はてなキーワード: 素数とは
私も"恐怖=生への渇望"や"恐怖=希望"ではなく"恐怖=死に対する抑制"として捉えています。
ただ、"長生き"は 「長生きというのを1秒たりとも長生き」の意味で使用しました。
"終わるまでの時間は早ければ早い程良いが、現状その未来の地点を遠く捉えている"という人の存在について"長生き"という言葉を使い書きました。
回答者を「長生きは望まない-1 死にまつわる恐怖+1 =0」と表現した場合
「長生きは望まない-1 死後自分の遺産を手にする者への憎悪+1 =0」
など別の表現で同じものを、ある程度納得の行く範囲に想像出来ます。
(数値の大小を許せば宗教的理由で積極的死を選ぶ人等も表現出来ます:前内容)
単純化が起きるのはなぜでしょう。
私は個人的に幸不幸はある程大小の比較が出来ると思っています。髪一本抜かれる痛みと腕一本もぎ取られる痛みは、それが幸せか不幸せかは人によりますが、違いがあるでしょう。違いがない全てフラットの人にはまず幸不幸の概念がないでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20110507090156
これをガジェット通信が9である、と出して「1とやってる奴は馬鹿だ ( http://anond.hatelabo.jp/20110509002243 )」としているのも居るが、この計算結果は 1 で正しい。
根本的な間違いは 2(1+2) を 2 × (1+2) と分解しているところである。
これは (2×(1+2)) と、乗算記号(×)を入れるのであれば、外側に括弧を入れなければならない。これが数学のルールである。
a = 6
b = 2
c = 1+2
この時、この式は次のように置き換えられる。
a + bc
この時 b は bc と言う多項式の「係数」であって、『乗除算と同レベルの単項』ではない。今回の場合はこの係数が、たまたま計算できる定数であっただけの話でしかない。
ここを誤って『乗算と同レベルの単項』としているのが、数学として完全に間違えている。
では、別の例を出す。
9 と言う答えが「正しい」とした場合、次のような数式をどう考えるか?
答えは 1 か?
6÷2(1+3)=9 と答えるのであれば、この式は「答えが定まらない」と言うのが正しい。
などと書けるわけで、6÷2(1+3)=9 とするならそれぞれ
となる。答えが一意に定まらない。素数でない限り、除算が入った計算は答えが複数出来ることになる。更に言うなら
など持ち出せば、更に取れる数値は発散するだろう。自然対数とか三角関数まで持ち出せばもっと面白いことになるだろう。
なぜこのようなことになるかと言うと、それは係数の取り扱いを間違えているからだ。
係数のある項と言うのは、それ単体を一塊の「項」として扱うのが数学のルールであり、係数を括弧無しに乗算の外に持ち出すのが間違いである。
これが正しい。
これを乗算を用いて書き直すのであれば
怒られそうなので久方ぶりに匿名ダイアリーを書きます。怒られそうなことを敢えて書きます。
しかし、不謹慎なブログの記事を発見いたしました。これです。非常に多くの死傷者を出した災害を数秘術で語るなんて言語道断ですね。
ただ、私も数学などに興味があるので、少しその辺り興味を持ちました…。まず今年2011年が始まるときに私はこう思いました。「西暦2011年の2011も素数、平成23年の23も素数、そして皇紀2671年の2671も素数、さらに西暦下二桁の11も素数、皇紀の下二桁の71も素数」だと。そのことを忘れ、1月、2月、3月上旬の日々をのほほんと暮らしていく中で、3月11日に事は起こりました。
まぁ、ここまでならわかりますが…。
…。要するに偶然はそう続かないわけですね。
しかし、私は平年(閏年でない年)の2月と3月の曜日配置が同じになることから2月と3月を双子のような月だと見なしていたりします。もし、先の震災が2月11日に起こっていたら、「これは神武天皇からの天罰だ!」なんて仰る御仁がいらっしゃるのではと感じました…。
親切なトラックバック、指摘に感謝します。プログラム改良を思いついたのですが書き方がわからないので忘れないように書いておきます。
上のプログラムでは素数か判定する数を既知の素数を格納した配列にある全ての素数で割ることで素数か判定していました。
初心者としてはなかなかいいアイディアと思っていたのですが、大幅に比較回数を減らせる方法があることに気がつきました。
割る数と商は入れ替え可能なので、素数の2乗でできていて割られる数より大きくて最も小さい数の平方根の素数までを
割る数として使えば事足りると気がついたのです。つまり113は11まで割って割れなければ素数として確定するという事です。
私のプログラムだと、13から109までの素数ので割るという比較をしなくて良くなります。
プログラムに落とし込むには配列内の全てに実行するsosuu_hairetu.each do |waru|を指定回数実行するという形に直す必要があります。
array = [1,2,3,4,5,6,7,8,9] n = 0 5.times do puts array[n] n = n + 1 end
素数を求める問題ってよく考えたら「そいつを割れる数」がある時点でアウトなんじゃん。
