はてなキーワード: 無宗教とは
ここ5年ほどで、10人くらい知人をなくしている。
たぶん無宗教なのかだからと思うんだけど、葬式というのが理解出来ない。
結婚式はわかる。
死人のためにそんなに仰々しくいろんなことをしたってさ、なんて思う。
遺族のためなのかなと理解してる。
故人のために人が集まってくれる人が少ないよりは多いほうが嬉しいのではないのだろうかと。
とはいえ、参列者が多いことにより、単に負担が増えるだけなんじゃなかろうかとも思う。
口にださないだけで密かにみんなそう思ってたりするんじゃないかな。
葬儀は身内だけでひっそり、後で「~を偲ぶ会」みたいな集まりを開いたりするのが増えてる気がするし。
戒名の値段とか祭壇の値段とかもあんまり理解出来ないんだけど、キリスト教徒やイスラム教徒が寄付や喜捨やらチップやらでこまめに身銭をばら蒔いてるのを、日本人は結婚式と葬式で一括払いしてると思えばそんなもんかなと思う。
金は天下の回り物。
物心ついた時から「勤行」「御本尊様」「座談会(俺の地域では学会員が10人程度集まって、信心して良かった事を言い合ったり、お菓子を食べて世間話をしていた)」「勝利(「目標の達成」の意味らしい)」というような言葉が溢れていた。
北海道新聞に加えて聖教新聞、公明新聞もとっていたし、それが普通だと思っていた。
母親は学会員、父親は無宗教。俺は「創価2世」だった。
小学校ぐらいで創価学会というものを理解し、宗教団体であること、池田先生がトップであること、戸田先生、牧口先生という人物がいたことも理解した。
俺は純粋だったので……というか「こういう環境」で育ったせいもあるが、創価学会というものに何の疑いも持たなかった。
周囲の婦人部(おばさんの学会員を総じてこう呼ぶ)の人達、青年部(青年男女の学会員を総じてこう呼ぶ)のお兄さんたちはとっても親切で優しくて、母親にくっついて座談会に来ている俺を可愛がってくれた。
ある時、俺が「俺は学会に入らなきゃだめなの?」と座談会で発言したことがあった。
みんなは「それは〇〇ちゃんが決める事だよ、お母さんが学会員だからって無理して入らなくてもいい」と言い、また、
「入っても入らなくても、みんな〇〇ちゃんの事が大好きだよ」とも言った。
俺は創価学会の人が大好きだった。
中学の頃、ネットで創価学会の悪い噂を知った。それは多分、噂じゃなくて真実で、実際創価学会は悪い。
被害者の書き込みを目にする度に、申し訳ない気分になったし、創価学会の親を持った事、創価学会の知り合いがいる事が恥ずかしくなった。
思春期だったことも手伝って、座談会にも行かなくなったし、仏壇の前で手を合わせることも無くなった。もともと創価学会に入信してはいなかったので、フェードアウトは簡単だった。
近所で学会員の知り合いにあっても無視をしたし、母親に創価学会はダメだ、ネットにこう書いてあった、と力説し、「もう創価学会には関わりたくない」と告げた。母親は、〇〇が決めたことなら、とだけ言った。
今俺はフリーターをしている。専門を出た後会社に勤めたが、劣悪な労働環境で精神を病んで退職した。
バイト先と実家の往復で、だらだらと日々を浪費していると死にたくなる。妹は東京に行き、それなりの大学で勉強している。引け目はあるし、定職に就きたくないわけではない。ちょっと人生を休んでいるだけだ(と思いたい)。
最近外に出て散歩をする事が多い。近所を歩くと馴染みの婦人部の人に会うことがある。
「今日はお休みなの?」とか「仕事はどうしたの?」とか、そんなことは訊いてこない。世間話をするだけだ。それと、昔の話。
俺は今まで、ただの一度も、創価学会の勧誘を受けたことはない。嫌がらせも受けたことはないし(学会員の息子だからかも知れないが)、周囲の学会員はいい人ばかりだ。
青年部のお兄さんは飲みに連れて行ってくれて、病気の俺を「大丈夫だ、なんとかなる」と励ましてくれる。婦人部のおばさんは会うたびに手作りのお菓子をくれたりする。
「学会員じゃないのに」と俺が言うと、みんな「学会員じゃなくても〇〇くんが大切なんだよ」と言う。
「創価学会」ってなんだ? 一部の学会員が迷惑な事をして、創価学会は叩かれる。
俺は創価学会が嫌いだ。調べれば調べるほど最悪だし、正直自分がそんな目にあったらと思うとぞっとする。だけど、少なくとも俺の周りの創価学会員はそんな事をする人たちじゃない。
気を配りあって、助けあって生きているし、彼らはそれを信じている。俺が環境に恵まれていたのかも知れない。もしくは、俺が洗脳されているのかも。
創価学会を一纏めにして叩かれると哀しい気持ちになる。仕方ない事なのだと思うし彼らは実際迷惑なんだと思う。
だけど俺は、小さい頃頭を撫でて遊んでくれたおばさんに、たとえネット越しでも「草加市ね」とは言えない。
別に、おいお前ら、創価学会員にはいい人もいるんだから叩くのはやめようぜ、とか言いたいわけでもないんだけど。うーん。なんだかなー。モヤモヤ。
このエントリとこのまとめブログに触発されてダラダラ書いてみる。
既に至る所で言われている事だが、日本人は自国を言葉で説明できない。
例えば「帰属している宗教は何だ?」と言われて何も考えずに「無宗教です」と答えて外国の人々から怪訝な表情をされる例は枚挙に暇がありません。
宗教はその人間の思考形式や価値観や、その人間が母国としている国の文化を基礎づけています。
キリスト教徒だから、こういう行動をする傾向があり、こういう話題をタブー視するんだな、と宗教を通じて外国人は異文化に属する人々とコミュニケーションを取ります。
無宗教と言われたら、その人間の何を信用していいのかわかりません。不審な動きをしたらすぐに射殺しないといけないかもしれない。
神道と仏教が日本文化に多分に影響している主要宗教ですが、日本に属さない人々と接した事が少ないせいか、
日本人は自らが何故このように考えて、このように行動することを望ましく思うのかを意識することがありません。
なぜ食事を終えたらご馳走様と言うのか。なぜ年長者を敬うのか。なぜ議論を嫌がるのか。
なぜお盆というものがあるのか。なぜ死者の死体を墓地から掘り起こして晒し者にしてはいけないのか。
外国人は勿論わからない。日本人が暗黙の了解としている事項が全くわからない人間にどうやって説明しますか?
