.53 早稲田大学政治経済学部卒(長谷川閑史)
5 ソニー (6758) 40720.05 東京大学経済学部卒(安藤国威)
6 ホンダ (7267) 40438.19 早稲田大学理工学部卒(福井威夫)
7 キヤノン (7751) 37890.83 中央大学法学部卒(御手洗富士夫)
8 日産自 (7201) 36997.15 仏理工学校鉱業学校卒(カルロス・ゴーン)
9 東電 (9501) 31386.53 東京大学経済学部卒(勝俣恒久)
10 三菱東京FG (8306) 29887.1 東京大学法学部卒(三木繁光)
11 セブンイレブ (8183) 26908.50 東北大学法学部卒(工藤健)
12 松下 (6752) 26119.34 大阪大学経済学部卒(中村邦夫)
13 野村 (8604) 25930.48 東京大学法学部卒(古賀信行)
14 JR東日本 (9020) 20840.00 東京大学法学部卒(大塚陸毅)
15 富士写 (4901) 19298.46 東京大学経済学部卒(古森重隆)
16 関西電 (9503) 17761.79 京都大学工学部卒(藤洋作)
17 信越化 (4063) 16353.22 東京大学法学部卒(金川千尋)
18 JR東海 (9022) 16217.60 東京大学法学部卒(葛西敬之)
19 デンソー (6902) 16098.89 名古屋大学経済学部卒(岡部弘)
20 中部電 (9502) 16026.64 早稲田大学商学部卒(川口文夫)
順位 大学学部名 人数
2. 東大 法 87
3. 慶應 法 86
4. 慶應 商 57
5. 早稲田 理工 43
8. 早稲田 商 37
9. 東大 工 35
11. 慶應 理工 27