はてなキーワード: ディアとは
ももクロは今より売れる可能性はあっても、アイドルにおいて覇権を握る、今で言うAKBのポジションに着くことは到底有り得ない。その理由を記述する。
(1)ファンが批評系
もう、これでここで言いたいことの8割は言ったのだが、今のところ”ファン”を自称する人間のその多くが批評的な人間であるということだ。
AKBもかつてはサブカルだった。どサブカルだった。秋葉原に劇場を持ち毎日公演を行い、謎の選挙システムを有する。いかにもである。しかし、このAKBの流れを汲み取り切れなかったのが2000年代後半のサブカルチャー批評だった。かつて文芸批評家の宇野常寛氏は、ニコ生の番組において「2011年に入るまでAKBに注目できなかったのは失態」と語ったことがある。
AKBは上記にあるように、サブカルを代表させるにはうってつけのシステムを持っていた。これを批評的に分析できたとしたら、どれだけ楽しかったことか。そして今の流行を先見の明を持って解き明かせたら、どれだけどや顔できたことか。しかし、その間もなくAKBはサブカルとは呼べないレベルの現象になってしまった。
今更AKBを語るのは、サブカル的には”カッコ悪い”。(前述の宇野氏は、現在ではAKBの批評的分析を、同じく批評家の濱野智史氏と共に行なっている。このあたりは、ポップカルチャーを批評対象とする宇野氏のスタンスに適っている。)
しかし、AKBには一個弱点がある。それはデカくなりすぎたことだ。デカくなればそれの粗探しも容易である。後は、「じゃあ何だったらいいんだよ」と返されたときに持ちだしてこれるモノがあれば良い。
ももクロ以外のモノではダメな理由がある。それは、現在ももクロ以外の各レーベルが売り出すアイドルグループは、方法論やコンセプトがあまりに凡庸、古典的なのだ。
「◯万人の中から選ばれた◯名」「毎日長時間のレッスンを重ね、△△より上手い、歌とダンス」
こんな売り文句に飛びつけるわけがない。
そして、ももクロでなければならない理由もある。
そもそも、AKBのコンセプトとは何だったか。それは「会いに行けるアイドル」である。
対してももクロのコンセプトは。そう、「いま、会いに行けるアイドル」である。
ももクロの結成は2008年。この時、既にAKBは前年に紅白出場を達成、またCDの販売方法が独禁法に触れる恐れがあるとして販売中止、回収騒ぎになった年でもある。
当然ももクロ側にも、メジャー化して「会いに行ける」というコンセプトの維持が難しくなったAKBへの対抗意識があったことは間違いない。
この、売り出し側の「アンチ・AKB」的方法と、買い手側の「アンチ・AKB」的精神の癒着により、現在のももクロ人気は成立している。
そして、この一点のみで自称ももクロ”ファン”は、ももクロ”ファン”を公言している。AKBによって市場規模の大きくなった「アイドル業界」において、敢えての選択としてAKBではないグループを応援するという、サブカル的精神にとって心地よい味を提供してくれるのがももクロというわけである。
そして、この手の”ファン”は、小規模な経済活動である間は良いが、規模の拡大に寄与しない(大量購入などのオタク的消費は行わず、あくまで必要最低限のモノしか買わない)うえに、そもそも規模が拡大していくことを嫌う。
小規模の間は、勝手に”ファン”がももクロのいちいちの行為について言説的補強を行なってくれるので、界隈の巻き込み力がある。しかし、その界隈も一定数を超えると限界が出る。しかもオタク的消費を好まないから、数の飽和イコール売上の飽和ともなる。(ここでは、大量に購入させるような商法(いわゆるAKB商法)が倫理的にどうであるかとの問については答えない。簡単に私見を述べれば、独禁法に触れるようなもの、つまり付録のバリエーションを増やし購買意欲を煽るようなものは問題であると思うが、握手券や投票権を求める購買行動については売り手側の責任は無いと思われる。)
以上が、批評系”ファン”が多数を占めることによる弊害と言える。
(2)可愛くもないし、一生懸命でもない
というのは流石に言いすぎだが、他と比べてそこが際立つわけではないということである。
よく、”ファン”はこの2点を強調する。そして、「だからこそAKBより良いのだ」という。
ただ、言いたいことはわかる。
例えばAKBのファンも「◯◯が可愛い」と言う。この◯◯には、例えば高橋みなみとかが入るわけだが、はっきり言って可愛くはない。「前田敦子が1位である意味が分からない」という声もある。
こういう場合、その対象がAKBであろうとももクロだろうとなんだろうと、ファンたち何も容姿の美しさ単体で「可愛い」という形容詞を付けているわけではない。そこには、それぞれ固有の物語、コンテクストを見出して「可愛い」と言っている。それがAKBで言えば、「エケペディア」に象徴されるデータベースから個人個人のエピソードを上手く消費するという行為であって、そしてそのパブリックなコンテクストに加えて握手会というプライベートなコンテクストを加えることで、ファンのメンバーに対する<愛>は蓄積される。
だから、オタク層以外には「AKBで前田敦子が1位である理由」なんて分かるはずがない。というか必要がない。そのコンテクストを共有していない人間に理解される必要などないからだ。
貴方達は皆、ミス・ユニバースの選考に100%納得しているのか。ミス・ユニバースは、ミス・ユニバース内部のコンセプトに基づいてミス・ユニバースを決定するのである。そこにおいて、容姿というのは評価の1項目に過ぎない。その点を理解している人間がどれだけいるか。
この理解で言えば、「ももクロのメンバーが可愛い」というのも同じ文脈で捉えることは可能である。しかし、ここに一点だけ差異がある。