このように日本社会は言葉で説明しなくても理解して貰えるという甘えによってコミュニケーションを省力化しています。
だから、まったく異なる価値観を持った環境にいた人間が理解できず、コミュニケーションを取ることも覚束ない。
外交戦略を描けないのは諸外国の価値観と自国の価値観の間にあるズレを理解できないために、相手の意図と思考が理解出来ないため。
このような日本になってしまったのは、個人的には歴史的にやむを得ないと考えていて
日本はシルクロードの東端に位置する地理条件から、西(欧州中東中国インド朝鮮等)の文化が頼まなくても勝手に日本に流入する環境下に置かれ、
かつ文化を伝播させる先が存在せず他者に文化を伝える必要がなかったため、
マニアックに文化を掘り下げる事は出来ても文化を他者に言葉で説明する技能が身につかなかったからと私は考えています。
神仏が習合した多神教の宗教意識によってあらゆる一神教文化と衝突せず、
平仮名片仮名漢字という複数の文字体系を持った日本語の持つ異文化摂取能力の突出した高さに助けられて
神道と仏教に限らずゾロアスター教や他宗教の影響も日本文化に残りました。例えるならあらゆる具材を投入して長時間煮込んだシチューのようになっています。
具材が原型を留めないほどに煮込まれているため、日本人自身が過去にどんな具材を投入してシチューを作ったのか説明できません。
異文化コミュニケーションとは、どんな具材を入れて日本文化というシチューが出来ているのかを説明することです。
世界で最も複雑で面倒な作業になりそうですが、それが出来ないうちは今後も外国人とのコミュニケーションに齟齬を生じ続け、
このコミュニケーション不全は国家間のコミュニケーションに限らない。日本社会内でも暗い影を落としています。
例えば、学校を出て新卒就職しなかった人間を企業内部にいる人は理解できません。
個人的な経験を語るなら、増田は「28歳ならこれくらいの仕事が出来ないといけないのに」と言われた事があります。
当時、就職が無かったので大学卒業後に資格試験受験生になった増田は、法科大学院への制度変更を機に資格試験を断念して
27歳なのに実務未経験という状態で就職活動を始めました。なぜこのような人間が存在するのか、と複数の企業の人事担当者から好奇の目で見られたのを覚えています。
冷静に考えればそんな人間はどこにでも居て、発生し得るのですが、日本社会は言葉で説明しなくても理解して貰えるという甘えがあるので、
20代後半で仕事に関する細かいことを説明しないと理解してもらえない人間は企業に居てほしくないのです。
また、結婚をしないで仕事に生きる女性を日本社会は理解できません(これは既卒に対する扱いよりマシになりましたが)。
デリカシーの無い人は女性に向かって「彼氏はいるのか」「この年齢で独身なんて将来どうするつもりなのか」と言います。
家事ができない女性は未だに望ましくない存在として見られます。喫煙する女性も同様です。
ここでも日本社会は言葉で説明しなくても理解して貰えるという甘えがあるので、不遇な扱いを受けた女性がクレームをつけても言葉で説明することができません。
なぜ老人は若者を理解出来ないのか、なぜ日本企業は株式公開しているくせに外国の機関投資家が株を買うのを嫌がるのか、などまだまだ例はありますが、
日本社会が価値観を異にする他者を存在しないものとして扱う事で成立している事がわかります。異文化コミュニケーションなど不可能と言わざるを得ません。
外国から相手にされる国になりたければ、現在の国内問題(雇用問題、世代間格差、出生率低下など)に対処したければ、
自らを知って語れる存在になるべきです。そうすれば自らの問題を直視できるし、他者の思考が理解できるようになるでしょう。
「空気を読め」は、その言葉を発した人間・その言葉を重用する組織のコミュニケーション能力が低レベルである事を証明する言葉であると考える事から始めるべきです。
地方在住34歳
就職活動らしい就職活動はしないままに、担当教員のすすめで地元の中小企業に入社
(あとで知ったが、教員と会社の人事が創価つながりだったらしい)
※自分は全くの無宗教だが、そういや初めての彼女も創価だったなぁ
正社員、サビ残(月60~70時間)、ボーナス6年で3回(各10万程度)
年休消化すると怒られる、初任給手取り16万、退職時手取り18万
若かったこともありガムシャラに働きほどほどに遊んだが、
東京や大阪の友人に会いに行くたび、その生活を見ては羨ましく思った
同時にほとんど就職活動せず流されるままにここまできた自分を悔やんだ
都会生活は地方でしか生活をしたことがない自分にとって眩しすぎた
面接では何年か都会(東京or大阪)勤務をしてもらうかもしれないとのこと
3年で正社員になれるとの話だった
『なんでもやるし、どこの勤務でもかまいません!!』と言ったが