なんか求める方法が間違ってる気がする。
4以上の偶数は全部アウト。
つまり倍数をつぶしていったほうが早いような気もするけど、巨大な数をやろうとするとメモリが膨大に必要か。
perl -e "$m=shift;for$n(2..$m){for(2..$n-1){if(!($n%$_)){$m--;last}}}print$m-1" 20
もちろんというか効率も行儀も悪い
初心者の自分にはひねったコードは書けないので期待しないでね。
なれている人のコードはショートハンドとかバリバリ使っててあまり読めないorz。
#小さい順に数え上げて、既知の素数で割りきれないもを素数として表示。 #既知の素数は配列に格納する。 puts '0からどこまでの範囲の素数を探しますか?終端の数を入力してください。' last_num = gets.chomp.to_i if last_num < 1 puts '素数はありません' elsif last_num < 2 puts '素数は1だけです。' else puts 1 puts 2 sosuu_hairetu = [2]#既知の素数を格納する配列 ichi = 0#素数の入っている配列を参照する時に使う count = 3#これが素数であるか比較する対象 while count <= last_num sosuu_hairetu.each do |waru|#それまでに分かっている素数と比較する if count%waru == 0#割りきれたら他のに移る count = count+1 retry end end puts count sosuu_hairetu[(ichi = ichi + 1)] = count count = count+1 end puts last_num.to_s + 'までに素数は' + ( sosuu_hairetu.length + 1 ).to_s + '個ありました。'
それからしごとホスイ。
1+
0以上の素数を表示なので
1は表示しろよw
そして 2も表示されねぇ。
書いてみたけどぜんぜん面白くならんわ。このサイズで面白さを競ってもなあ。
どうやったら面白くなる?
#include "stdafx.h" #include "windows.h" int _tmain(int argc, _TCHAR* argv[]) { int i=2; int j=0; while(1){ i++; for(j=2;j<i;j++){ if((i % j)==0){ //printf("%d は素数ではない\n",i); break; } } if(j==i){ //printf("%d は素数\n",i); printf("%d\n",i); } //Sleep(1000); } return 0; }
昔、取引先の人に貰った名刺が少し変わっていた、下の名前だけにふりがなが振ってあり、苗字には振っていなかったのだ。
名刺に書かれた苗字は「一」、こう書いて「にのまえ」と読むそうだ。
この名刺を貰った人は必ず名前を聞き返すので、その時に空白になっていた苗字のふりがなをその場で書く。
彼女曰く、こうすれば相手に名前を一発で覚えてもらえるし、名前についての他愛のない会話することで、場の雰囲気も少し柔らかくなり話が進めやすくなるとのことだった。
この漢字を使った苗字は、かつて本で読んだことがあったので私は「これは"よこだて"と読むんですか?」と少し得意気に聞いてみたら、「博識ですね、たまにそう呼ばれるんです。でも残念ですが違うんですねぇ」と名前を教えてくれた。
十と書いてこれは「もぎき」と読む。地元以外では正しく呼ばれたことが無いとの事。
これは数字の名ではないが下の名が、素数という方がいた。素数と書いて「そすう」ではなく「もとかず」と読む。
聞くと父の名と母の名に数字が含まれていてどちらも素数だったことと、計算に強くなってほしいという思いから子に素数と付けたらしい。
なんだか数学者の親が付けそう名前だなと思い聞いてみたが、数学者でも教師でもなかった。
今日唐突に思い出したのでグーグルで「珍名 九」と検索してみたらすぐに答えが出た。
先に書いた「にのまえ」みたいな、とんち系の名前なので少し考えてみるのもいいかも、どうせググればすぐに答えでるし。
http://anond.hatelabo.jp/20100603200325
http://anond.hatelabo.jp/20100604004052
http://anond.hatelabo.jp/20100610084458
http://anond.hatelabo.jp/20100611083455
http://anond.hatelabo.jp/20100615082939
夜が僕の部屋にやってきた
部屋は暗くてマックブックが僕を照らしている。the tuss『Rushup I Bank 12 』が流れている。外は群青色。
僕の耳元でギーガーが囁き出す。僕は狂っているフリをしている。
NO NO NO. 僕は狂っているフリをしているフリをしている。
「セクシャルな意味の言葉を教えてくれよ」って声が聞こえる気がする。腹が減っている。ジャングルから何かが抜け出して僕にまとわりついている。俺の言葉きこえるか?あーあーあー。