前田敦子が可愛くないとみんなは言う。なるほど、確かに私もそう思う。(ただ、たまに奇跡的な瞬間があることも知っている)
では、テレビでそれを言ったらどうなるだろうか。本人の目の前で「可愛くないねー」と前田敦子に言ったらどうなるだろうか。Mステでタモさんが前田敦子に「顔のパーツ中心に寄ってるよね」と言った時のスタジオの空気を知らないのか。
著名人のAKBに関する批判的コメントは多数ある。ただし当人がいない所で、である。このことが結構大事であって、それは「そんなに可愛くなくても可愛いものとして扱われること」が究極的なアイドル性だと考えるからだ。
前田敦子はその点で究極的である。一方でコンテクストを持つオタク達による支持を受けAKBのトップとして君臨し、もう一方ではそのコンテクストを持たない一般メディアにおいて「AKBのトップ」であるということを理由に支持される。この時、両者は同じように前田敦子に接しているように見えるが、その内実は異なる。
前者は本当に可愛いと思っており(何故ならコンテクストがあるから)、後者は可愛いことになってるから可愛いとしているだけである。(何故ならコンテクストがないから)
そしてその内に、そのコンテクストを持たない者の間にも「可愛い」という意識は一部に伝染する。あくまでも一部ではある。板野友美が女子高生に人気があるというのが都市伝説かどうかは、私には接点が無い存在である故確認できないが、そういう可能性がありうるのがこのような状況である。
可愛い人に可愛いというのは当たり前だし、ブスにブスというのも当然である。そこを転倒させることができてこそ、真のアイドルではないのか。(筒井康隆「薬菜飯店」収録の「イチゴの日」という短編を見よ)
翻ってももクロを鑑みるに、この点が厳しい。コンテクストを共有する者の間で「可愛い」は流通するかもしれないが、コンテクスト外のメディアにおいては厳しい。(「ゴッドタン」をはじめとするバラエティ番組での扱いが顕著である。ただし自らの冠番組においてMCの芸人にどう弄られようと、それはファンにのみ流通するパブリックなコンテクストを補強するイベントに過ぎないので全く問題はない。)
つまり、ももクロはアイドル性を保つのが困難なほどバラエティ性を現時点で持ってしまっているので、コンテクストを持たない者に「可愛い」が流通しにくい状態となっている。
だから「可愛い」と認識させるためにはコンテクストを持たなければならないわけだが、ここでももクロ”ファン”が批評系であることが弊害になる。
彼らは口うるさい。見る前からあれがいい、これがいいとこれ見よがしに自らの批評眼をアピールする。そしておそらく、この手のももクロ”ファン”はAKBオタクなどよりも、音楽偏差値(というものがあれば)は高いし、現代思想にも詳しく普通の意味での偏差値も平均すると高い。
皮肉にも、このことがももクロを好きと公言するのに、もしくは積極的に見ようとする心に障害となる。
彼らは知りすぎている。目が肥えている。そんな彼らが「良い」と言うのだから、「良い」に違いない。しかし見てもよくわからない。可愛いような気はしないし、踊りもなんだか凄いがとりあえず可愛くはない。けど「良い」らしい。なぜ僕はわからないのか。
対してAKBはどうか。オタクはキモい。なんかオタ芸してるし、CDはめっちゃ買うし。だからあんなものを理解しなくて構わない。仮に少しでも引っかかることがあれば、とりあえずそのままその波に飲まれてしまえばいい。どうせ彼らオタクは周りに新しいファンが増えようがどうでもいい。どうせならもっと売れなくなればチケットも取りやすいのにくらい思ってる。
私は、このコントラストが大雑把にはあると思われる。そしてこのことが、「可愛い」というお札が流通しない/する要因となっている。
もう一つ、「一生懸命」について言えば、この言葉はかなり頻繁にももクロを持ち上げるものとして使われるが、端的に言おう。
そんなのみんな頑張っている。ただそれだけだ。
ダンスや歌のレッスンは、皆どのアイドルグループも一生懸命やっているのだ。所詮、「アイドルなのに顔芸をやる」という点においてのみ「一生懸命の差異」を見出してるにすぎない。
私がここで「自称」とか「ファン」を” ”で括るのは、彼らが本心からの好意ではなく、「AKBというサブカルの隆盛を見抜くことができなかったコンプレックスの解消手段」としてももクロを利用しているように見えるからである。
結局のところ、ももクロを今以上に流行らせ、AKBに取って代わりたいのであれば、自称ももクロ”ファン”達がそれを名乗るのを辞める他ない。
早見あかり頑張れ。
が出現します。
歩いて南へ行くと・・・
↓
魔王を倒した後の
↓
↓
むっちゃ強いので、相当気を引き締めて戦いましょう。
「オラ、何だかすっごくワクワクしてきたぞ!」
倒すと、倒すまでにかかったターン数を教えてくれます。
何度でも戦えます。(ドラ○エの○竜と一緒。)
ゴミの様な弱さになってました。
以下は、アイテム収集率100%にする為の
岩山と岩山で囲まれた水路を南下した先にある
※追記 コメント欄にて巴さんが教えてくれました。
本当にありがとう。^^
キノコは5~6体の集団で出現する為、
↓
勇者のかぶと
アルバマの街の牢屋の鍵の扉の人が
↓
勇者の盾
コマの街の川を隔てた南の陸地を進んで行きましょう。
↓
↓
緑手下
↓
赤手下
↓
青手下(他の2体より強力、レベル30手前推奨)
↓
正義の証
3体の魔王の手下を倒したら、
↓
↓
ダイア装備があるので、レベル上げがてら揃えましょう。
↓
↓
黒手下、勇者の鎧
総力を結集して、挑みましょう。
攻撃力アップと各種バリアを張り続け、
↓
奇跡の鎧
って言ってたじいさんが。4つ揃えて話すと・・・
↓
(逆でも良いのですが)
頑張って魔王を撃破すると、
(次回作に含みかな?)