結局、仕事は派遣社員として親会社の支社(地元)へ派遣され、親会社の正社員と同じ業務をした
契約社員(1年更新)、残業(月0~20時間)、ボーナス年2回(30万程度)
年休消化しないと怒られる、手取り19~21万、昇給なし、転勤なし
親会社の社員はほぼ50代で、釣りかゴルフの話かギャンブルの話にあけくれ
たまに電話を取ったかと思えば、めんどくさいのを理由に仕事を断ったりするので
それでも以前の会社に比べたら、冗談かと思うほどに仕事は楽だった
3年後、グループ各社の統合やら分社やらで勤務していた会社そのものがなくなり
ただ待遇面や業務内容は全く変わらず、変わったのは社名だけ
新しい会社は役員・管理職(グループ親会社からの天下り)以外全員が契約社員だった
この会社再編のタイミングで優秀な先輩(同じく契約社員、親が親会社OB)が会社に愛想を尽かし辞めて地元を去った
それまでも優秀な同僚の離職はあったが、先輩には可愛がってもらったし、
上司や親会社の正社員にも、立場を気にせず物言う人だっただけににショックだった
会社は早期に契約社員の正社員化を実施するなどと言っていたが、
自分よりずっと先からいる先輩の話では、数年で社名が変わるのは毎度のことらしい
期待していなかったが、1年後、優秀で在籍年数の長い数名が正社員になった
自分は契約社員のままだったが、契約更新時に給料が1万円上がった
1年後、結婚
結局、妻には悪いがこちらに来てもらった
妻の仕事は少々特殊ではあるものの、アルバイトではあるが働き口が見つかったのでそれで我慢してもらった
結婚後しばらくは、東京に比べ圧倒的に娯楽が少ないこちらの生活に不満を募らせていたが
今では『週末にイオンに行くだけでも最高に嬉しい』と言い、ここの生活では必須の免許も取り地方生活に順応してくれている
この年、同窓会で久しぶりに大勢で集まった
ベンチャーを企業して頑張っているヤツ(最近社長になったらしい)
結婚式には来てくれていたのだが、その時はあまり話せなかったので互いの近況を報告しあった
どれもこれも眩すぎる内容だった
ただ1つ、自分だけが結婚しているということが、くだらない自尊心を支えてくれた
2年後、長男が生まれた
元々こどもは好きなのだが、我が子は文句なしにかわいい
次の年(今年)、正社員になった
自分より両親、妻、妻の両親が喜んでくれた
福利厚生が若干良くなったが、それ以外はほとんど変化しなかった
業務も孫会社の正社員ではあるが、職場(親会社)では派遣社員扱いである
会社の説明を聞く限りでは、給料はおそらく10年近く現状維持(手取り20~22万)だろう
それ以降も業績に応じて年¥5000程度のアップ(しない場合も当然ある)で、手取り27万程度で上限となる
※今までの昇給ペースを考えると、実際上限まで行くことはまずありえないだろう
そして家を建てることにした
こどもができアパートが手狭になってきたことや、その他諸々の条件から今年がベストと判断したからだ
給料は安いが生活に困るほどではないし、仕事はほぼ定時に終わる
正直1度は都会へ出てみたかったし、自分の可能性を自ら放棄してしまうようで悩んだのだが
いままで現状に甘んじてきた自分が、これからリスクを犯してまで人生を変えていけるとは思えなかった
おもえば結婚の時、地元に残ると決めた時点ですでにあきらめていたのだろう
いや、もっと前から薄々は気が付いていた、ただ認めたくはなかった
このままずっと抑揚のない人生なんて
先日、これからの生活設計(主に資金)を決める上で退職金がどの程度になるが会社に聞いてみた
現状の賃金では、在勤年数26年(正社員期間、60歳定年)の試算で320万
多くはないとは思っていたが、予想をかなり下回る金額だった
実は正社員化のタイミングで一度退職金は出ているので、勤続7年で70万を合算すると33年で390万
いづれにせよ親会社の正社員の退職金(2000万以上・勤続37年)には遠く及ばない
※ちなみに親会社正社員の40歳時の月給は非管理職で手取り約40万
相談にのってもらっているFPの方も(親会社のバリューに反し)予想以上に少ないので驚いていた
地元でのんびり暮らしていけたらそれでいいじゃないか!
格差社会なんて結局、金をものさしにして比べてるだけじゃないか!
贅沢はほどほどでも家族仲良くやっていけたら十分幸せじゃないか!
いや、消費するだけが贅沢じゃない!
週末は家族と庭でBBQ・・・十分贅沢じゃないか!
お金以外のものさしで生きていこう!!
自分に言い聞かせた
昨日、東京で事業を起こし頑張っている友人(かなり成功している、先のベンチャーの友人とは別人)から電話があった
本業は磐石だし、新しい分野に挑戦するので一緒にやらないかとのこと
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地元の工務店と契約もすんで、頭金ももう払い終わったじゃんよ!
来週は地鎮祭なんだよ!!