夕方から夜への変化は高速だ。青が黒になっていく。バイバイ。
ジャングルジムみたいな都市を這い回るbitとそれにまつわる僕たちの幻想。社会という幻想。言葉を打ち出せば新しい幻想を君の頭が君の頭自信に幻想を見せる。タイプ→bit化→イーサネット→表示→視覚がキャッチ→脳内変換→幻覚
真っ暗な部屋が好きだ。肉体に意味がなくなるみたいに。感覚を研ぎ澄ませ。生活の雑音を音楽に置き換えてセックスをしろ。オセロの決着みたいに本能で意識を埋めろ。
群青は今や黒に限りなく近い。自動筆記をする亡霊を作る機械仕掛けのbotの群れ。
お前の意識はお前のものかって、Gigerが室内冷蔵庫の唸りを隅のほうで齧りながら言っている。君はたぶんズールー族の洗練を受ける必要があるぜギーガー。
言葉は何度もパイプされて行き着く果てで奇形の言葉が夢をもたらす。2ホップで邪悪な存在に触れることだってできる。キマった目の映像をリアルタイムで放映していた綺麗な女の子。いくつもの視線は決して孤独を埋めない。
気づかないうちに青色は消えた。灰色だ。都市の光を反射して黒であることできない空だ。あらゆるルートを探索するうちに幻想は消えてしまった。012345678909876543210
SFみたいに俺の記憶を全部レーザービームでずっと向こうに打ち放ってくれよって、鳥が鳴いてる泣いてる。ずっと先のあの向こうに行きたいんだって。そうしたらこの都市を燃やしてくれよ。
パチンコの台に機械を仕込んで店長とグルになって儲けた金を大型草食動物を殺した肉食動物みたいに分け前を食い散らかしていると、向こうから見たこともないような綺麗な羽を持った鳥がやってきて、その鳥を金で買った。その鳥はアイドルになって沢山の視線を集めたいって言っていた。
孤独な鳥は鳴いていたけれど、僕たちは尻尾を振って怯えたままそれを眺めていました。決して唱えてはならない秘密の呪文を唱えると缶詰から亡霊が這い出てきて僕に本当のことを教えてくれたけれど。夢から醒めて鳥のヴァギナに色とりどりのポスカを差し込むうちに忘れてしまった。
遠く遠くで真っ赤な隕石が通り過ぎている。ポスカを抜き取ってそれを描写しようとすると鳥は嫌がっていたし、向精神薬がなくなればカフカは落ち込んでひたすら押韻のチートコード集を集めていた。
箱男達が工場で夢の製造に従事していて、箱男の王の中身はベンガル虎だって噂がある。ベンガルトラに喰われかけている箱男の中身かもしれない。座席を回転するSUSHIバーでポスカを突き刺したまま鳥は「そこで夢はつくられているの」と言った。
「宇宙に行きたいなら今そこに座っているそこがそうさ」と相対的に近づく箱男が言って、彼女は泣いた。素数の順に爆発する地雷を踏んで15色と共に炸裂して消えて、僕はバーを出た。うつむいたまま。
undoして箱男にバールのようなものを投げつけて彼女を連れ出した。漏斗から昔の記憶が流れ出したのはヤクザがヤクザ映画の花形俳優に挨拶した話だ。
ジャングルから抜け出した野生の箱男は薄暗い目で人工ではない夢をみていた。ゾウオヲアタエルコトバマザリアッテクレ。踊りは無意識を掻き立て無規則のなかから創発性の地獄が運動を始めてベンガルトラは亡霊を求め始めた。ピンク色の乗用サイがテールランプで1万km遠くの仲間たちに危険を伝える。
夜が歌い始める。僕たちは踊り出す。ティム・バーナーズ=リーは笑い出す。感情が全身から溢れ出して路上に数多の星が雨みたいに空から落ちてくる。「ただの黒い石だったみたい」と彼女はほほ笑んだ。ズールー族達は合成麻薬を注射してak-47を振り回す。01234567899999999...
温めた牛乳にパンを浸しながら乳牛を捌く彼らと量子コンピュータと交換で新しい踊りの教則ビデオを手に入れた僕たちは、借入を超えてレイクで現金を3億円引き出して真っ黄色の85年型のデロリアンインドサイを買ってBTFした。僕たち現在の僕たち自身を書き換えるために。
BTFに失敗した僕たちは記号の世界に移動してしまった。'機能'をいじくり回して本能と妄想を書き換えた。現在に戻ると無限マズロー状態。死と性・秩序だった無秩序が保存が破壊を食って内蔵がキーボードに切り替わっていた。
箱男たちの中身と箱は裏返って剥き出しの彼らとベンガルトラと箱男達の比率は逆転して植えたトラとトラの共食いと皇帝と臣民の比率が逆転して、むしろ逆に臣民が皇帝っぽくなってすらいたし、ピカピカ光る非同期の夢を同期させようとする電池を食う機械にしゃべりかけるとやつは答えた。
「踊ってくれよ」と言われて僕たちは新型のダンスを踊り始めた。
踊りのマクロが何度もとプレーヤーピアノ達と連動して奪うことと奪われることが等価になって実在しないヒーロー達が現れて偶像に規則と予定調和を与えた。物語の時だ。
ヒーロー達が生み出したベイジアンネットワークを貪るパックマンみたいにお話の快楽を貪る彼女が超常現象的な動きでスピーカーの振動と同じ周波数で爆裂する音楽を発する。まとめあげられた集団はリズムの原則に奪われて暴動みたいに時速2kmの速度で遠心形状で彼女に巻き込まれていく。
月に反射した腐った陽光がベンツに載ったカミュをバターみたいに溶かしてる。笑えない冗談で笑うコメディアンの悲しみがギアの悲しみを包み込んで目隠しされたノード形状の同調する協力者を通してP2P的に愛を送っている。波状に飛び散ったハッシュが変形して別の夢になる。