お疲れ様。
船を手に入れたら、船で行けれる町で
最強の装備がある街「ハワード城」へ行き
(当然、海周辺や城の周辺の敵は、船入手時のレベルでは、
↓
ポートタウン上のほこらのじいさんに言われた様に
金の鍵を探しに行きましょう。
↓
その前にテレポートの表示順で言えば、
アルバマの街にとりあえず行っておきましょう。
↓
では、金の鍵をゲットしに行きましょう。
船でいける所に一通り行っていれば、
カタの街へは、コマの街から南下し岩山に囲まれた
↓
カタの街のじいさんが金の鍵について
↓
↓
金の鍵をゲットしたら、今までの街や城の
金の鍵の扉を片っ端から開けていきましょう。
すると、ハミルトン城の金の鍵の扉の向こうの老人が
↓
孤島の村「マダカスの村へ」
○○の場所で「真実の石を」ゲット。
↓
↓
岩山に囲まれた場所から、一箇所陸に上がれる場所が。
陸に上がって、道なりに北上して行くと
どうにも橋が直らない様なので、下の岩山の中へ進み
↓
(井戸には何も無いし調べる事も出来ません。スルーで)
したら街の外へ行きましょう。
北東の壊れた橋を見に行きつつ、フィールドを良く見ると
↓
橋直しの名人ハジルが橋を修理中に
「何か」を落としたらしいので、
橋に行って見ると…橋が直ってて…兵士に話すと…
↓
オープニング~船ゲットまでです。
↓
ぐるっと周るとほこらがあるので行って見ましょう。
↓
そうこうしてる内に、回復魔法を覚えたら
砂漠を抜けた場所にあるコマの町へ。
↓
買える限り武防具を購入したら
↓
腕試しの洞窟の宝箱を残らず頂いたら、
今度は、コマの町からとことん東へ行った先にある
ポートタウンの町へ
↓
武防具を買える限り購入し、町の人と話すと
「船の製造は特殊な金属がいるってばよ」
特殊な金属を探しに。
↓
南へ下りきったら、今度は東へ。
岩山に囲まれた城、ハミルトン城へ到着。
敵も強くなり距離もあるので、
↓
王様と話すと、
王様の娘が駆け落ち中との話も。
↓
↓
ミズウリの町には、駆け落ち中の姫と町の青年、
発掘権を奪われた町民の不満話等が聞けます。
↓
ロマリオの町には船を手に入れるまでで
何とか町までたどり着き、レベル上げついでに
町周辺の敵を倒して、装備を全て揃えましょう。
町の娘の「あの鳥捕まえて~」は捕まえられませんのでスルー。
↓
兵士に話すと「聞いてない、帰れ」→
↓
「船作るから、ちょっと待っててね。」
船が完成する間、周辺の町を旅しましょう。
↓
船が完成したら、乗り込んで出発です!
ガイラルディアはGoogle phone(Ht-03A)で遊べます。
アンドロイドマーケットで「ガイラルディア」と検索しましょう。
私は船を手に入れましたが、そこまでです。
http://xperia.bex.jp/app/gairaldia_kouryaku.html
序盤、中盤、終盤、裏面と分けられていて見やすいかも。
ここまではOK。
私はここで現在停滞中!
http://anond.hatelabo.jp/20111016163543
http://keitaikouryaku.blog.shinobi.jp/Entry/130/
http://anond.hatelabo.jp/20111016163647
http://keitaikouryaku.blog.shinobi.jp/Entry/131/
あと、これが一番重要かもしれない。
又は
又は
これでクリアーしとくか…。
船でいける範囲の街や城の中で
最強装備を売っている所へ行き、装備品を買っておくと
しょっぱなで全滅する事もあるので、注意が必要です。
高級武防具を売っている街まで必ずたどり着けるでしょう。
mocoさんは用意していたのだけど、容量が足りなくなって、
(仕様の補足として、相手の攻撃力より
1日中すれば、1日でクリアできるかも。
裏面で最強レベまで上げるとなると、+もう1日。
そして、ゲーム内容も然る事ながら、
まぁ、タイトルの「レガシープログラマ」とは私の事なんですけどね。
if( foo == TRUE ){
という判定文をよく見かける(fooはいろんなオブジェクトだと思ってほしい)。
個人的には、この書き方、嫌いなんだよね。
if( foo ){
か
if( foo != FALSE ){
と書いて欲しいわけよ。とにかく「TRUEか?」という判定にはして欲しくないわけです。
で、なんでこう書くの?と外注や若い連中に聞いたら、「TUREは1ですから」と必ず答える(断言する)。
あ、あれ???自分は「TRUEはFALSEでは無い。確定しているのはFALSE=0という事だけ」だとずっと思っていたんですわ。
古いC言語風に書けばこんな感じ。
#define FALSE 0 #define TRUE (!FALSE)
確かに、実際に値を表示させてみると、昔のVC6だと「1」という結果が出てくるし、VB6だと「-1」という結果が出てくる。これ、当時混乱の元だったんだよね。
新しいC++や規格ではBOOL型というのがきちんと定義されたと思うけど、製品寿命が20年とかいう私の職場では、DOSやC(K&R)、アセンブラは現役だし、プラットフォームもなにもWindowsに限らない。組み込みマイコンも使う(うちのところはVxWOKSだが)し、UNIXやLINUXも使う。
もちろん、マネージドC++(.netFramework)やC#、JAVA、Parlも私は使うし。でも、どのプラットフォームでどの言語になっても「TRUEか?」という判定文は使ってこなかった。
で、試しに、VC2008のincludeフォルダをgrepしてみたら、
#define TRUE 1
あ、ほんとに「1」だ。
typedef bool int
なんて見かけるから、やろうと思えば「5」でも何でも数字が入ってしまうわけですよ。そこで「== TRUE」なんてやられたら、絶対に成立しないわけで。バグの温床になるんじゃないかなー、と思ってかたくなに前述の姿勢を持っていたわけです。
今(最近の)言語はきちんと「BOOL」型(またはboolという名のクラス)を定義されていて、コンパイルエラーになるか、自動的に補正してもらえるのかもしれないけど、ちょっと気持ち悪い。
最近、ちょくちょく外注や若い連中と意見や話が合わず、「ああ、俺ってレガシープログラマなんだな」と思う事が多くなった今日この頃。ネットワークに平気でリトルエンディアンのデータを流すとか、勘弁して欲しい。LANアナライザでデータが見にくくてしょうが無い。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/ever_neet/20110113/1294916683
「これは差別だ!」っていう奴には「お前が嫌いなんだよ^^」で済む話。
常に勝ち上がらねばならないのだ。高きに媚び、並びを蹴散らし、低きに与えよ。
kaguran999 付き合いづらい人と付き合わないのはどこの国だって常識だろうが。人付き合いはボランディアじゃねーんだよ。 2011/01/14
正論。みんななかよくとか言ってる奴は率先してキチガイを引きとってもらいたいね。
yuuru 相手の出自や能力、経歴、過去の行動等を総合的に勘案し、それに合わせた対応を行う事は、見方を変えればこれも平等主義だと思うがなぁ。この人の論調を延ばした先には共産的なる物しか見えてこない 2011/01/14
そのとおり!各人各人に差別をするのはマクロな平等なのですよ。
隣の人と待遇が違うのを本能が気にくわない故、同じだけの処遇にしろというのが、差別をなくそうと声高に挙げる人の思想信条。近視的でバカ。差別こそが善。
gremor 文化, 社会 別に差別=悪と言うわけではないし、不当だと感じるならそれをきちんと表明してくれなきゃ普通は分からない。そもそも、状況や相手に応じた対応を差別と言い出したら社会がおかしくなる (既にその気はあるけど 2011/01/14
teramako 中高生の頃、友人が「差別と区別は別物だ」と言っていたが全然理解できなかったのを思い出した。未だに理解できていない。
その友人は差別を悪と見立てた上で主張しているから、そのような意味不明な主張をするのです。理解できないのも無理はありません。なぜなら区別と差別は同じであり、差別は善なのだからわざわざ区別を持ち出す必要すらないのです。
sisya それ、日本人同士でも日常的に行っている距離の取り方の一つってだけじゃないの?外国人からみるとカルチャーショックだったというだけで 2011/01/14
そのとおり。個々人に適切な処遇をする、きわめて健全な行動ですね。これを是正するのは単なる悪平等です。
mats3003 僕は自分自身が根源的には差別主義者だと思ってるから、できるだけ差別はしないようにしないとならんと思ってます。 2011/01/14
それはいけません。差別をしないようにする必要なんてないのです。もっと積極的かつ能動的な差別を!