すげぇ面白そうじゃんかよ!!
今日の話。新宿で就活の面接を終えた僕は、お昼ご飯を食べるためにセンタービルにあるカレー屋に入った。そのお店にはたまに行くのだけど、ランチタイムはナンを何枚食べても許されるというシステムになっていて、手頃な値段で満足できる良いお店なのだ。入り口にあるレジで890円のセットを注文して席に案内されると、特にやる事もないので面接の出来についてボーッと考えることになった。後ろ方の席からいわゆるスイーツな会話が聞こえてきたのは、ちょうどカレーセットが運ばれてきた時だ。内容についての細かいことはあんまり覚えていないしここでは書かないけれど、「シアワセ」について20代か30代ぐらいの女性2人が語り合っていた。僕は、その種の女性特有のイントネーションで行われる何とも言えない会話を聞きながら、「薄っぺらい幸せだよなぁ」と無意識に考えたと思う。「スイーツ」という言葉には(笑)が必ず付いてくるものだけど、それはきっとそういった薄っぺらさに由来するもので、多くの人がなんとなく共感しているのだと思う。まったく傲慢な話ではあるのだけれど、僕は半ば無意識に、彼女たちをそんな薄っぺらい人間だと思ってしまったわけだ。
ところで、僕は海外ニートの人の話にとても共感を覚えるタイプの人間だ。つまり、仕事なんて生きるために適当にやればいいんじゃないか、と思っている。本音を言えば、働かなくて済むのなら1mmたりとも働きたくないぐらいなのだけど、とりあえず現実的な妥協案として、生活に困らないぐらいのお金は自分で稼ごうかなと考えている。そんな僕にとって就活は苦痛の連続で、なにが辛いかと言えば、就活をしていると本当にひしひしと感じるんだけど、みんな驚くぐらい仕事が大好きなのだ。説明会では「やりがいがあるからこれぐらいの残業なんて気にならない」とかいう社員を500人は見てきたし(しかも「これぐらい」が100時間を平気で超えるんだよ)、「そういう経験が自分の成長につながる」とかもよく聞く台詞だ。それが彼らの本心なのかどうかは僕には分からないけれど、少なくとも表面上は、みんな仕事が大好きで、しかも仕事を通してなにか人間的な高みに登っていくという事になっているようだ。まったく反吐が出る話だと思う。
そんな僕がスイーツな会話を聞きながら、彼女たちの事を「薄っぺらい」とか「くだらない」とか思ったのだ。言い換えれば、僕は女たちの価値観それ自体をくだらないものだと考えたんだと思う。僕がひどく傲慢な人間だと言うことはこの際認めるけれど、そのとき僕がむしろ驚いたのは、自分の中で重要なロジックが破綻していることだった。だって、僕は仕事が大嫌いで余暇とか趣味とかを楽しむ人生を送りたいと考えていたはずなのに、実際に生活の端々で楽しみをみつけてシアワセを感じている彼女達の事を薄っぺらいと思ってしまったのだから。僕は彼女達のようになりたいと考えていたはずなのに、なんで彼女たちを見下しているんだろう。
この矛盾に気がついたとき、僕はなにか悟ったような気がした。どうやら僕も労道を信奉する人間の一人だったらしいと。つまり、僕の人生の価値観、あるいは評価軸の中で「仕事で認められる」という項目は重要な役割を果たしていて、僕が彼女達をくだらないと考えたのは、彼女たちのシアワセの基準がそういった仕事に関係したものから著しく乖離していたからだったのだ。そして、これは本当に面白い話だと思うんだけれど、「仕事なんて糞だ」というのも偽らざる本音なのに、それと同時に「一人前の人間として認められるには仕事で成功を収める必要がある」とも考えているのだ。この2つの考えはどうやら両立するらしい。内心仕事なんて糞だと思いながら、仕事を二の次にしている(ように思われる)彼女たちを馬鹿にしたのは、そういう理由からなんだと思う。海外ニートの人の記事に隠れキリシタンの話があったけど、実は多いらしい反社畜の人が隠れたままなのも、もしかしたら同じ理由からなのかもしれない。みんな「仕事なんて出来ればしたくないけど、一人前として認めてもらうには仕事を頑張って成長しないと」って考えているのではないだろうか。ほんとに、修行みたいな話だ。スイーツには必ず(笑)が付くのも、説明会の社員はみんな仕事が生き甲斐なのも、きっとそういう事なんだと思う。
ところで、ここで僕はもう1つ考えたのだけど、僕はいったい誰に一人前と認めてもらうのだろうか。家族? 友人? 社会? たぶん全部だろう。ただ、これってもしかすると世界的には珍しいのかもしれない。日本人にとっての評価というのはどこまで行っても人間にされるものだと思う。それに対して、もしかすると西洋では(西洋っていうのも曖昧な話だけど)、より重要な要素して神が入ってくるのではないだろうか。僕は宗教にも国外の文化にも全然詳しくないので本当になんの根拠もなく適当なことを言っているのだけど、彼らは人生の意義を神に認定してもらっているように思える。それに対して僕たちは人生の意義を周りの人間にしか認定してもらえない。もちろん、「人生の意義を他人に委ねるな」という意見もあるかもしれないけど、そう簡単に割り切れるものでもないと思う。そして、自分の人生の意義を高めること、つまりより多くの人間に認めてもらうという事を考えた場合、どしても社会に向かう必要が出てくる。家族を大事にしても、認めてくれるのはごく親しい周りの人だけだろう。僕たちは仕事にやり甲斐を見いだし、社会に対して何らかの影響を与えることによって、人生の意義を多くの人から認めてもらおうとしているのかもしれない。もしも僕たちにも強力な神がいて、家族を大切にさえすれば人生の意義を認めてくれるのであれば、ここまで労道に価値を見いださなかったのではないだろうか。とはいえ、他の無宗教の国家と比較したわけでもないので、本当に思いつきの仮説ではあるのだけれど。