衛星軌道上でジョージ・ワシントン級のブラシが振られて百万色のインクが降り落ちてアクション・ペインティングで灰色の建物はサイケデリックに変色してる。
マグニチュード6000の地割れから羊が大量発生した。鉄格子に守られた僕たちは数えて眠ることのできない羊に食べられた。
放物の賜物がいくつも刺さった養殖のアサヒスーパードライが波のように揺れて聞いたことのない言葉を喋っている。
朝が避けることのできない恋や運命みたいな感じで夜を引きずり込んでいる。
二つの約束が浮き上がって実体のない情報生命体みたいに自らをbitに変換して飛んでいった。
終わったことを始まりが喋っている。あなたは夢をみていたのですと夢が喋っている。
箱男達が工場で夢の製造に従事していて、箱男の王の中身はベンガル虎だって噂がある。ベンガルトラに喰われかけている箱男の中身かもしれない。座席を回転するSUSHIバーでポスカを突き刺したまま鳥は「そこで夢はつくられているの」と言った。
「宇宙に行きたいなら今そこに座っているそこがそうさ」と相対的に近づく箱男が言って、彼女は泣いた。素数の順に爆発する地雷を踏んで15色と共に炸裂して消えて、僕はバーを出た。うつむいたまま。
undoして箱男にバールのようなものを投げつけて彼女を連れ出した。漏斗から昔の記憶が流れ出したのはヤクザがヤクザ映画の花形俳優に挨拶した話だ。
ジャングルから抜け出した野生の箱男は薄暗い目で人工ではない夢をみていた。ゾウオヲアタエルコトバマザリアッテクレ。踊りは無意識を掻き立て無規則のなかから創発性の地獄が運動を始めてベンガルトラは亡霊を求め始めた。ピンク色の乗用サイがテールランプで1万km遠くの仲間たちに危険を伝える。
夜が歌い始める。僕たちは踊り出す。ティム・バーナーズ=リーは笑い出す。感情が全身から溢れ出して路上に数多の星が雨みたいに空から落ちてくる。「ただの黒い石だったみたい」と彼女はほほ笑んだ。ズールー族達は合成麻薬を注射してak-47を振り回す。01234567899999999...
その一環としてPHPなどのプログラミング技術を学びたい考えている。
自分の現在の経験値は、学生時代にオリエンテーリングの一つとしてC++をちょこっとだけいじったことがあり、
(数学の問題を解かせたりしていた。1から1000までの素数を求めるプログラムでエラー出しまくって大苦戦した思い出)
javascriptもごく簡単なものなら扱えるといった程度。
「そもそもプログラム言語って何だ?何をするものなんだ?」って理屈の部分があまり良くわかっていないので
可能な限り、根っこの部分からちゃんと勉強し直したい。
以前PHPを独習しようと考えていた時はまったく取っ掛かりが見いだせずに挫折している。
どうも自分は言語を学ぶ場合、ある程度サポートしてもらう必要が有るらしい。必要ならば通信教育を受けようと考えている所。
このあたりが余り良くわからない……。
身近にそういった方面に強い人が居ないこともあって誰にも聞けないので思い切って増田に書いてみた。
最近マークアップエンジニア志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去のHTML(特に90年代以前の仕様)を読んだことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。
例えば「マーク・アンドリーセンをどう思う?」と聞くと、「アンドリーセンって誰ですか?」という答えが返ってくる。「ヨスケの独自要素で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔のHTMLを見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「とほほでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。
今の若い人の間では、HTMLを体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題仕様ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといて標準化団体ごと理解しようとする人はほとんどいない。
これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。HTMLは、もう長いこと(90年代の早い時期から)インターネットの王者としてあらゆるWeb関連技術の上に君臨してきた。だから、Webを作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。
HTMLは、表・画像・フォーム・音楽・デザイン・フレーム・動画など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、HTMLを読まずして現代のインターネットは語れないと言ってもいいくらいだ。
もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、HTMLを読むことは欠かせない。また、単に読むだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、HTMLを包括的・体系的にとらえることによって、現代のインターネットそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、Webを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。
そこでここでは、昔のHTMLをほとんど見たことがないという人や、あるいはHTMLそのものもあまり見ないという人のために、これを見ればHTMLを体系的に理解でき、現代インターネットの成り立ちや実相までをも包括的にとらえることができるようになる、7本の仕様を紹介する。
ここで紹介するHTMLは、いずれも後のWeb業界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、HTMLという標準のありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、HTMLというのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、体系的に理解できるようになる。そしてそれが、世界のインターネット利用シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。
まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、第一次ブラウザ戦争前のHTMLをひとまとめにするところから始める。
80年代末にティム・バナーズ=リーの発明したHTMLというメディアは、その後『HTML 1.0』(1993年)『HTML+』(1994年)『HTML 2.0』(1995年)などの仕様で次第にそのスタイルを確立していき、マーク・アンドリーセンが一大産業として発展させた後、『HTML 3.0』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。
ブラウザ戦争前のHTMLは、これ1本だけ読めば良い。このHTMLに、戦前のHTMLの全ての要素(属性)が詰まっている。このHTMLを見れば、HTMLのインターネットの王者としての風格、スターという存在の大きさ、作者以上にブラウザが重視される「産業」としての側面、お尻Pから終了タグ省略可へ・文字情報から画像付きへと移り変わった技術革新の変遷など、戦前のHTML史やWeb業界のありようが全て分かるのだ。
このHTMLの魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『HTML 3.0』の魅力を知るには、まずは読んでもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも読めば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。
『HTML 3.0』を見て驚かされるのは、現在のHTMLと比べても全く遜色ないところである。破棄されてから14年の時が経過しているが、現代人の読解にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえばHTMLというものは、今から14年前、つまりこの『HTML 3.0』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。
『HTML 3.0』は、HTMLという標準が到達しようとした一つの極みである。それゆえ、HTML史というものは、『HTML 3.0』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られたHTMLで、『HTML 3.0』の影響を免れたものはないからである。
iモードが世界のHTML史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに小さなものである。日本人というのは、「日本の技術が世界に影響を与えた」というと、なぜか鼻高々と聞いてしまうところがある。「日本はガラパゴス」という言葉は聞いたことがあっても、「それって日本人が過小評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。
しかしiモードは、真に日本のHTML史を塗り替えたサービスの一つである。特に、このサービスの後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。
iモードは、ドコモのメインストリームだったポケットベルが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたPHS流行後すぐの時期、そんなポケットベルに取って代わって、日本で最も輝いていた携帯サービスであった。それゆえ、広末に見蕩れた世界のHTMLファンたちは、iモードのWebサイトを見ることによって、失われかけていたWeb制作の魅力を再発見することにもなったのである。