napsucks やだねぇ、こういった原罪植え付け型の主張は。実に汚い。そうだ、僕たちは生まれながらに差別的だったのだw 2011/01/14
前段はともかく、後段はそのとおりですな。差別をしてはならないという理性的(翻ってバカw)な思慮が、本能的な差別という精神を抑圧しているのですからね。ほら、理性的な人って本能的な振る舞いを悪と決めつけがちでしょ?セックスとかw
http://anond.hatelabo.jp/20100715094622
以前書いたものが2週間ほどしていきなり謎の注目を(ごく一部に)浴びていた。何がおきたし。
ちょっと面白かったので眺めていたら、もっと面白いものを見つけた。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=12260621
まさに「ありもしない魔法のシステム」を信じている人間の言葉である。それを悪いとは言わないが、明らかにすむ世界が違う人間の言うことだなあ、と感じる。
とりあえず「嵐」「雨」といった単語を使ってはいけないのであれば、多分某有名少年漫画雑誌に連載中のマフィアを題材にした某漫画の二次創作は検索結果に表示されてしまうので不可能になる。というどうでもいいことを言ってみる。(漫画やゲームでありがちな「属性」に天候の名称が使われているため。嵐と雨はまさに該当の属性に当てはまる)
……ひょっとしたら、某ジャンルの絵を探していた人間が「変なもの」が見つかって腹いせに書いた記事ではないか、と一瞬ゲスパーをしてしまったりもしたのだが、いい加減自分の気に食わないものを見つけると騒ぎ立てるおかしな人達に毒されすぎている。
(さらにどうでもいいが、天候としての「嵐」以外にグループとしての「嵐」もあるが、ピクペディア?には「嵐(グループ)」というタグではなく「嵐」でアイドルグループ「のみ」登録されているあたり、本来の単語の意味が説明されている悪天候よりよほど「その天候に関する絵を捜している人」に不快で失礼であるはずだが、そんな話は聞いた事がない。
アイドルグループが良くてヘタリアが駄目なのは、差別ではないのだろうか。国の擬人化なら当然、なのだろうか。不快に思う人数の問題で差別するのは失礼な気がするのだが。)
ネットの世界では、元々は不快なものから身を守るためには自身で対策をするのが基本だったように思っている。
それが私の狭いコミュニティの中限定ではないかと言われるとその可能性は否定できないのだが、ネットが元は技術者の住まう場所だったことを考えたらそう遠くもないと考えているのだが、どうなんだろうか。
実際のところはともかくとしても、今現在の現実としては、人に頼るよりも自分で対策をした方がよっぽど楽であり、健康的でもある。
他人の行動はコントロールできずとも、自分の行動はある程度コントロールできるからだ。手綱をとりやすいものを操作したほうが早い。単純なことだ。
マイナス検索をしろ、というのは驕りでもなんでもない。寧ろ自分が何かを調べるためにその程度の手間すら裂けないような人間は「物を調べる」という行動の意味を分かっていない。ネットを使うとストレスが溜まるだけなのでやめた方がいい。心の平穏の為に。
本来、何かを調べることはもっとずっと手間のかかることなのだ。むしろ今の検索システムの便利さこそ異常である。あれだけ便利なものが使えるのに、多少別の物が出てきたくらいで大騒ぎする奴は一度近所の図書館で司書の手助け無しに目的の本を探しに行けばいい。まあそれでもよっぽど簡単な部類だが。
マイナス検索をすることが相手にそこまで負担であるというなら、タグをいちいち直したり、新たなタグを普及させるのにかかる手間はどれほどかかると思っているのか。
たった数文字検索欄に入力する手間を惜しんで、相手には一月かかっても対処しきれないような手間を押し付けているそちらの方がよほど高慢だろう。
この絵なのか記事なのか分からないものを投稿した人物が探していた「雨」や「嵐」は、いったいどのようなイラストを探してのことだったのか。
もしゲスパー通りの絵を探していたなら、そうでなくとも求めたものが例えばゲームや漫画に関わるものであったなら、一般名詞を使うなという話になりそうで嫌なドキドキ感がある。
ヘタリア以外で、自分が探していないイラストだって検索に少なからず出たはずだ。なぜヘタリアだけなのか。
そもそも、ヘタリアタグを付けることですら本来は自由であるはずである。必ず特定のタグをつけないといけない理由は無い。
ただ、その方がラベリングとして相手にも自分にも有用に働く場合が多いから、個人的にはジャンルタグをつけることは推奨する。お互いを尊重するとは、そういうことだ。
ヘタリアタグだけだとAPHのタグがついているものが出る?ならばとっととAPHも一緒によければいいだけである。まあでもヘタリアジャンルは妙なタグがついて検索の邪魔をしている場合があることは否定しない。
相手が「ヘタリア」だという理由で、過剰な反応をしてはいないだろうか。相手が「厨が多い」と言われるジャンルであれば何をしてもいいわけではない。
マナー違反である絵がごろごろしていたなら別だが、これを書いた人間が言っているのはただ「求めていたものと違う絵が出てきた」だけで、「公共のマナーに反する絵が出てきた」ではない。
公共のマナーに反する絵が出てきたなら思う存分自重を主張すればいい。ただの個人の好みの問題であるなら、それこそそこまで求める必要はないだろう。だが、仮に公共ryであるのなら、そもそも主張するべき内容が間違っている。
「単語を一つ放り込んだだけで都合のいい結果だけが出てくるような魔法のシステムはない」。
何度でも言ってやる。そんなものはない。この先よっぽど文明が進化したらどうにかなるかもしれない。でも、少なくとも今の子の世界には無い。ましてやPIXIVの貧弱な検索機能では不可能だ。
ネットの世界でいきなり不快な物に遭遇することなど当たり前なのだ。サムネがNGと言うならもうそれはPIXIVを使わないほうがいい。
「危険なもの」がごろごろしている世界に自ら飛び込んだのはあなたなのだ。
文句があるなら、もう運営に検索機能の高性能化を働きかけたほうがいいと思う。
ぐだぐだと俺ルールを広めようとするよりよっぽど前向きだし、検索機能が改善されれば自分以外の多くの人間にメリットがある。
ジャンル外の人間だが、別に関係ないイラストが山ほどでようと不快にはならない。ただ、自分のジャンルよりも盛り上がっている別ジャンルを見ると羨ましくはなる。
だが、このような謎マナーを見るといらいらする。仮に「あなたのそれは私を不快にするので検索避けしてください」などと言ったらどのような反応をされるのだろう。
まあ、私にはそんな我侭なことを言う資格はないのでそんなことは言わない。私が勝手に見に行っていらいらしているだけである。
(まとまっていなかった部分を一部手直し。ただし直したあともまとまってはいない。所詮便所のラクガキである。)
ミリオンダラーベイビー:女版はじめの一歩。ボクシングで成り上がるサクセスストーリー!!