【民主党】デーブ「ばかげてる」 フィフィ「まともな外国人ほど、申し訳ない気持ち」 「子ども手当」、外国人タレントから疑問続々
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1269672527/
173 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/03/27(土) 16:07:04 ID:wBOIZhb10
>1
●結党以来、綱領はありません。
●"脱官僚"や"政治主導"という稚拙なスローガンを用いて日本国民を騙し、中国共産党を手本にした"独裁体制"を日本で実現します。
●"地域主権"という"地方への甘言"を弄して中央集権を破壊し、党の支持母体や外国勢力を含めた"地方からの国家解体"を進めます。
●支持団体である韓国民団との約束で、日本の将来に全く責任を持たない在日外国人に、国民固有の権利である選挙権を付与します。
●支持母体である部落解放同盟の要請で、"人権侵害救済機関"を創設し、"人権侵害"を恣意的に判断し、"自由な言論を封殺"します。
●特定アジアや亡国メディアの要求に従い、靖国神社参拝は今後一切行わず、無宗教である"国立追悼施設"を建立し、定着させます。
●"東アジア共同体"の構築の支障にならぬよう、"従軍慰安婦"や"強制連行"、"南京大虐殺"等の"歴史的な懸案事項"を"解決"します。
●"国連至上主義"を掲げ、常任理事国である支那や露西亜を日本の国防に参画させ、国連での意思決定を"金科玉条"として仰ぎます。
●子供手当てや高校無償化、高速道路無料化等、"次世代へのツケ"無しには実行不可能な恒久的バラマキ政策で財政を崩壊させます。
■あなたも民主党に参加しませんか?
ttp://www.dpj.or.jp/sub_link/volunteer/index.html
党員とは?
○民主党の基本理念と政策に賛同する18歳以上の方なら、どなたでもなれます。
サポーターとは?
○民主党を応援したい18歳以上の方なら、どなたでもなれます。
ttp://www.dpj.or.jp/governance/policy/index.html
>本党の党員は、本党の基本理念および政策に賛同する18歳以上の個人(在外邦人および在日の外国人を含む)で、入党手続きを経た者とする。
そんなことやこんなことで今話題のウィキペディア。投稿者が減るのはウィキペディアのためにもそんなに悪いことじゃないんじゃないか、とも思ったんだがどうやらそんなに減っているわけでもないのかな。投稿者の減少が何故いいことかっていうと、良くも悪くもノイズが減るんじゃないかと期待するからだ。内容の信頼性とか記事の質は相変わらずだろうけれど、同じ話題に関わる人間の数が減ればおかしな記事はおかしな記事なりに純度を上げて「おかしさ」のS/N比が上がるとすれば、それはいいことだと思うわけ。ザーザー言ってて何を言っているのかよく分からない放送よりはアホな芸人が喋りまくっている番組の方がまだマシなところがあるようにね。テレビを見たがる子供に砂嵐を見せるか民放の馬鹿騒ぎを見せるかというのは究極の選択っぽい気がするけど、幽霊の見えそうな砂嵐よりは民放を見せて「また馬鹿なテレビを見てるのかい」って言った方がまともな子供に育ちそうなものだ。で、それは放送大学を見る幼児に向かって「難しい番組だねえ」と言っているのとあまり変わらない。どっちがいいかは最終的には価値観の問題かな。
だから「おかしさ」って書いたけど、何か特別な要素の純度が上がった状態とでも思ってほしい。で、たぶん、絶対的な投稿者数が減った後に相対的な比率で増えてくるのは、職業的な専門に対するストイックさとか、オタク的な過剰さとかを備えた「熱心な」人達だ。ハタから(つまり「世間樣」から見れば)見ると良くも悪くも常軌を逸して、つまりに真摯に追求している、あるいは配慮を欠いている、つまり常識を変革すべく頑張っている、そういう人達だ。まあ自分の学界の片隅に籍を置かせてもらってるけど、そういう人達のもつ情熱とか執拗さとか真剣さとかは、まさしく人生を賭けた壮絶なものだと感じる。
ちょっと話は逸れるけど、ウィキペディアはなぜ専門家に優しくないのか、という疑問を持っている人は結構いる。専門分野で執筆に参加したけれど、結局「専門家じゃない人たち」に気圧されて撤退してきた本当の専門家を、個人的にも何人か知っている。こうした不幸がどうして起こるかっていうと、おそらく上に書いたような「熱心な人達」と専門家が正面から鉢合わせしてしまった場合、専門家の人達は「おっと、インターネットなんかでシロウト相手に喧嘩している場合じゃないや。今月中に論文仕上げないといけないしな」てな具合に本来の戦線に戻っちゃうからなんだな。研究者はそっちの方で人生を賭けているんだから当たり前のことだ。まあ仕方がないね。