iモードは、没落したHDMLに変わってモバイルWebの命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。海外のモバイル陣営が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を切り捨て、日本の後代へと引き継いだ重要なリレー第一走者としての役割を、HTML史において担ったのである。
そして、そのバトンを受け取った日本の若きWebデザイナーたちが、2000年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、モバイルWebは鮮やかな発展を遂げる。だから、もしiモードが存在しなければ、HTMLの様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。
そんなiモードHTMLのバージョンはいくつもあるのだが、中でも特に多くのHTMLファンを――取り分け日本の若きWebデザイナーたちを魅了したのが、この『Compact HTML』である。この仕様の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたW3C Noteであろう。HTML史において、これほど拡張多く適当なディテールで構成されたNoteは他にない。そのためこのNoteは、これ以降無数に手本とされ、真似され、拡張されることとなるのである。
正字正仮名の影響を受けた日本の若き日記書きたち――言うなれば「CSSコミュニティ」――が頭角を現す直前のW3Cで、HTML史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の仕様が誕生する。
この時期、情報技術の進歩によって、HTMLにもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った国際化、全く違ったアクセシビリティ体験を生み出すことに成功したのが、この仕様『HTML 4.0』を勧告したWorld Wide Web Consortiumである。
『HTML 4.0』は、HTML史において最も革新的な仕様の一つとなった。この仕様に初めて触れた当時のWebデザイナーたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのないマークアップがくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しいHTML体験を、そこで味わうことになったからである。
W3Cの果たした一番の功績は、テクノロジーとHTMLを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えばそこでは、「スタイルシート」という新しい技術のデザインと、それでレイアウトされたページが閲覧者に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しいHTML体験を生み出すことができたのである。
この仕様『HTML 4.0』には、そうしたテクノロジーとHTMLとの融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、HTMLはここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。
先に述べた「CSSコミュニティ」がWeb日記業界に論争をもたらすのは、2000年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、1947年生まれの非政府組織で、IECとも協力した生粋の工業標準化団体であった国際標準化機構が、この仕様『ISO/IEC 15445:2000 (ISO-HTML)』によって成功を収めたことである。
このHTMLは、単にJIS的に標準化しただけではなく、文化的な意味においても、フラットでリニアな構造の力を広く世界に知らしめることとなった。この仕様の成功によって、世界の人々は、レベル付けされた見出しの魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて見出しのレベル分けが世界のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように使う状況を育んでいくのである。
またこの仕様は、CSSコミュニティそのものにも大きな影響を与えた。この仕様の成功に刺激を受けた才能ある若きコミュニティ住人たちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名サイトを生み出していくからである。
それらが相まって、やがてCSSコミュニティは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『ISO-HTML』なのだ。
『HTML 4.0』で繁栄の足がかりを築いたW3Cは、この仕様『XHTML 1.0』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたメタ言語も、W3C勧告のの一つであり、また『HTML 4.0』を作ったSGMLの改良でもあった、Extensible Markup Languageであった。