ダンサーインザダーク:弱視の女性と息子との日常を描いたほのぼの感動作!!
ジョニーは戦場へ行った:戦争でのランボーの如きジョニー活躍を描いた痛快アクション!!
レクイエムフォードリーム:夢見がちな4人の若者の生活を描いた笑える能天気コメディ!!
ディアハンター:鹿狩りのオラが戦争に連れて行かれただ、田舎の男たちが巻き起こすはちゃめちゃ大騒動!!
震える舌:娘が風邪をひいた!?お父さんと娘の爆笑闘病記!!
真夜中のカーボーイ:田舎から出てきたカーボーイが都会とのギャップにドジするコメディ!!
ジェイコブズラダー:ジェイコブが梯子に登るただそれだけの作品!!
ファニーゲーム:凸凹コンビが幸せな家族に巻き起こす大騒動コメディ!!
ボーイズ・ドント・クライ:自分を男と偽る女性、そんな彼女を仲間として迎え入れる話。
ドッグヴィル:とある町に迷い込んだ孤独な少女を優しく開放していく心温まる物語。
ライフ・イズ・ビューティフル:家族の絆を描いた愛と笑いのハートフルコメディ。
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド:石油を求めて西へ東へ!幼い息子と共に目指せ億万長者!
ノーカントリー:ひょんなことから200万ドルを拾ってしまったおっさんを巡る殺し屋たちの痛快ラブコメディ。
二十日鼠と人間:農夫のずっこけ三人組が二十日鼠を使って金儲けを企むハートフルドラマ。
アニオタなので、普段はDAMいったくなんだけど、
たまたまDAM用の席がなかったのでということでもうひとつのUGAを試しに利用してみた。
アニオタ向けの曲が少なすぎて絶望したので二度と使わないと思うけれど、
採点機能は面白かったので、DAMでもやって欲しいなぁ。
音程(%)、ビブラート(%)、ビブラート美しさ(点)、音感(点)、感情表現度の5つの基準があった。
まず音程。音の上げ下げみたいな部分らしい。歌い方のコツ的な部分。
正確に覚えてる曲は80~85くらいなんだけど
新曲とかで、うろ覚えだったり、1番しか覚えてなくて
60点くらいじゃなくて、かならず60点になるので、オート判定っぽい。
いまいちさんこうにならなくね?
ビブラートなしの方が良いように思ってたけどそういうわけでもないらしい。
ビブラートゼロの時は、ビブラート美しさの項目も0点になった時があった。
ちょっとは声奮わせろってことなんかも。
なんかゆっくり目の曲を歌うと点が高いけど
ノーザン・クロスとかうたったら70くらいしか取れない。
あと喉がかれて声がかすれたりすると50点くらいになることも。かなりシビア。
お気に入りのディアノイアを歌ったら30点台付けられて涙目になったかと思ったら
逆にeclipse(川田まみ)で、声が出なかったので無理やり裏声で音程ハズレまくりの歌いかたしたら98点だった。
これ、無理して声出したら点高いとかじゃないのか。
とくに結論とかない。採点って、採点の仕方次第なんだなぁ、と思いました。まる。
DAMでは90点以上余裕でしたのいとうかなこの曲が70点とかになるとへこむので、
お気に入りの曲が高い点取れるところで歌いたいな、と思いました。まる。
国際河川の開発の中で,昔から一つの不文律がある。経済が発達した国から水資源開発の優先権を与えて行こうと言う考え方である。例えば,1980年代から1990年代にかけて,インドシナ半島の中でタイの経済発展が突出した。カンボディアはポルポト政権の後で,まだ政治各派が争っていたし,ベトナムはカンボディア侵攻で世界の経済制裁を受けていた,ラオスは完全にタイ経済の中に組み込まれていた。
勿論中国は,天安門事件などが起きて,まだ海外進出を考えるどころか,内政に腐心していた。このような情勢の中で,タイは着々と自国領域内,国際河川であるメコン河の左岸支流,チ川,ムン川の開発を進めていた。1992年を境目に,カンボディアが和平復帰,ベトナムへの制裁解除,と進んで,メコン河の水の使い方で,メコン委員会の場でメコン河の開発に於ける原則論が議論され,一つのルールが確立された。
このときに一つの議論になったポイントは,インドシナ半島が混乱している中で既に灌漑など,メコンの水を取り込んでいるタイの施設がどう扱われるべきか,と言う問題である。タイの当時の既開発は,メコン河支流にダムを造って灌漑に導水したものであるから,灌漑後にメコン河へ返される可能性もあるが,殆どは灌漑として消費されてしまう水で,下流国としては本来容認できない問題である。
このタイの既得権は,新しいメコン河委員会が組織されたときに,ベトナム,カンボディア,ラオスの沿岸諸国の代表によって,追認,承認された形をとった。当時は,タイと他の三国との間に余りにも大きな経済の実力差があったから,このような追認が出来たわけである。今,もっと激しい議論の渦中に合うのが,カシミールを中心としたパキスタンとインドの水争いである。
メコン河のケースと違うのは,パキスタンとインドの間で,水資源開発能力に,メコン河の場合ほどは,格差がないと言うことである。それでも,1960年代に結ばれたインダス河水条約の中には,先に開発した方が水利権に優先権を主張することが出来ると書かれている。インダス河上流のニールム川は,下流はアザドカシミールのパキスタン実効支配地域,上流はジャムカシミールでインドの実効支配地域である。
インドは,上流で348MWのキシャンガンガ水力を建設中で,水は分水されてガンジス河流域に転流される。また下流のパキスタン領内では,969MWのニールム-ジェルム水力が既に着工している。インドは上流なので黙々と工事を進めているが,下流のパキスタンは機会ある毎に,インドの暴挙を非難して国際社会に訴えている。場合によっては国際調停の場に出て行く覚悟もしている。
パキスタンは,幾らインドに抗議しても,インドは物も言わずにただ黙々と上流プロジェクトを進めている。ここでパキスタンも悟ったようだ,実際に開発が先だ,と言うわけである。先に運転状態に入ると,上流のダムの優先権を否定出来る,というわけである。50kmに及ぶパキスタンのプロジェクトの導水路トンネルが工期を左右している,ここにトンネルマシンを導入して工期を2年間短縮し,インドを追い越そうと言う。
ttp://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/160cf7bbd61d29d022ac6b7ee6203036?fm=rss
次の三つの傾向が顕著になるにつれ、マスメディアなどの発信を専門とする中央集権的メ ディアは
縮小していくだろう。
1.インターネットの普及で、情報が流動化し、有益な情報を持っているのが必ずしも物書 きの専門家ではなくなってきた。