で、宗教の話をしよう。結論からいうと、ウィキペディアにおける生命力という意味では宗教的な情熱を持って行動している人々も市井の「熱心な人達」と張り合ってるんじゃないかと思った、ってことだ。人には物事の「宗教性」に比較的敏感な人たちと、そうでもない人たちがいる。ご存知のようにな日本は圧倒的に「無宗教」な社会だけれども、注意深く暮していれば宗教的な空気というのは比較的よく遭遇するものになっているように思う。まあ創価学会とか明らかなものは置いておくとしても、クリスチャンの多い朝鮮半島からの留学生などが増えているといった事情もあるんじゃないかと思う。例えば東京の都心のカフェで小一時間耳をすませていると、その地元のクリスチャンのコミュニティが会合の場所にしていることが分かったりする。いきなり聖書を読み始めれば分かりやすいけど(そういうことも結構ある)、そうでなくともメンバーが出会ったときの挨拶の言葉だとか、そのグループの顔付きだとかをしばらく見ていると「ああ、なるほど、そういうグループだったのか」って思うわけだ。これはたぶん信者さん自身がもつ「仲間意識」と同じようなものだろう。別に隠しているわけじゃないだろうけど、フリーメーソンの変な握手みたいな、ある種の言語化されない巧まざる符丁が作りあげられている。
それで、定期的にウィキペディアを眺めていると、上に書いたようなのと同じ体験をするんだ。つまり明らかに宗教的な関心で活動している投稿者というのを見付けることができる。僕の個人的な関心のせいもあるかも知れないけれど、クリスチャン、もっといえば福音派の方が以前から熱心な投稿を続けているのに気付くのはそう難しいことじゃない。だってほとんど毎日新しい記事を書いてるからね。その編集履歴を眺めていると、気がつくことは三つ。一つ目は、自分のモチベーション、あるいはバックグラウンドを表明した上で編集活動を行っていること。二つ目は用語法に非常に敏感なこと。三つ目は(たぶん自覚しているはずだけど)自分の視点というものを相対化できている人もそうでない人も、よくも悪くも書きたいことしか書かないということ。二つ目と三つ目の点が悪しき融合を遂げてしまうと百科事典のはずなのに「キリスト教事典」みたいなちょっと文脈が他とズレた項目ができてしまう。内容的には正しいだろうから、まあ必ずしも悪いことではない。というか、文句をいう筋合いは全然ないからどうでもいいけど。
書いておきたいのは、そういった方々が福音派なのは偶然じゃないということ。福音派って何かしら、という人もいるかと思うが、ざっくり言えばプロテスタントの中で一番熱心に「聖書が絶対だわよ」って考えている人たちのことを日本語では福音派と呼んでるみたいだ。で、中学校くらいの知識を総動員して説明すると、プロテスタントってのはもともとのカトリックの人たちが「教会ってステキ。おフダをどんどん買えば天国に連れていってくれるんだから」とかちょっとアレな感じになっていると思って、「そんなアホな。聖書を読む方がよっぽど御利益があるに決まってる。金もかからんし」という感じで喧嘩別れした人たちの末裔のことだね。そんなわけだから貧しいながらもマジメにコツコツ働く人たちに圧倒的な人気を博したみたい。で、福音派ってのはその中でも「聖書が大事だね」っていうところで突っ走っている人のことだと思ってればいい。たぶん。「これ全部本当のことが書いてあるんだぜ」「だよね」「最後の審判くるよね」「ヤバいよね」「でも千年王国チョー楽しみ」みたいな。信じられないかも知れないけど、これ全部本当の話、ってやつ。念のため書いとくと福音派って中にも聖書の話と現実の歴史の対応には諸説ある。というか複雑すぎてよく分からん。
福音派はアメリカで多くて、ブッシュ共和党の支持母体になってることは有名だね。政治に熱心で極端になると共産主義は悪魔の手先、イラク先制攻撃万歳、進化論教えるなら学校やめるし、中絶するなら病院焼いちゃうよ? (実際、焼いてるし、医者を殺してる)みたいな人が多いみたい。中絶反対、てのはカトリックの方が厳しいのかと思いきや、実は福音派の人たちもけっこう過激な人たちが多い。ヨーロッパの国がほとんど中絶を合法化しているのに比べて、アメリカで未だに喧喧諤諤の議論をしているのはそれが原因のひとつかな。福音派が政治とか社会問題に積極的に関わりたがるのは全然不思議なことじゃない。つまり福音派であることと積極的なコミットメントには密接な関係がある。というのは、福音派の人たちは自分たちの考えを広めることをかなり大事に考えているからだ。つまり布教(福音派だと伝道っていうのかな)がかなり大事。まあ宗教は何でもそうだけど福音派は特にそこが目立っていて、ちょっとゴリゴリした感じになっているんだね。みんな、生まれ変わって新しい自分にボーン・アゲインしようぜ ! トゥギャザーだぜ ! みたいな。まあ、回心するのが大事だから回心させてあげよう、ていう感じかなのかな。とりあえず頑張れ、としか言えないけど、個人的には家を焼かれちゃたまらんし、できちゃったら産むしかない、ってのは穴があったら入れるしかない、てのと同じくらい野蛮だぜ、って思う。理性ってのは原理的に自然を抑圧するものなわけで。