この勧告は、史上最も商業的に成功した仕様となる。そのためこれ以降、この勧告にならって商業的バズワードを盛り込んだ仕様が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きな商業的話題を集めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの意見は、やがて再びW3Cに還元され、さらなる発展をもたらすことにもつながった。
そんなふうに、この仕様がきっかけとなってW3Cにもたらされた意見は、HTMLという言語を変革させていくことになるのだが、それに伴って、HTMLそのものにも大きな革新をもたらすことになる。
その変革も、他ならぬW3Cの手によってなされた。ここで『XHTML 1.0』の成功によって手にしたメンバーをもとに創設した文書マークアップの開発集団「HTML Working Group」が、より魅力的な拡張性を追求していく中で、やがてM12n(モジュール化)という技術の開発に至るのである。するとそれが、これまでのHTMLを一変させたのだ。
M12nは、HTMLに魅力的かつ効果的な特殊語彙を、DTDでしかも複雑怪奇にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に世界から見捨てられていった。そのため今では、M12nの使われているHTMLを探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『XHTML 1.0』がWeb業界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。
2000年代以降、繁栄を謳歌したW3Cは、しかしその栄華の大きさゆえ、00年代中盤に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な仕様はなかなか生まれてこなくなった。
しかし、そんな時代が5年は続いた00年代の後半になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代のHTML WGメンバーたちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。
その新しい世代のHTML WGメンバーとは、マイクロソフトやモジラ・ファンデーション、オペラらに代表される「ブラウザベンダ」と、無関係な編集者たちであった。
彼らに共通するのは、文書構造に不必要なものなら全て――とるに足らないガジェット的なものまで含めて――残らず切り離そうとする「オタク的な性質」を持っていたことだ。
彼らは、それまで見過ごされがちだったHTMLの些末な要素にスポットを当て、それを別仕様に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った草案を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として00年代の後半に登場したのが、XHTML2 Working Groupだ。
XHTML2 WGは、特に99年に最後の草案が作られたこの仕様『XHTML 2.0』によって、オタク的なHTMLの楽しみ方が、一部のマニアだけにとどまり、それ以外の多くの人たちには受け入れられないことを証明してみせた。この失敗が、デ・ファクト的な新生HTML WGにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けたWeb WorkersやDOM Level 3 Eventsといった、次世代のWeb標準たちの誕生にもつながっていったのである。
最後は、第二次ブラウザ戦争の集大成ともいえるこの仕様である。
『HTML5』は、HTML史においては『HTML 3.0』と同じような意味を持つ。つまり、それまでのHTMLの要素が全て詰まっているのだ。この仕様を見れば、それ以前のHTMLの歴史というものが全部分かる。
『HTML5』には、HTMLのあらゆる要素が詰まっている。ここには、『HTML 3.0』のような歴史的な仕様としての「総合性」があり、『Compact HTML』のような「実装の実在さ」がある。『HTML 4.0』のような「マルチメディアとアクセシビリティの融合」があり、『ISO-HTML』のように「セクション構造の魅力を全世界に知らしめ」た。また、『XHTML 1.0』のように「バズワード的に成功」したのはもちろん、『XHTML 2.0』が別仕様に押し出した「オタク的ガジェット」にも満ちている。
全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこのHTMLは、『HTML 3.0』と全く同じ意味合いを持っているのだ。HTML史というものは、『HTML5』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られるHTMLで、『HTML5』の影響を免れるものはないであろうからである。
以上、これさえ読めばHTMLを包括的・体系的にとらえることができる7本の仕様を、制作された年代順に紹介した。