一般の個人が、専門情報へアクセスすることが幾らでも可能になってきた。
2.そして、個人が情報を発信しても、多くの人の目に留まり、評価するためのメディアが 発達し、
情報発信を発信して、皆に見てもらうための壁が低くなってきた。
そのため、もともと専門性を 持っていた個人が、本業の傍ら、情報を発信することが可能になってきた
3.更に SNSなどのコミュニティが、情報の選別・検証・発展などの役に立ち、
コミュニティに参加する人間全体の「集合知」を形成す るのが容易になってきた。
(ブログのコメント欄も、「集合知」形成の役に立っているので、積極的にコメントしてね!)
この3つの流れ: 情報のコモディティ化、情報発信の容易 化、「集合知」形成の容易化、によって、
個人が情報を発信し、それをコミュニティ全体で有意義な知を形成していく、ということ が可能になり、
中央集権的な専門的な文筆家がピンで対抗できなくなってきている。
まあ、他の主演女優賞の映画みてないからなんともいえないんだけど。
個人的によかった去年公開された邦画は「ディアドクター」、「空気人形」、「愛のむきだし」あたりです。
「サマーウォーズ」はまだみてないよ。
みんとねー。
【受賞者一覧】
◆最優秀作品賞:『沈まぬ太陽』
◆最優秀アニメーション作品賞:『サマーウォーズ』(細田守監督)
◆最優秀主演女優賞:松たか子/『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』
◆最優秀照明賞:川辺隆之/『劒岳 点の記』
◆最優秀美術賞:種田陽平・矢内京子/『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』
岡田将生/『ホノカアボーイ』『僕の初恋をキミに捧ぐ』『重力ピエロ』
平愛梨/『20世紀少年<第2章>最後の希望』、『20世紀少年<最終章>ぼくらの旗』
◆最優秀外国作品賞:『グラン・トリノ』(配給:ワーナー・ブラザース映画)
◆協会特別賞:羽田澄子(記録映画作家)、帆苅幸雄(音響効果)、松下潔(背景)、松田孝(衣装)
◆会長特別賞:故 中岡源権(照明)、故 松林宗惠(監督)、故 村木与四郎(美術)
◆会長功労賞:三國連太郎、西田敏行/『釣りバカ日誌』シリーズ
◆話題賞作品部門:『アマルフィ 女神の報酬』
http://unkar.org/r/eleven/1266427962/
http://blog.goo.ne.jp/boban_1979/e/ba39a7de58dd4e9985dd2486a488ef93
世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス~イタリア人監督5人が日本代表の7試合を徹底分析
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4774790400
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4774790400/
http://cast-a-spell.at.webry.info/201002/article_14.html
http://supportista.jp/2010/02/news16124016.html
http://blogs.yahoo.co.jp/henyoroseijin/59814772.html
http://d.hatena.ne.jp/hoshi-itsu/20100221/1266769992
http://blogs.yahoo.co.jp/henyoroseijin/59814772.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm9123604
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm709575
アリゴ・サッキ - Wikipedia
強いチームを作り上げるべく、サッキがベルルスコーニに依頼したことは、
選手として最盛期を迎え凄まじい輝きを放ちナポリに君臨する「ディエゴ・マラドーナ」の獲得だった。
だが、ナポリが手放すわけもなく獲得は叶わず、それならば彼を抑え込む戦術が必要だと作り上げた戦術。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AD
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9
http://footballlife.at.webry.info/200909/article_3.html
attacking phase - サッカーの戦術・技術、フィジカル・トレーニング、フットサル
http://blog.livedoor.jp/attacking/archives/50724271.html
「ディフェンス戦術の類型」
http://www.fujix.co.jp/varietyfootball/archive/detail_01.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm9123604
02年の因縁再び?トルシエ氏「中村はベンチ」(サッカー) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2009/12/11/11.html
コンサドーレ札幌で監督をしていた時に忘れもしないことがありました。
残り時間10分くらいで0対1で負けている時、ベンチの前を通ったサイドバックの奴が、
ベンチの僕の顔を見て走っているんです。
「何でこいつ見てんのかな?」と思ったのですが、分かったんです。
「今、チームは負けていますけど、僕は監督に言われた役割はしっかりやってまっせ」とアピールしているんです。
「アホかつうねん。お前がどんだけ役割やっても、チームが負けたら一緒やないか」と怒りが沸いてきました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091214-00000046-zdn_mkt-bus_all
僕は横浜F・マリノスの時に、
ミスターマリノスと言われるような奴がいてそれまでずっとレギュラーだったのですが、
それで1年終わった時、いろんなチームから移籍のオファーが来たんですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091214-00000046-zdn_mkt-bus_all