最近のアメリカの福音派の政治的な人たち(キリスト教右派と呼んでる)は民主党のオバマが政権取ったし、アフガンもベトナムっぽくなりつつあるし、ゲイの結婚もちょこちょこ合法化されてるし、ちょっとヤバいんじゃない? とか考えてるみたいだけど、とりあえずどうでもいいや。うん。ウィキペディアの話だった。政治的・宗教的荒しが日本の数ケタ上の密度で起こっている英語版なんておぞましくて覗く気もしないけれど、書きたかったのは、日本語版ウィキペディアでも熱心な福音派の人たちが(たぶん二人くらいで)頑張ってます、ってこと。ウィキペディアの編集者の中で二人くらい、っていうのが意外と日本における福音派の「熱心な人」の比率としていい線をいってるのではないかと思ったが、調べてないので分からない。まあヘドが出るほど嫌いな人もいるだろうけど、オタクだと思えば貴重な存在かも知れない。で、オタクが絶滅しないように、そういう彼ら(彼女ら)もきっとしぶとく生き残っていくだろうな、と思ったんだ。ある日突然「ウィキペディアは悪魔の手先だから見ちゃダメ」ってことになるかも知れないけどね(英語圏には実際そういう趣旨でできた何とかペディアもあるし)。
私の友人のジョンは敬虔なキリスト教徒だ。 ミサへの参加はもちろんのこと、教会が主催するボランティア活動にも積極的に関わるし、日々の祈りもかかさない。 日本へ移住したのも布教活動のためだと言うし、日本語は実になめらかである。 このバイタリティが信仰心から生まれるものなら宗教も悪いものではなかろうかとさえ思えてくる。
私自身は典型的な日本人がそうであるように無宗教に近い仏教徒だ。ジョンと友人になった経緯は既に延べた通りだが、思いおこせば奇跡的な出会いと思わざるを得ない。
さて、最近のジョンは日本のサブカルチャー、とりわけアニメに感心をもったようで、日本では誰もが知っているアニメというと何だろうと私に質問してきた。
「ポケモン」や「サザエさん」といった定番のものを紹介し、最後に「ドラえもん」を紹介した。するとジョンは「ドラえもん」に対して異常に怯えはじめた。 ドラエもんの中には悪魔がいるというのだ。
言われてみるとDORAEMONの中にはDEMONがある。 そして、ねこ大好きな純朴な人々に自分は猫型だと偽るなど実に悪魔的な諸行ではないか。そんなことにも気付かずに我々はドラえもんをほほえましい人間の味方と騙されきっていたとは自分の馬鹿さ加減に呆れる。
未だ自分が悪魔に騙されていると気付いていない愚かな悪魔崇拝者どもの目を醒させるために我々は活動を開始することにした。 この事実を広めていこうと思う。 皆にはこの文章をなるべく多くの目に触れるようにコピペしてもらいたい。
Kill DORAEMON, Kill DAEMON !!!
じゃあ神の意志を元増田の妻がそれなりに尊重してるということは妄想ではなく始めからの文脈だったと認めてくれるんだね?
その上でなら、言うが、俺も神の意志なんか知らん。そもそもなに教かも知らんし。
ただどこの教でも「赤ん坊騒ぐのやだ」って価値観はないんじゃないかと思うんだよなあ。予想だよ? 知らんよ実際は。
そういうのって無宗教的な基準じゃないかと思うんだよな。そこの辺に奥さんの矛盾があるんじゃないの?っていう。知らんけどさ。
わかった!
そもそも俺は何かの信仰を普段から持ってるわけでもない連中が「厳粛な結婚式」なるものをしようとしてること、そういう世間の風潮自体に疑問があったんだ!
そういう状態で「厳粛」がまずありえない、基準がそもそもないのにマナーもクソもないだろうと。
世間が俺を嫌おうが、俺はそんな世間に対して断言できる。
「お前たちが間違っている! お前たちは軽薄だ!」
だから元増田の嫁の提案が逆だったら納得したかも知れない。
つまり神前式には子供アリで、披露宴には子供ダメなら納得する。
なぜなら神前式は宗教的なルールがまず優先されるべきであり(もちろん事前に信者になっていることが前提)、披露宴は無宗教的なルールが許されるからだ。
在特会 http://www.youtube.com/watch?v=Q8b2wivPsyE&
20090927西岡応援を邪魔し帰れコールされる応援団 http://www.youtube.com/watch?v=7wqtVmQtKqM
非常にヤバい。言ってしまえば、日本がもはやヤバいことになりつつあるのかもしれん。
この2つに共通することは、結局ある種の集団は先鋭化してヤバい方向に向かっていくってことだ。
(まぁ今回俺が本当にヤバいと思って書いてるのは前者のせいだが)
たぶん、両者とも「自分たちが正しいことを行っている」と考えているんだろう。
じゃなきゃこんなことやらないはずだ。もしかして単純に思考回路ブッとばしてるだけかもしれないが。
それに加えて「たぶん、みんなもそれを分かってくれるはずだ」とどこかで思ってるはずだと俺は思う。
なんせ、こういうのはある種の一体感と承認を求めてやってるからね。
で、そこで「もしかしてみんな分かってくれない、分かってない」と考えたときに
(例えば今回の選挙の結果であったり、球場全体からのブーイングなどといった自分たちが少数派であると気づかざるを得ない状況だとそうなるよね)
他に拠り所がある人の場合、ある種の余裕があるし、それにそこまでいれこむ必要性はないが
他に拠り所がない人の場合、自分たちの正当性を主張することしか選択肢はない。
自己正当化であり、それは自己欺瞞を含む。そのことに気づくことはなく、そして必然的に先鋭化していく。
自分たちのアイデンティティを求めて。一体感を求めて。自分の正当性を求めて。
そして、それは意外にもたやすく満たされるのかも知れない。
「シナチョン」だとか言ってるやつが日本人の0.01%だとしても1万人はいることになる。
(2chでいえば、こういう奴らは一人10レスぐらいつけるから10万レス、あれ簡単に100スレ到達するなw)