こうして見ると面白いのは、歴史的に重要な仕様は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「素数の分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。
それから、ここに挙げた仕様は、いずれも「読むことによって他の仕様にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。
例えば、『HTML 3.0』を読んだならば、ブラウザ戦争前夜の独自HTML拡張に自然と興味がいくだろうし、『Compact HTML』を読んだなら、iモードのそれ以外のバージョンのHTMLも見たくなるだろう。CSSコミュニティについてもそれは言えるし、『ISO-HTML』を読んだなら、このHTMLを流行らす土壌ともなった「フラットでリニアな構造」というムーブメントにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『XHTML 1.0』はXMLオタクになるきっかけになるだろうし、『XHTML 2.0』はその他の「オタク的なXML EventsやXForms」の仕様も見たくなるという効果を持っている。
ただし、最後に選んだ『HTML5』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこのHTMLは、完成度があまりにも高いために、これを見た後に他のHTMLを読むと、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。
しかしいずれにしろ、これらの仕様を読むことによって、HTMLをさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの仕様を読むことによって、HTMLを包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな助けとなるはずだ。
上に挙げた仕様への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「HTMLを体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。
高校時代に読んだこのサイトによって、「リソースとは何か」ということを、ぼくはを知った。
「HTMLはSGMLの応用だ」ということが、このサイトを読むことでよく分かる。何気なく見ていた省略記法でも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。
世界がCSSコミュニティの何に驚かされたかといえば、それはやっぱり精緻に書き込まれた正字正仮名にだ。ノジタンの日記には、HTMLの本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くの日記で多くのコミュニティ住人に、言及されたり模倣されたりしたのだ。
ここでは取りあげられなかったのだが、とほほ氏がHTMLというジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた感想のいくつかは、このサイトに書かれていたばけらさんとの「スタイルシート論争」を参考にしたものなのだ。
これらのサイトを読めば、どんなHTMLが素晴らしく、どんなHTMLがそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あのCSSコミュニティ住人の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。
【元ネタ】
こんにちは。結局ekkenさんはあとでマスをかいたのか気になりますが、当然かいたでしょう。僕もかいてねます。では今週の推奨コメントです。
ekkenさんの「脅迫者を擁護するekkenヒドイっ!」というユニセックスぽい発言が最高にクール。そして続けざまに「脅迫行為については触れなかっただけ」とハイブロウな言い訳を披露する。この連続コンボで読者のボルテージは既に最高潮。あの時は「不快感を表明されただけで閉鎖かよ」なんてワイルドに言い放ってくれたのに。あなた最高にステキだったのに。カマっぽいのなんてあたしだけで十分だわ。
ここからekkenさんはmatasaburoさんの元記事を読み直してみる。そしてkuwaなんちゃらへの憤りを再確認。あれこの人憤ってたのね。ブコメからはぜんぜん読み取れなかったわ。そしてお義理程度のmatasaburoさんへの同情が続くが、「それほど重要なものとして扱われていない」とかいって誤読した自分の自尊心への配慮を忘れていない。自殺者数が上昇する昨今、この自己愛は自殺抑止の重要な鍵と捉えるべきか。
次にmatasaburoさんの最後の挨拶を引用するが、どう読んでも恐れてるのは「不快」じゃなくて「強い怒り」だろというツッコミを入れるのは野暮というもの。そしてこの誤読から「誰一人として不快に感じないなんてことはありえない」なんてああそうつなげたかったのね的なひねりを見せるが、転換部だけ面白くてその後が手抜きに感じるのは昨今の政治事情を暗示しているのだろう。
追記:
matasaburoさんごめん。
あなたやっぱ天才です。