10日の出来事だ。味の素スタジアムのメーンスタンド下の駐車場に、日本代表・岡田武史監督(53)の怒声が響いた。
「何してんだ!」
東アジア選手権の中国―韓国戦の視察を終え、スタジアムから出てきた岡田監督は、運転手を務めた代表チームスタッフをどなりつけた。
http://weblog.hochi.co.jp/football365/2010/02/post-b961.html#more
番組内容
原子力か太陽エネルギーか~ハバート米21世紀エネルギー委員長に聞く
番組内容第1部「スウェーデンが地下岩礁に核廃棄物貯蔵所」・第2部「アメリカは太陽熱発電」・第3部「ドイツ人はいまだに核嫌い」・第4部「原子力発電政策がないアメリカ」・第5部「原油高をもたらすオバマエネルギー政策」
出演者【司会者】日高義樹【ゲスト】米21世紀エネルギー委員会委員長カレン・ハバート、米太陽発電協議会会長ジュリア・ハム、EU委員長エネルギー政策顧問クローディア・ケムフェルト
番組概要原油の値段が上がりつづけ、1バレル200ドルを超すという予測まで現れるなかで、世界的に原子力発電所の建設ラッシュが始まろうとしている。地球温暖化の原因になる物質を放出せずに大容量の電気を得ようとすれば、いまや原子力しかないという考え方が強くなり、急進的な環境保護勢力のグリーンピースまでが賛成に回っている。
番組概要つづきいっぽうアメリカのオバマ政権は、長期的なエネルギー源として太陽熱発電を、全力をあげて推進している。将来のエネルギーについて世界の指導的な国々がどう考えているか伝える。
●日刊
[文]日高義樹のワシントンリポート「次世代エネルギーの主役は太陽?原子力?」
●角川
02/14(日) 後04:00 >> 後05:15 テレビ東京
出演者/日高義樹
そんなことやこんなことで今話題のウィキペディア。投稿者が減るのはウィキペディアのためにもそんなに悪いことじゃないんじゃないか、とも思ったんだがどうやらそんなに減っているわけでもないのかな。投稿者の減少が何故いいことかっていうと、良くも悪くもノイズが減るんじゃないかと期待するからだ。内容の信頼性とか記事の質は相変わらずだろうけれど、同じ話題に関わる人間の数が減ればおかしな記事はおかしな記事なりに純度を上げて「おかしさ」のS/N比が上がるとすれば、それはいいことだと思うわけ。ザーザー言ってて何を言っているのかよく分からない放送よりはアホな芸人が喋りまくっている番組の方がまだマシなところがあるようにね。テレビを見たがる子供に砂嵐を見せるか民放の馬鹿騒ぎを見せるかというのは究極の選択っぽい気がするけど、幽霊の見えそうな砂嵐よりは民放を見せて「また馬鹿なテレビを見てるのかい」って言った方がまともな子供に育ちそうなものだ。で、それは放送大学を見る幼児に向かって「難しい番組だねえ」と言っているのとあまり変わらない。どっちがいいかは最終的には価値観の問題かな。
だから「おかしさ」って書いたけど、何か特別な要素の純度が上がった状態とでも思ってほしい。で、たぶん、絶対的な投稿者数が減った後に相対的な比率で増えてくるのは、職業的な専門に対するストイックさとか、オタク的な過剰さとかを備えた「熱心な」人達だ。ハタから(つまり「世間樣」から見れば)見ると良くも悪くも常軌を逸して、つまりに真摯に追求している、あるいは配慮を欠いている、つまり常識を変革すべく頑張っている、そういう人達だ。まあ自分の学界の片隅に籍を置かせてもらってるけど、そういう人達のもつ情熱とか執拗さとか真剣さとかは、まさしく人生を賭けた壮絶なものだと感じる。
ちょっと話は逸れるけど、ウィキペディアはなぜ専門家に優しくないのか、という疑問を持っている人は結構いる。専門分野で執筆に参加したけれど、結局「専門家じゃない人たち」に気圧されて撤退してきた本当の専門家を、個人的にも何人か知っている。こうした不幸がどうして起こるかっていうと、おそらく上に書いたような「熱心な人達」と専門家が正面から鉢合わせしてしまった場合、専門家の人達は「おっと、インターネットなんかでシロウト相手に喧嘩している場合じゃないや。今月中に論文仕上げないといけないしな」てな具合に本来の戦線に戻っちゃうからなんだな。研究者はそっちの方で人生を賭けているんだから当たり前のことだ。まあ仕方がないね。
で、宗教の話をしよう。結論からいうと、ウィキペディアにおける生命力という意味では宗教的な情熱を持って行動している人々も市井の「熱心な人達」と張り合ってるんじゃないかと思った、ってことだ。人には物事の「宗教性」に比較的敏感な人たちと、そうでもない人たちがいる。ご存知のようにな日本は圧倒的に「無宗教」な社会だけれども、注意深く暮していれば宗教的な空気というのは比較的よく遭遇するものになっているように思う。まあ創価学会とか明らかなものは置いておくとしても、クリスチャンの多い朝鮮半島からの留学生などが増えているといった事情もあるんじゃないかと思う。例えば東京の都心のカフェで小一時間耳をすませていると、その地元のクリスチャンのコミュニティが会合の場所にしていることが分かったりする。いきなり聖書を読み始めれば分かりやすいけど(そういうことも結構ある)、そうでなくともメンバーが出会ったときの挨拶の言葉だとか、そのグループの顔付きだとかをしばらく見ていると「ああ、なるほど、そういうグループだったのか」って思うわけだ。これはたぶん信者さん自身がもつ「仲間意識」と同じようなものだろう。別に隠しているわけじゃないだろうけど、フリーメーソンの変な握手みたいな、ある種の言語化されない巧まざる符丁が作りあげられている。
それで、定期的にウィキペディアを眺めていると、上に書いたようなのと同じ体験をするんだ。つまり明らかに宗教的な関心で活動している投稿者というのを見付けることができる。僕の個人的な関心のせいもあるかも知れないけれど、クリスチャン、もっといえば福音派の方が以前から熱心な投稿を続けているのに気付くのはそう難しいことじゃない。だってほとんど毎日新しい記事を書いてるからね。その編集履歴を眺めていると、気がつくことは三つ。一つ目は、自分のモチベーション、あるいはバックグラウンドを表明した上で編集活動を行っていること。二つ目は用語法に非常に敏感なこと。三つ目は(たぶん自覚しているはずだけど)自分の視点というものを相対化できている人もそうでない人も、よくも悪くも書きたいことしか書かないということ。二つ目と三つ目の点が悪しき融合を遂げてしまうと百科事典のはずなのに「キリスト教事典」みたいなちょっと文脈が他とズレた項目ができてしまう。内容的には正しいだろうから、まあ必ずしも悪いことではない。というか、文句をいう筋合いは全然ないからどうでもいいけど。