そこでウジャウジャ集まってしまえばいくらでも一体感と正当性は調達できる。便利な世の中。
じゃあ、ネットがあるからこういう奴らは止められないのかっていえばそうじゃない。
問題はなぜそこまでして自分たちのアイデンティティ、正当性、一体感を求めてる人がいるのか、
ひらたく言えば、自分には価値があると思いたい人が(反対に言えば自分に不全感を持ってる人が)なんでこんなにいるのかってこと。
まぁそこら辺は言い古されてきたようなことがあるけど(核家族化とか、格差拡大とか、終身雇用の崩壊とか、クソ労働環境wとかとか)
まぁ、日本の成長が止まっちゃったってのはデカいよね。政治って結局資源をどう分配するかってことだからさ。
それプラス、今ってビジョンがないからね。日本自体の。日本ってどうなりたいのって感じ。
それプラス、ロールモデルになりうる人もあんまりいないしね。イチローはすげぇが俺のロールモデルになりえないw
まぁ見えないところにいるんだろうが、そういう人がロールモデルになりうるっていう掘り起こしがもっと必要だよね。
それプラス、神が承認してくれればいいんだけど、日本って無宗教だからね。仏教がんばれよw
(あと、どんどんマニュアル化されて交換可能な存在になっているからっていう論を俺は馬鹿にしていたんだけど、
最近それは意外に正しいのかも知れんと思いなおしてる。
家族とか、地域社会とか、友達とか恋人でも何でもいいが、交換不可能な関係性っていうのは意外に自分の存在意義を保っているから馬鹿にできん。
そういう関係性がSNSとかによって築けるのかどうかは知らないが)
俺論を総括すれば、「己の拠り所になるものがどんどん無くなってきてる」ってこと。それがないとやっぱきついよね。
つまり「自分の周りの環境はどんどん悪化していって、国自体にビジョンがなく、自分自身のロールモデルもない」奴らが、ネットによって容易く集まり
「自分の"仲間"を見つけ、国自体に"ビジョン"を見つけ、自分自身の"ロールモデル"を見つけて(櫻井よしことか、チャンネル桜の誰々とか、多分w)」
一体感であるとか、正当性であるとか、自分には価値があるという感情を見出そうとする。
で、"仲間"以外は分かってくれないという現実にぶつかると、その"仲間"をつなぐ教義(あらゆる意味でのイデオロギー)を強めていって、行動は先鋭化していく。
いくつかの集団がフラッシュバックする。
結局、未来が見えない日本っていうのがリアルになってきたってこと。
そして、それが個人の不全感をもたらす。
2010年代の課題として、この個人の不全感をどうするかというのが最重要課題に多分なる。今回はその萌芽。
中国を始めとした外国とやっていかざるをえない状況に加え、日本が多様性を認める国になるためにもこの課題は解決しなければならない。
不全感を抱いた個人は多様性を容認しない。
教育、経済、政治すべてがこの個人の不全感を満たすために機能しなければならない。先鋭化を防がなくてはならない。
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<追記>
http://b.hatena.ne.jp/articles/200910/428
「フランスは少子化対策に成功しましたが、最初にまずフランス文化を後世に残したいか否かを決めたんです。
残す、という意見でまとまったら、次に『フランス文化を残すためにはフランス語を話す人口を増やすべきである』と決めた。
国全体で理念をはっきり掲げ、コンセンサスが取れているので、政策がぶれないんです」
例えば、こういうことだよな。
信仰云々より親のほうが重大な問題な気がする。
子供に「よく」使用後ナプキン見せつけるなんて異常だよ。人間として、母親として、違うと思う。
血まみれうんこまみれで生まれてきたという、自分に嫌悪感を持つかもしれない言われようは、子供にはきつすぎる。増田、よく耐えた。
まあ、それが本当であれば、腸が破れて死ぬところだったんだろうから、語りたくなるのもわからなくもないが、やっぱりダメだと思うですよ。
幼児洗礼の人は信仰が生活の一部になってしまっていることが多いので、それから離れるということが非常に難しいと聞いたことがある。
しっかり見つめて、最終的には自分と対話していくしかないと思います。
がんばれ。
http://anond.hatelabo.jp/20090910042302
僕は幼児洗礼なので、いわば親から信仰を押しつけられた面があります。
だから、神の存在を「肯定」するか「否定」するかの二つしかない。だけど、もし、信者でなければ、特に日本にいれば、「神」を意識することすら無かったんじゃないかと思います。
こういうの見るとキリスト教の信仰がもうこびりついちゃってるんだなぁと思う。いかにも一神教だなぁと。
日本にいる一般の人は、初詣に神社に行ったり、受験でお守り持ったりします。
結婚式で神様に愛を誓ったり、亡くなったらお弔いをしたり、困ったときに「神様仏様助けてください!」って思うこともある。
それはあなたの信じるところのキリスト教の神様であったりなかったりするけれど、でも神様です。日本におわす八百万の神様です。
日本人は信仰を持たないと言われている。確かに、日々祈るという意味での信仰は持たない人が多い。
でも、たくさんの神様が同居している国です。……あなたが意識するかしないかにかかわらず。