書いておきたいのは、そういった方々が福音派なのは偶然じゃないということ。福音派って何かしら、という人もいるかと思うが、ざっくり言えばプロテスタントの中で一番熱心に「聖書が絶対だわよ」って考えている人たちのことを日本語では福音派と呼んでるみたいだ。で、中学校くらいの知識を総動員して説明すると、プロテスタントってのはもともとのカトリックの人たちが「教会ってステキ。おフダをどんどん買えば天国に連れていってくれるんだから」とかちょっとアレな感じになっていると思って、「そんなアホな。聖書を読む方がよっぽど御利益があるに決まってる。金もかからんし」という感じで喧嘩別れした人たちの末裔のことだね。そんなわけだから貧しいながらもマジメにコツコツ働く人たちに圧倒的な人気を博したみたい。で、福音派ってのはその中でも「聖書が大事だね」っていうところで突っ走っている人のことだと思ってればいい。たぶん。「これ全部本当のことが書いてあるんだぜ」「だよね」「最後の審判くるよね」「ヤバいよね」「でも千年王国チョー楽しみ」みたいな。信じられないかも知れないけど、これ全部本当の話、ってやつ。念のため書いとくと福音派って中にも聖書の話と現実の歴史の対応には諸説ある。というか複雑すぎてよく分からん。
福音派はアメリカで多くて、ブッシュ共和党の支持母体になってることは有名だね。政治に熱心で極端になると共産主義は悪魔の手先、イラク先制攻撃万歳、進化論教えるなら学校やめるし、中絶するなら病院焼いちゃうよ? (実際、焼いてるし、医者を殺してる)みたいな人が多いみたい。中絶反対、てのはカトリックの方が厳しいのかと思いきや、実は福音派の人たちもけっこう過激な人たちが多い。ヨーロッパの国がほとんど中絶を合法化しているのに比べて、アメリカで未だに喧喧諤諤の議論をしているのはそれが原因のひとつかな。福音派が政治とか社会問題に積極的に関わりたがるのは全然不思議なことじゃない。つまり福音派であることと積極的なコミットメントには密接な関係がある。というのは、福音派の人たちは自分たちの考えを広めることをかなり大事に考えているからだ。つまり布教(福音派だと伝道っていうのかな)がかなり大事。まあ宗教は何でもそうだけど福音派は特にそこが目立っていて、ちょっとゴリゴリした感じになっているんだね。みんな、生まれ変わって新しい自分にボーン・アゲインしようぜ ! トゥギャザーだぜ ! みたいな。まあ、回心するのが大事だから回心させてあげよう、ていう感じかなのかな。とりあえず頑張れ、としか言えないけど、個人的には家を焼かれちゃたまらんし、できちゃったら産むしかない、ってのは穴があったら入れるしかない、てのと同じくらい野蛮だぜ、って思う。理性ってのは原理的に自然を抑圧するものなわけで。
最近のアメリカの福音派の政治的な人たち(キリスト教右派と呼んでる)は民主党のオバマが政権取ったし、アフガンもベトナムっぽくなりつつあるし、ゲイの結婚もちょこちょこ合法化されてるし、ちょっとヤバいんじゃない? とか考えてるみたいだけど、とりあえずどうでもいいや。うん。ウィキペディアの話だった。政治的・宗教的荒しが日本の数ケタ上の密度で起こっている英語版なんておぞましくて覗く気もしないけれど、書きたかったのは、日本語版ウィキペディアでも熱心な福音派の人たちが(たぶん二人くらいで)頑張ってます、ってこと。ウィキペディアの編集者の中で二人くらい、っていうのが意外と日本における福音派の「熱心な人」の比率としていい線をいってるのではないかと思ったが、調べてないので分からない。まあヘドが出るほど嫌いな人もいるだろうけど、オタクだと思えば貴重な存在かも知れない。で、オタクが絶滅しないように、そういう彼ら(彼女ら)もきっとしぶとく生き残っていくだろうな、と思ったんだ。ある日突然「ウィキペディアは悪魔の手先だから見ちゃダメ」ってことになるかも知れないけどね(英語圏には実際そういう趣旨でできた何とかペディアもあるし)。
http://anond.hatelabo.jp/20091117080828
埃がつもる(ほこりがつもる)とは、今の多くの天理教信者、天理教組織の状態。
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%9F%83%E3%81%8C%E3%81%A4%E3%82%82%E3%82%8B
756 神も仏も名無しさん[sage] 2008/10/23(木) 17:48:33 ID:Y/nDKKn6
天理教でよく使われる概念として、「因縁」というものがある。意味は言葉どおりである。悪い「因縁」を良い「因縁」に変えることが、信者の目標である。
2ch 真如苑63 701-800 - 真如苑 被害状況 まとめページ - livedoor Wiki(ウィキ)
http://wiki.livedoor.jp/semicircle/d/2ch%a1%a1%bf%bf%c7%a1%b1%f163%20701%2d800
悪い「いんねん」を良い「いんねん」に変えることが、信者の目標である。「いんねん」は生きている間にも増える。これを「埃がつもる」という。
http://atpedia.jp/matome/%E3%81%84%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%93
まず第一点は、人間というものは生きている限り埃と無縁ではありえないということです。「新建ちの家」とはまだ人の住んでいない家で、このような家にも埃がつもるということは、人間が何もせず、じっとしていても心に雑念が去来してくる、人の住んでいる古い家ともなると、つまり人間が一日中忙しく行動していると、どれだけ多くの埃をつむかわからないということ、また「新建ちの家」は埃のない家ですから、それを聖人君子、悟りを開いた人、解脱した人と考えますと、そういう人でも埃とは無縁ではないことを教えられているように思われます。また「目張り」は外から埃が入らないようにするためのものですから、「目張り」をするということは、人間の心を誘惑する物、財産、名誉、地位等から離れること、つまり出家して俗世間との接触を一切たつことが意味されていると考えますと、「目張り」なしで生活をする、社会において人、物にとりかこまれて生活すると、どれほど多くの埃をつむかわからないということを教えられているのではないでしょうか。
これは正しい説明だとして、
この説明が誰の発言なのかが不明。
何となく書いた。
書くには都合が良いのだろうけど、何百万年前とか何億年前とかいう言い方だとタイムスケールがある意味分かり難い気がした。
ってかくと、わかり……やすくないな。